クラアフター終了…泣いた笑った
クラアフター最終回鑑賞!
いやあ、通常のルートで観ようかと思ったらなかなか…出来なくて、別の手段を使って…して見ることに成功しました。
感想とか言いたいことは色々あるので別記しますが、京アニさんマジでお疲れ様でした!! まだ終わってねーだろ!とか言われるかもしれませんが、「小さなてのひら」までやりきった=終わったということなので。「小さなてのひら」最高です。思いっきり泣いた。
あと、「小さなてのひら」の後に風子はねぇだろwwww 風子マスターになっていたので、これは入るだろうと思っていたんですが…ボロボロに泣いた後に思いっきり笑えて、正直複雑でしたw ちなみにここでの風子は色々と経験して経験値が上がっているので、どの風子よりもぶっ飛んだ設定になってます。公子さんが全く制御できていないのも当然。この風子を操縦できるのは朋也だけだと思いますw 最初は自分で持っていたヒトデバッグが、最後には公子さんが持っていたあたりの細かい設定が京アニgjなところですね。それにしても京アニには麻枝信者+ヒトデ教信者が多いんでしょうか…。原作を知らない人が「ねぇわwww」となってしまってないかが凄く心配ですw
しかし、ここで風子と少女が出会ってなければ、CLANNAD一期のOPでのあの場面が説明できなくなるんですよね…。なので、あれを入れた時点でこのシーンを入れることが京アニの中では確定していたってことになりますねw
また、最後のEDで、先頭に汐、二番目に風子って言うのも良かったですねw 汐が行動的過ぎるというのは「光坂」公式SSでの麻枝さんの設定みたいなので、20話でうろうろしていたのも、このCLANNADの登場キャラの先頭を歩くのも、それを忠実に表現していることにもなりますな。
原作派からすれば不満?な最終回+特別編〜CLANNAD AFTER STORY 22話「小さなてのひら」感想
タイトルにはこう書きましたが、泣きましたよもちろん。ただ、原作厨としてはどうしても書いておきたいことがあります。それは「幻想世界の少女=汐」ということを決め付けてしまったことです。
確かに、そういう図式にでもしなければ、幻想世界と現実世界との接点をわかりやすく説明することは不可能なんですが、そうするとかなりの矛盾も出てくるんですよね。渚が「お連れしましょうか?」とか言ってたセリフがワケわからんことになってしまいますし、ゲーム開始時から朋也と渚が結婚して汐が生まれるということが決まっていた(最初からループしていた?)ことになってしまうので、余計にワケわからんことになってしまうんじゃないかとも思うのです。
ちなみに僕がCLANNADクリア後に書いた考察記事です。改行が見難くて申し訳ないですが、よろしければどうぞ。
http://rikio.hp.infoseek.co.jp/C4_5.htm
「光坂」で汐=少女であると公式に為されたんですが、どうにも納得がいかない部分が数多くて、ここは違くね?って今でも思ってるんですけども…。賛同者は少ないんでしょうか。
まあ、麻枝さんが「それでいい」ってGoサインを出したんでしょうから、原作を汚したとかそんな風には考えていませんけども、CLANNADの核を為す部分の解釈ですから、かなり気になりました。
ただ、原作を知らない人はどう見ましたかね? これで何となくでも幻想世界を理解できたとしたら、それはアニメ的には大成功と言えるんですけどね。でもまあ、少女=汐と安易に決め付けるよりも、より深く理解したほうが泣ける場面が激増するので、原作をプレイすることをオススメしますw
それと、「小さなてのひら」の後に特別編を入れるのはどうかと…。完全に終わってますからね、一期と違って。24話としてDVD特典に何か入るのは良いことだし嬉しいのですが、通常放送の最後に過去の話を入れられてもな…と思いませんか? 一期の時も夏休み特別編としてオリジナルの話が入ったわけですが、あれはまだ続きの話だったから良かったと思うんですよ。この構成はどうなんでしょうか? 余韻に浸る意味でも、通常放送を1話多くして今回で終わるほうが絶対に良いと思うんですが…。
もう一つは、奇跡の起こし方がKanonのあゆが起こしたみたいな、予定調和的というかあまりにご都合主義的な感じがしましたね。幻想世界の少女が最後に頑張ってガラクタ人形(朋也)を送り出したことですべてが上手くいって、最終的に自分まで朋也の側に来られる…って、何だその劇的ハッピーエンド。少女は、大きな代償を払ってからこそ、朋也や渚・汐たちを救い、朋也たちとの繋がりを切ってしまうのが原作での流れなんですが。それが全く体現されていないってのはどうなのかと。原作では、特に汐=少女って終わり方じゃなかったと思うんで、かなり違和感がありました。