『週刊金曜日』の特集「若者に広がる“新しい宿命観”」に参加しました - シロクマの屑籠

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『週刊金曜日』の特集「若者に広がる“新しい宿命観”」に参加しました

 
 特集記事(詳細)|バックナンバー|週刊金曜日公式サイト
 
 1月16日発売の『週刊金曜日』の「若者に広がる“新しい宿命観”」特集に参加させて頂きました。斉藤環さんの責任編集のもと、内藤朝雄さん、土井隆義さんが執筆されている特集に、若輩者かつブロガーな私が参加するのは畏れ多いような気がしますが、twitter領域やサブカルチャー領域でつとに感じる“努力の位相の変化”について伝えたいことは書けたと思っています。
 
 こんなブログはご覧になっていないとは思いますが、この機会・この場で斉藤環さん、というより斉藤環先生へ。
 
 私は研修医時代から先生の書籍や論文投稿を拝見し、ずっと憧れ続けてきました。それだけに、今回の特集に参加でき、また先生のコメントを頂戴できて嬉しかったです。ありがとうございました。いつか機会があったら、また宜しくお願いいたします。それと、これからもご著書を追いかけさせてください。
 
 『進撃の巨人』に含まれる努力について、先生に補足して頂いて助かりました。バタバタ死んでいくじゃないですか、調査兵団も駐留兵団も銃後の人達も*1。あの作品の努力って、先生が言語化なさったとおり、まさに“準備”や“取り組み”、それか“大前提”のようにみえます。下敷きとしては皆努力してるけれども、努力したからといって生き残る保証なんてどこにもない。器量や力量を開花させる者もいれば運に裏切られて死んでいく者もいる娑婆観を、私はつい凝視してしまいます。まるでこの世みたいじゃないですか。
 
 ミカサの言うように、「残酷で美しい世界」を生きるということは、元来、そのようなものなのかもしれません。でも、『進撃の巨人』を見ていると普通の人や運の悪い人でも生きていて構わない世界がいいなぁと、そのことばかり考えてしまいます。個人的には、ジャンには生き残って欲しいです。作品の性質から考えると、そういう事を祈るのはおこがましいことなのかもしれませんが。
 
 とにかくも、これを励みとして、これからも私も私なりに努力を重ねていきたいです。先生におかれてもますますご活躍ください、ネットの隅っこからこっそり応援してます。
 

*1:あの作品に本当の銃後なんてありませんが