本日発売の『AERA』6月16日号の特集「その学歴に、満足していますか?」の中の「高学歴ハイキャリアを捨てた日本版ハウスワイフ2.0」に、コメントを寄せています。
当ブログのこの記事を見ての依頼で、あらかじめメールで頂いた幾つかの質問について、電話でお話しました。誌面の方はまだ確認していませんが、私のコメントから記事全体の方向性に合う部分を抽出して短くまとめられています。 *1 「日本版ハウスワイフ2.0」に当たるような高学歴主婦の方も何人か取材されているそうです。
講義のネタで使うことがあるかもしれないと思い、自分の音声を録音しておいたので、少し手直して以下に掲載しておきます(1時間ほどの電話取材と聞いていたので、あれこれ喋り過ぎました)。
●「立派な職業人」から「立派な家庭人へ」。ハウスワイフ2.0の潮流は、今の日本にも及んでいると思われますか?
潮流と言えるほど大きなものになっているかどうかはわかりませんが、既にそれに近い現象はあるのではないかと思います。
もともと高学歴の女性は、より高学歴で高収入の男性と結婚して専業主婦に収まりやすい傾向がありました。そうした女性にとって学歴は上昇婚の条件であって、自分の能力を発揮し社会貢献するためのものではなかった。
1980年前後から「女性の社会進出推進」のかけ声と日本の経済成長に後押しされるかたちで兼業主婦を目指す人が増えてきたのですが、現実は職場のガラスの天井や家庭内の家事育児分担が進まなかったりで、社会に出た多くの既婚女性は非常に苦労し、家庭を犠牲にしてここまで働く必要があるのかという疑問もやがて生じてきます。
これはアメリカも日本も同じ状況だったと思います。日本の場合、アメリカよりは産休制度が整っているといっても大企業中心でしたし、復帰後マミートラックに乗せられたりで、第一線でずっと活躍できるような人は僅かでした。
そうした中、1998年の厚生白書に「新・専業主婦志向」という言葉が登場してきます。
従来の専業の「夫は仕事、妻は家事育児」ではなく、「夫は仕事と家事、妻は家事と趣味的な仕事」というもので、結婚して子供が生まれて一旦は専業になるけれども、子供の手が離れたら自分の趣味を生かしたお仕事をして社会と繋がっていたい、夫には高収入と家事分担を求める。お菓子教室を家で主催しているとかフラワーアレンジメントの資格を取って何かするとか、女性誌などでオシャレに取り上げられているようないわゆるプチセレブなスタイルで、経済的自立は二の次です。
そこで一番大事なのは「家庭もキレイなお仕事も手に入れて輝いている私」という自己イメージなのです。ほとんどの女性は仕事で自己実現などできない、収入も相対的に低い、だったら男性に経済的に依存しつつ欲しいものを全部手に入れたいと。
2003年に出た小倉千加子の『結婚の条件』では、新・専業主婦志向は短大クラスから四大女子の間に広がっているが、ある程度の高収入で家事育児も分担できる男性は限られているので相手を見つけることは難しいだろうと書かれていました。
『ハウスワイフ2.0』についてのネットの記事を読んで、日本で言えばこの新・専業主婦志向に近いのではないかと最初は思いました。
が、実際に本を読んでみてよくわかったのは、新・専業よりもずっと実質的な家事労働を重視していてエコ志向、手作り志向が強いのと、SNSで自分のライフスタイルを発信して読者の評価を得たり、あるいはビジネスに結びつけようとしている、つまり自己満足のプチセレブではなく個人を対外的にブランド化しようとしているという点が、大きく違うということです。
まず手作り志向ですが、日本では2000年代初めの若い女性の周辺に既にありました。その代表は『みづゑ』というクラフト系のプロを目指したい女子向け雑誌(雑貨を作って売る、着なくなったお洋服をリサイクルする、職人のすすめなど‥‥今は雑誌は休刊となり書籍化された)です。バリキャリコースなんかには乗れない、でも普通の専業になるのも厭というクリエイター志向の女の子がまずこれに飛びつきました。
それらのガーリーテイストな手作り志向の現象が女子文化圏を覆っている状態を、私は当時「創作少女趣味帝国」と勝手に名付けて見ていました(これとこれ)が、その周囲には『Ku-nel』とか『天然生活』といったスローライフ、スローフード系の雑誌があり、やはり結構売れてました。
インテリア雑貨の本、北欧のおもちゃやテキスタイルの本、カフェの本などがたくさん出てきていた時期です。どれにも、若干レトロ趣味で手作りの家庭生活の充実を目指す、という共通項があった。普通の女性雑誌でも「自然体」という言葉が流行していましたし、「癒し」も流行っていました。よく出てくるフレーズは「丁寧な暮らし」や「暖かみのある」。森ガールもこの流れの中にあります。
この中心に、『ハウスワイフ2.0』の訳者あとがきでも言及されていた雑誌『LEE』のモデルの雅妃がいました。もう10年前です。彼女が女性たちを惹きつけたのは、「かわいい、やさしい、かしこい」という三つの要素を兼ね備えていたからです。
「かわいい」はセンスが良くてオシャレ、「やさしい」は体にも環境にも良さそうで癒しが感じられる、「かしこい」は流行ものではないので長く使える、節約になる、あるいはそれをビジネスに繋げている。この三つはHW2.0が一般の人にアピールしていく際のキーワードになると思います。
もっと上の世代では、料理研究家の栗原はるみがいます。たくさんの料理レシピのヒット本を出し、お店もプロデュースしCMにも出て実業家として大成功しているカリスマ主婦ですが、もともとは料理が好きな普通の専業主婦だった。この人の場合も、さっき言った「かわいい、やさしい、かしこい」をクリアしてます。雅妃も栗原はるみも、幸せなママや主婦のイメージを保持しながらビジネスを成功させ、絶大な支持を集めて一つの個人ブランドとなっているところがポイントです。
あと『ハウスワイフ2.0』に出てきたハンドメイド作品を売る巨大なネットショップも日本にありますし、手芸で個人のネットショップを始めて、息子さんに作った猫の刺繍のシャツで有名になって世界中から注文を受けている主婦の方もいます。実は私も作ってもらったのですが、この方のブログを読むと5人ものお子さんのお母さんで長らく専業主婦をやってこられた方でした。
環境問題や食についての意識の高さも、今に始まったことではないですが、前なら少々高くても全国からおいしいものをお取り寄せというのがプチセレブな主婦だったとすれば、今では安全な食材を探して手作りという傾向を感じます。ネットでハムやベーコンの作り方が紹介されていると、たくさんのブックマークやイイネ!がついています。
少し前は、鹿やイノシシを捕まえて捌いて食べるまでをネットに公開した女子大生のブログが話題になりました。これが賛否両論を呼んだのは、普通の人の考えるエコや手作りのイメージを逸脱していたからでしょうが、行くところまで行くとそうなります。
若い人の農業から専業主婦の手作りに至るまで、手や足を使ってモノ作りしたいというDIY志向は、最近女性の間に強まってきているようです。ただ、単に肉体労働で大変というイメージだけではダメで、ヨーロッパの田舎ライフに通じるものを感じさせたり、「意識の高さ」や地球にもお財布にもやさしいというイメージをまとっていることが重要でしょう。ハイブランドでも地球環境に配慮しているかどうかがイメージや売れ行きに影響しますから、個人も同じです。
つまり、HW2.0的な営みは本にも書かれていたように、ひっそりと人知れず行われているのではない、常にネット上でのパフォーマンス、アピールというかたちで発表、公開され、多くの人の承認を待っている、評価されることを待っている、という点が非常に大きなポイントだと思います。
たとえば会社の仕事ではよほどその世界のトップに行かない限り、世の中の不特定多数の人から評価されることは難しい。でも家で趣味が嵩じて作ったベーコンや手作りの品、頑張った夕食の出来映えなど、ちょっと自信があって家族や内輪の人間だけに披露して終わるのはもったいないと思うものをネットで発表すれば、あっという間に反応がある。
褒められれば誰でも嬉しいし、情報交換もできる。人気が出て、皆が見に来て、その人のライフスタイルが憧れられるようになれば、ネット上のカリスマ主婦になって被承認欲も満たせるわけで、こうしたところを見ると、芸能人は自分のプライベートやライフスタイルを切り売りしますが、それを一般人もやり出したという見方もできると思います。
学歴やビジネスというファクターを取り除いたところで言えば、『カリスmama』というNHKBSの番組があります。サブタイトルは「ママたちの美力選手権」で、デコ弁選手権とかおでかけコーデ選手権とか100圴アイデア選手権とかやってます。参加しているママは若いギャルママが多く、高学歴という雰囲気ではないのですが、やっぱりここにも「かわいい、やさしい、かしこい」の三原則があります。
しかし、主婦であることママであることの中身を競い合うというのも、なかなか大変そうに思えます。デコ弁なんか作っている余裕がないほど、仕事と家事に追われているお母さんはたくさんいるはずなので。
まとめますと。いつの時代も女性の心を捉えるのは「幸せ」のイメージです。
「キャリアウーマン」が賞揚された時代だって、自分で稼いで自分の欲しいものを買うんだ、頑張れば手の届かなかったブランドものだって買えるんだ、それが女にとって幸せなことなんだという、女性の購買欲、消費欲を後押しする風潮がありました。単に能力と努力を認められ、男性と肩を並べられるというだけでは女性は動かない。「キャリアウーマン」という言葉に華やかでカッコいい消費生活のイメージがついていて、それが「幸せ」のかたちだとコマーシャルや雑誌などで宣伝されたから憧れられたのです。
一方HW2.0の具体的なイメージは、主にネットの中にあって本人たちが情報発信しアピールしています。ベクトルは変わっても、どちらも「女にとっての幸せ」というものを具体的にイメージさせている。もっと言うと、「幸せそうに見える」ということが、そこでは重要なんだと思います。
実際に幸せであることと、幸せそうに見えることとは必ずしも一致しません。が、誰でも情報発信できそれが瞬時に多くの人に共有される社会では、「幸せそうに見える(具体的なそういうイメージに囲まれている)」ということが非常に大きなアピール力になり、評価を集めます。
『評価経済社会』という岡田斗司夫さんの本がありますが、岡田さんの言葉を借りればこの社会は、「1億円持ってる人より、Twitterのフォロワーが100万人いる人のほうが偉いという価値観」の社会になってきている。いや現実にはお金をもっている人はやはり強いとは思いますが、少なくともネットの中では違いますし、ネットで評価を集めたものがお金を生むということも起こっています。以上の点からしても、ハウスワイフ2.0をSNSと無縁に考えることはできないでしょう。
● 日本版の「ハウスワイフ2.0」があるとしたら、どのような条件が整った方だと思われますか?
バブルの頃の女性の結婚の条件で三高(高学歴、高収入、高身長)というのがありましたが、日本版ハウスワイフ2.0の条件も三高です。
まず夫の収入が高めで安定していること。手作り、手仕事をビジネスに繋げるのは非常に難しい、それこそ家事育児そっちのけで取り組まねばならなかったりして、経済的に自立するまでにはなかなかいかないと思います。起業して成功するのはごく一部でしょう。だから夫の収入が重要になる。
次に志が高い。「意識が高い」と言ってもいいです。地球環境や食の問題について常にアンテナを張って情報を取り入れ、初めてのことにも意欲的に取り組んで粘り強く実現させる姿勢が必要になります。ただエコはスピリチュアル思想とも馴染みがいいので、深みにハマるとちょっと信仰っぽいところに行ってしまう人もいるかもしれません。
そしてネットスキルが高いこと。食べ物の写真を美味しそうに撮ってアップしたブログが、きれいで機能的で見やすいといったことも大事でしょうし、ネット上の情報収集力やコミュニケーション能力もそこそこ高くないとならないでしょう。
夫の高収入、高い志、高いネットスキル。向学心に溢れた高学歴の既婚女性でそれなりの企業などで働いていた人は、これらの条件を比較的容易くクリアしやすいと思います。
ただその生活スタイルを長く持続させていくためには、『ハウスワイフ2.0』の著者も提言していたように、やはり経済的な自立を目指した方がいい(死ぬまで夫に頼れると考えない方がいい)、そのためには仕事をもった方がいい(たとえ低収入でも。もちろん思い切って農業に従事するというのも含めて)、とするとそのためには社会的な育児サポート環境の整備や夫の家事育児参加が必須‥‥ということになって、話は一巡します。
結局、実際に「キャリアウーマン」として成功した人が一握りだったように、ハウスワイフ2.0を地で行ける人は一握りではないかと思います。
● この世代の「ハウスワイフ2.0」ではない一般の女性たちの実情や感覚について、どうとらえていらっしゃいますか?
「一般女性」と言っても、既婚、未婚、専業、兼業、シングルマザー、キャリア志向の人、いろいろいて一括りにはできないと思いますが、仕事と家庭の両立に苦しんでいるワーキングマザーの人の中には、憧れを持つ人は結構いるのではないでしょうか。反面、世帯年収が300万以下の家庭が一番多い中で、手間暇かけた手作りエコライフを楽しめるのはある程度余裕のある暮らしの証ですから、HW2.0的なアピールはある意味で「特権階級のアピール」ともなり、反発を感じる人もいるでしょう。
内閣府の出生動向基本調査でも、未婚女性の希望/予定のライフスタイルは再就職コースと両立コースに集中しており、専業コースは2割を切っています。男性でパートナーに専業を望む人は約1割です。共稼ぎでないとやっていけないと多くの人が感じているわけですから、在宅ビジネスなどで稼げる見通しがない限り、大半の女性にとっては現実味のないライフスタイルになります。
もちろん無駄な消費を控え物を大事にするとか、何でも修繕して使うとか、環境に配慮し食の安全を重視するとか、流行のものに流されないとか、学ぶべきところはいろいろあります。
ただ実際には、そうした「これまでの消費生活や便利さのためにさまざまなものを捨てて来た、という反省の部分を共有する」よりも、自分で焼いたオーガニックなパンなど手作りエコな生活をきれいな写真に撮ってブログにアップするといった、いわゆる「ほっこりアピールでイイネ!をもらい、ささやかな自己顕示欲を満足させる」という、そういうレベルで真似してみたい人が多いのではないかと思うし、それは既にもうたくさんの人がやっていますね。
● 今の日本で「女性が女性らしく生きる」こととは、果たしてどのようなあり方なのでしょう
「女性が女性らしく生きる」という言葉の捉え方には、とりあえず二通りあると思います。
一つは、「女性らしさ」を仮装して生きる。「女性らしさ」を見せない女性に対する風当たりはまだ強いので、これは処世術です。「女性らしく」という言葉には、どこかに女性の本質があると仮定されているように感じられるのですが、ではそれが何かというのは女性にはわかりません。それは「謎」なので、世の中の女性はとりあえず「女性らしい」と言われているものを、多かれ少なかれ意識的あるいは無意識的に纏っています。そういう意味では大半の女性が「女性らしく」生きていると言えます。
もう一つは、「女性らしく生きる」を性別役割分担に忠実に生きる、という意味に捉えれば、家事や育児つまり他人のケアに専念する専業主婦の生き方、あるいは女性らしい領域と言われてきた料理や手芸的なことを本業にする生き方になります。
そしてもちろん個人の選択の自由が尊重される今の社会では、以上のように「女性らしく」生きたくないという生き方もあり、ということになるでしょう。
そもそも「女性らしく」とか「男性らしく」の前に、「人間らしく」生きたいということだろうと思います。現実があまりに過酷で非人間的なので、それにこれ以上慣らされてしまってはまずいという危機感、漠然とした「人間らしさ」回復への希求というものは、どこかにあるのだろうと。そして「人間らしく生きたい」とはおそらく「幸せに生きたい」ということです。
ただそれがHW2.0的な方向‥‥会社に使われるのはダメな生き方で、口に入れるものは何でも手作り、誰もが衣食住の根本について考えなければならない‥‥という方向性しかないとしたら、それは不健全という気がします。むしろ、時にはマックバーガーを食べたくなる自分とか、時間節約のためにインスタント食品で済ませる自分を許容する方がいいのではないかと。
すべての人が環境や食の問題に関心があるわけではないし、別のことを優先的、重点的に考えたい人だってたくさんいるわけです。「人間らしさ」から逆に遠ざかりたいという欲求だってあり得ます。それも個人の自由として認めるべきだし、人を傷つけない限り許容するべきだというのがこの社会です。その中で、人が「◯◯らしく」との距離感を適宜取り、ある程度の中途半端さや適当さをもって生きられるのが幸せなことだと、私は思っています。