頑張らない生き方
オリンピックが終わって少し経つが、私の脳裏にいまだに焼きついているのは、ポーラ・ラドクリフである(こちらの記事参照)。
マラソンで劇的な敗退、棄権をしてから3日後の1万メートル走で、悲願の名誉挽回を期して出場した彼女の絵に描いたようなニ度目の敗退ぶりと棄権は、カッコ悪いを通り越して、無惨としか言いようがなかった。
公衆の面前で打ち砕かれた、「これに勝たねばどうにも格好がつかない」という断崖絶壁の覚悟。誰もかける言葉がないほどズタズタの彼女の心境を思うと、この先アスリートとして立ち直れるのかどうか心配である。
勝ち負けを競い、その結果が誰の眼にも明らかなフィールドは、明快なだけに残酷だ。
スポーツであれ何であれ、こんな必死な思いして競争したくないな、あんなふうに不様な恥を晒す立場でなくてよかった、などと地味で気楽な立場の我々は思う。
競争なんかしたくない。がむしゃらに頑張るのはカッコ悪い。
人は人、自分は自分。自然体でゆったりと。
日常のささやかなことを大切に。私らしさを大切に。
そういう気分は随分前から、勝負事以外のいろいろな場面に出現している。世代的には20代から30代半ばの、知的レベルと感性レベルのやや高い女性が、こういう気分に馴染んでいるようだ。先日書いた「創作少女趣味帝国」の住人も、この年代に集中している。
もう少し上の世代の「頑張ってきてちょっと疲れたから癒しがほしいな」という希求、いや「今癒しとかないとこの先頑張れないのではないか」という強迫観念といったものとはまず無縁の、のんびりスローライフ自然体志向世代。
こうした世代の女性や若者に関して、マーケティングの立場から細かくリサーチをしているサイトがあった。
このテキスト(追記:2020年現在リンクが切れています)では、ある絵本シリーズが、そうした層の主婦にいかに受け入れられたかという分析が中心となっている。絵本という幼児教育と美術の両領域にまたがった、部外者からは一見聖域のように思える分野ですら、マーケティングリサーチによって計画的に作られ、雑誌のカリスマモデルの一言でヒットを飛ばす時代になったという。
問題はその絵本に飛びついた30代の女性が、どういう家庭生活を目指しているか、そのイメージがなぜどのように作られているかということだ。ここから先はそのテキストを前提として書くので、できれば先にそこにざっと目を通して頂けますように。
‥‥で、あの中で私が面白いと感じたのは、同じ(元)Jリーガーを夫に持つ二人のモデル兼カリスマ・ママ、三浦りさ子と雅姫の比較である。
三浦にややバブルの匂いはあるが、雅姫にはそれがない。
三浦には更にハイクラスをという気合いがほの見えるが、雅姫にはそれもない。
三浦は女を捨ててないが、雅姫は‥‥いや雅姫も捨ててない。しかしそれはずっと控えめで、もっと透明感が漂っている感じ。
三浦りさ子はグッチもフェンディも着こなすが、雅姫はさりげなくアンティーク、みたいな。
つまり雅姫はとても「自然体」っぽい。
その雅姫の生活であるが、雑誌モデルと主婦をしながら親子服のショップオーナーでもある。 雑誌LEEには幼い娘ともども登場している。
雑誌企画でロンドン郊外とかに娘と揃って素敵なファッションで出掛けて、のんびりとアンティーク家具屋や雑貨屋やガーデニング屋やカフェ巡りをし、お店の商品買い付けすると同時に、自分のおうちも更に素敵に飾っちゃっているのである。「勝ち犬」の余裕しゃくしゃくといったところ。
趣味の勝利、幸福の掟
似たポジションで、タレントのYOUがいる。これまたananあたりに登場して「私の頑張らない自然体」を語るくらい人気者だ。
しかし雅姫の品の良さ、カリスマ性にはちょっとかなわない。彼女の半ランク上(一ランクまではいかない)のセンスや生活感覚といったものは、ファッションモデル時代からクローズアップされており、「私のスキンケアをお教えしましょう」「お気に入りのオーガニックフード」なんて特集によく登場していた。何か基本的な育ちの良さを感じさせるモデルというところで、他とは別格扱いだった。
そういうわけで今、「創作少女趣味帝国」及びその周辺の植民地の「自然体」志向女は、みんな雅姫ライフを目指しているのである。
無理しない範囲でやっているきれいなお仕事。手作り感が取り込まれた暮らし。 彼女が見せてくれる生活は、小倉千加子が『結婚の条件』で描いた、「依存」結婚と「保存」結婚を足して2で割って、自然体フレーバーをかけたようだ。
一見何かつかみ所がなく、しかしひどく素敵そうなその暮らしは、元Jリーガーで今はやはりショップオーナーの夫の高収入に「依存」している。
そこで「保存」されるセンス良く心地いい空間は、少女時代から彼女が守ってきたものだろう。その「保存」の証拠が、おしゃれな店であり、かわいい娘であり、主婦となってもカリスマモデルの雅姫自身である。
雅姫を支持する女性達も、中流以上の家庭に育ちセンスも教養もあるタイプが多いという。特に自分のセンスに絶対の自信を持ち、衣食住に渡って何かと細かいこだわりがある。喫茶店でタバコふかしながら女性セブンなんか貪り読んでいるタイプでは、まずない。
昔、雑誌オリーブあたりで育ち、ヨーロッパの郊外のノスタルジックな暮らし(のイメージ)への憧れを持たされ、適度に裕福でプチインテリな環境の中だけで純粋培養されてきた女が、「依存」と「保存」を手に入れるためには、自分と同等以上のクラス(収入、教養、センス共に)の男と結婚して子供を産むことが絶対条件。子供は自分ワールドを完成させるために、今や必需品である。
かつては自分一人がおしゃれであればよかったが、いまや夫、子供、家、庭も隅々まで良い趣味に統一されてなければならない。自分の行く店、住む街も同様だ。友人はどんないい人でもセンスの合わない人、教養がイマイチの人とは付き合えない。センスが似ていることは、同じ「階級」の確認となる。
そのセンスも、頑張ったものではダメ。あくまでさりげなく手作りっぽい味で、なおかつ上質で「半ランク上」。そういうことを、生まれた時から決まっていたかのように、当たり前の顔をしてやれなければ、雅姫にはなれない。
彼女達はおしゃれな絵本の中に住みたいのか? そうかもしれない。
何よりも重要で何よりも優先されるのは、自分の美意識である。自分の半径10メートル以内が、常に納得のいくこだわりの趣味で満たされていること。それが「創作少女趣味帝国」の幸福の掟である。
こうした匂いに大概の男は弱いことを、彼女達はもちろん熟知している。
「創作少女趣味帝国」にエロスの香りはまったくないが、清潔な家庭の匂いはする。よほど趣味が嵩じた「不思議ちゃん」系にいかない限り、「自然体」志向女は理想の結婚相手かもしれない。
スローフード、スローライフは、レトロモダンなヨーロピアン&アジアンテイストと共に、ハイセンスな雑誌で喧伝された。その手の雑誌「Lingkaran」「Ku:nel」「天然生活」などを見ると、彼女達の価値観と美意識がそこにすっぽり収まっていることがわかる。ここに絵本雑誌「Pooka」を加えれば完璧だ。
文系のおしゃれなプチインテリ男などイチコロであろう。
「創作少女趣味帝国」は、今や無敵である。
かわいくてちょっと賢くて「自然体」でセンスのいいものには、誰も抵抗できない。最初から圧倒的に勝っているから、無惨な敗退とは無縁だ。
趣味のグローバリズム。「帝国」は女の消費生活を覆っていこうとしている。もちろんそれは「北」の「帝国」であり「北」の消費生活だ。
あまりの独裁ぶりに息が詰まりそうだが、今のところテロリストは現われていない。