クロスリバーの欠片 遠洋漁業に行った話11 ~連鎖~
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クロスリバーの欠片

ルアーショップ クロスリバーの店長だった男のブログ

遠洋漁業に行った話11 ~連鎖~

20年前。

当時、18歳の私が体験した遠洋漁業の話。

大企業である大陽漁業(仮)所有の漁船、太陽丸(仮)は、時化の中を航行していた。



時化は3日間続いた。

ようやく海面が収まってきた時、ファーストオフィサーが交代に来た。

「キャプテンも褒めてたぞ」

ファーストオフィサーが、マグカップを差し出す。

大きめのマグカップに入ったコーヒーは、甲板員食堂で飲めるインスタントではなく、ちゃんと豆から煎れたものだった。

「お前はまた、下での作業だな」

小さめのコーヒーカップを啜りながら、ファーストオフィサーが溜息をついた。



操業ワッチに入るので、下に降りた。

船室から甲板に向かう階段の下で、1人の甲板員とすれ違う。

「このコウモリ野郎が」

男が皮肉たっぷりにつぶやいた。

短い白髪頭で額が狭く、切れ長の目。

身長の割に肩幅が広く、分厚い胸板をしていた。

アニマル浜口のような男。

芳賀だった。

芳賀はボースンの腰巾着のような男だった。

甲板員にしてはよく喋り、噂話が好きだった。

時にはその喋りで、ボースンを操っているようにさえ見えた。



コウモリ野郎。

鳥のように振る舞い、空を飛んでみせるが、寝床は暗い穴の中。

鳥でも獣でもなく、どちらにも取り入ろうとする中途半端な存在。

あの時の私は、甲板員たちからそう見えたのだろう。

私の操舵の話は、通信長が触れ回ったらしい。

私が得意げに語っていたと、話の形も変えられていた。



幽閉された船上で最も辛いものは、船酔いでも重労働でもなく、人間関係だった。

一度向いた嫌悪のベクトルは、その方向をなかなか変えない。

ジャッジを下す者も無く、一度諍いが起これば、その争いに終わりは無い。

集団の意識が、個々の感情を煽り、嫌悪の連鎖に拍車を掛ける。

今まで、キャビンの人間に向けられていた甲板員の敵対心は、容赦なく私に降りかかった。



妬み、嫉み。

それなりに学問を修め、英語を話す。

帰る場所がある上に、ファーストオフィサーのひいき。

何より、私には未来があった。

全てを諦めてきた甲板員たちとは、あまりにも違いすぎた。



それからは地獄だった。

目が合えば殴られ、屈めば蹴飛ばされた。

「作業が遅い」と手袋を禁じられ、凍傷の一歩手前なのか、指が曲がらなくなった。

顔にも体にも無数の痣ができた。

苦痛に歪む表情を笑い、甲板員同士で暴力を競い合う。

感情の捌け口だった暴力は、互いに見せ合う為のそれに変化していく。

全員が同じように、卑下の眼差しを私に向けた。

狂気の集団。

洋上には逃げ場も無い。

この甲板には、ファーストオフィサーの言葉も届かない。

武藤の手も、このワッチには届かない。

1人きりになれる冷蔵室で、何度も涙し、叫んだ。

眠る時でさえ、芳賀のニヤついた顔が浮かぶ。

たまに甲板の縁に立つと、どす黒い重油のような海面が私を誘った。



「ちょっと来い」

操業が1ヶ月も過ぎた頃、網を入れて待ちの時間に、珍しく田中が話しかけてきた。

田中は暴力の輪には、加わっていなかった。

田中の後を付いて、甲板に向かった。

「そこで見てろ」

田中がデッキブラシを持ち、甲板の縁に立つ。

両手で握ったデッキブラシを振りかぶる。

船尾から船首に向けて、甲板スレスレをカモメが掠める。

瞬間、田中がデッキブラシを振り下ろす。

「ポクッ」という音とともに、カモメが海面へ落ちる。

海面のカモメは船尾に流されていく。

「気絶してるだけだ」

田中がこちらを見た。

「やってみろ」

デッキブラシを差し出された。

同じようにやってみた。

鈍い手ごたえとともに、カモメが落ちる。

討ち落とされたカモメは、船尾に向かってどす黒い海面を流れていく。



思えば、ボースンたちより十くらい若い田中。

田中がこの船に来た時も、私と同じ経験をしたのだろうか。





この男とこんなに話をしたのは、後にも先にもこの時だけだった。

「俺は今度のハリファックスで帰る」

今度の入港で、田中は日本に帰るらしい。

甲板員は10ヶ月働いて、2ヶ月休む。

日本に帰れるその2ヶ月間が休みなのだ。

だから、船上では一日も休みが無い。

「2ヶ月経ったら戻ってくる」

言いながら田中がタバコに火をつけた。

それから田中はカモメのことを話しはじめた。



カモメは船に付いて移動する。

船からでる残飯や、漁課にならずに捨てられた魚などを食べて生きている。

この船で羽を休め、甲板で眠る。

田中は糞で甲板を汚すカモメを、一匹残らず討ったことがあるらしい。

カモメは気絶して流されても、意識が戻るとこの船に飛んで戻ってくる。

カモメもまた、この船無しには生きられない。



「どうだ?あん人たちに似てねか?」

カモメと同じように、この船が無ければ生きられない甲板員たち。

田中はまったく表情を変えずに、淡々と話を続ける。

「この船でおめより下はカモメしかいねぇ。だから、辛いときゃカモメ討て」

話を聞きながら、なぜだか涙が止まらなかった。

航海士に虐げられた甲板員が、新米を虐げる。

その新米がカモメを討つ。

嫌悪の連鎖が行き着いた先が、一羽のカモメだった。



「おめは考えすぎる。ここじゃ考えちゃいけね」

田中がタバコを海面に投げた。

「気持ちを殺せ」

どす黒い重油のような海面を見つめながら、田中が言った。



もしかすると、この船に来る前は、田中にも表情があったのかも知れない。

感情を殺す。

腐の連鎖が続くこの船で、田中が生き延びる唯一の方法だったのかも知れない。












続きはまた書きます
コメントありがとうございます。




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おきてがみ

コメント

どこの世界でも妬み嫉妬のたぐいはあるんですね 文章から伝わってきます
しかし 逃げ場のない船の中では
次回作も期待しております

どうも、こんにちわ

妬みや嫉妬は恐ろしいですね、文章からひしひしと伝わってきます。

いつも記事を読むとその場の情景が伝わってきて、手に汗握ったり、心が温まったりします。

またの更新を心待ちにしています!

  • 2010/07/30(金) 12:26:57 |
  • URL |
  • リョーマ #-
  • [ 編集 ]

腐の連鎖

多かれ少なかれ、致し方がないことなのかもしれませんが、これはあまりにも ...

丘の上では、逃げ回れば済むことかもしれませんが、逃げ場のない船上では、気持ちを殺し、思考を停止させることが、唯一の逃げ道なのかも知れませんね~

更新楽しみにしています!

少なからず想像していましたが、実際にこういう仕打ちがあるのですね。
今の私にとっては他人事とは思えません。

  • 2010/08/01(日) 03:56:54 |
  • URL |
  • Bow #-
  • [ 編集 ]

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