2023.11.19 (Sun)
モーツァルトって奴は
松木幸夫 チャンネル
最近はバッハ・ベートヴェン・シューベルトの曲を聴くことが多かったが久しぶりにモーツァルトのピアノソナタ F-dur K.V.533を聴いた。
先に挙げた作曲家の作品は物によるけれど何となく先が見える場面があるし、それはモーツァルトでも当てはまるけれど、仮に、それらの作曲家の作品を僕が自前の指を使ってゆっくり弾いてみると感心させられたりうっとりする場合が多いのだ。
それはモーツァルトでも確かにあるが、殊にゆっくり弾いてみた時の気色の悪さというか、神経を逆撫でされているようだったりという感じがとてもするのだ。
僕は彼の音楽は自分の世界を作ろうと必死に戦っていると思っていて、それは他の作曲家でもそうだが、モーツァルトの場合はより耳触りの悪さがあるように思う。
しかし普通にピアニストが快調なテンポで弾いているのを聴いていると決してそんなことはなく、それどころか心地よい世界が広がってくるのだが僕のようなド下手人間がゆっくりと弾いてみると酷い例えだが、食べたら美味しいけれどよくよくみると気持ち悪い食べ物(例えば内臓系)を接写的に眺めてげんなりしているところを同じような気分になっている。
彼はきっと他人が怒るようなことを平気でする人間なのだろうと勝手に決めつけてみたりした。
今日の1曲
F.ソル アンダンティーノ op.32-1 6つの小品op.32より
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最近はバッハ・ベートヴェン・シューベルトの曲を聴くことが多かったが久しぶりにモーツァルトのピアノソナタ F-dur K.V.533を聴いた。
先に挙げた作曲家の作品は物によるけれど何となく先が見える場面があるし、それはモーツァルトでも当てはまるけれど、仮に、それらの作曲家の作品を僕が自前の指を使ってゆっくり弾いてみると感心させられたりうっとりする場合が多いのだ。
それはモーツァルトでも確かにあるが、殊にゆっくり弾いてみた時の気色の悪さというか、神経を逆撫でされているようだったりという感じがとてもするのだ。
僕は彼の音楽は自分の世界を作ろうと必死に戦っていると思っていて、それは他の作曲家でもそうだが、モーツァルトの場合はより耳触りの悪さがあるように思う。
しかし普通にピアニストが快調なテンポで弾いているのを聴いていると決してそんなことはなく、それどころか心地よい世界が広がってくるのだが僕のようなド下手人間がゆっくりと弾いてみると酷い例えだが、食べたら美味しいけれどよくよくみると気持ち悪い食べ物(例えば内臓系)を接写的に眺めてげんなりしているところを同じような気分になっている。
彼はきっと他人が怒るようなことを平気でする人間なのだろうと勝手に決めつけてみたりした。
今日の1曲
F.ソル アンダンティーノ op.32-1 6つの小品op.32より
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