松木幸夫的思考 2012年03月21日
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2012.03.21 (Wed)

上達と環境の

 ギターを、勿論ギターに限ったことではないが某かの楽器を習いに行こうとする人には、周囲の環境の中に同じ楽器を嗜む人がいる場合と、いない場合とで心構えなどが変わってくる。

 周囲にギターなどを習う人が誰もいないまま、なんとなくギターに興味が湧いた人の場合は、ギターに対する興味だけがあって、曲は知らず、普通に練習すればどの程度まで上手になることができて、自分にギターを教えようとするこの胡散臭い先生と名乗る人物が上手なのか下手なのかすら知る由もないまま、彼の興味の続く限りレッスンに通うことになるだろう。

 周囲にギターを習う人がいて、その数が多ければそれらの人の上達ぶりを見て、彼らがどの程度上手になって、どんな曲をどのように練習して、もし自分が習ったらあいつよりは上手に弾けそうかな、なんて云う思いでいざ習い始めて見ると、初めの想像とは全然違っていて上手になれそうな気配は一掃されていきなり意気消沈する、という場合だって少なくないだろう。

 環境によって、ギターについてのイメージが、と云うより物事に対するイメージがこれだけ変わるのかというのは、こんなことをふと考えてみるだけでよく分かった気になったりする。

 環境の違いが、その後の上達にどの程度影響を与えるのか、について僕はまったく分からないことである。

 ただ周囲に同じ楽器を練習している人は、互いに刺激し合い助け合ってチームワークとして上手になる場合が多いだろうと云うことは確かにあるだろう、成長するためにはライバルが必要だという言葉はよく聞くものである。

 ライバルがいない場合には、そう云う刺激がないからモティベーションを維持すること自体が難しい場合があるだろう。

 と云うことから考えてみると、より早くより上手になりたければ、ライバルを作ると云うことは確かに大切なことかもしれない。

 ライバルがいなければ進歩は遅々として進まないかもしれない。

 しかしそう云う環境は自分に対して決して無理なことをしないという利点があるから、所謂腱鞘炎などの病に冒されてギター人生から足を洗う、またはギターの練習がつらくて師匠が厳しすぎるためについにはギターが嫌いになって、果ては音楽自体を嫌悪するということになる、これはとても極端な場合だろうが、そう云う危険性は排除されるだろう。

 尤も事情はそんなに単純なことではないだろうけれど。

 結局上手になれる人は、環境がどうあれ上手になると云う、どうしようもない現実だけはあるだろうからである。

 上手になる人は、例外なく人の話しと楽器の音を聴く耳を持っていると思う。

 だからもしきちんと上手になりたければ、人の意見と音をきちんと聴く度量を身につけることが大切なことだろうと思う。

 因みに、僕は他人の話を聞かないと云うタイプである。

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