松木幸夫的思考 2011年09月24日
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2011.09.24 (Sat)

例えば調弦の

 ロドリーゴ作曲アランフェス協奏曲、トゥリーナ作曲ソナタ、武満徹作曲すべては薄明の中でなど適当にギター作品名を挙げたが、これらの作品の共通点がお分かりだろうか。勿論これ以外にもテデスコのソナタやタンスマンのポーランド組曲などの作品も該当するのだが。

 今回の答えは、演奏中に調弦を変える必要がある曲と云うことである。

 例えばトローバのソナティネならば、1楽章と3楽章は6弦をミのままの調弦で演奏するのだが、間に挟まれた2楽章だけは6弦をレに下げるのである。

 そのような曲を演奏している姿を見ていると、まず第1楽章が終わり、その余韻の醒めやらぬ中、また次の楽章への期待を打ち砕くようなどよんどよんと云うでかい音(この場合は6弦をレよりも低い音程まで下げている音である)が鳴り響く、下がり切ると一息つく間もなくでよんでよんと6弦をレまで上げる音が発せられる。

 4弦のレと6弦をオクターブで合わせようとしてもいまいち合わないのだろうか、またすべての弦の調弦を行うべくそれぞれのやり方で一目散に素早くやろうとするのだが相変わらずのろのろと無駄な時間ばかりかかってしまい、いったい僕は何をしにここにいるのだろうか、いったい彼はいま何を演奏していたのだろうか、と超短期的な記憶喪失状態になってしまうような場面に出くわすことがある。

 それが曲の途中であれば、また曲間であろうと、調弦は演奏会の空気を壊してはいけないのである。

 僕はそういうマナーをブローウェルのカンティクムや鐘の鳴るキューバの風景などの作品で学んだ。

 例えばカンティクムでは、初めのエクロシオンと云う部分からディタランボに移行するあいだに調弦をしないで、つまり一切音を発しないで6弦をミ♭に下げることを要求されるし、鐘の鳴るキューバの風景では初めファに合わせていた6弦をポルタメントのようにミまで下げるように指示されているから演奏者は滑らかに半音下げるように糸巻きのペグを操作しなければならないのである。

 それはとても緊張感のある瞬間であるが、それは演奏への、また音楽への期待を弥増しに増すような働きをするのである。

 だから調弦から立ち居振る舞いまで、それらのすべてがいい演奏のために行われるように日頃から考えることはとても大切なことだろうと思われる。

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