松木幸夫的思考 2011年09月
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2011.09.30 (Fri)

地図のように指板を読む

 ギターは、否ギターの各部の大きさは、即ち指板の幅や長さや弦と弦との間隔は経年変化などによるサイズの変化は無視をすることができる。

 つまりひとつのギターの大きさは、出来上がりから壊れるまでの間でほぼと云うかまったく大きさが変わることがない、と断言していいだろうと思われる。

 だから1フレットと2フレットの長さや3弦と4弦の幅はどんなに空気が湿気っていても、緊張していても、押さえ方が複雑でも、またその他どんな条件が加わろうとも変わることはない、と断言できるのである。

 と云うことは、などとくどくど書くには訳がある。

 少しばかり左手の、左用のギターならば右手の押さえが難しいと、途端に弾けなくなる人が少なからず現れるのである。

 3つくらいの和音が連続して現れるような部分で立ち止まり、迷子になり、路頭に迷う人のなんと多いことか。

 そんな彼らを見て「一体どうして押さえられないの」なんて尋ねることはできないのは、尋ねる前からその答えが分かっているからである。

 その答えとは、たくさんの指で弦を押さえ始めると、或いは単独で弦を押さえてもその押さえた弦からどんな高さの音が出るのかが分からないと云うことだろう、もしくはある音を出すためにどの弦の何フレットを押さえるべきか瞬時に判断することができないと云うことである。

 ギターの場合は、調弦の仕方によって、あるフレットを押さえて出る音が変わることがある。

 その調弦の仕方も、オープンチューニングやリュート用のニ短調調弦やそれぞれの作曲家が編み出した変則調弦が存在するし、これからも生み出される可能性があるからギターを演奏する我々はいろいろな工夫をして演奏をすることになるのである。

 いまは変則調弦のことは省略して通常の調弦ことだけ考えるようにするけれど、和音や旋律音を正確に素早く押さえるためにはどの音がどの場所に存在するのか、をはっきりと正確に把握していなければならないのは云うまでもない。

 また様々な和音を連続して押さえるような場合に、手の力みの故だろういちいちすべての指を離して新たに次の和音を押さえる人がいるようだけれども、冷静に考えれば多くの和音の連結に際しては共通音がある場合がある。

 それで共通音がある場合の多くは同じ指で押さえることが可能であるからその音を押さえている指は他の指が別の音を押さえ直しているときでさえ離す必要がないのだ。

 もし3つの音でできている和音を押さえているときに共通音がひとつあるならば押さえ直しをする音はふたつに減るだろうし、さらにバス音が解放弦であるならば押さえ直しは僅かにひとつであるからもの凄く簡単な作業で和音の連結を済ますことができるのである。

 その辺のところを知っているかどうかが、ギターを簡単に弾けるようになるかどうかの境目になるのだ。

 それは地図が苦手な人が主要な混雑する国道ばかりを利用して目的地に行くのと、市道や農道を巧みに使って混雑しない道を通って短時間で目的地に着くのとの違いと同じである。

 それはそうとして、現在午前5時43分。

 烏の鳴き声が半端でなく五月蝿い。

 窓を開けてみると地面の上でもの凄い数の烏ががあがあわめき散らしている。

 手を叩いて少し脅かしてみたけれど、彼らは空を飛びながらがあがあ叫びっぱなしである。

 五月蝿くてしゃあない。

 三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい、と思う。

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テーマ : ギター - ジャンル : 音楽

13:03  |  楽器  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
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