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日本文化に親しむブラジル人
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ここでは日本の伝統楽器である尺八を主題にして取り上げます。
ブラジルにおける尺八は、元々移住した方々が、趣味そして望郷の念を晴らすために移住地の演芸会などで吹いていたものだが、移住百十四年を経過した現在では、吹く日本人は数名を除くと殆ど他界し、今ではブラジル人の方が数が多い時代になって居る。どんな職業の人達が吹いて入るのか、その方々の数名を紹介致します。
『例1』尺八に親しむ アンドレ ダ シルバ カリストさん、四十九歳、多数の異なる笛の奏者。
職業は、サンパウロ地方のオーケストラのメンバーで、① 「OPIイリャベラ民間人オーケストラ」
②「ワールド ミュージックオーケストラ」のメンバーで、サックス、フルート、尺八などその他多くの笛の奏者。オーケストラの一曲の演奏の中で、二つも三つもの楽器を吹くと言う離れ業をこなす多芸の人。指揮者もその才能を認め、自由に演奏を許すと言う寛容さを持っているからであろう。
かつては、世界のあちこちを流して歩き、インドまで吹奏の旅をした変わり種。尺八は、この多忙の中で、4年ほど前から吹き出し、大半は私と稽古した時間が多い。また、彼らの特徴として言える点は、インプロヴィゼーションを行う才能が非常に高いと言う事。
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通常の尺八の長さは一尺八寸(54,5㎝)が基本だが、彼は三尺(95㎝)の長菅をも吹きこなす。多くの吹奏楽器で鍛えた呼吸法で、尺八も難なくこなす芸達者である。
彼の住まいは、サントス市近くのイリャベラ島に有り、地元にも日本食レストランがあるが、余興で時々そこで尺八を吹きに往くと、初めて聞く客が多く、拍手喝采を受ける由。
このような、天才と言っても良いような演奏家と友人になれた事は私にとっては生涯の名誉である。
写真によって彼の多様な笛吹きぶりを紹介します。
「 大西洋を水上機で初飛行以来今年は100周年 」 (1922_2022)
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ポルトガル人の飛行士、Comandante Gago Coutinho , Piloto Sacadura Cabral の二人が、水上機で大西洋縦断飛行を行ってから、今年は100週年記念の年。
リスボンを出発したのは1922年3月30日。ブラジルのリオデジャネイロに到達したのは何と6月17日。79日間もかかった理由は、最初に飛行した機は途中で故障してしまい、ポ国から二機目の水上機を手配しなければならなかったため。ところが、二機目も故障してしまい、またもや三機目をポ国から手配し、ようやくリオに到着したものである。途中で着陸した場所は、「Las Palmas」, 「CaboVerde」,
「Rochedos de S.Pedro de S.Paulo/岩礁」・この岩礁で一機目が故障,「Fernando de Noronha 」(以下ブラジル領),「Recife」,「Bahia」,「Rio de Janeiro」. 全行程は7,950㎞。
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「写真」(筆者撮影)
二人の英雄を称えた銅像が、サンパウロ市内のコンゴーニャス空港の入り口周辺に建てられているので、敬意を表し、千本氏のブログに掲載して頂く事にしました。
一寸気になった点・パイロットのSacadura Cabralさんの苗字カブラル。まさか、ブラジルを発見したカブラル家の家系ではないよね?
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ブラジルに根を張る日本文化(2)禅の道 ( 2 のイ)
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意外に思われるかも知れないが、ブラジルで、禅の・曹洞宗に
帰依する人々が着実に増え、定着している。ブラジルと聞けば、
誰しもサンバ、カルナバル、などを真っ先に思い浮かべるよう
な気がしますが、何故,禅なのか?
1500年に、ポルトガルの航海者Alvares Cabralによって偶然
発見され、真っ先に記念碑の十字架が建てられて以来、現在の
国の人口は2億人を越える中、90%がカトリック教徒である。
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

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そのブラジルのサンパウロ市に、禅の曹洞宗が創立されたのは
1959年、南米別院佛心寺とともに、南アメリカ国際布教総監部
が設けられた。以来、こつこつと布教に力を入れ、徐々に檀家
と参禅者を獲得していった。
そうした流れの中で、1968年、北海道生まれの徳田りょたん師
(本名・五十嵐きゅうじ)が、佛心寺に布教師として赴任して
来た事が、その後の発展におおきな力を発揮することになる。
徳田師は、1938年生まれ、1963年に駒沢大学の仏教哲学科を
卒業、1967年、曹洞宗の禅の指導僧の資格を得、同時に受戒を
授ける資格も得ている。
徳田師は大変人徳の有るお人で、誰からも親しまれた。サン・
パウロ市内の佛心寺で座禅の指導をしながら、家庭料理の指導
も行って来た。
あちこちから来る招待に即座に対応し、私的な参禅所も含め、
禅堂の建立を始めたのである。
1971年、既にかなりのブラジル人の参禅者が誕生し大いに{人口
に膾炙}されるようになり、その中の一人の熱心な女性の招待を
受け、サンパウロ市から150Km程の、地方の町のCampos do Jordão
に、グループ参禅の会所を開いた。
徳田師は、同時に、指圧と漢方薬の治療を兼業として生活を支え
た。
それを皮切りに、同じ1971年、伯人の空手道の師範からの招待
を受け、南大河州(サンパウロから飛行機で2時間)のPorto
Alegre市に座禅の指導を開始した。
以後、次々と拡大の一途を辿る。
1974年、リオのサンタ・テレザ区内の寺院の責任者に要請される。
1975年、リオのコパカバーナ区に座禅所を設立する。
1976年、近隣州のEspirito Santo州の3人の座禅の愛好者達が、共同
で曹洞宗に土地の提供を申し出る。そして彼ら若い3人は徳田師に合
う為にリオまで出張し、徳田師に面会、禅堂の建立を要請する。
徳田師は、先輩老師の新宮師の薦めもあり、快く引き受け、翌年、
提供を受けたIbiraçuの地に{ヴァルジェンの丘・禅堂}を創建する。
徳田師はその事業に際し、既に新宮師から受戒を受けていた伯人の
Anibal Jippo僧と巡り合い、この僧とさらに他の二名の僧の協力も
あって共に前出の禅堂を建てたのである。
(本文の内容と写真は、主にこのAnibal僧から提供して頂いたもので
ある)。
1977年、並行しながら、隣のミナス州の首都ベロ・オリゾンテ市内
に、参禅のグループを育て始める。
1978年、ベロ・オリゾンテ市内に移り、指圧と漢方医学の学校を創
設する。
1980年、ベロ・オリゾンテ市に曹洞禅センターを創設する。
1984年、ミナス州内にあるオーロ・プレット地方の山脈{Pico de Raio}
の山頂に、禅堂を創設した。





この、「稲妻峰・座禅堂」が建てられた標高1500メートルの山脈一帯は、
歴史的な金鉱のあった場所で知られる。昔の植民地時代の事なので、
金掘り作業は手作業で、つるはしで掘って金を探しまくる作業だった。
その金掘りの穴が、現在でもあちこちの山林の中に口を空けて残って
おり、不用意に歩きまわると穴の中に落下してしまう危険がある。
この地方の金は、土壌に含まれている様々な鉱物の物質との因果関係
で、一種の酸化状態で金色ではなく、黒色の状態で採掘された由縁で
Ouro Pretoの名が付けられた。州の名称であるMinas Gerais州も、大
多数の鉱物を産出するところから付けられた名である。
金の発見と採掘は一大ブームを巻き起こし、他州に居住していた多くの
ポルトガル人も移って来た。その稲妻峰の高台の一か所に、当時建て
られたポルトガル風のMoinhoが、今では忘れ去られ、半ばから崩れた
その土台のみが残っているのが印象的で、かつてポルトガルの支配下だ
った事を物語っている。
ミナス州で採掘された金の大半は驢馬の荷駄でリオデ ジャネイロ
州のパラチ港まで運ばれ、そこからポルトガルに海上輸送された。
パラチの港町から輸送された金の量は、年間1,5トン程で、それが
百年以上も続いたと言う記録が残っている。
パラチの町、はポルトガル人が住民の大半を占めるめるようになり、
このため、町のたたずまいは、ブラジルで一番ポルトガル様式の家屋
今でもが実在している事で知られる。
余談になるが、ポルトガルの教会の多くの内部装飾に金箔がふんだん
に使われているのは、このミナス産の豊富な金のたまものである。
金掘り人足には、多くの黒人が狩りだされた。
百年以上も続いた金鉱のあらかたが掘りつくされ、ブームが去った後
は、この山脈一帯に居住する民衆の多くは、かつて金掘りに従事した
奴隷などの後裔達だった。かつて金塊ブームで百年以上も一世を風靡
した地域だが、現在の社会的地位は、貧困層に位置付けられている。
その高台の一番高所に「稲妻峰・禅堂」が建てられたのである。土地の
提供者は、貧困層の部類に入る女性だったと言う。
徳田禅師が、何故この土地を選んで禅堂を建てたのかは不明だが、語り
継がれている逸話にこんなのがある。伯人にかけた禅問答そのもののよ
うである。
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
伯人の座禅参加者・「川の底には今でも金が眠っているそうです」。
徳田禅師・「ふむ。問題は、どうやって手を濡らさずに採るか、だろう」。
徳田禅師から得度を受けた伯人のタバジャーラ僧は、彫刻や造形の才能
があり、自ら仏像を刻んで禅堂の周囲に多数安置し、訪れる者の目を引
き寄せ、何かを問いかけている様にも感じさせる。金掘りの洞窟の後に
安置された仏像の一体は、黒塗りである。かつて多くの黒人が一生を金
掘りに従事させられ、また多くの人が命を落としたりもしたが、彼自身
も黒人の血を引いており、それ等の人々への慰霊の念が込められている
ようである。
この禅堂を訪れた日本人の短歌がある。
「徳田師に禅を学びしミナス人尼僧もありて伝統を持す」
「ミナス路のオーロプレット金山跡何処もかしこも洞穴だらけ」
「金掘りの黒人霊を鎮魂す洞窟に座す黒きみ仏」
「金塊に明け暮れしたる人々の子孫の中に禅の芽生えて」
(山岡 秋雄 ・ ブラジル在住)
_(2のイ)終り_
ブラジルに根を張る日本文化 (1)
ブラジルに根を張る日本文化 (1)
山岡 秋雄 ブラジルサンパウロ市在住)
1809年に始まった日本人のブラジル移住は今年で112年となる。この期間、様々な日本文化が日系人によって伝承されてきた。しかし現在では、弟子であったブラジル人が成長し、「ブラジル人によるブラジル人への日本文化の伝播」が現実に行なわれている。その幾つかを紹介したいと思います。
① Eduardo Mendes Ribeiro Corrêa 、Angelica Philipe Corrês 夫妻
筆者は彼の事を個人的にブラジルのサムライ、と呼んでいる。理由は、長年かけて彼が取得した以下の様な日本文化の資格に拠る。
Eduardo さんが修行し、取得した資格・合気道 四段(1994)。居合道 二段(2013)。 杖道 初段 (2013)。薙刀 1級(2017)。柔術 初段(1996)。指圧(1999)。鍼灸 (2009)。茶道(2015)。書道(2015)。折り紙(2015)。 尺八(2018開始)。
奥様の Angélica Philipe Corrêa さんが修行して得た資格・合気道 二段(2009)・杖道 初段(2013)薙刀 二級(2017)・墨絵(2012)・活け花(2013)・風呂敷(2015)
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ご覧のとおり、これだけの文化と多趣味に通じているが、主婦業ではなく、政府系の金融機関の重要なポストについている現役である。お二人とも、一般の日本人の能力を超えていると言っても過言ではない。
元々は南大河州のポルト・アレグレ市に住んでいたが、現在は首都ブラジリアに居住。筆者が住むサンパウロから1千キロも離れているが、時折尺八の稽古に訪ねくる。奥様の墨絵も素晴らしく、何枚か描いて頂いた。俳句も詠む。まるで昔の日本人が妻の理想像とした「・・才長けて 見目麗しく 情け在り、」を彷彿とさせる姿だ。
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山岡 秋雄 ブラジルサンパウロ市在住)
1809年に始まった日本人のブラジル移住は今年で112年となる。この期間、様々な日本文化が日系人によって伝承されてきた。しかし現在では、弟子であったブラジル人が成長し、「ブラジル人によるブラジル人への日本文化の伝播」が現実に行なわれている。その幾つかを紹介したいと思います。
① Eduardo Mendes Ribeiro Corrêa 、Angelica Philipe Corrês 夫妻
筆者は彼の事を個人的にブラジルのサムライ、と呼んでいる。理由は、長年かけて彼が取得した以下の様な日本文化の資格に拠る。
Eduardo さんが修行し、取得した資格・合気道 四段(1994)。居合道 二段(2013)。 杖道 初段 (2013)。薙刀 1級(2017)。柔術 初段(1996)。指圧(1999)。鍼灸 (2009)。茶道(2015)。書道(2015)。折り紙(2015)。 尺八(2018開始)。
奥様の Angélica Philipe Corrêa さんが修行して得た資格・合気道 二段(2009)・杖道 初段(2013)薙刀 二級(2017)・墨絵(2012)・活け花(2013)・風呂敷(2015)
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ご覧のとおり、これだけの文化と多趣味に通じているが、主婦業ではなく、政府系の金融機関の重要なポストについている現役である。お二人とも、一般の日本人の能力を超えていると言っても過言ではない。
元々は南大河州のポルト・アレグレ市に住んでいたが、現在は首都ブラジリアに居住。筆者が住むサンパウロから1千キロも離れているが、時折尺八の稽古に訪ねくる。奥様の墨絵も素晴らしく、何枚か描いて頂いた。俳句も詠む。まるで昔の日本人が妻の理想像とした「・・才長けて 見目麗しく 情け在り、」を彷彿とさせる姿だ。
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