Posted
on
校條剛『ザ・流行作家』(講談社)
校條剛の『ザ・流行作家』を読む。著者の名前は講談社現代新書の『作家という病』で知ったのだが、そちらは文芸編集者として知りあった作家のエピソードを綴った内容で、これが作家という人種の業を感じさせ、実に面白かった。
▲校條剛『ザ・流行作家』(講談社)【amazon】
本書『ザ・流行作家』も方向的には同じような内容である。『作家という病』以前に書かれたもので、著者が担当した中で最も売れっ子であった川上宗薫と笹沢左保の二人を取り上げている。
ただ、作家という人種の特殊な生態を炙り出そうとした『作家という病』とは少し異なり、初めから稀代の流行作家という観点で二人にアプローチしているところがポイントである。どちらも売れっ子ではありながら、正反対の性格な二人を対比させ、あるいは共通点を見出してゆく。
と書くと、何やら小難しい評伝みたいな感じも受けるが、実際は非常に面白いエピソードの積み重ねであり、とにかく昭和という時代の流行作家の特殊な生態があからさまに書かれている。もちろん担当編集を長年続けた著者だからこそ書ける内容であり、正直、令和のいまでは名誉毀損になりそうな話も多く、さすが昭和の文壇は次元が違う。
しかし、流行作家とはいえ、二人の胸中はいかばかりだったのか。売れてはいるがその分、犠牲にしているものも多く、なにより文壇での高い評価を得ることができなかった。
川上宗薫はそもそもポルノ作家で売れたこともあるのだけれど、自伝風の作品もあり、かなり自虐的に自分の反省を描いている。その中には人格否定みたいな評価をされたこともあったようで、傍目からは鋼のメンタルなのかあまりに鈍感なのか分かりにくいのだが、内心は忸怩たるものがあったと思いたい。
かたや笹沢左保はミステリも時代小説も買いたが、知られているのは「木枯し紋次郎」ばかりで、それもテレビの影響が大きい。ミステリではオールタイムベストなどがあってもランクインは滅多にない。あっても処女長編の『招かれざる客』ぐらいである。現在の読者には「トクマの特選!」のおかげで再評価が進んでいる笹沢左保だが、当時はいわゆるミステリ史に残るような作家のイメージではなかったのである。
作家としては大成功の部類に入る二人だが、その最深部ではさまざまな思いはあっただろう。面白いだけでなく読んでいて鬱になるようなエピソードもあり、亡くなったときの話も含め、ただのエピソード集だと思っていると足元を掬われるのでご注意を。
本書はあくまで川上宗薫、笹沢左保という人間を浮き彫りにするものであり、評論の類いではない。その意味では、本書にそもそも作品解説などを求めるのは筋違いではあるのだが、それを承知であえて注文をつけさせてもらうなら、彼らの作品全体を俯瞰するような資料があればなお良かった。そして、できれば暮らしぶりと書かれた作品がどのようにリンク、対応していたか、そういう考察もほしかったところだ。いや、贅沢な望みなのはわかっておりますが。
▲校條剛『ザ・流行作家』(講談社)【amazon】
本書『ザ・流行作家』も方向的には同じような内容である。『作家という病』以前に書かれたもので、著者が担当した中で最も売れっ子であった川上宗薫と笹沢左保の二人を取り上げている。
ただ、作家という人種の特殊な生態を炙り出そうとした『作家という病』とは少し異なり、初めから稀代の流行作家という観点で二人にアプローチしているところがポイントである。どちらも売れっ子ではありながら、正反対の性格な二人を対比させ、あるいは共通点を見出してゆく。
と書くと、何やら小難しい評伝みたいな感じも受けるが、実際は非常に面白いエピソードの積み重ねであり、とにかく昭和という時代の流行作家の特殊な生態があからさまに書かれている。もちろん担当編集を長年続けた著者だからこそ書ける内容であり、正直、令和のいまでは名誉毀損になりそうな話も多く、さすが昭和の文壇は次元が違う。
しかし、流行作家とはいえ、二人の胸中はいかばかりだったのか。売れてはいるがその分、犠牲にしているものも多く、なにより文壇での高い評価を得ることができなかった。
川上宗薫はそもそもポルノ作家で売れたこともあるのだけれど、自伝風の作品もあり、かなり自虐的に自分の反省を描いている。その中には人格否定みたいな評価をされたこともあったようで、傍目からは鋼のメンタルなのかあまりに鈍感なのか分かりにくいのだが、内心は忸怩たるものがあったと思いたい。
かたや笹沢左保はミステリも時代小説も買いたが、知られているのは「木枯し紋次郎」ばかりで、それもテレビの影響が大きい。ミステリではオールタイムベストなどがあってもランクインは滅多にない。あっても処女長編の『招かれざる客』ぐらいである。現在の読者には「トクマの特選!」のおかげで再評価が進んでいる笹沢左保だが、当時はいわゆるミステリ史に残るような作家のイメージではなかったのである。
作家としては大成功の部類に入る二人だが、その最深部ではさまざまな思いはあっただろう。面白いだけでなく読んでいて鬱になるようなエピソードもあり、亡くなったときの話も含め、ただのエピソード集だと思っていると足元を掬われるのでご注意を。
本書はあくまで川上宗薫、笹沢左保という人間を浮き彫りにするものであり、評論の類いではない。その意味では、本書にそもそも作品解説などを求めるのは筋違いではあるのだが、それを承知であえて注文をつけさせてもらうなら、彼らの作品全体を俯瞰するような資料があればなお良かった。そして、できれば暮らしぶりと書かれた作品がどのようにリンク、対応していたか、そういう考察もほしかったところだ。いや、贅沢な望みなのはわかっておりますが。
- 関連記事
-
- 校條剛『ザ・流行作家』(講談社) 2024/03/10
- 校條剛『作家という病』(講談社現代新書) 2016/10/29