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クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』(早川書房)
ちょっと集中的に今年の海外話題作を読んでいるのだが、なかでも評判がいいのが本日の読了本、クリス・ウィタカーの『われら闇より天を見る』。
まずはストーリー。舞台はカリフォルニア州の小さな町、ケープ・ヘイヴン。三十年前、そこで飲酒運転によって一人の少女が命を落とし、その事件は今でも町の人々に暗い影を落としていた。事故を起こして服役中のヴィンセント、事件からいまだに立ち直れないスター、友人を密告した今は警察署長のウォーク、事件後に町を去ったマーサ……。彼らは皆当時の仲間同士でもあった。
そんな町で、自称無法者の少女ダッチェスは、いまだに事件から立ち直れない母親の代わりに、幼い弟を守って懸命に暮らしていた。
そこへ刑期を終えたヴィンセントが帰ってきた。ぎりぎりの均衡を保っていたケープ・ヘイヴンに新たな火種が持ち込まれ、悲劇が再び繰り返されようとしていた……。
▲クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』(早川書房)【amazon】
なるほど。これは評判どおりの傑作だ。ぶっちゃけ新味はないのだけれど、非常に重厚で胸に迫るミステリ。とにかく読み応えが凄い。
本作最大の特徴は、非常に特殊な少女を主人公(の一人)に設定したことだろう。ミステリではあるが著者が描きたかったのはやはりヒューマンドラマであり、とはいえミステリ部分も決して疎かにせず、そのバランスが最高である。主人公が底辺であがく少女といえば、どうしても『ザリガニの鳴くところ』と比べてしまうのだが、これは甲乙つけ難いだろう。
そもそもこの手の作品はどうしてもミステリ以外の部分ばかりで評価される傾向がある。それはそれで否定するつもりはないのだが、やはりミステリという形式を用いるからにはミステリ的な面白さは大事にしてもらいたいわけで、その点、本作は普通にミステリとしても面白い。
ベースにあるのは三十年前に起こった交通事故。しかしそれは単なる事故に収まらず、関係者の多くにさまざまな闇、病みを生んでしまう。それが月日の流れで消えることはなく、今に至るまで悪影響を及ぼし、ついにヴィンセントの釈放をきっかけに爆発する。このさまざまな闇が現代の事件とリンクしている構成が巧い。過去の事件と現代の事件がリンクするミステリは珍しくもないが、本作は過去の事故はあっても事件などはなく、その事故から発生した諸々の闇が徐々に明らかになり、それがミステリ的な驚きにも通じてくるのである。しかもそういう状況を、ほとんどの主要登場人物で設定しているという念の入れよう。
強いていえばサプライズを小出しにしているのがちょっともったいなく感じないではない。ドラマがゆったり進むので、その流れに合わせてしまったところもあるのだろうか。引っ張るのが上手いとも言えるのだけれど。
それはともかく、本作はそうした要素がまずミステリ的な驚きに貢献し、同時に業の深さというか因果応報というか、そういう感慨も同時に与えてくれるところがよいのである。
ミステリとしても読みどころ十分の本作だが、結局というべきか(笑)、やはり本作の最大のキモは少女ダッチェスの存在感だろう。
弟を守るため自らを無法者とうそぶく十三歳の少女の言動には常に激しい怒りが渦巻いている。だが、彼女のそうした怒りの下に、深い悲しみと絶望が潜んでいることもまた明らか。平穏を願いながらもどうしても他者に対して(同時に社会に対して)攻撃的になってしまう少女の姿は何ともやるせない。味方になってくれる人にも牙をむくため、ときには共感しにくいところもあるのだが、彼女をそうした行動に走らせてしまう確固とした理由や原因があり(それが他人にわかってもらえないことも多々あるのだが)、それが胸に堪える。
だから共感はしにくいとしても、応援せずにはいられないのである。そんな彼女が少しずつ人間的に成長し、心を開いていくところは、読んでいるこちらも本当に嬉しくなるし、幸せを願わずにはいられない。ただ、著者は安易な成長物語として妥協しない。ダッチェスの道筋は順調ではなく、常に三歩進んで二歩下がるといった試行錯誤の連続。それに付き合う読者もまた、そこそこの覚悟が必要かも知れない。
最初に少し書いたけれど、本作は格別新しいタイプの物語ではない。よくある筋立てではあるし、けれん味とは遠いところに位置する作品だ。たとえば昨今の作品なら時系列をいじって過去のパートを挿入したりするところだが、そういうのも一切ない。
物語の中だけでしっかりと物語を完結させ、素直にキャラクターやストーリーのクオリティを上げることで、著者はメッセージをよりストレートに伝えようとしている。そこがよいのである。
まずはストーリー。舞台はカリフォルニア州の小さな町、ケープ・ヘイヴン。三十年前、そこで飲酒運転によって一人の少女が命を落とし、その事件は今でも町の人々に暗い影を落としていた。事故を起こして服役中のヴィンセント、事件からいまだに立ち直れないスター、友人を密告した今は警察署長のウォーク、事件後に町を去ったマーサ……。彼らは皆当時の仲間同士でもあった。
そんな町で、自称無法者の少女ダッチェスは、いまだに事件から立ち直れない母親の代わりに、幼い弟を守って懸命に暮らしていた。
そこへ刑期を終えたヴィンセントが帰ってきた。ぎりぎりの均衡を保っていたケープ・ヘイヴンに新たな火種が持ち込まれ、悲劇が再び繰り返されようとしていた……。
▲クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』(早川書房)【amazon】
なるほど。これは評判どおりの傑作だ。ぶっちゃけ新味はないのだけれど、非常に重厚で胸に迫るミステリ。とにかく読み応えが凄い。
本作最大の特徴は、非常に特殊な少女を主人公(の一人)に設定したことだろう。ミステリではあるが著者が描きたかったのはやはりヒューマンドラマであり、とはいえミステリ部分も決して疎かにせず、そのバランスが最高である。主人公が底辺であがく少女といえば、どうしても『ザリガニの鳴くところ』と比べてしまうのだが、これは甲乙つけ難いだろう。
そもそもこの手の作品はどうしてもミステリ以外の部分ばかりで評価される傾向がある。それはそれで否定するつもりはないのだが、やはりミステリという形式を用いるからにはミステリ的な面白さは大事にしてもらいたいわけで、その点、本作は普通にミステリとしても面白い。
ベースにあるのは三十年前に起こった交通事故。しかしそれは単なる事故に収まらず、関係者の多くにさまざまな闇、病みを生んでしまう。それが月日の流れで消えることはなく、今に至るまで悪影響を及ぼし、ついにヴィンセントの釈放をきっかけに爆発する。このさまざまな闇が現代の事件とリンクしている構成が巧い。過去の事件と現代の事件がリンクするミステリは珍しくもないが、本作は過去の事故はあっても事件などはなく、その事故から発生した諸々の闇が徐々に明らかになり、それがミステリ的な驚きにも通じてくるのである。しかもそういう状況を、ほとんどの主要登場人物で設定しているという念の入れよう。
強いていえばサプライズを小出しにしているのがちょっともったいなく感じないではない。ドラマがゆったり進むので、その流れに合わせてしまったところもあるのだろうか。引っ張るのが上手いとも言えるのだけれど。
それはともかく、本作はそうした要素がまずミステリ的な驚きに貢献し、同時に業の深さというか因果応報というか、そういう感慨も同時に与えてくれるところがよいのである。
ミステリとしても読みどころ十分の本作だが、結局というべきか(笑)、やはり本作の最大のキモは少女ダッチェスの存在感だろう。
弟を守るため自らを無法者とうそぶく十三歳の少女の言動には常に激しい怒りが渦巻いている。だが、彼女のそうした怒りの下に、深い悲しみと絶望が潜んでいることもまた明らか。平穏を願いながらもどうしても他者に対して(同時に社会に対して)攻撃的になってしまう少女の姿は何ともやるせない。味方になってくれる人にも牙をむくため、ときには共感しにくいところもあるのだが、彼女をそうした行動に走らせてしまう確固とした理由や原因があり(それが他人にわかってもらえないことも多々あるのだが)、それが胸に堪える。
だから共感はしにくいとしても、応援せずにはいられないのである。そんな彼女が少しずつ人間的に成長し、心を開いていくところは、読んでいるこちらも本当に嬉しくなるし、幸せを願わずにはいられない。ただ、著者は安易な成長物語として妥協しない。ダッチェスの道筋は順調ではなく、常に三歩進んで二歩下がるといった試行錯誤の連続。それに付き合う読者もまた、そこそこの覚悟が必要かも知れない。
最初に少し書いたけれど、本作は格別新しいタイプの物語ではない。よくある筋立てではあるし、けれん味とは遠いところに位置する作品だ。たとえば昨今の作品なら時系列をいじって過去のパートを挿入したりするところだが、そういうのも一切ない。
物語の中だけでしっかりと物語を完結させ、素直にキャラクターやストーリーのクオリティを上げることで、著者はメッセージをよりストレートに伝えようとしている。そこがよいのである。
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