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増本河南『冒険怪話 空中旅行』(盛林堂ミステリアス文庫)
増本河南の『冒険怪話 空中旅行』を読む。まったく知らなかった作家だが、解説によると明治時代の作家であり、横田順彌が『日本SFこてん古典』で紹介したことから、その名が知られるようになったらしい。ううむ、それなら一度は名前を目にしているはずなのだが、ミステリ系ではないので全然覚えてなかったみたい。
ただ、著者については、今でもその当時以上に詳しいことはわかっていないようだ。わずかに判明しているのは、新聞記者やアメリカ駐在の経験があること、帰国後は冒険小説やSF小説などを発表していること、押川春浪とも親交があって共著もあること、ぐらいらしい。
まずはストーリー。今の静岡県静岡市にあたる興津に、夏休みで学生の朝日輝夫くんが帰省した。彼は海岸で謎の男と知り合いになるが、実は男は火星人で、電力空中船による火星旅行へ招待される。月へ寄り道した際には大変な冒険に巻き込まれたりするが、ようやく火星へ到着。熱烈な歓迎を受ける輝夫くんだったが、火星には恐ろしい危機が迫っていた……。
明治時代のSF小説ということだが、それなりに面白く読めることに驚いた。歴史的な価値しかないと思っていたのだが、どうしてどうして。適当に面白おかしくするのでなく、科学的な資料を盛り込むことで、荒唐無稽なストーリーにできるだけ説得力を持たせようとしているのがいい。
また、この手の小説であまり気にされない部分もちゃんとフォローしている。たとえば惑星間移動もチャチャっと瞬間移動で簡単に済ませるのではなく、1年という妙にリアルな時間に設定している。そのために家族への連絡をさせるとか、この期間で火星の言葉を学んだりとか、食糧の問題をどうするとか、読者のツッコミを先回りして解決していくようなところも上手いなぁと思わせる。
その一方で、ベースとなる動力が電気というのはやはり時代を感じさせる。料理や機械までさまざまなものが電気で動いたり生み出されていたりする。それは別によいのだが、その電気をそもそもどうやって発生しているのか一切不明なのはご愛嬌だ(こちらが読み落とした可能性もあるけれど)。これが昭和も戦後のSF小説あたりになると専ら原子力が多くなるから、やはりSFであっても(SFだからこそ、か)ある程度は時代を反映するものなのだろう。
ストーリーも健闘している。原住民に襲われたりするなんてのは想定範囲内だが、火星についてからの展開がなかなか予想外で、「妖怪星探検」の章などはあまりのテイストの急変に呆気に取られるしかない。まあ実はそこが一番面白かったりするのだが(笑)。
とにかく明治時代のSF小説がこれだけやってくれれば十分だろう。と思っていたら、これには裏があって、横田氏の説では、当時の海外SFのいいとこ取りをしたのだろうというもの。まあ、その可能性は高いだろうが、そうであったとしてもこの作品の評価をそこまで落とすものではないだろう。とりあえずご馳走様でした。
ただ、著者については、今でもその当時以上に詳しいことはわかっていないようだ。わずかに判明しているのは、新聞記者やアメリカ駐在の経験があること、帰国後は冒険小説やSF小説などを発表していること、押川春浪とも親交があって共著もあること、ぐらいらしい。
まずはストーリー。今の静岡県静岡市にあたる興津に、夏休みで学生の朝日輝夫くんが帰省した。彼は海岸で謎の男と知り合いになるが、実は男は火星人で、電力空中船による火星旅行へ招待される。月へ寄り道した際には大変な冒険に巻き込まれたりするが、ようやく火星へ到着。熱烈な歓迎を受ける輝夫くんだったが、火星には恐ろしい危機が迫っていた……。
明治時代のSF小説ということだが、それなりに面白く読めることに驚いた。歴史的な価値しかないと思っていたのだが、どうしてどうして。適当に面白おかしくするのでなく、科学的な資料を盛り込むことで、荒唐無稽なストーリーにできるだけ説得力を持たせようとしているのがいい。
また、この手の小説であまり気にされない部分もちゃんとフォローしている。たとえば惑星間移動もチャチャっと瞬間移動で簡単に済ませるのではなく、1年という妙にリアルな時間に設定している。そのために家族への連絡をさせるとか、この期間で火星の言葉を学んだりとか、食糧の問題をどうするとか、読者のツッコミを先回りして解決していくようなところも上手いなぁと思わせる。
その一方で、ベースとなる動力が電気というのはやはり時代を感じさせる。料理や機械までさまざまなものが電気で動いたり生み出されていたりする。それは別によいのだが、その電気をそもそもどうやって発生しているのか一切不明なのはご愛嬌だ(こちらが読み落とした可能性もあるけれど)。これが昭和も戦後のSF小説あたりになると専ら原子力が多くなるから、やはりSFであっても(SFだからこそ、か)ある程度は時代を反映するものなのだろう。
ストーリーも健闘している。原住民に襲われたりするなんてのは想定範囲内だが、火星についてからの展開がなかなか予想外で、「妖怪星探検」の章などはあまりのテイストの急変に呆気に取られるしかない。まあ実はそこが一番面白かったりするのだが(笑)。
とにかく明治時代のSF小説がこれだけやってくれれば十分だろう。と思っていたら、これには裏があって、横田氏の説では、当時の海外SFのいいとこ取りをしたのだろうというもの。まあ、その可能性は高いだろうが、そうであったとしてもこの作品の評価をそこまで落とすものではないだろう。とりあえずご馳走様でした。