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マイケル・イネス『ソニア・ウェイワードの帰還』(論創海外ミステリ)
クラシックミステリの翻訳が盛んになった昨今だが、メジャーどころでもなかなか翻訳されない作家もいる。翻訳が大変だからなのか、セールスに結びつかないからなのか、おそらくその両方なのだろうけれど、マイケル・イネスもそんな作家の一人。ひと頃は毎年、何らかの邦訳が出ている時期もあって、一応は邦訳が十五作ほどあるけれど、現在の現役本はその半数ぐらいだろう。少なくはないけれど、別名義も含めると七十冊以上の小説を書いている作家だし、ビッグネームといえばビッグネームだから、これはやはり寂しい数字といえるだろう。
といいつつ、自分もまだ未読が数冊あるので偉そうなことは言えないのだが、この度、版元が倒産して絶版状態にあった『ある詩人への挽歌』が創元推理文庫で復刊されるという。これはめでたい、というわけで、久々に管理人も未読消化に努めてみた。ものは『ソニア・ウェイワードの帰還』。
こんな話。退役軍人のフォリオット・ペティケートはベストセラー作家、ソニア・ウェイワードの夫である。彼女の稼ぎのおかげで何ひとつ不自由ない暮らしを送っていたが、ある時、ヨット上で彼女が急死してしまう。
ペティケートは焦った。ソニアが死亡したことがわかると、今後の生活費がまったく入らなくなってしまう。そこでペティケートは思いついた。ソニアの死体は海に遺棄し、旅行に出たことにする。そして、その間に自分が代わりに小説を書けばよいのだ。
ところがペティケートのやることなすこと裏目に出て、挙句にソニアそっくりの女性に出会ってしまう……。
ほほう。マイケル・イネスってこんな作品も書いていたのか。いや、むしろマイケル・イネスだから書ける作品ともいえる。
本作はアプルビイが登場しないノンシリーズのサスペンスものだ。主人公は妻殺しを(いや、殺しちゃいないが)いかにして隠蔽するのか、その顛末をユーモラスに馬鹿馬鹿しく描く。もともとマイケル・イネスの作品にユーモアは欠かせないが、本作は目一杯笑いの方に舵を取っている。
その笑いの元になるのが、ミステリの定石をことごとく外していく展開だろう。一見、倒叙のスタイルをとりながら、捜査する側の推理や謎解きパートは一切ない。英国のクラシックミステリに欠かせない名執事はいないけれど悪質なチンピラ執事が登場する。第二の殺人を成功させたはずなのに結局、誰も殺せない。おまけに主人公は常にテンパっていて、次から次へとミスを連発する。ここまでグダグダになってしまう犯人も少ないけれど、唯一、うまくいくのが妻の代わりに書いた小説が非常に好評だったこと(笑)。とはいえ、その成功ですら更なるミスを誘発するという負の連鎖。これらの燃料が次々と絶妙な按配で投下されるので、まあ面白いこと。
面白いだけでなく巧さもある。キャラクターの設定などはややステレオタイプだけれど、非常にイキイキと描かれ、とりわけ主人公ペティケートの小物ぶりは見事。小悪党や精神的に未熟な主人公というのは読んだことがあるけれど、ここまで小物感をイメージさせてくれるキャラクターはなかなかいないのではないか(苦笑)。
他にはやはりソニアのそっくりさん。造形も悪くないが、ストーリーへの絡ませ方にも工夫があって素晴らしい。「ソニア・ウェイワードの帰還」という邦題が効いており、ラストも予想できる範囲ではあるが気持ちよく落としている。
個人的に興味深かったのは、当時の大衆小説、大衆小説作家に対するネガティブなイメージをバンバン放り込んでくるところだ。プロットを考えるシーンでは大衆小説を揶揄するような表現も多く、単なる大学教授がこれをやっていたら炎上するだけだが、これらは実際に大衆小説にのめり込んでいたイネスだから許されるのだろう。
これは想像でしかないが、イネス自身もそんなジレンマを感じていたことは想像に難くなく、この辺りはミステリの枠を超える要注目部分だ。
ということで予想以上に楽しめる一作。単なるユーモア小説としても悪くないが、やはりミステリに関する知識があるだけで面白さは段違い。過去に読んだイネス作品の中ではけっこう上位に持ってきたい。
といいつつ、自分もまだ未読が数冊あるので偉そうなことは言えないのだが、この度、版元が倒産して絶版状態にあった『ある詩人への挽歌』が創元推理文庫で復刊されるという。これはめでたい、というわけで、久々に管理人も未読消化に努めてみた。ものは『ソニア・ウェイワードの帰還』。
こんな話。退役軍人のフォリオット・ペティケートはベストセラー作家、ソニア・ウェイワードの夫である。彼女の稼ぎのおかげで何ひとつ不自由ない暮らしを送っていたが、ある時、ヨット上で彼女が急死してしまう。
ペティケートは焦った。ソニアが死亡したことがわかると、今後の生活費がまったく入らなくなってしまう。そこでペティケートは思いついた。ソニアの死体は海に遺棄し、旅行に出たことにする。そして、その間に自分が代わりに小説を書けばよいのだ。
ところがペティケートのやることなすこと裏目に出て、挙句にソニアそっくりの女性に出会ってしまう……。
ほほう。マイケル・イネスってこんな作品も書いていたのか。いや、むしろマイケル・イネスだから書ける作品ともいえる。
本作はアプルビイが登場しないノンシリーズのサスペンスものだ。主人公は妻殺しを(いや、殺しちゃいないが)いかにして隠蔽するのか、その顛末をユーモラスに馬鹿馬鹿しく描く。もともとマイケル・イネスの作品にユーモアは欠かせないが、本作は目一杯笑いの方に舵を取っている。
その笑いの元になるのが、ミステリの定石をことごとく外していく展開だろう。一見、倒叙のスタイルをとりながら、捜査する側の推理や謎解きパートは一切ない。英国のクラシックミステリに欠かせない名執事はいないけれど悪質なチンピラ執事が登場する。第二の殺人を成功させたはずなのに結局、誰も殺せない。おまけに主人公は常にテンパっていて、次から次へとミスを連発する。ここまでグダグダになってしまう犯人も少ないけれど、唯一、うまくいくのが妻の代わりに書いた小説が非常に好評だったこと(笑)。とはいえ、その成功ですら更なるミスを誘発するという負の連鎖。これらの燃料が次々と絶妙な按配で投下されるので、まあ面白いこと。
面白いだけでなく巧さもある。キャラクターの設定などはややステレオタイプだけれど、非常にイキイキと描かれ、とりわけ主人公ペティケートの小物ぶりは見事。小悪党や精神的に未熟な主人公というのは読んだことがあるけれど、ここまで小物感をイメージさせてくれるキャラクターはなかなかいないのではないか(苦笑)。
他にはやはりソニアのそっくりさん。造形も悪くないが、ストーリーへの絡ませ方にも工夫があって素晴らしい。「ソニア・ウェイワードの帰還」という邦題が効いており、ラストも予想できる範囲ではあるが気持ちよく落としている。
個人的に興味深かったのは、当時の大衆小説、大衆小説作家に対するネガティブなイメージをバンバン放り込んでくるところだ。プロットを考えるシーンでは大衆小説を揶揄するような表現も多く、単なる大学教授がこれをやっていたら炎上するだけだが、これらは実際に大衆小説にのめり込んでいたイネスだから許されるのだろう。
これは想像でしかないが、イネス自身もそんなジレンマを感じていたことは想像に難くなく、この辺りはミステリの枠を超える要注目部分だ。
ということで予想以上に楽しめる一作。単なるユーモア小説としても悪くないが、やはりミステリに関する知識があるだけで面白さは段違い。過去に読んだイネス作品の中ではけっこう上位に持ってきたい。
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