Posted
on
スチュアート・タートン『イヴリン嬢は七回殺される』(文藝春秋)
年末も近くなってきたので、このところ今年の話題作をぼちぼちと消化中。本日の読了本はその一環としてスチュアート・タートンの『イヴリン嬢は七回殺される』。「館ミステリ+タイムループ+人格転移」という売り文句で、発売当時から話題になっていた作品である。
まずはストーリー。
森の中にたたずむハードカースル家所有の〈ブラックヒース館〉。そこではイヴリン嬢の帰還を祝って多くの客が招かれ、夜には仮面舞踏会まで催されていた。そんなある日の朝、森の中で一人の男が自ら発した「アナ!」という叫び声によって意識を取り戻す。しかし、アナが何者なのかはわからず、それどころか自分が誰なのか、ここがどこなのか、なぜここにいるのかもわからない。
皆は彼をベルと呼び、館に招かれた医者であると知らされるが、しかし次の日の朝、彼は執事のコリンズとして目覚め、さらに次の日は遊び人のドナルドとして目覚める。しかも別の人物として目覚めても日付は進まず、主人公は同じ日を別の人物として体験することになる。
いったい何が起こっているのか。とまどう彼の前に中世の黒死病医師の扮装をした男が現れ、その夜にイヴリンが殺されると告げる。そしてその犯人を特定できた者だけが、この異常な世界から解放されるのだという……。
いやあ、これは凄い小説だわ。同じ時間を繰り返すタイムループものや、他者に憑依する人格転移ものは今どき珍しくもないけれど、これを合体させたうえ、さらに館ミステリの要素を加えてフーダニットの本格ミステリに仕上げるという荒技である。
とにかく最初は主人公同様、読者も物語の筋についていくのがやっとだろう。しかしこの世界のルールが徐々にわかってくると、次第に物語に引き込まれる。
同じ日が繰り返されるということは、前の日の反省を活かせるということである。また、毎日、異なる人物に転移するということは、それぞれの異なる立場から物事を眺めることができるということだ。となれば、少しずつ真実に近づくことは決して不可能ではないはず。
ただ、実際はそう簡単に物語は進まない。主人公が転移する人物はそれぞれが問題を抱えており、自由に動けなかったり、転移先の本人がもつ感情や意識に流されたりして、決して主人公が自由に考えたり行動できるわけではないのである。しかも主人公には同じ目的をもつ競争相手がおり、さらには競争者たちをつけ狙う殺し屋的存在〈従僕〉が待ちかまえる。何より八日間という時間制限があるのだ。
そういった異様な状況でこそ生まれるサスペンスとスリルが肝ではあるが、主人公が次の転移に活かすための準備をしたり、ときには競争者と手を組んだりという知的ゲームの要素も強い。もちろん、なぜこのような奇妙な世界が存在しているのか、そういう興味も大きいだろう。
先に書いたように、ルールがわかってくると徐々にミステリの味わいが濃くなるので、前半さえ乗り切れれば、この作品の凄さを実感できるはずだ。
と、凄い作品であることを認めるに吝かではないのだが、実はむちゃくちゃ面白かったかといわれれば、まあそれなりにといったところ(苦笑)。結局はやはりネタの詰め込みすぎ、そしてそのネタがあまりに人工的で、すべてが著者の考えた理屈でしか成り立たないものばかりだからである。
要は作り物感が強すぎて、事件の犯人は誰か、なぜこのような世界が存在しているのか、どんな結果を見せられても感動や驚きが湧いてこないのだ。実に綿密に考えて書かれたであろう作品なだけに、こういう感想になるのはもったいない話なのだが、せめてもう少しSF的な要素を絞っていれば物語としての膨らみも出たのではないか。
リボルバーや方位磁石、スケッチブックなど、小道具の扱い方に関してはミステリとして楽しめる部分であり、そういうセンスは非常によいだけに、ミステリファンとしてはやや歯がゆいところである。
おそらく来年刊行されるだろう次作の『The Devil and the Dark Water 』も翻訳されるだろうが、はてさてどのような作品になるのだろう。
まずはストーリー。
森の中にたたずむハードカースル家所有の〈ブラックヒース館〉。そこではイヴリン嬢の帰還を祝って多くの客が招かれ、夜には仮面舞踏会まで催されていた。そんなある日の朝、森の中で一人の男が自ら発した「アナ!」という叫び声によって意識を取り戻す。しかし、アナが何者なのかはわからず、それどころか自分が誰なのか、ここがどこなのか、なぜここにいるのかもわからない。
皆は彼をベルと呼び、館に招かれた医者であると知らされるが、しかし次の日の朝、彼は執事のコリンズとして目覚め、さらに次の日は遊び人のドナルドとして目覚める。しかも別の人物として目覚めても日付は進まず、主人公は同じ日を別の人物として体験することになる。
いったい何が起こっているのか。とまどう彼の前に中世の黒死病医師の扮装をした男が現れ、その夜にイヴリンが殺されると告げる。そしてその犯人を特定できた者だけが、この異常な世界から解放されるのだという……。
いやあ、これは凄い小説だわ。同じ時間を繰り返すタイムループものや、他者に憑依する人格転移ものは今どき珍しくもないけれど、これを合体させたうえ、さらに館ミステリの要素を加えてフーダニットの本格ミステリに仕上げるという荒技である。
とにかく最初は主人公同様、読者も物語の筋についていくのがやっとだろう。しかしこの世界のルールが徐々にわかってくると、次第に物語に引き込まれる。
同じ日が繰り返されるということは、前の日の反省を活かせるということである。また、毎日、異なる人物に転移するということは、それぞれの異なる立場から物事を眺めることができるということだ。となれば、少しずつ真実に近づくことは決して不可能ではないはず。
ただ、実際はそう簡単に物語は進まない。主人公が転移する人物はそれぞれが問題を抱えており、自由に動けなかったり、転移先の本人がもつ感情や意識に流されたりして、決して主人公が自由に考えたり行動できるわけではないのである。しかも主人公には同じ目的をもつ競争相手がおり、さらには競争者たちをつけ狙う殺し屋的存在〈従僕〉が待ちかまえる。何より八日間という時間制限があるのだ。
そういった異様な状況でこそ生まれるサスペンスとスリルが肝ではあるが、主人公が次の転移に活かすための準備をしたり、ときには競争者と手を組んだりという知的ゲームの要素も強い。もちろん、なぜこのような奇妙な世界が存在しているのか、そういう興味も大きいだろう。
先に書いたように、ルールがわかってくると徐々にミステリの味わいが濃くなるので、前半さえ乗り切れれば、この作品の凄さを実感できるはずだ。
と、凄い作品であることを認めるに吝かではないのだが、実はむちゃくちゃ面白かったかといわれれば、まあそれなりにといったところ(苦笑)。結局はやはりネタの詰め込みすぎ、そしてそのネタがあまりに人工的で、すべてが著者の考えた理屈でしか成り立たないものばかりだからである。
要は作り物感が強すぎて、事件の犯人は誰か、なぜこのような世界が存在しているのか、どんな結果を見せられても感動や驚きが湧いてこないのだ。実に綿密に考えて書かれたであろう作品なだけに、こういう感想になるのはもったいない話なのだが、せめてもう少しSF的な要素を絞っていれば物語としての膨らみも出たのではないか。
リボルバーや方位磁石、スケッチブックなど、小道具の扱い方に関してはミステリとして楽しめる部分であり、そういうセンスは非常によいだけに、ミステリファンとしてはやや歯がゆいところである。
おそらく来年刊行されるだろう次作の『The Devil and the Dark Water 』も翻訳されるだろうが、はてさてどのような作品になるのだろう。
- 関連記事
-
- スチュアート・タートン『名探偵と海の悪魔』(文藝春秋) 2022/08/20
- スチュアート・タートン『イヴリン嬢は七回殺される』(文藝春秋) 2019/11/09