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フィリップ・マクドナルド『生ける死者に眠りを』(論創海外ミステリ)
フィリップ・マクドナルドの『生ける死者に眠りを』を読む。名探偵ゲスリン・シリーズで知られる著者のノンシリーズ作品で、いわゆる“嵐の山荘”ものである。
まずはストーリー。嵐の夜が迫る夕刻、人里離れた屋敷で使用人とともに暮らす女主人ヴェリティのもとへ、二人の軍人クレシー少将とベラミー大佐がやってきた。三人は戦争中に起こったある事件のため、関係者と思しき男から謎の脅迫状を受け取っていたのである。
警察に届けようとするも意見が分かれ、やむなくクレシーは知人を応援に頼み、まもなく嵐のなかを四人の男女が駆けつける。
だが応援もむなしく、車は壊され、電話線も切られ、彼らは嵐の一軒家で完全に孤立してしまう。そして遂に最初の殺人が……。
一応は黄金時代の本格の書き手として知られるフィリップ・マクドナルド。とはいえ、これまで翻訳されたものは意外にストレートな本格は少ない印象である。著者本人がどこまで本格云々を意識していたかはわからないのだが、少なくとも単なる謎解きものに終わらせたくないというような意識がうかがえ、それが結果として本格とはやや異なる印象を与えているように思われる。
それが結果的に成功していない場合もあるけれど、その姿勢は決して嫌いじゃない。
さて、本作の趣向は前述のとおり“嵐の山荘”なのだが、純粋な本格ではないにせよ、その狙いはよい。なんせ、この分野で最も有名と思われるクリスティの『そして誰もいなくなった』に先んじること何と六年、1933年に発表された作品である。
本書の解説でも触れられているが、いくつもの点で『そして〜』のお手本になったところもあるようで、そういう意味だけでも本書を読む価値はあるし、しかも普通に面白い作品である。確かに完成度やプロットの緻密さでは『そして〜』に比べると分が悪いが、サスペンスも豊かで、本書が軽んじられる理由にはならないだろう。
なお、内容自体は面白いと思うが、本作にはひとつ残念なところがあって、それは文章の読みにくさ。
特に状況描写が荒っぽく、誰のセリフかわかりにくいのはしょっちゅうで、ときには何が起こっているのか判断しにくい場合まである。こういうのは多少なりとも翻訳のほうでフォローしてほしかったところである。
まずはストーリー。嵐の夜が迫る夕刻、人里離れた屋敷で使用人とともに暮らす女主人ヴェリティのもとへ、二人の軍人クレシー少将とベラミー大佐がやってきた。三人は戦争中に起こったある事件のため、関係者と思しき男から謎の脅迫状を受け取っていたのである。
警察に届けようとするも意見が分かれ、やむなくクレシーは知人を応援に頼み、まもなく嵐のなかを四人の男女が駆けつける。
だが応援もむなしく、車は壊され、電話線も切られ、彼らは嵐の一軒家で完全に孤立してしまう。そして遂に最初の殺人が……。
一応は黄金時代の本格の書き手として知られるフィリップ・マクドナルド。とはいえ、これまで翻訳されたものは意外にストレートな本格は少ない印象である。著者本人がどこまで本格云々を意識していたかはわからないのだが、少なくとも単なる謎解きものに終わらせたくないというような意識がうかがえ、それが結果として本格とはやや異なる印象を与えているように思われる。
それが結果的に成功していない場合もあるけれど、その姿勢は決して嫌いじゃない。
さて、本作の趣向は前述のとおり“嵐の山荘”なのだが、純粋な本格ではないにせよ、その狙いはよい。なんせ、この分野で最も有名と思われるクリスティの『そして誰もいなくなった』に先んじること何と六年、1933年に発表された作品である。
本書の解説でも触れられているが、いくつもの点で『そして〜』のお手本になったところもあるようで、そういう意味だけでも本書を読む価値はあるし、しかも普通に面白い作品である。確かに完成度やプロットの緻密さでは『そして〜』に比べると分が悪いが、サスペンスも豊かで、本書が軽んじられる理由にはならないだろう。
なお、内容自体は面白いと思うが、本作にはひとつ残念なところがあって、それは文章の読みにくさ。
特に状況描写が荒っぽく、誰のセリフかわかりにくいのはしょっちゅうで、ときには何が起こっているのか判断しにくい場合まである。こういうのは多少なりとも翻訳のほうでフォローしてほしかったところである。
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