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ケネス・デュアン・ウィップル『ルーン・レイクの惨劇』(論創海外ミステリ)
論創海外ミステリからケネス・デュアン・ウィップルの『ルーン・レイクの惨劇』を読む。
初めて読む作家だが、これまでに一冊だけ『鍾乳洞殺人事件』という作品が扶桑社ミステリーから刊行されている。これは横溝正史が編集者時代に訳した二長篇をカップリングした本『鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密』(扶桑社ミステリー)に収められている。
これも永らく積んだままなので何とかせねばいかんのだが、まあ、それはひとまず置いといて、本日は『ルーン・レイクの惨劇』である。
まずはストーリー。学生時代に「四ひきのキツネたち」と呼ばれた四人組の男たち、マックスとクリフトン、そしてウォーレンにアベル。彼らは社会人になっても定期的にルーン・レイク湖畔のコテージに集まり、家族らといっしょに旧交を温めるのが慣わしだった。
だが今年だけは様子が違っていた。先乗りして準備を進めていたマックスが、汽船の事故に巻き込まれて死亡してしまったのだ。
陰鬱な気分でルーン・レイクに向かうクリフトンとその甥のケント。ところが彼らを船着き場に迎えに来たウォーレンのボートが桟橋に激突、ウォーレンまでもが命を落とす。しかも悲劇はそれだけでは終わらなかった……。
著者は1920〜30年代にパルプ雑誌で活躍した作家ということで、やはりその色がかなり作風に反映されているようだ。設定こそ嵐の山荘風で、一個所に集まった人々が一人ずつ殺されるという展開なのだが、アプローチはどちらかというとサスペンスやアクション優先であり、あまり本格の風味ではない。
また、密室をはじめとする不可能犯罪、あるいは湖底のモンスターという要素をいろいろぶちこんでくるなどサービス精神は旺盛なのだが、それらを成立させる見事なトリック、はたまたそれらを解き明かす鮮やかなロジックが不足しているため腰砕けに終わっている。
ただ、個人的には多少トリックがしょぼかろうとあまり気にしないのだけれど(もちろん良いにこしたことはないが)、むしろ残念なのは興味がいろいろな方向に流れるせいか、統一感がなく、とっちらかった印象を受けることである。
いろいろな要素を盛り込みたい著者の気持ちはわかるが、結局何を見せたいのかがいまひとつ落ちてこないのである。
あと、残念ついでに書いておくと、文章もあまり上手くはないようだ。明らかに文脈がつながらないところや人物造型の拙いところが気になるし、とりわけ犯人を匂わすような描き方は問題だろう(これはもしかすると訳のせいもあるかも)。著者としては伏線のつもりなのだろうが、隠せていないんだよなぁ。
ということであまり高い点数をつけられるものではないのだが、これが1935年の作品だといわれると、ううむ、当時の日本の探偵小説に比べると全然がんばっているほうかと思うのもまた事実。
海外ものの場合、古い作品でも翻訳が新しいと、どうしても現代ものを読む感覚でみてしまいがちのため、なかなか判断に苦しむところである。
初めて読む作家だが、これまでに一冊だけ『鍾乳洞殺人事件』という作品が扶桑社ミステリーから刊行されている。これは横溝正史が編集者時代に訳した二長篇をカップリングした本『鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密』(扶桑社ミステリー)に収められている。
これも永らく積んだままなので何とかせねばいかんのだが、まあ、それはひとまず置いといて、本日は『ルーン・レイクの惨劇』である。
まずはストーリー。学生時代に「四ひきのキツネたち」と呼ばれた四人組の男たち、マックスとクリフトン、そしてウォーレンにアベル。彼らは社会人になっても定期的にルーン・レイク湖畔のコテージに集まり、家族らといっしょに旧交を温めるのが慣わしだった。
だが今年だけは様子が違っていた。先乗りして準備を進めていたマックスが、汽船の事故に巻き込まれて死亡してしまったのだ。
陰鬱な気分でルーン・レイクに向かうクリフトンとその甥のケント。ところが彼らを船着き場に迎えに来たウォーレンのボートが桟橋に激突、ウォーレンまでもが命を落とす。しかも悲劇はそれだけでは終わらなかった……。
著者は1920〜30年代にパルプ雑誌で活躍した作家ということで、やはりその色がかなり作風に反映されているようだ。設定こそ嵐の山荘風で、一個所に集まった人々が一人ずつ殺されるという展開なのだが、アプローチはどちらかというとサスペンスやアクション優先であり、あまり本格の風味ではない。
また、密室をはじめとする不可能犯罪、あるいは湖底のモンスターという要素をいろいろぶちこんでくるなどサービス精神は旺盛なのだが、それらを成立させる見事なトリック、はたまたそれらを解き明かす鮮やかなロジックが不足しているため腰砕けに終わっている。
ただ、個人的には多少トリックがしょぼかろうとあまり気にしないのだけれど(もちろん良いにこしたことはないが)、むしろ残念なのは興味がいろいろな方向に流れるせいか、統一感がなく、とっちらかった印象を受けることである。
いろいろな要素を盛り込みたい著者の気持ちはわかるが、結局何を見せたいのかがいまひとつ落ちてこないのである。
あと、残念ついでに書いておくと、文章もあまり上手くはないようだ。明らかに文脈がつながらないところや人物造型の拙いところが気になるし、とりわけ犯人を匂わすような描き方は問題だろう(これはもしかすると訳のせいもあるかも)。著者としては伏線のつもりなのだろうが、隠せていないんだよなぁ。
ということであまり高い点数をつけられるものではないのだが、これが1935年の作品だといわれると、ううむ、当時の日本の探偵小説に比べると全然がんばっているほうかと思うのもまた事実。
海外ものの場合、古い作品でも翻訳が新しいと、どうしても現代ものを読む感覚でみてしまいがちのため、なかなか判断に苦しむところである。