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太宰治『文豪怪談傑作選 太宰治集 哀蚊』(ちくま文庫)
『文豪怪談傑作選 太宰治集 哀蚊』を読む。太宰治については以前、河出文庫の『文豪ミステリ傑作選 太宰治集』を取り上げたことがあるのだが、あちらはけっこう強引にミステリで括った感じが強くて、質はともかくテーマ的には看板に偽りあり感が強かった(苦笑)。さて本書はどうか?
「怪談」
「哀蚊」
「尼 「陰火」より」
「玩具」
「魚服記」
「清貧譚」
「竹青 新曲聊斎志異」
「人魚の海 「新釈諸国噺」より」
「舌切雀 「お伽草紙」より」
「浦島さん 「お伽草紙」より」
「創世記(抄)」
「断崖の錯覚」
「雌に就いて」
「女人訓戒」
「待つ」
「皮膚と心」
「葉桜と魔笛」
「フォスフォレッスセンス」
「メリイクリスマス」
「トカトントン」
「魚服記に就いて」 「古典竜頭蛇尾」
「音に就いて」
「ア、秋」
「むかしの亡者」
「五所川原」
「革財布」
「一つの約束」
うむ、意外に既読作品が多かったが、さすがに納得の一冊である。退廃的私小説の書き手であり、デカダンなイメージの太宰治だが、実際には幅広い内容の作品を残しており、本書でもそのテクニシャンぶりを再認識できる。怪談というアプローチで太宰治がどういう作品を残したのか、ファンならずとも興味深い一冊といえるだろう。
ただ正直いうと、一般的な"怪談"を期待して本書を読むと、拍子抜けする可能性は高い。
確かに奇妙な現象や理屈で説明できない事象などを素材として扱ってはいる。幼少の頃から怪談に影響を受け、素材としては好きだったのだろう。だからといって太宰がストレートに"恐怖"を描きたかったのかというと、おそらくそんなことはないはず。
作品の底に共通して流れるのはやはり生きることの意味、生に対する不安や苦悩、喜びであり、描きたかったのもそういうことだ。怪談という形式は目的ではなく、あくまで手段という印象である。
以下、印象に残った作品について少し。
トップバッターの「怪談」は、太宰の体験談というスタイルで怪談を紹介するものだが、内容自体は他愛ない。 太宰の怪談に対する思いを述べた巻頭言みたいな作品と思うべきか。
表題作の「哀蚊」は本書のイチ押し。秋まで生き残されている蚊を哀蚊といい、本作の主人公たる独り身の老嬢の晩年に重ね合わせている。怪談として落ち る最後のシーンはとてつもなく印象的でどうしようもなく切ない。ちなみに本書の表紙絵は本作のイメージなのだが、これがまた実にいい雰囲気を出していてお気に入りである。
「尼」は枕元に突然現れた尼さんの物語。怪談といってもいいが、むしろそのシュールな雰囲気と展開が面白い。
「魚服記」と「清貧譚」は民話をベースにしており、怪談というよりは幻想小説の趣。「魚服記」は切々と伝わってくるもの悲しさ、「清貧譚」はしみじみとした温もりと、味わいは異なれどどちらもなかなか。
「竹青―新曲聊斎志異―」はサブタイトルにもあるとおり『聊斎志異』から題材をとったもの。説教臭さはあるけれど、お伽話的で嫌いではない。
「舌切雀」、「浦島さん」は太宰流のお伽草子。「浦島さん」のほうが出来はいいが、この手のアレンジは正直食傷気味でそれほど感心できなかった。
怪談というよりはサスペンス小説としても読めるのが 「断崖の錯覚」。構図としてはよくできているけれど、結局私小説風の描写が全体を覆いすぎていて、読んでいてイライラする(笑)。
感想に困るのが「雌に就いて」。二人の男が理想の女性について会話するだけの物語で、最後にオチをつけてはいるが、これで怪談と言われても。まあ、女性を語るふりをして、実は太宰治がいかにして小説を書いているかというふうにも読め、その点では面白い。
「皮膚と心」は病気をきっかけに女性の鬱屈した心理を生々しく描写しており、その限りでは巧い作品なのだが、本書に収録された理由がピンとこなかった。
「葉桜と魔笛」は戦前の変格探偵小説っぽい話で、横溝正史もこういうのを書いていたような気が。イメージが儚く美しいうえに、ラストのオチが効いており、以前から好きな作品である。
「怪談」
「哀蚊」
「尼 「陰火」より」
「玩具」
「魚服記」
「清貧譚」
「竹青 新曲聊斎志異」
「人魚の海 「新釈諸国噺」より」
「舌切雀 「お伽草紙」より」
「浦島さん 「お伽草紙」より」
「創世記(抄)」
「断崖の錯覚」
「雌に就いて」
「女人訓戒」
「待つ」
「皮膚と心」
「葉桜と魔笛」
「フォスフォレッスセンス」
「メリイクリスマス」
「トカトントン」
「魚服記に就いて」 「古典竜頭蛇尾」
「音に就いて」
「ア、秋」
「むかしの亡者」
「五所川原」
「革財布」
「一つの約束」
うむ、意外に既読作品が多かったが、さすがに納得の一冊である。退廃的私小説の書き手であり、デカダンなイメージの太宰治だが、実際には幅広い内容の作品を残しており、本書でもそのテクニシャンぶりを再認識できる。怪談というアプローチで太宰治がどういう作品を残したのか、ファンならずとも興味深い一冊といえるだろう。
ただ正直いうと、一般的な"怪談"を期待して本書を読むと、拍子抜けする可能性は高い。
確かに奇妙な現象や理屈で説明できない事象などを素材として扱ってはいる。幼少の頃から怪談に影響を受け、素材としては好きだったのだろう。だからといって太宰がストレートに"恐怖"を描きたかったのかというと、おそらくそんなことはないはず。
作品の底に共通して流れるのはやはり生きることの意味、生に対する不安や苦悩、喜びであり、描きたかったのもそういうことだ。怪談という形式は目的ではなく、あくまで手段という印象である。
以下、印象に残った作品について少し。
トップバッターの「怪談」は、太宰の体験談というスタイルで怪談を紹介するものだが、内容自体は他愛ない。 太宰の怪談に対する思いを述べた巻頭言みたいな作品と思うべきか。
表題作の「哀蚊」は本書のイチ押し。秋まで生き残されている蚊を哀蚊といい、本作の主人公たる独り身の老嬢の晩年に重ね合わせている。怪談として落ち る最後のシーンはとてつもなく印象的でどうしようもなく切ない。ちなみに本書の表紙絵は本作のイメージなのだが、これがまた実にいい雰囲気を出していてお気に入りである。
「尼」は枕元に突然現れた尼さんの物語。怪談といってもいいが、むしろそのシュールな雰囲気と展開が面白い。
「魚服記」と「清貧譚」は民話をベースにしており、怪談というよりは幻想小説の趣。「魚服記」は切々と伝わってくるもの悲しさ、「清貧譚」はしみじみとした温もりと、味わいは異なれどどちらもなかなか。
「竹青―新曲聊斎志異―」はサブタイトルにもあるとおり『聊斎志異』から題材をとったもの。説教臭さはあるけれど、お伽話的で嫌いではない。
「舌切雀」、「浦島さん」は太宰流のお伽草子。「浦島さん」のほうが出来はいいが、この手のアレンジは正直食傷気味でそれほど感心できなかった。
怪談というよりはサスペンス小説としても読めるのが 「断崖の錯覚」。構図としてはよくできているけれど、結局私小説風の描写が全体を覆いすぎていて、読んでいてイライラする(笑)。
感想に困るのが「雌に就いて」。二人の男が理想の女性について会話するだけの物語で、最後にオチをつけてはいるが、これで怪談と言われても。まあ、女性を語るふりをして、実は太宰治がいかにして小説を書いているかというふうにも読め、その点では面白い。
「皮膚と心」は病気をきっかけに女性の鬱屈した心理を生々しく描写しており、その限りでは巧い作品なのだが、本書に収録された理由がピンとこなかった。
「葉桜と魔笛」は戦前の変格探偵小説っぽい話で、横溝正史もこういうのを書いていたような気が。イメージが儚く美しいうえに、ラストのオチが効いており、以前から好きな作品である。
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