Posted
on
マイクル・イネス『証拠は語る』(長崎出版)
マイクル・イネスの『証拠は語る』を読む。
ネスフィールド大学の構内で、ブラックローズ教授が落下した隕石によって死亡するという事件が起こる。状況からブラックローズは殺害されたらしいとわかり、捜査を開始するアプルビイ。だが、なんとも掴みどころのない大学関係者らの証言に、捜査は遅々として進まなかった。やがて第二の事件が発生し……。
実は『ストップ・プレス』『アプルビイズ・エンド』といったスラップスティック調ともいえる作品を読んできて、何となく違和感を感じていた。イネスの作風が本来こういうコミカルなものだという情報も仕入れてはいたが何かが違う。それはやはり、昔から言われていたイネスの「文学的高尚さ」というイメージとのギャップによるものである。確かにユーモアはイネスを語るときに外せない要素なのだろうが、『ハムレット復讐せよ』『ある詩人への挽歌』ではそれほど感じなかった部分だ。先に挙げた『ストップ・プレス』等はあくまで極端な例であり、イネスの基本ラインとはとても思えなかったのである。
で、『証拠は語る』を読んで、ようやく胸のつかえが下りた。
本作のような作品こそイネス本来の持ち味が十二分に発揮された作品ではないだろうか。
イネスの文学的素養をはじめとする幅広い教養の部分、ほどよく毒を含み、皮肉を効かせたユーモアの部分、ロジックをこねくり回す探偵小説の部分。これらのバランスが崩れると、ペダンティックなところばかりが目立って従来のように難解な文章という誤解を受けたり、あるいは日本人には馴染みにくいファースを読まされたり、といった羽目に陥る。
しかし本作では、イネスの作品を構成する大きな要素が非常にほどよくブレンドされている。当時のインテリが楽しみながら書いた知的娯楽作品という印象。重からず軽からず、ミステリそのものを茶化す部分も含め、良い意味での遊び心に満ちた作品である。個人的にはこの作品における匙加減こそが、イネスの狙っていたスタイルであると信ずる。まあ、本当のところは、残りの作品もすべて読まないとわからないんだろうけれど。
とまあ、基本的にはここまで書いたようになかなかの作品なのだが、本作にも弱点はあるわけで、肝心のストーリーを引っ張る力が弱い。特に前半。
なんせけっこう長い作品なのに、本書の前半部は、ほとんどがアプルビイの大学関係者への聞き込み捜査にあてられているのだ。隕石を使っての殺人という、とてつもなく魅力的な設定をもってきているにもかかわらず、現場検証や死体の検証などすべて伝聞&後回し、アプルビイはひたすら人間関係のみを追う。リアルタイムで死体の発見やその死因が明らかになるシーンを描けば、相当面白く劇的になりそうだが、なぜかイネスはそれをやらないのである。
後半に入るとそれなりに動きも出てくるし、謎解きシーンでは様々な解釈を提示してみせるなど、かなり凝った演出があるだけに、よけい前半の起伏の無さが不思議だ。
とはいえ聞き込み捜査のシーンも別につまらないわけではなく、むしろそちらに焦点を絞っているという見方もできるし、終盤の盛り上がりのため、前半の動きをあえて抑えたという見方もできなくはないのだが……。
構成に少し変化を持たせれば、より魅力的な作品になったと思えるだけに、実に惜しい一冊といえるだろう。
ネスフィールド大学の構内で、ブラックローズ教授が落下した隕石によって死亡するという事件が起こる。状況からブラックローズは殺害されたらしいとわかり、捜査を開始するアプルビイ。だが、なんとも掴みどころのない大学関係者らの証言に、捜査は遅々として進まなかった。やがて第二の事件が発生し……。
実は『ストップ・プレス』『アプルビイズ・エンド』といったスラップスティック調ともいえる作品を読んできて、何となく違和感を感じていた。イネスの作風が本来こういうコミカルなものだという情報も仕入れてはいたが何かが違う。それはやはり、昔から言われていたイネスの「文学的高尚さ」というイメージとのギャップによるものである。確かにユーモアはイネスを語るときに外せない要素なのだろうが、『ハムレット復讐せよ』『ある詩人への挽歌』ではそれほど感じなかった部分だ。先に挙げた『ストップ・プレス』等はあくまで極端な例であり、イネスの基本ラインとはとても思えなかったのである。
で、『証拠は語る』を読んで、ようやく胸のつかえが下りた。
本作のような作品こそイネス本来の持ち味が十二分に発揮された作品ではないだろうか。
イネスの文学的素養をはじめとする幅広い教養の部分、ほどよく毒を含み、皮肉を効かせたユーモアの部分、ロジックをこねくり回す探偵小説の部分。これらのバランスが崩れると、ペダンティックなところばかりが目立って従来のように難解な文章という誤解を受けたり、あるいは日本人には馴染みにくいファースを読まされたり、といった羽目に陥る。
しかし本作では、イネスの作品を構成する大きな要素が非常にほどよくブレンドされている。当時のインテリが楽しみながら書いた知的娯楽作品という印象。重からず軽からず、ミステリそのものを茶化す部分も含め、良い意味での遊び心に満ちた作品である。個人的にはこの作品における匙加減こそが、イネスの狙っていたスタイルであると信ずる。まあ、本当のところは、残りの作品もすべて読まないとわからないんだろうけれど。
とまあ、基本的にはここまで書いたようになかなかの作品なのだが、本作にも弱点はあるわけで、肝心のストーリーを引っ張る力が弱い。特に前半。
なんせけっこう長い作品なのに、本書の前半部は、ほとんどがアプルビイの大学関係者への聞き込み捜査にあてられているのだ。隕石を使っての殺人という、とてつもなく魅力的な設定をもってきているにもかかわらず、現場検証や死体の検証などすべて伝聞&後回し、アプルビイはひたすら人間関係のみを追う。リアルタイムで死体の発見やその死因が明らかになるシーンを描けば、相当面白く劇的になりそうだが、なぜかイネスはそれをやらないのである。
後半に入るとそれなりに動きも出てくるし、謎解きシーンでは様々な解釈を提示してみせるなど、かなり凝った演出があるだけに、よけい前半の起伏の無さが不思議だ。
とはいえ聞き込み捜査のシーンも別につまらないわけではなく、むしろそちらに焦点を絞っているという見方もできるし、終盤の盛り上がりのため、前半の動きをあえて抑えたという見方もできなくはないのだが……。
構成に少し変化を持たせれば、より魅力的な作品になったと思えるだけに、実に惜しい一冊といえるだろう。
- 関連記事
-
- マイケル・イネス『ソニア・ウェイワードの帰還』(論創海外ミステリ) 2021/10/08
- マイクル・イネス『アリントン邸の怪事件』(長崎出版) 2009/04/24
- マイクル・イネス『証拠は語る』(長崎出版) 2007/08/20
- マイクル・イネス『アプルビイズ・エンド』(論創海外ミステリ) 2007/06/17
- マイクル・イネス『ストップ・プレス』(国書刊行会) 2007/01/14
Comments
Edit
う~む。『ハムレット復讐せよ』『ストップ・プレス』に続きこれを読みましたが、やっぱり私はイネスの長編はダメかも~。創元のアプルビイの短編集は明快でわりと好きなんですが。長編だと話がなかなか進まず、関係者たちとの会話が延々と続くのを楽しめるかどうかが勝負の分かれ目なんでしょうかね。英国風ファースというのはよくわかりません・・
本筋とは関係ないですが、アイスキュロスが亀に当たって死んだというのは初耳で驚きました(^^;
Posted at 20:59 on 09 21, 2007 by Sphere
いやいや、イネスが苦手な人は多いと思いますよ。
妙に文学的だからとか衒学が煩わしいとか、そういう一昔前の理由ではなくて、近年イネスの作風として再確認されつつあるコメディ要素の方が、よっぽど堪えますもん。
正直、内容はそのままで、もう少し普通に書いていてくれていたら、よっぽどで人気が出たと思うんですけどね。まあ、イネスの血がそうさせなかったのでしょうが(笑)。
Posted at 23:45 on 09 21, 2007 by sugata