Posted in 05 2018
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ビル・ビバリー『東の果て、夜へ』(ハヤカワ文庫)
昨年末の各種ミステリベストテンで上位に食い込んだ『東の果て、夜へ』が本日の読了本。
これがデビュー作ということだが、CWA(英国推理作家協会)のゴールドダガー賞(最優秀長篇賞)、同ジョン・クリーシー・ダガー賞(最優秀新人賞)、全英図書賞、ロサンゼルス・タイムズ文学賞などを総なめにするという快挙も為し遂げているのはなかなか。
ただ、肝心のMWA(アメリカ探偵作家クラブ)では、処女長編賞でのノミネートだけに終わっているのが意外である。
ま、それはともかく。こんな話。
ここはロサンゼルスのスラム街。十五歳の黒人少年イーストは、ギャングの麻薬密売所で見張り役のリーダーを務めていた。しかし、あるとき警察の手入れを受けてしまう。
責任を問われたイーストに、組織が命じた新たな任務は“殺し"だった。遠く離れたウィスコンシン州へ三人の仲間と向かい、裏切り者の判事を始末しろというのだ。同行するのは二十歳になるリーダー格のマイケル・ウィルソン、コンピュータが得意な十七歳のウォルター、そして十三歳にしてすでに殺し屋として生きるイーストの弟・タイ。
四人という人数も驚きだったが、さらに驚いたことに、四人は飛行機を使わず、すべてクルマでの移動を命じられる。しかもホテルなど身元を知られるような施設も一切使えず、暗殺に使う銃も現地調達という徹底ぶりだった。
任務の厳しさとチームの人選に、嫌な予感に襲われるイースト。だが時は来て、四人は遠くウィスコンシン州へと旅だってゆく……。
あまりに前宣伝で煽ったり、ネットでの評判がよすぎると、覆わず眉につばをつけたくなってくるものだが、本作は確かに素晴らしい。
基本は四人の若者の旅を描いたロード・ノベルだが、同時に少年の成長物語でもある。というとすぐに思いだされるのがスティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』だが、もちろんあれと同じというわけではない。本作の根底にあるのは黒人ギャングの徹底した暴力と犯罪の世界であり、結局のところ、本作は優れた犯罪小説でもあるのだ。
読みどころはやはり若者たち四人の道中の描写だろう。
組織のボス・フィンの甥でもあるイーストは、フィンを怖れながらも慕っており、その命令には絶対に従おうとする。
一方のマイケルは目付役ながらも不安定な性格でルールなどおかまいなし。ことあるごとにリーダー風を吹かしてイーストに絡む。
ウォルターは暴力沙汰にはまったく不向きな感じだが、頭は切れ、イーストはその人間的な魅力にも少しずつ気づいてゆく。
そして最も危険なのは弟のタイ。イーストとは異父兄弟で仲も悪く、何より十三歳というのに人を殺すことにもまったく躊躇しない。
そんな四人がゴツゴツとぶつかりながら、とにかく東をめざす。イーストの中で膨れあがる不安や恐怖、心理的葛藤が執拗に描かれ、そこから滲み出る緊張感や絶望感が半端ではない。語りの巧さはとても新人とは思えず、ストーリーの面白さにあぐらをかかず、そういった精神的な部分を丁寧に描いているからこそ評価も高いのだろう。読者としては、この先待ち受けるであろう彼らの過酷な運命を見届けずにはいられなくなるのだ。
また、旅がひと山越えたところで描かれる第三部がまたすごい。ネタバレとなるので詳しくは書かないが、それまでの“殺し"の旅の部分がロードノベルもしくは犯罪小説だとすれば、第三部では文学的な高まりを見せる。そして最後は本作がやはりミステリでもあったことを思い出させてくれるのがまた心地よい。
幾重にも重なった楽しみや感動を味わえる一冊。確かにこれはおすすめだ。
これがデビュー作ということだが、CWA(英国推理作家協会)のゴールドダガー賞(最優秀長篇賞)、同ジョン・クリーシー・ダガー賞(最優秀新人賞)、全英図書賞、ロサンゼルス・タイムズ文学賞などを総なめにするという快挙も為し遂げているのはなかなか。
ただ、肝心のMWA(アメリカ探偵作家クラブ)では、処女長編賞でのノミネートだけに終わっているのが意外である。
ま、それはともかく。こんな話。
ここはロサンゼルスのスラム街。十五歳の黒人少年イーストは、ギャングの麻薬密売所で見張り役のリーダーを務めていた。しかし、あるとき警察の手入れを受けてしまう。
責任を問われたイーストに、組織が命じた新たな任務は“殺し"だった。遠く離れたウィスコンシン州へ三人の仲間と向かい、裏切り者の判事を始末しろというのだ。同行するのは二十歳になるリーダー格のマイケル・ウィルソン、コンピュータが得意な十七歳のウォルター、そして十三歳にしてすでに殺し屋として生きるイーストの弟・タイ。
四人という人数も驚きだったが、さらに驚いたことに、四人は飛行機を使わず、すべてクルマでの移動を命じられる。しかもホテルなど身元を知られるような施設も一切使えず、暗殺に使う銃も現地調達という徹底ぶりだった。
任務の厳しさとチームの人選に、嫌な予感に襲われるイースト。だが時は来て、四人は遠くウィスコンシン州へと旅だってゆく……。
あまりに前宣伝で煽ったり、ネットでの評判がよすぎると、覆わず眉につばをつけたくなってくるものだが、本作は確かに素晴らしい。
基本は四人の若者の旅を描いたロード・ノベルだが、同時に少年の成長物語でもある。というとすぐに思いだされるのがスティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』だが、もちろんあれと同じというわけではない。本作の根底にあるのは黒人ギャングの徹底した暴力と犯罪の世界であり、結局のところ、本作は優れた犯罪小説でもあるのだ。
読みどころはやはり若者たち四人の道中の描写だろう。
組織のボス・フィンの甥でもあるイーストは、フィンを怖れながらも慕っており、その命令には絶対に従おうとする。
一方のマイケルは目付役ながらも不安定な性格でルールなどおかまいなし。ことあるごとにリーダー風を吹かしてイーストに絡む。
ウォルターは暴力沙汰にはまったく不向きな感じだが、頭は切れ、イーストはその人間的な魅力にも少しずつ気づいてゆく。
そして最も危険なのは弟のタイ。イーストとは異父兄弟で仲も悪く、何より十三歳というのに人を殺すことにもまったく躊躇しない。
そんな四人がゴツゴツとぶつかりながら、とにかく東をめざす。イーストの中で膨れあがる不安や恐怖、心理的葛藤が執拗に描かれ、そこから滲み出る緊張感や絶望感が半端ではない。語りの巧さはとても新人とは思えず、ストーリーの面白さにあぐらをかかず、そういった精神的な部分を丁寧に描いているからこそ評価も高いのだろう。読者としては、この先待ち受けるであろう彼らの過酷な運命を見届けずにはいられなくなるのだ。
また、旅がひと山越えたところで描かれる第三部がまたすごい。ネタバレとなるので詳しくは書かないが、それまでの“殺し"の旅の部分がロードノベルもしくは犯罪小説だとすれば、第三部では文学的な高まりを見せる。そして最後は本作がやはりミステリでもあったことを思い出させてくれるのがまた心地よい。
幾重にも重なった楽しみや感動を味わえる一冊。確かにこれはおすすめだ。
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平林初之輔『平林初之輔探偵小説選I』(論創ミステリ叢書)
論創ミステリ叢書もぼちぼち読み進めて、七十冊ぐらいは終えているのだが、実は初っ端の1巻と2巻をいまだに読んでいなかった。『平林初之輔探偵小説選』の二冊である。
まあ、大した理由などあるはずもなく、たんに買った本が積ん読の山に埋もれて見つからなかっただけのことなのだが、先日ようやく無事に発掘して読むことができた。実は読破計画を進めているロスマクでも似たような事態が発生していて、全部持っているはずなのだがなかなか次に読むものが発見できない。積ん読の山もそのうち整理しないとなぁ。
そんなわけで本日は『平林初之輔探偵小説選I』の感想など。まずは収録作。
「予審調書」
「頭と足」
「犠牲者」
「秘密」
「山吹町の殺人」
「祭の夜」
「誰が何故彼を殺したか」
「人造人間」
「動物園の一夜」
「仮面の男」
「私はかうして死んだ!」
「オパール色の手紙」
「華やかな罪過」
「或る探訪記者の話」
平林初之輔はプロレタリア文学を中心として活動した戦前の文学者だが、探偵小説にも関わっていたことはマニアにはほぼ知られている事実である。創作よりは評論家としての印象が強いのだけれど、これは平林が当時の探偵小説を評して“健全派”と“不健全派”とに分類したことが大きな原因だろう。日本探偵小説史をなぞるとき、このエピソードがたいてい紹介されるので、評論活動ばかりが印象に残ってしまうのである。
ただ、それこそ本書と続巻を見ればわかるように、実はそこそこ創作も残しているわけで、では“健全派”と“不健全派”という分類をした平林が自身でどういう探偵小説を書いていたのか、そこはかなり気になるところであった。
まあ、不健全派というのは異常心理や変態心理などを扱うといった内容的なところでの分類なので、さすがに今となってはナンセンスなのだが。
で、実際、『平林初之輔探偵小説選I』を通して読んでみたところ、これがなかなか真っ当な探偵小説でちょっと驚いた。
もちろん“健全派”であることは当然として(苦笑)、きちんと探偵小説としての肝を押さえている。といっても今でいう本格探偵小説ほどのものではなく、あくまで広義のそれではあるのだが、作品ごとにきちんとテーマがあり、物語としてちゃんとまとまっているのがいい。
印象に残ったものとしては、まず「予審調書」、「犠牲者」、「人造人間」、「或る探訪記者の話」の四作。どれも決して後味のよい話ではなく、読後にざらっとした何かが心に残るものばかりであり、著者ならではの味ではないだろうか。ちょっと変わったところでは、動機に注目した「誰が何故彼を殺したか」も悪くなかった。
ということで予想以上に楽しめる一冊。なんせもっと酷いレベルも覚悟していたので、これぐらいやってくれれば十分である。安心して『平林初之輔探偵小説選II』に入るとしよう。
まあ、大した理由などあるはずもなく、たんに買った本が積ん読の山に埋もれて見つからなかっただけのことなのだが、先日ようやく無事に発掘して読むことができた。実は読破計画を進めているロスマクでも似たような事態が発生していて、全部持っているはずなのだがなかなか次に読むものが発見できない。積ん読の山もそのうち整理しないとなぁ。
そんなわけで本日は『平林初之輔探偵小説選I』の感想など。まずは収録作。
「予審調書」
「頭と足」
「犠牲者」
「秘密」
「山吹町の殺人」
「祭の夜」
「誰が何故彼を殺したか」
「人造人間」
「動物園の一夜」
「仮面の男」
「私はかうして死んだ!」
「オパール色の手紙」
「華やかな罪過」
「或る探訪記者の話」
平林初之輔はプロレタリア文学を中心として活動した戦前の文学者だが、探偵小説にも関わっていたことはマニアにはほぼ知られている事実である。創作よりは評論家としての印象が強いのだけれど、これは平林が当時の探偵小説を評して“健全派”と“不健全派”とに分類したことが大きな原因だろう。日本探偵小説史をなぞるとき、このエピソードがたいてい紹介されるので、評論活動ばかりが印象に残ってしまうのである。
ただ、それこそ本書と続巻を見ればわかるように、実はそこそこ創作も残しているわけで、では“健全派”と“不健全派”という分類をした平林が自身でどういう探偵小説を書いていたのか、そこはかなり気になるところであった。
まあ、不健全派というのは異常心理や変態心理などを扱うといった内容的なところでの分類なので、さすがに今となってはナンセンスなのだが。
で、実際、『平林初之輔探偵小説選I』を通して読んでみたところ、これがなかなか真っ当な探偵小説でちょっと驚いた。
もちろん“健全派”であることは当然として(苦笑)、きちんと探偵小説としての肝を押さえている。といっても今でいう本格探偵小説ほどのものではなく、あくまで広義のそれではあるのだが、作品ごとにきちんとテーマがあり、物語としてちゃんとまとまっているのがいい。
印象に残ったものとしては、まず「予審調書」、「犠牲者」、「人造人間」、「或る探訪記者の話」の四作。どれも決して後味のよい話ではなく、読後にざらっとした何かが心に残るものばかりであり、著者ならではの味ではないだろうか。ちょっと変わったところでは、動機に注目した「誰が何故彼を殺したか」も悪くなかった。
ということで予想以上に楽しめる一冊。なんせもっと酷いレベルも覚悟していたので、これぐらいやってくれれば十分である。安心して『平林初之輔探偵小説選II』に入るとしよう。
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楠田匡介『いつ殺される』(河出文庫)
順調にシリーズ展開が進む〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉から、本日は楠田匡介の『いつ殺される』を読む。原本は春陽堂書店の〈長篇探偵小説全集〉として刊行されているため、比較的、楠田作品の中では知られているほうだろう。
まずはストーリーから。
糖尿病とそこからきた足の神経痛で入院することになった作家の津野田。だが、その病室は幽霊が出るという曰くつきの部屋で、職員や看護婦がみな詳しいことを話したがらない。ようやく医師たちからの聞き取りで津野田が知ったのは、数ヶ月前に起こったある役人の横領・心中事件であった。
農林省の若い事務官が八千万円を横領し、発覚を恐れて恋人と心中を図るという事件が起こった。二人はまさに津野田が入っている病室に担ぎ込まれたが、男はまもなく死亡し、女は一命を取り止めたものの病室を抜け出して、近くの川で入水自殺したのである。幽霊は、八千万円に未練を残すその女ではないかという話だった。
津野田はもちろん幽霊などは信じず、むしろ、その八千万円の手がかりを探そうとしている誰かが幽霊と間違われているのではと考える。妻や友人の石毛警部らと推理をめぐらす津野田だったが、やがて津野田の身にも危険が迫ってくる……。
注目したい点はいくつかあるけれど、まずはストーリー構成が面白い。本作ではシリーズ探偵の田名網警部も登場するものの、主人公格としては作家の津野田とその友人の石毛警部のお二人。で、前半は津野田を中心とした文字どおりのベッド・ディテクティヴ=安楽椅子探偵で進行する。ただし単なるベッド・ディテクティヴではなく、津野田にも危険が迫るにつれ、次第にサスペンス色も濃厚になるのがミソ。ちなみに『いつ殺される』というタイトルは、この津野田の状況を表しており、読んでいただければわかるだろうが、けっこう考えられたタイトルなのである。
そして後半は一転して、石毛警部による足の捜査が中心。こちらはクロフツを彷彿とさせる展開で、つまり本書は大きく前後半でスタイルを変える二部構成をとっているわけである。この構成が目先を変えるためだけのものではなく、実は別の大きな意味を持っているのだが、それを書くと興醒めなのでここでは伏せておこう。
もうひとつ注目したいのは、やはりトリックの多さ。トリックマニアの著者らしく、いろいろと詰め込んでおり、正直どれも小粒な感はあるのだけれど、著者の意欲がひしひしと伝わってきてよい。
そのほかではキャラクターの造形も悪くない。作家の津野田と奥さんのやりとりは微笑ましく、石毛警部との関係性もゆるくていい感じである。後半の石毛パートへの転換、それは同時にシリアスへの転調にもなっているのだが、前半の雰囲気もあってそれがかなり効果的にできている印象だ。
前半のやや冗長としたところ(これは上に書いたゆるい雰囲気のせいもあるのだが)、後半は逆にごちゃごちゃした展開が気になるところではあるのだが、まずは全体的には楽しめる一冊。
傑作とまではいかないが、著者の工夫がいろいろと盛り込まれた力作であることは確かだ。
しかしまあ、河出文庫からこういう本が続々と出る状況はすごいとしか言いようがない。
創元とか論創みたいにもともとニッチなところで勝負している出版社ならともかく、河出は一応硬軟織り交ぜた総合的な出版社だ。しかも大下宇陀児や甲賀三郎、木々高太郎という戦前の大御所作家あたりなら少しは“売り”を明確にできるけれど、楠田匡介ぐらいだと知名度はさらに落ちる。ビジネスとしてかなり難しいのは想像に難くない。
まあ、〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉の場合、論創社とは違ってかなり不規則だし、刊行の間隔も空いているので、比較的続けやすい環境にはあるのだろうが、ぜひ今後も気張らずにゆるゆると続けてもらいたいものである。
まずはストーリーから。
糖尿病とそこからきた足の神経痛で入院することになった作家の津野田。だが、その病室は幽霊が出るという曰くつきの部屋で、職員や看護婦がみな詳しいことを話したがらない。ようやく医師たちからの聞き取りで津野田が知ったのは、数ヶ月前に起こったある役人の横領・心中事件であった。
農林省の若い事務官が八千万円を横領し、発覚を恐れて恋人と心中を図るという事件が起こった。二人はまさに津野田が入っている病室に担ぎ込まれたが、男はまもなく死亡し、女は一命を取り止めたものの病室を抜け出して、近くの川で入水自殺したのである。幽霊は、八千万円に未練を残すその女ではないかという話だった。
津野田はもちろん幽霊などは信じず、むしろ、その八千万円の手がかりを探そうとしている誰かが幽霊と間違われているのではと考える。妻や友人の石毛警部らと推理をめぐらす津野田だったが、やがて津野田の身にも危険が迫ってくる……。
注目したい点はいくつかあるけれど、まずはストーリー構成が面白い。本作ではシリーズ探偵の田名網警部も登場するものの、主人公格としては作家の津野田とその友人の石毛警部のお二人。で、前半は津野田を中心とした文字どおりのベッド・ディテクティヴ=安楽椅子探偵で進行する。ただし単なるベッド・ディテクティヴではなく、津野田にも危険が迫るにつれ、次第にサスペンス色も濃厚になるのがミソ。ちなみに『いつ殺される』というタイトルは、この津野田の状況を表しており、読んでいただければわかるだろうが、けっこう考えられたタイトルなのである。
そして後半は一転して、石毛警部による足の捜査が中心。こちらはクロフツを彷彿とさせる展開で、つまり本書は大きく前後半でスタイルを変える二部構成をとっているわけである。この構成が目先を変えるためだけのものではなく、実は別の大きな意味を持っているのだが、それを書くと興醒めなのでここでは伏せておこう。
もうひとつ注目したいのは、やはりトリックの多さ。トリックマニアの著者らしく、いろいろと詰め込んでおり、正直どれも小粒な感はあるのだけれど、著者の意欲がひしひしと伝わってきてよい。
そのほかではキャラクターの造形も悪くない。作家の津野田と奥さんのやりとりは微笑ましく、石毛警部との関係性もゆるくていい感じである。後半の石毛パートへの転換、それは同時にシリアスへの転調にもなっているのだが、前半の雰囲気もあってそれがかなり効果的にできている印象だ。
前半のやや冗長としたところ(これは上に書いたゆるい雰囲気のせいもあるのだが)、後半は逆にごちゃごちゃした展開が気になるところではあるのだが、まずは全体的には楽しめる一冊。
傑作とまではいかないが、著者の工夫がいろいろと盛り込まれた力作であることは確かだ。
しかしまあ、河出文庫からこういう本が続々と出る状況はすごいとしか言いようがない。
創元とか論創みたいにもともとニッチなところで勝負している出版社ならともかく、河出は一応硬軟織り交ぜた総合的な出版社だ。しかも大下宇陀児や甲賀三郎、木々高太郎という戦前の大御所作家あたりなら少しは“売り”を明確にできるけれど、楠田匡介ぐらいだと知名度はさらに落ちる。ビジネスとしてかなり難しいのは想像に難くない。
まあ、〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉の場合、論創社とは違ってかなり不規則だし、刊行の間隔も空いているので、比較的続けやすい環境にはあるのだろうが、ぜひ今後も気張らずにゆるゆると続けてもらいたいものである。
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内田隆三『乱歩と正史 人はなぜ死の夢を見るのか』(講談社選書メチエ)
乱歩関連の書籍がこの一、二年でずいぶん出版された。2016年に乱歩の著作権がフリーになった影響が大きいのだろうが、2017年以降でも、集英社文庫の『明智小五郎事件簿全十二巻』の完結や岩波文庫での『江戸川乱歩作品集I〜III』があり、なかには意表を突いてまんだらけから出版された変わり種『吸血鬼の島 江戸川乱歩からの挑戦状―SF・ホラー編』なんていうのもある。
さらには小説だけでなく、関連書が多いのも乱歩ならでは。同じく2017年以降に出たものをざくっとリストアップしただけでも以下のようなものがある。
『怪人 江戸川乱歩のコレクション』(新潮社 とんぼの本)
内田隆三『乱歩と正史 人はなぜ死の夢を見るのか』(講談社選書メチエ)
中川右介『江戸川乱歩と横溝正史』(集英社)
平山雄一『明智小五郎回顧談』(ホーム社)
中相作『乱歩謎解きクロニクル』(言視舎)
多賀新 『江戸川乱歩 幻想と猟奇の世界』(春陽堂書店)
評論はもちろん、ビジュアル系に二次創作と実に幅広い。管理人は乱歩マニアというわけでもないが、それでもこのあたりは面白そうだからすべて買っているわけで、やはりミステリファンにとって乱歩の魅力は抗いがたいものがある。
先日、ようやく明智小五郎ものの再読がひと区切りついたので、今度はこちらのノンフィクション系もぼちぼちと読み進める予定である。
とりあえず今回はその中から内田隆三の評論、『乱歩と正史 人はなぜ死の夢を見るのか』をチョイス。
著者はミステリの評論もいくつか書いているが、本業は社会理論や現代社会論ということで、本書でのアプローチもやはり普通のミステリ評論とは少々異なる。自身の専門である社会論を活かし、乱歩と正史が活躍した戦前から戦後の社会的な背景を踏まえて、それが作品にどのような影響を与えていったかという形で展開する。
昭和に入り、都市が発展していくというのはどういう意味をもっていたのか、そこから人々の生活様式や興味がどのように移り変わっていったのか、そして乱歩と正史はそういう変化をどのように作品の中に取り込んでいったのか。そういった分析を著者は主要な作品をとりあげて論考する。
結果的には作品論として成立する一冊だが、さすがに目新しい解釈は少ないものの、作品ひとつひとつに対するアプローチは力が入っており読みごたえは十分。
なかでも乱歩による「経済学の視点」、一方の正史は「民族誌の視点」という解釈などは面白く、正史の作品が「家」や「習俗」といった要素との関係で語られたり、「死者の意志」による犯罪云々というのはなるほどという感じである。ミステリという観点からやや離れたところで語られるというのは、乱歩はまだしも、正史はけっこう珍しいのでその意義は小さくない。ファンなら一度は目を通しておいて損はないだろう。
ただ、総じて乱歩にページが割かれすぎであり、正史の戦前作品や後期の作品群にあまり触れられていないのは残念だった。タイトルからすると、日本が誇る探偵小説界の二大巨頭を対比することも目的のひとつなのだろうから、構成のバランスの悪さは惜しいところだ。
さらには小説だけでなく、関連書が多いのも乱歩ならでは。同じく2017年以降に出たものをざくっとリストアップしただけでも以下のようなものがある。
『怪人 江戸川乱歩のコレクション』(新潮社 とんぼの本)
内田隆三『乱歩と正史 人はなぜ死の夢を見るのか』(講談社選書メチエ)
中川右介『江戸川乱歩と横溝正史』(集英社)
平山雄一『明智小五郎回顧談』(ホーム社)
中相作『乱歩謎解きクロニクル』(言視舎)
多賀新 『江戸川乱歩 幻想と猟奇の世界』(春陽堂書店)
評論はもちろん、ビジュアル系に二次創作と実に幅広い。管理人は乱歩マニアというわけでもないが、それでもこのあたりは面白そうだからすべて買っているわけで、やはりミステリファンにとって乱歩の魅力は抗いがたいものがある。
先日、ようやく明智小五郎ものの再読がひと区切りついたので、今度はこちらのノンフィクション系もぼちぼちと読み進める予定である。
とりあえず今回はその中から内田隆三の評論、『乱歩と正史 人はなぜ死の夢を見るのか』をチョイス。
著者はミステリの評論もいくつか書いているが、本業は社会理論や現代社会論ということで、本書でのアプローチもやはり普通のミステリ評論とは少々異なる。自身の専門である社会論を活かし、乱歩と正史が活躍した戦前から戦後の社会的な背景を踏まえて、それが作品にどのような影響を与えていったかという形で展開する。
昭和に入り、都市が発展していくというのはどういう意味をもっていたのか、そこから人々の生活様式や興味がどのように移り変わっていったのか、そして乱歩と正史はそういう変化をどのように作品の中に取り込んでいったのか。そういった分析を著者は主要な作品をとりあげて論考する。
結果的には作品論として成立する一冊だが、さすがに目新しい解釈は少ないものの、作品ひとつひとつに対するアプローチは力が入っており読みごたえは十分。
なかでも乱歩による「経済学の視点」、一方の正史は「民族誌の視点」という解釈などは面白く、正史の作品が「家」や「習俗」といった要素との関係で語られたり、「死者の意志」による犯罪云々というのはなるほどという感じである。ミステリという観点からやや離れたところで語られるというのは、乱歩はまだしも、正史はけっこう珍しいのでその意義は小さくない。ファンなら一度は目を通しておいて損はないだろう。
ただ、総じて乱歩にページが割かれすぎであり、正史の戦前作品や後期の作品群にあまり触れられていないのは残念だった。タイトルからすると、日本が誇る探偵小説界の二大巨頭を対比することも目的のひとつなのだろうから、構成のバランスの悪さは惜しいところだ。
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多岐川恭『私の愛した悪党』(講談社)
多岐川恭の『私の愛した悪党』を読む。まずはストーリーから。
昭和十四年のこと、ある人気作家・佐川の生後まもない女の子が誘拐されるという事件が起こる。身代金の受け渡しに失敗し、警察の捜査もむなしく犯人は誘拐した赤ん坊とともにその行方をくらませた。
それから二十年、感動の再会を果たした佐川夫妻と娘の姿があった。彼女は無事に生きていたのだ。だが、彼らの会話の様子にはちょっと不思議なところがあった。親子はこれが二十年ぶりの再会だというのに、なぜか顔見知りのような雰囲気なのである。いったい再会の裏には、どんな出来事があったのか……。
本作は著者四作目の長編でユーモアミステリに挑戦している。
もちろん多岐川恭のことなので、ただのユーモアミステリで終わるはずもなく、構成に趣向を凝らしつつ、大きな二つの謎を提示してストーリーを引っ張っていくのがミソ。
まずはその構成に驚かされる。本書はまずプロローグとして、未解決に終わった誘拐事件の顛末を紹介するのだが、その直後にいきなりエピローグをぶちこんでくる。
しかもその内容というのが、誘拐事件が無事に解決したことを祝う集まりで、作家の家に帰ってきた娘、そして娘の友人たちも集まっての大団円というもの。
先に結末を見せることで物語のポイントを誘導しているというか、続く本編の興味につなげようとするのが大きな狙いなのだろう。また、ユーモアミステリという性質上、ハッピーエンドを強調して安心して読んでもらいたいという著者の気持ちがあったのかもしれない。
そしておもむろに幕をあける本編。
こちらは下町の中華料理屋と下宿が一緒になった「珍来荘」を舞台に、店主の娘・ノユリを語り手として、下宿で起こった殺人事件を描く。こちらも殺人事件だけでは終わらせず、エピローグで示された“誘拐された娘は果たして誰か?”という興味でも展開してゆく。
というように趣向を凝らした一作ではあるのだが、ぶっちゃけミステリとしては残念ながらいまひとつ。殺人事件もそれほど意外性があるわけではないし、娘探しに至ってはあまりにミエミエすぎて、多岐川恭にしては残念な出来である。
まあ、そうはいっても本書の場合、殺人事件で彩りを添えてはいるが、キャラクターの面白さやほのぼのとしたドラマを楽しみほうが優先だろう。ミステリとして低調とかいうのは野暮な気もする。
実際、トータルでは楽しく読めており、特に下宿人で画家の万代さんが繰り広げるケチな詐欺の手口の数々は面白かった。多岐川恭流の新喜劇、そんな一作である。
なお、管理人は講談社の書下し長編推理小説シリーズで読んだが、講談社文庫版、さらには創元推理文庫版の『変人島風物誌』(表題作品とのカップリング)もある。どれも絶版で古書でしか入手はできないが、文庫だったらどれも比較的安価のようだ。
昭和十四年のこと、ある人気作家・佐川の生後まもない女の子が誘拐されるという事件が起こる。身代金の受け渡しに失敗し、警察の捜査もむなしく犯人は誘拐した赤ん坊とともにその行方をくらませた。
それから二十年、感動の再会を果たした佐川夫妻と娘の姿があった。彼女は無事に生きていたのだ。だが、彼らの会話の様子にはちょっと不思議なところがあった。親子はこれが二十年ぶりの再会だというのに、なぜか顔見知りのような雰囲気なのである。いったい再会の裏には、どんな出来事があったのか……。
本作は著者四作目の長編でユーモアミステリに挑戦している。
もちろん多岐川恭のことなので、ただのユーモアミステリで終わるはずもなく、構成に趣向を凝らしつつ、大きな二つの謎を提示してストーリーを引っ張っていくのがミソ。
まずはその構成に驚かされる。本書はまずプロローグとして、未解決に終わった誘拐事件の顛末を紹介するのだが、その直後にいきなりエピローグをぶちこんでくる。
しかもその内容というのが、誘拐事件が無事に解決したことを祝う集まりで、作家の家に帰ってきた娘、そして娘の友人たちも集まっての大団円というもの。
先に結末を見せることで物語のポイントを誘導しているというか、続く本編の興味につなげようとするのが大きな狙いなのだろう。また、ユーモアミステリという性質上、ハッピーエンドを強調して安心して読んでもらいたいという著者の気持ちがあったのかもしれない。
そしておもむろに幕をあける本編。
こちらは下町の中華料理屋と下宿が一緒になった「珍来荘」を舞台に、店主の娘・ノユリを語り手として、下宿で起こった殺人事件を描く。こちらも殺人事件だけでは終わらせず、エピローグで示された“誘拐された娘は果たして誰か?”という興味でも展開してゆく。
というように趣向を凝らした一作ではあるのだが、ぶっちゃけミステリとしては残念ながらいまひとつ。殺人事件もそれほど意外性があるわけではないし、娘探しに至ってはあまりにミエミエすぎて、多岐川恭にしては残念な出来である。
まあ、そうはいっても本書の場合、殺人事件で彩りを添えてはいるが、キャラクターの面白さやほのぼのとしたドラマを楽しみほうが優先だろう。ミステリとして低調とかいうのは野暮な気もする。
実際、トータルでは楽しく読めており、特に下宿人で画家の万代さんが繰り広げるケチな詐欺の手口の数々は面白かった。多岐川恭流の新喜劇、そんな一作である。
なお、管理人は講談社の書下し長編推理小説シリーズで読んだが、講談社文庫版、さらには創元推理文庫版の『変人島風物誌』(表題作品とのカップリング)もある。どれも絶版で古書でしか入手はできないが、文庫だったらどれも比較的安価のようだ。
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ロス・マクドナルド『犠牲者は誰だ』(ハヤカワミステリ)
ロス・マクドナルドのリュウ・アーチャーものの五作目『犠牲者は誰だ』を読む。まずはストーリー。
ロスへの帰り道、私立探偵リュウ・アーチャーは道路脇の側溝で膝をついている血まみれの男を発見する。近くモーテルへ運び込んだが、まもなく男は息をひきとってしまう。男の名はトニイ。地元のトラック運送展で働くメキシコ人の若者で、モーテルの主人・ケリガンとも知り合いだったが、その態度は決して温かいものではなかった。それどころかモーテルの主人は妻とも不仲のようであり、事件を担当する保安官のチャーチとも折り合いが悪いようだった。
やがてアーチャーは、トニイが積み荷のウイスキー数万ドル分を奪われたこと、その依頼主がケリガンだったこと、トニイがつきまとっていた女性アンが失踪していること、アンがトニイの勤務先の社長の娘だったことを知り、これが単なる強盗事件ではないと考える……。
シリーズ当初はフィリップ・マーロウに影響を受けたような能動的な展開のアーチャーものだったが、四作目『象牙色の嘲笑』ではけっこうアクションも抑えめで、いよいよ後期作品に近くなってきたかと思ったのだが、まだそれは気が早かったようだ(苦笑)。
本作はまたもや前のめり気味のアーチャーに出会え、むしろここまでの作品ではもっとも激しいアクションを披露し、殴ったり殴られたりと忙しい。しかもアーチャー自身のロマンスや若かりし日の思い出も盛り込まれるというサービスぶり。事件の発端もいつもなら失踪人捜索の依頼というパターンが多いけれども、本作ではアーチャーが被害者を発見するという導入なのも珍しい。
もちろんそれだけの物語ではなく、やはり特筆すべきは、アメリカの抱える闇にのまれて苦悩する人々のドラマだ。とりわけモーテル経営者の家族、アンの暮らしていた運送会社の家族、保安官の家族という3つの家族は印象深い。嘘で塗り固められ、複雑に絡み合う人間模様の裏には、そうならざるを得なかった事情がある。その運命を甘んじて受ける人もあり、変えようともがく人もいる。その軋轢が悲しい事件を引き起こす。
そんな人々に翻弄され、ときにはトラックに轢き殺されそうになっても真実を求めるアーチャーは、まさにアメリカの正義を象徴する存在でもあるのだろう。
そして、これまた忘れてならないのが、ミステリとしてのインパクトがきちんと備わっていること。信用できない人間ばかりという状況のなかで、なかなか意外なラストなどは期待しにくいのだが、このハードルを超えていくのがロス・マクドナルドの偉いところである。しかも例によってかなり苦目の真相であり、爽快感などとは程遠いラストにしばらくは胸が詰まるほどだ。
ということで本作も十分に楽しめた。やや味わいは異なるが『象牙色の嘲笑』と並んで初期の代表作といってもいい一作である。
ロスへの帰り道、私立探偵リュウ・アーチャーは道路脇の側溝で膝をついている血まみれの男を発見する。近くモーテルへ運び込んだが、まもなく男は息をひきとってしまう。男の名はトニイ。地元のトラック運送展で働くメキシコ人の若者で、モーテルの主人・ケリガンとも知り合いだったが、その態度は決して温かいものではなかった。それどころかモーテルの主人は妻とも不仲のようであり、事件を担当する保安官のチャーチとも折り合いが悪いようだった。
やがてアーチャーは、トニイが積み荷のウイスキー数万ドル分を奪われたこと、その依頼主がケリガンだったこと、トニイがつきまとっていた女性アンが失踪していること、アンがトニイの勤務先の社長の娘だったことを知り、これが単なる強盗事件ではないと考える……。
シリーズ当初はフィリップ・マーロウに影響を受けたような能動的な展開のアーチャーものだったが、四作目『象牙色の嘲笑』ではけっこうアクションも抑えめで、いよいよ後期作品に近くなってきたかと思ったのだが、まだそれは気が早かったようだ(苦笑)。
本作はまたもや前のめり気味のアーチャーに出会え、むしろここまでの作品ではもっとも激しいアクションを披露し、殴ったり殴られたりと忙しい。しかもアーチャー自身のロマンスや若かりし日の思い出も盛り込まれるというサービスぶり。事件の発端もいつもなら失踪人捜索の依頼というパターンが多いけれども、本作ではアーチャーが被害者を発見するという導入なのも珍しい。
もちろんそれだけの物語ではなく、やはり特筆すべきは、アメリカの抱える闇にのまれて苦悩する人々のドラマだ。とりわけモーテル経営者の家族、アンの暮らしていた運送会社の家族、保安官の家族という3つの家族は印象深い。嘘で塗り固められ、複雑に絡み合う人間模様の裏には、そうならざるを得なかった事情がある。その運命を甘んじて受ける人もあり、変えようともがく人もいる。その軋轢が悲しい事件を引き起こす。
そんな人々に翻弄され、ときにはトラックに轢き殺されそうになっても真実を求めるアーチャーは、まさにアメリカの正義を象徴する存在でもあるのだろう。
そして、これまた忘れてならないのが、ミステリとしてのインパクトがきちんと備わっていること。信用できない人間ばかりという状況のなかで、なかなか意外なラストなどは期待しにくいのだが、このハードルを超えていくのがロス・マクドナルドの偉いところである。しかも例によってかなり苦目の真相であり、爽快感などとは程遠いラストにしばらくは胸が詰まるほどだ。
ということで本作も十分に楽しめた。やや味わいは異なるが『象牙色の嘲笑』と並んで初期の代表作といってもいい一作である。
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エドガー・ウォーレス『J・G・リーダー氏の心』(論創海外ミステリ)
論創海外ミステリでぼちぼち翻訳が続けられているエドガー・ウォーレスの諸作品。二十世紀前半に活躍したエンタメ系ベストセラー作家なので、さすがにその内容が陳腐化していると思いきや、これがいま読んでもけっこうな面白さで、実は密かに新刊を楽しみにしている作家である。
本日の読了本はそのエドガー・ウォーレスの短編集、『J・G・リーダー氏の心』。あの〈クイーンの定員〉にも採られている短編集である。まずは収録作。
The Poetical Policeman「詩的な警官」
The Treasure Hunt「宝さがし」
The Troupe「一味」
The Stealer of Marble「大理石泥棒」
Sheer Melodrama「究極のメロドラマ」
The Green Mamba「緑の毒ヘビ」
The Strange Case「珍しいケース」
The Investors「投資家たち」
おおー、ウォーレスはやはり面白い。傑作とか歴史に残る名作とかいうのとは違うけれども、本作も十分に楽しめる一冊だ。
主人公の探偵役はJ・G・リーダー氏。山高帽に鼻眼鏡、髭面に黒いフロックコートという地味な見た目、おまけに話をしても遠慮がちで控えめの、なんとも冴えないアラフィフ独身男だ。
ところが実はロンドンの公訴局長官事務所に勤務する凄腕捜査官。犯罪者たちがその凡庸な外見に騙され油断しているところを、リーダー氏は得意の読心術によって真相を見抜き、ロンドンの平和を守っているというわけである。
まあ、これは設定の勝利だろう。風采のあがらない男が実はキレッキレの頭脳を披露するというギャップの爽快感。いってみれば「刑事コロンボ」みたいなキャラクターである。いや、頭だけではなく度胸もあるし、いざとなれば暴力沙汰も厭わないところなどはコロンボ以上か。そんなリーダー氏が犯罪者をいかにしてやっつけるかが見どころであり、これは人気が出ない方がおかしい。
コロンボといえば、もうひとつ共通点がある。リーダー氏は読心術によって、つまり犯罪者の気持ちや考えを理解することで事件の真相に辿りつくわけだが、注目したいのは読心術よりもむしろ捜査における“気づき”の部分。例えば「こんな寒い時期に川縁に家を借りるのはおかしい」とか、「花でいっぱいの花壇の中で、一本だけバラが枯れているのはなぜ?」とか、そういう気づきから推理を展開していくところもまたコロンボ的なのである。
まあ、謎解きという観点ではユルいところもあって、むしろ冒険小説的な性格が強いところもあるのだが、だからこそ作品ごとのムラも少なく楽しく読めるのかもしれない。マンネリを防ぐためか、アクセントとしてうら若き女性とのロマンスもあったりして、その展開も含めてシリーズの行方が気になるところだ。
長編、短篇どちらもまだ残っているので、このレベルならもう少し紹介を続けてもよいのでは。>論創社さん
本日の読了本はそのエドガー・ウォーレスの短編集、『J・G・リーダー氏の心』。あの〈クイーンの定員〉にも採られている短編集である。まずは収録作。
The Poetical Policeman「詩的な警官」
The Treasure Hunt「宝さがし」
The Troupe「一味」
The Stealer of Marble「大理石泥棒」
Sheer Melodrama「究極のメロドラマ」
The Green Mamba「緑の毒ヘビ」
The Strange Case「珍しいケース」
The Investors「投資家たち」
おおー、ウォーレスはやはり面白い。傑作とか歴史に残る名作とかいうのとは違うけれども、本作も十分に楽しめる一冊だ。
主人公の探偵役はJ・G・リーダー氏。山高帽に鼻眼鏡、髭面に黒いフロックコートという地味な見た目、おまけに話をしても遠慮がちで控えめの、なんとも冴えないアラフィフ独身男だ。
ところが実はロンドンの公訴局長官事務所に勤務する凄腕捜査官。犯罪者たちがその凡庸な外見に騙され油断しているところを、リーダー氏は得意の読心術によって真相を見抜き、ロンドンの平和を守っているというわけである。
まあ、これは設定の勝利だろう。風采のあがらない男が実はキレッキレの頭脳を披露するというギャップの爽快感。いってみれば「刑事コロンボ」みたいなキャラクターである。いや、頭だけではなく度胸もあるし、いざとなれば暴力沙汰も厭わないところなどはコロンボ以上か。そんなリーダー氏が犯罪者をいかにしてやっつけるかが見どころであり、これは人気が出ない方がおかしい。
コロンボといえば、もうひとつ共通点がある。リーダー氏は読心術によって、つまり犯罪者の気持ちや考えを理解することで事件の真相に辿りつくわけだが、注目したいのは読心術よりもむしろ捜査における“気づき”の部分。例えば「こんな寒い時期に川縁に家を借りるのはおかしい」とか、「花でいっぱいの花壇の中で、一本だけバラが枯れているのはなぜ?」とか、そういう気づきから推理を展開していくところもまたコロンボ的なのである。
まあ、謎解きという観点ではユルいところもあって、むしろ冒険小説的な性格が強いところもあるのだが、だからこそ作品ごとのムラも少なく楽しく読めるのかもしれない。マンネリを防ぐためか、アクセントとしてうら若き女性とのロマンスもあったりして、その展開も含めてシリーズの行方が気になるところだ。
長編、短篇どちらもまだ残っているので、このレベルならもう少し紹介を続けてもよいのでは。>論創社さん
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江戸川乱歩『影男』(江戸川乱歩推理文庫)
江戸川乱歩の『影男』を読む。明智小五郎が登場する大人向け長篇としては最後の作品である。まずはストーリー。
裏社会に暗躍する神出鬼没の「影男」。彼は作家や実業家、慈善家、遊び人など、さまざまな顔と名前を使い分け、世の中の裏側を見ることを無常の楽しみとして生きる男であった。
そんなある日のこと。影男は須原という男から“殺人請負会社"の顧問として参加してほしいと誘われる。影男が考えた殺人のアイデアを売ってくれというのだ……。
ひとつ前の『化人幻戯』がそうであったように、本作もまた乱歩がこれまで繰り返し使ってきたモチーフ、すなわちパノラマ館や犯罪趣味、探偵小説趣味などといった要素をふんだんに盛り込んでいる。エログロもけっこう満載で、相変わらずといえば相変わらずである。
したがって、これを苦し紛れの焼き直し作品とみることもできるのだが、ただ、そういって捨てておくには少しもったいないのも事実。本作ならではの見どころもないではないのだ。
まずは何といっても明智と対峙する“影男"の存在。本作は明智小五郎も登場するけれど、全編を通して活躍するのは影男であり、ほぼ本作の主人公といってよい。
その影男は犯罪に興味はあるが殺人などは好みではなく、ときには慈善も行う。根っからの悪人というわけでもないそのキャラクターはなかなか魅力的で、一言でいえば変態傾向の強いルパンである(笑)。
また、作品世界もエログロは確かにあるのだけれど、いつもの乱歩独特の濃厚な妖しさには欠けている印象。影男のスマートなキャラクターに引っ張られているところもあるのだろうが、全体に良い意味での軽めの世界観となっている。
だから乱歩の作品には珍しく、犯人(影男)に感情移入しやすい作りになっている。これはもしかすると乱歩流のピカレスクロマンと見てもよいのではないだろうか。
まあ、そうはいっても確かに欠点も多い作品ではある(苦笑)。前半のだらだら感の強いエピソードの積み重ねも問題だが、一番の欠点はとってつけたような明智の起用方法か。
まあ、明智がチョイ役という趣向もときにはありなのだけれど、その割には役者が一枚も二枚も上すぎて、影男の存在が一気に霞むような展開は興醒めである。むしろ明智は出演させず、“殺人請負会社"と影男の対決で締めたほうがよかったのではないか。
これらのストーリーの荒っぽさがけっこう致命的で、雰囲気や影男のキャラクターでなんとか楽しめたものの、乱歩ファン以外にオススメするのはさすがに厳しいといえる。
ということで、これで集英社文庫版「明智小五郎事件簿全12巻」の補足読書はいったん終了。短編がふたつほど残っているが、まあそれはまた機会があれば(笑)。
ただ、こうなると明智が出ない長短編も久々に読み返したくなってくるのが困りものである。しかし、乱歩関係では周辺書や評論関係もけっこうたまってきているので、今度はそちらも攻めてみようと思案中である。
裏社会に暗躍する神出鬼没の「影男」。彼は作家や実業家、慈善家、遊び人など、さまざまな顔と名前を使い分け、世の中の裏側を見ることを無常の楽しみとして生きる男であった。
そんなある日のこと。影男は須原という男から“殺人請負会社"の顧問として参加してほしいと誘われる。影男が考えた殺人のアイデアを売ってくれというのだ……。
ひとつ前の『化人幻戯』がそうであったように、本作もまた乱歩がこれまで繰り返し使ってきたモチーフ、すなわちパノラマ館や犯罪趣味、探偵小説趣味などといった要素をふんだんに盛り込んでいる。エログロもけっこう満載で、相変わらずといえば相変わらずである。
したがって、これを苦し紛れの焼き直し作品とみることもできるのだが、ただ、そういって捨てておくには少しもったいないのも事実。本作ならではの見どころもないではないのだ。
まずは何といっても明智と対峙する“影男"の存在。本作は明智小五郎も登場するけれど、全編を通して活躍するのは影男であり、ほぼ本作の主人公といってよい。
その影男は犯罪に興味はあるが殺人などは好みではなく、ときには慈善も行う。根っからの悪人というわけでもないそのキャラクターはなかなか魅力的で、一言でいえば変態傾向の強いルパンである(笑)。
また、作品世界もエログロは確かにあるのだけれど、いつもの乱歩独特の濃厚な妖しさには欠けている印象。影男のスマートなキャラクターに引っ張られているところもあるのだろうが、全体に良い意味での軽めの世界観となっている。
だから乱歩の作品には珍しく、犯人(影男)に感情移入しやすい作りになっている。これはもしかすると乱歩流のピカレスクロマンと見てもよいのではないだろうか。
まあ、そうはいっても確かに欠点も多い作品ではある(苦笑)。前半のだらだら感の強いエピソードの積み重ねも問題だが、一番の欠点はとってつけたような明智の起用方法か。
まあ、明智がチョイ役という趣向もときにはありなのだけれど、その割には役者が一枚も二枚も上すぎて、影男の存在が一気に霞むような展開は興醒めである。むしろ明智は出演させず、“殺人請負会社"と影男の対決で締めたほうがよかったのではないか。
これらのストーリーの荒っぽさがけっこう致命的で、雰囲気や影男のキャラクターでなんとか楽しめたものの、乱歩ファン以外にオススメするのはさすがに厳しいといえる。
ということで、これで集英社文庫版「明智小五郎事件簿全12巻」の補足読書はいったん終了。短編がふたつほど残っているが、まあそれはまた機会があれば(笑)。
ただ、こうなると明智が出ない長短編も久々に読み返したくなってくるのが困りものである。しかし、乱歩関係では周辺書や評論関係もけっこうたまってきているので、今度はそちらも攻めてみようと思案中である。
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江戸川乱歩『化人幻戯』(江戸川乱歩推理文庫)
集英社文庫で昨年4月に完結した「明智小五郎事件簿全12巻」はまだ記憶に新しいところだが、これは江戸川乱歩が生んだ希代の名探偵、明智小五郎の登場作品を、長短編問わず事件発生順にまとめたシリーズである。
また、本編を楽しむだけでなく、巻末につけられた平山雄一氏による年代記が便利で、こちらは事件発生年月の検証をメインに、当時の物語の舞台や世相などをもフォローしているからありがたい。
ひとつだけ注文があるとすれば、このシリーズが戦前作品だけで終わっていることだろう。
戦後の明智登場作品のほとんどが子供向けのせいか、乱歩が細かい整合性などまったく考えておらず、もはや検証自体に意味がないこともあろうが、何より子供向けばかりでは商売としても厳しいだろうから、これは致し方ないところだろう。
ただ、読者からするとこのまま終わるのも少し気持ちが悪いのも事実で、まあ、それは版元も平山氏も同じ気持ちだったらしく、最終巻の「クロニクル」では、ちゃんと戦後分の事件発生順作品リストが載っており、こういう気配りがまたありがたいところである。
で、この際だから戦後分の明智作品もすべて読み切ってやろうかと一瞬思ったのだが、子供向けだけで二十冊以上あるとさすがに腰が引ける。読み返したい気持ちはやまやまなのだが、絶対に途中で飽きるだろうし(苦笑)。
というわけで、せめて大人向けの長篇『化人幻戯』と『影男』だけは読むことにした次第である。
さて前振りが長くなったが、本日の読了本は『化人幻戯』である。まずはストーリー。
父親の勧めで実業家・大河原義明の秘書になった庄司武彦。大河原は犯罪や探偵小説、レンズや奇術を趣味とする変人ではあったが、実業家としてもすぐれ、若い妻・由美子と暮らしていた。
秘書としての仕事にも慣れてきた頃、庄司は大河原家に出入りする青年・姫田吾郎から、差出人不明の怪しい白い羽根が送られてきていることを相談される。秘密結社に興味をもっていた姫田は、これを脅迫の一種と受け取り、庄司の知り合いの探偵・明智小五郎に相談してほしいという。
それからしばらくのこと。庄司は大河原夫妻と熱海の別荘に出かけるが、双眼鏡をのぞいていた夫妻は断崖から一人の男が転落するところを目撃する。その男はなんと姫田であった……。
戦後十年を経て、還暦を迎えた乱歩が久々の長篇、しかもそれまでの通俗スリラーから本格回帰を図った一作。明智も齢五十を重ねてはいるがまだまだ若く、小林少年にいたってはまだ少年のままというのが少々あれだけれども、全体的には大きなブランクを感じさせない出来といえるのではないだろうか。
まあ一般的にあまり評価されていない作品であることはわかる。本格という結構は一応備えているし、トリックも密室やアリバイ、暗号など、ふんだんに盛り込んではいるものの、どこかで見たようなネタばかりだし、ひとつひとつの驚きは少ない。
ただ、乱歩なりの本格を目指したという気持ちは伝わってくる。レンズやのぞき見、探偵小説、犯罪、エロなど、乱歩がこれまで繰り返し使ってきた題材が至るところに散りばめられており、それらを総括したうえで、本格に仕立てたかったのだろう。
その方向性が最大限に発揮されたのが犯人像か。
通俗スリラーに登場するような怪人ではないし、そこまで意外な犯人でもないのだけれど、後のサイコスリラーに登場するようなサイコパスともいえるキャラクターであり、これもまた乱歩の圧倒的嗜好が反映されていてゾクッとくる。
乱歩自身もこの犯人像にはかなり力を入れていたようで、終盤の手記や犯人の告白は乱歩の世界を存分に味わうことができるし、一番の読みどころであろう。
ただ、その結果として終盤が説明的になりすぎたのは、スト−リーという観点からすると大きなマイナスにもなっていてもったいない。
ともあれ世間の評判ほどには悪くないし、個人的にはむしろ好きな作品である。通俗スリラーの上位作品よりはいいと思うぞ。
また、本編を楽しむだけでなく、巻末につけられた平山雄一氏による年代記が便利で、こちらは事件発生年月の検証をメインに、当時の物語の舞台や世相などをもフォローしているからありがたい。
ひとつだけ注文があるとすれば、このシリーズが戦前作品だけで終わっていることだろう。
戦後の明智登場作品のほとんどが子供向けのせいか、乱歩が細かい整合性などまったく考えておらず、もはや検証自体に意味がないこともあろうが、何より子供向けばかりでは商売としても厳しいだろうから、これは致し方ないところだろう。
ただ、読者からするとこのまま終わるのも少し気持ちが悪いのも事実で、まあ、それは版元も平山氏も同じ気持ちだったらしく、最終巻の「クロニクル」では、ちゃんと戦後分の事件発生順作品リストが載っており、こういう気配りがまたありがたいところである。
で、この際だから戦後分の明智作品もすべて読み切ってやろうかと一瞬思ったのだが、子供向けだけで二十冊以上あるとさすがに腰が引ける。読み返したい気持ちはやまやまなのだが、絶対に途中で飽きるだろうし(苦笑)。
というわけで、せめて大人向けの長篇『化人幻戯』と『影男』だけは読むことにした次第である。
さて前振りが長くなったが、本日の読了本は『化人幻戯』である。まずはストーリー。
父親の勧めで実業家・大河原義明の秘書になった庄司武彦。大河原は犯罪や探偵小説、レンズや奇術を趣味とする変人ではあったが、実業家としてもすぐれ、若い妻・由美子と暮らしていた。
秘書としての仕事にも慣れてきた頃、庄司は大河原家に出入りする青年・姫田吾郎から、差出人不明の怪しい白い羽根が送られてきていることを相談される。秘密結社に興味をもっていた姫田は、これを脅迫の一種と受け取り、庄司の知り合いの探偵・明智小五郎に相談してほしいという。
それからしばらくのこと。庄司は大河原夫妻と熱海の別荘に出かけるが、双眼鏡をのぞいていた夫妻は断崖から一人の男が転落するところを目撃する。その男はなんと姫田であった……。
戦後十年を経て、還暦を迎えた乱歩が久々の長篇、しかもそれまでの通俗スリラーから本格回帰を図った一作。明智も齢五十を重ねてはいるがまだまだ若く、小林少年にいたってはまだ少年のままというのが少々あれだけれども、全体的には大きなブランクを感じさせない出来といえるのではないだろうか。
まあ一般的にあまり評価されていない作品であることはわかる。本格という結構は一応備えているし、トリックも密室やアリバイ、暗号など、ふんだんに盛り込んではいるものの、どこかで見たようなネタばかりだし、ひとつひとつの驚きは少ない。
ただ、乱歩なりの本格を目指したという気持ちは伝わってくる。レンズやのぞき見、探偵小説、犯罪、エロなど、乱歩がこれまで繰り返し使ってきた題材が至るところに散りばめられており、それらを総括したうえで、本格に仕立てたかったのだろう。
その方向性が最大限に発揮されたのが犯人像か。
通俗スリラーに登場するような怪人ではないし、そこまで意外な犯人でもないのだけれど、後のサイコスリラーに登場するようなサイコパスともいえるキャラクターであり、これもまた乱歩の圧倒的嗜好が反映されていてゾクッとくる。
乱歩自身もこの犯人像にはかなり力を入れていたようで、終盤の手記や犯人の告白は乱歩の世界を存分に味わうことができるし、一番の読みどころであろう。
ただ、その結果として終盤が説明的になりすぎたのは、スト−リーという観点からすると大きなマイナスにもなっていてもったいない。
ともあれ世間の評判ほどには悪くないし、個人的にはむしろ好きな作品である。通俗スリラーの上位作品よりはいいと思うぞ。
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ヘンリイ・セシル『判事に保釈なし』(ハヤカワミステリ)
ちょっと珍しいところでヘンリイ・セシルの『判事に保釈なし』を読んでみる。まずはストーリー。
世間の尊敬を一身に集める高名なるブラウン判事。あるとき車に轢かれそうになった子供を助けたが、そのショックで一時的に正常な判断ができなくなってしまう。
調子が悪いことはなんとか自覚しているものの、このまま帰宅すると心配する娘のエリザベスに無理やり病院へ行かされてしまうだろう。そうなると裁判も欠席することになり、自分の職業意識からすれば、とてもそんなことには耐えられない。
そう考えた判事は、エリザベスから身を隠すため、あろうことか街で出会った売春婦のところに五日も泊まり込んでしまう。ところがその売春婦が何者かに殺害され、容疑はブラウン判事に。
父の無実を信じるエリザベスは、たまたま出会った犯罪集団のボス、ロウにその事件の真犯人を見つけるよう依頼するが……。
著者は弁護士や判事を務めながら法廷ものミステリを多く書いた人だが、シリアスなガチガチの法廷ものではなく、皮肉と諧謔精神にあふれたユーモラスな作風が特徴である。本書もその特徴がふんだんに盛り込まれた一作。
設定がそもそも馬鹿らしくて(褒めてます)、厳格な判事が売春婦の宿に泊まるという展開だけでも無茶なのに、殺人事件の調査をするのが犯罪者である。世の中の常識を真逆にしてみせることで、その本質を問うているようなところはあるのだが、まあ、そこまで深読みしなくてもそのギャップだけでまずは十分楽しい。
特に探偵役を務める犯罪集団のボス、ロウの存在は面白い。これまでは慎重に犯罪を指揮していたのでまったく警察に逮捕されることなどなかったプロフェッショナルである。ところが立場が180度変わって探偵側になった途端、逆に警察に疑われて逮捕される羽目になってしまうという皮肉。
また、ロウに雇われる退役軍人のブレイン大佐もとぼけた味があってよい。自分が何をやらされているのかわからないくせに、自信満々で脅迫まがいのことをやってのけ、相手の反応が面白いと宣う性格の悪さを発揮している。
ふと思いついたのだが、全体的な印象はモンティ・パイソンにも近いのかなと感じた次第。けっこう下品なネタなのに、それをさらっと上品でブラックな笑いにまとめるのは、考えると英国のお家芸である。
とまあ、良い点をこうして挙げてはみたものの、実はミステリとしてはそこまで大したものではない。事件や真相は弱いし、肝心の法廷シーンもトリッキーな面白さには乏しい。ヘンリイ・セシルのファン、あるいは英国の伝統的なユーモア小説を読みたい人向け、といったところか。
世間の尊敬を一身に集める高名なるブラウン判事。あるとき車に轢かれそうになった子供を助けたが、そのショックで一時的に正常な判断ができなくなってしまう。
調子が悪いことはなんとか自覚しているものの、このまま帰宅すると心配する娘のエリザベスに無理やり病院へ行かされてしまうだろう。そうなると裁判も欠席することになり、自分の職業意識からすれば、とてもそんなことには耐えられない。
そう考えた判事は、エリザベスから身を隠すため、あろうことか街で出会った売春婦のところに五日も泊まり込んでしまう。ところがその売春婦が何者かに殺害され、容疑はブラウン判事に。
父の無実を信じるエリザベスは、たまたま出会った犯罪集団のボス、ロウにその事件の真犯人を見つけるよう依頼するが……。
著者は弁護士や判事を務めながら法廷ものミステリを多く書いた人だが、シリアスなガチガチの法廷ものではなく、皮肉と諧謔精神にあふれたユーモラスな作風が特徴である。本書もその特徴がふんだんに盛り込まれた一作。
設定がそもそも馬鹿らしくて(褒めてます)、厳格な判事が売春婦の宿に泊まるという展開だけでも無茶なのに、殺人事件の調査をするのが犯罪者である。世の中の常識を真逆にしてみせることで、その本質を問うているようなところはあるのだが、まあ、そこまで深読みしなくてもそのギャップだけでまずは十分楽しい。
特に探偵役を務める犯罪集団のボス、ロウの存在は面白い。これまでは慎重に犯罪を指揮していたのでまったく警察に逮捕されることなどなかったプロフェッショナルである。ところが立場が180度変わって探偵側になった途端、逆に警察に疑われて逮捕される羽目になってしまうという皮肉。
また、ロウに雇われる退役軍人のブレイン大佐もとぼけた味があってよい。自分が何をやらされているのかわからないくせに、自信満々で脅迫まがいのことをやってのけ、相手の反応が面白いと宣う性格の悪さを発揮している。
ふと思いついたのだが、全体的な印象はモンティ・パイソンにも近いのかなと感じた次第。けっこう下品なネタなのに、それをさらっと上品でブラックな笑いにまとめるのは、考えると英国のお家芸である。
とまあ、良い点をこうして挙げてはみたものの、実はミステリとしてはそこまで大したものではない。事件や真相は弱いし、肝心の法廷シーンもトリッキーな面白さには乏しい。ヘンリイ・セシルのファン、あるいは英国の伝統的なユーモア小説を読みたい人向け、といったところか。
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ロス・マクドナルド『象牙色の嘲笑』(ハヤカワ文庫)
ツイッターでも少しつぶやいたが、本日は八王子の古本まつりに出かける。なかなかの規模で昨年はそれなりに釣果もあったのだけれど、今年はもう悲しいくらい何もない。そもそもミステリ関係が少なすぎる。仕方ないので角川文庫の福本和也とか草野唯雄の未所持本をひろってお茶を濁し、パブ・シャーロックホームズでキルケニーを飲んで退散する。
本日の読了本はロスマク読破計画、いや厳密にはリュウ・アーチャーものの読破計画になるが、その四冊目『象牙色の嘲笑』である。まずはストーリーから。
男勝りの女性ユーナが今回の依頼人。彼女は自分の家で雇っていた黒人女性ルーシーを探してほしいという。彼女は辞めたときにユーナのアクセサリー類を盗んだのだが警察沙汰にはしたくないという。アーチャーは彼女のいうことがまったく信用できなかったが、渋々依頼を引き受けることにする。
ルーシーはあっけなく見つかり、アーチャーは彼女のいたホテルをユーナに連絡した。これで調査は終わるところだが、ルーシーのことが気になるアーチャーはユーナとルーシーの会話を盗み聞きし、二人の間に何やら深い問題があるらしいことを知る。そして間もなくルーシーが喉をかき切られた状態で発見され……。
おお、これはいいではないか。前作『人の死に行く道』も悪くなかったが、傑作というにはまだ難しいいところだった。しかし本作は前期の代表作と言い切ってしまってよいだろう。
相変わらずプロットは複雑で、依頼人からしてそうなのだが、ほとんどの登場人物が胡散臭い。ルーシーはなぜ殺されなければならなかったのか、いったい何が起こっているのか。それぞれがそれぞれの思惑で行動するなか、富豪の御曹司の失踪事件までが絡み、さらに混迷を極める。アーチャーはその薄皮を一枚ずつ剥ぐような感じで調査を続けていく。
事件のベースにはアメリカの社会問題がいくつも内包されているが、アーチャーの調査によって事件の真相だけではなく、そういう面も浮かび上がってくる展開が見事である。
また、本作はハードボイルドとして味わい深い作品だが、そもそもミステリとしても十分なインパクトをもっている。
ルーシー殺害や御曹司の失踪はどう絡んでいるのか、最後の最後で明かされる事実はちょっとこちらの想像を超えるもので、犯人はなんとか予想できても、真相を解き明かすのは難しいだろう。しかもこの真相が明らかになったとき、本作の深みというか重みがより感じられるはずである。
気になる点もないではない。一番気になったのは、導入では実に印象的だったルーシーだが、ストーリーが進むにつれ、その存在感を失っていくことだ。事件の中心から外れていくといってもよい。
この事件ではアーチャーは早々に依頼そのものは完了してしまうため、そこには事件を追う強い動機が必要である。そのひとつにルーシーの存在があるはずなのだが、そこが中途半端になった感があるのはいただけない。
だいたいがアーチャーは他の作家の私立探偵ほど自分語りをしないタイプである。しかし、真実や正義に対する欲求・執念は相当なもので、そのやり方はときに荒っぽいのだけれど、そこが読者の共感を呼ぶところでもある。その原動力になるルーシーの存在感は、やはりラストまで何らかの形で引っ張っていくべきだったろう。
もうひとつ気になったこと。これは原作の責任ではないのだが、アーチャーの一人称が「おれ」になっていること。解説では訳者自らが「おれ」を用いた理由を説明してくれているけれど、やはり人生の傍観者たるアーチャーには(初期は確かにバイオレンスも多いけれど)「わたし」が似合うと思う。
ただ、管理人の読んだのは高橋豊訳のもので、その後「わたし」を用いた小鷹信光訳による新訳版も出ているので、もし読まれる方は両方を比べてみるのがよろしいかと。
本日の読了本はロスマク読破計画、いや厳密にはリュウ・アーチャーものの読破計画になるが、その四冊目『象牙色の嘲笑』である。まずはストーリーから。
男勝りの女性ユーナが今回の依頼人。彼女は自分の家で雇っていた黒人女性ルーシーを探してほしいという。彼女は辞めたときにユーナのアクセサリー類を盗んだのだが警察沙汰にはしたくないという。アーチャーは彼女のいうことがまったく信用できなかったが、渋々依頼を引き受けることにする。
ルーシーはあっけなく見つかり、アーチャーは彼女のいたホテルをユーナに連絡した。これで調査は終わるところだが、ルーシーのことが気になるアーチャーはユーナとルーシーの会話を盗み聞きし、二人の間に何やら深い問題があるらしいことを知る。そして間もなくルーシーが喉をかき切られた状態で発見され……。
おお、これはいいではないか。前作『人の死に行く道』も悪くなかったが、傑作というにはまだ難しいいところだった。しかし本作は前期の代表作と言い切ってしまってよいだろう。
相変わらずプロットは複雑で、依頼人からしてそうなのだが、ほとんどの登場人物が胡散臭い。ルーシーはなぜ殺されなければならなかったのか、いったい何が起こっているのか。それぞれがそれぞれの思惑で行動するなか、富豪の御曹司の失踪事件までが絡み、さらに混迷を極める。アーチャーはその薄皮を一枚ずつ剥ぐような感じで調査を続けていく。
事件のベースにはアメリカの社会問題がいくつも内包されているが、アーチャーの調査によって事件の真相だけではなく、そういう面も浮かび上がってくる展開が見事である。
また、本作はハードボイルドとして味わい深い作品だが、そもそもミステリとしても十分なインパクトをもっている。
ルーシー殺害や御曹司の失踪はどう絡んでいるのか、最後の最後で明かされる事実はちょっとこちらの想像を超えるもので、犯人はなんとか予想できても、真相を解き明かすのは難しいだろう。しかもこの真相が明らかになったとき、本作の深みというか重みがより感じられるはずである。
気になる点もないではない。一番気になったのは、導入では実に印象的だったルーシーだが、ストーリーが進むにつれ、その存在感を失っていくことだ。事件の中心から外れていくといってもよい。
この事件ではアーチャーは早々に依頼そのものは完了してしまうため、そこには事件を追う強い動機が必要である。そのひとつにルーシーの存在があるはずなのだが、そこが中途半端になった感があるのはいただけない。
だいたいがアーチャーは他の作家の私立探偵ほど自分語りをしないタイプである。しかし、真実や正義に対する欲求・執念は相当なもので、そのやり方はときに荒っぽいのだけれど、そこが読者の共感を呼ぶところでもある。その原動力になるルーシーの存在感は、やはりラストまで何らかの形で引っ張っていくべきだったろう。
もうひとつ気になったこと。これは原作の責任ではないのだが、アーチャーの一人称が「おれ」になっていること。解説では訳者自らが「おれ」を用いた理由を説明してくれているけれど、やはり人生の傍観者たるアーチャーには(初期は確かにバイオレンスも多いけれど)「わたし」が似合うと思う。
ただ、管理人の読んだのは高橋豊訳のもので、その後「わたし」を用いた小鷹信光訳による新訳版も出ているので、もし読まれる方は両方を比べてみるのがよろしいかと。