2012年07月 - 探偵小説三昧
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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 07 2012

ジョン・ボーランド『紳士同盟』(ハヤカワミステリ)

 ジョン・ボーランドの『紳士同盟』を読む。先日読んだ『5枚のカード』同様、これもお懐かしやの「ポケミス名画座」からの一冊。

 かつて名を馳せた英国軍の将校たちがいた。だがそれぞれ事情は異なるが、みな不名誉な理由によって除隊の憂き目にあった者たちばかり。今では冴えない生活を送る毎日だった。そんな彼らのもとに一通の封筒が届く。中には半分に切りとられた紙幣、一冊の犯罪小説、そして翌日曜日にロンドンへ出頭すべしという内容の手紙が同封されていた。
 不振に思いながらもロンドンのとあるカフェへ集合した面々は総勢九名。そこで待っていたヘムリングソン元少佐は、彼らに銀行強盗を提案する……。

 紳士同盟

 クラシックな犯罪小説という趣。捻った設定やどんでん返しの連発はないけれど、なんでもかんでも詰め込んだ最近のボリューム過多の作品に飽きた向きにはちょうどいい。特技をもった男たち、周到なる準備、緻密に練られた銀行強盗計画。途中途中で予想外の障害に見舞われながらも、彼らは成功を信じて前へ進む。その先に待つものは栄光か挫折か? シンプルながらそれなりに引っ張る力はある。

 ちょっと面白いと思ったのは、この強盗チームを仕切る主人公が、実に人間臭いところである。この手のストーリーなら主犯格の男は絶対的なリーダーシップを発揮するものだが、彼は計画が皆に認められたといっては喜び、説得できなかったといっては落ち込む。ときには仲間に助けも乞う。
 どうやら著者はあえて弱い人間に設定した節があるのだが、これは主人公に限らず、実はその他のメンバーにも当てはまる。彼らは元将校ではあるのだが、全員がすねに疵もつ身であり、負け犬の集団である。通常の物語なら、この負け犬たちが最後のプライドを見せる展開なのだろうが、本作では彼らはあくまで負け犬のままである。その安っぽい男たちのやりとりこそが逆に本書の読みどころといえるのだろう。
 ただ、惜しむらくは登場人物の描き方があまりに足りない。主人公はともかく、他のメンバーの設定が中途半端で、語りきらないうちに終わった印象である。ここがしっかりしていればオススメだったのだが。

 なお、解説によると、映画版は趣がかなり異なるらしく、それこそ上で書いたような安っぽい男たちではなく、最後の意地を見せる男たちの物語になっているらしい。ううむ、そうなると映画版を観ておきたいところだが、DVDになってるのかしら?


金子修介『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』

 数年かけて観てきた東宝特撮映画DVDコレクションもいよいよ残り少なくなってきた。本日は『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』を視聴。通算二十五作目のゴジラ映画。公開は2001年、監督は平成ガメラ三部作をものにした、あの金子修介である。

 1954年のゴジラ日本襲撃から半世紀あまり。グアム島沖で消息を絶ったアメリカの原潜を救助するため、日本の防衛軍は特殊潜航艇「さつま」を現場に向かわせる。だが、そこで「さつま」の乗務員が見たものは、原潜の残骸と、背びれを青白く光らせて移動する巨大生物であった。
 巨大生物は果たしてゴジラなのか。防衛軍で協議が行われるなか、新潟県妙高山のトンネルでは暴走族が赤い怪獣に襲われ、鹿児島県池田湖では大学生たちが繭に包まれた遺体で発見されるという怪事件が続出していた。
 BS局のレポーター立花由里は、知り合いの学者から情報を集め、事件の場所が『護国聖獣伝記』に記されている三体の聖獣、婆羅護吽(バラゴン)、最珠羅(モスラ)、魏怒羅(ギドラ)が眠る場所であることに気づく。事実を求めて由里は伝記の著者、伊佐山教授に会うが、伊佐山は「ゴジラは太平洋戦争で死亡した人々の怨念の集合体である」と語る……。

 ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃

 タイトルだけ見ると昭和ゴジラのような感じだが、中身はまったく異なる。これは平成に入ってから撮られたゴジラ映画では最も異色な作品であり、出来そのものも平成以降ではトップクラスのゴジラ映画であると思う。やはり監督でここまで映画は変わるのか。
 そもそもミレニアム・シリーズは、昭和や平成の設定をリセットして、作品毎に新たな世界観を設けている。本作でも『ゴジラ』一作目の設定のみ生かし、その他の歴史はなかったことになっているが、とりわけ本作が奮っているのは、モスラやバラゴン、キングギドラを日本を護る聖獣として扱い、伝奇的に話を展開させていることだ。従来のインファント島やら宇宙怪獣やらという設定を忘れろというのは、古いファンにはいささか難しいところではあるのだが、その違和感を差し引いても、この物語世界は悪くない。
 独自の設定はゴジラにも及び、上のストーリーでも書いたように、ゴジラは「太平洋戦争で死亡した人々の怨念の集合体」という解釈。管理人的には、自然災害、戦争、核の恐怖など、もはや人智を越えた負の存在のメタファーであればある程度は納得できるところなので、これもまたよし。ただ、ゴジラの出自が核兵器であったことを考えると、今回の「太平洋戦争で死亡した人々」の中にアメリカ兵も混ぜるのは、さすがにいかがなものかという気はする。

 ストーリーラインだけではなく、映画の撮り方についても、怖い怪獣映画を意識しているのがよろしい。白目をむいたゴジラ、じわじわと盛り上げる恐怖やショッカー的演出も悪くない。特に前半は物語が伝奇風であり(天本英世の怪演もいい!)、ホラー映画的である。ゴジラ上陸以降も、宿や病院や学校での見せ方、なすすべなく死んでいく人々の描写など、印象的なシーンが多かった。

 ただ、人間サイドのドラマがいまいちで、非常にもったいない感じは残る。そもそもドラマ以前の問題として、演技が全般的にひどすぎないか?
 ぶっちゃけいうと怪獣映画に出演する役者のなかには、適当に演じているように思える人も少なくない。というか想像力がないんだろうね。子供が見るものだと思って、はなから過剰演技だったりメリハリが効き過ぎていたり。見ているこちらが恥ずかしくなることも多い。
 だが今回はそういう話ではなく、単に下手に思えるケースが多くて困った。役者さんの罪というより、これは明らかなミスキャストであろう。
 とはいえ今回ばかりはそういう部分に目をつぶり、トータルでは一応、成功作といっておきたい。

 東宝特撮映画DVDコレクションも残り三作。ミステリ好きな方々にはスルーされまくりの記事だとは思うが、もう少しおつきあいください(笑)。


仁木悦子『探偵三影潤全集1 白の巻』(出版芸術社)

 出版芸術社の実質的な仁木悦子全集も数年かけてぼちぼちと読んできたが、ようやく三影潤シリーズに着手できた。本日の読了本は『探偵三影潤全集1白の巻』。
 仁木悦子といえば、明るくハートウォーミングな作風+本格謎解きものといったイメージがやはり先に立つが、いくつか例外的な作品があることもまた知られている。その代表格が、私立探偵の三影潤を主人公としたハードボイルドのシリーズだ。
 本書にはシリーズ唯一の長篇『冷えきった街』をはじめ、「白い時間」「白い部屋」の三作を収録している。

 長篇の『冷えきった街』から。
 桐影探偵社に竪岡清太郎という男から調査が依頼された。最近、竪岡家の周辺で起こる奇妙な事件についてであった。二男の冬樹が暴漢に襲われ、長男の清嗣がガス中毒、さらには長女のこのみを誘拐予告する手紙が舞い込んできた。三影潤はさっそく調査に乗り出すが、竪岡家の全容すらつかむ間もなく、長男の清嗣が毒殺される。調べを進めるうち、三影は竪岡家に隠された秘密に触れてゆくことになる……。

 探偵三影潤全集1白の巻

 何やら訳ありの主人公、複雑な人間関係、一族に隠された秘密、関係者への聞き込み、さまざまな妨害、苦い結末などなど、まさに絵に描いたような典型的ハードボイルド進行である。裕福で幸せそうな一家の表皮が一枚一枚剥がれ、真実が徐々に明らかになってゆく様は、この手のミステリの醍醐味であり、スケールは異なれど先日読んだ『ミレニアム1ドラゴンタトゥーの女』などとも共通するものだ。

 ただ、コードは押さえているのだが、だからといってハードボイルドとして成立しているかどうかとなると、これは微妙なところではある。
 特に気になった点がふたつ。
 ひとつは主人公について。未読の人の興味を奪いたくないので詳しくは書かないが、この主人公は過去に大きな悲劇に見舞われている。当然その悲劇は主人公の性格付けに影響を与えるべきだし、言動や思考の節々にそれを匂わせるべきだろう。だからこそ主人公の行動にある種のルールが生じ、それが他者との衝突を生み、物語に動きや深みを与える。そこを本作では妙なほどさらっと流しすぎるため、せっかくの設定か生きてこない。ぶっちゃけ、三影、簡単に立ち直りすぎ(苦笑)。
 もうひとつは主人公の三影と冬樹という青年の交流に関する部分。これも作品のうえでかなりの肝になるのだが、主人公と冬樹を結ぶ要素が、「厳しさ」ではなく「優しさ」であることが気になってしょうがなかった。これも従来のハードボイルド観でみると、ちょっと違うんじゃないかとなる。仁木悦子という作家の資質が、やはり根本的にハードボイルドには向いていないのではないだろうか。

 ただし、そういう違和感を感じつつも、作品自体を決して否定的にとらえるつもりはない。本作はハードボイルドの体裁をとりつつも、著者本来の持ち味である本格謎解きの部分もきっちりと立てているのだ。ときには屋敷の間取り図なども挿入されて、従来のファンを魅了する手間も惜しまない。終盤のたたみかけで真相を炙り出していく手腕もさすがだ。
 著者が最初から本格とハードボイルドの融合を目指したのかどうかは不明だが、結果的に普通のハードボイルドとは趣の異なる、著者独自の世界になっていることだけは間違いない。お勧めか否かであれば、迷わずお勧めする次第である。

 一応、短編にも触れておこう。「白い時間」「白い部屋」はミステリとしてはそれほど悪くないのだが、三影潤を起用しているにもかかわらず、ハードボイルドとしての味つけはほとんどないのが残念。「白い部屋」に至っては安楽椅子探偵ものだからなぁ(苦笑)。

 なお、この「探偵三影潤全集」は本書「白の巻」以外に「青の巻」「赤の巻」と全三作での構成となり、すべての三影潤ものが読めるようになっている。各巻の色はそれぞれ冬、春から夏、秋をイメージしており、それに沿った作品でまとめているとのこと(ま、無理矢理なものもあるようですが)。うむ、いろいろ考えておるなぁ。


『SHERLOCK(シャーロック) VOL.3/大いなるゲーム』

 『SHERLOCK(シャーロック)』の第2シーズンが放映されるということで、見逃していた第1シーズンの「ピンク色の研究」「死を呼ぶ暗号」をDVDでせっせと消化していたのだが、ついでなので『SHERLOCK(シャーロック)VOL.3/大いなるゲーム』の感想もアップしておくことにする。
 といっても、これだけは昨年の放映時になんとか録画で観ることができて、実は感想もそのときアップしている。ただ、ファーストインプレッションの衝撃が強かったせいか、シリーズ全般の話に終始しているので、ちょっと作品自体のことも残しておこうと思った次第。まあ、そんな大層なもんじゃなくて、自分用のメモみたいなものなんだけど。

 シャーロックの元へ兄マイクロフトからの依頼があった。国家機密に関わる担当者が、線路上で死体となって発見されたのだ。その担当者はミサイル防衛システムの設計図を入れたフラッシュメモリーを持っていたはずだが、そのフラッシュメモリーが見つからないのだという。しかしシャーロックはまったく気のないそぶりを見せるばかり。
 同じころ、アパートの爆破事件がシャーロックたちの家のすぐ目の前で発生する。そして現場にはシャーロック宛ての携帯電話が……。そこに残されたメッセージと画像が示していたのは、5つの爆破殺人の予告と謎解きの挑戦だった。シャーロックはわずかなヒントをもとに、爆弾を仕掛けられた人質を救出しなければならない。謎の爆弾魔との大いなるゲームが幕を開けた。

 SHERLOCK(シャーロック) VOL.3/大いなるゲーム

 爆弾魔からの挑戦ひとつひとつがそれだけで十分楽しめるエピソードになっており、さらにそれらの事件をつなぐ興味もあるわけで。いってみれば連作短編集の趣。しかも、うっちゃられたはずのミサイル防衛システムの設計図の事件についても、結局は終盤に絡んでくるという構成は、予想どおりとはいえ見事なお手並み。
 若干、詰め込みすぎのきらいがあったり、ゴーレムのエピソードとか正直ピンとこないネタもあったのだけれど、第1シーズンのなかでは、本作がもっとも推理するということを前面に押し出しており、二回目の視聴にもかかわらず非常に楽しめた。
 ちなみに設計図をもった男が線路で死体となって発見されるというのは、「ブルースパティントン設計書」ですな。

 ラストはもう強烈の一言。ホームズ以上にどんな役者がモリアーティを演じるのか興味があったのだが、このアンドリュー・スコットという役者さんは抜群の存在感だ。演技力も豊かだし、エキセントリックなモリアーティというまたひと味違ったイメージを打ち出したのには感心した。
 そしてトドメのクリフハンガー。ここまでロコツな引っ張りは久しぶりに味わったが、まあ、これだけやってくれると逆に潔いともいえる(苦笑)。

 個人的には第1シーズンでもっとも楽しめた作品。たまたま管理人はこれを最初に観たわけだが、ある意味、それがよかったのかもしれない。第2シーズンの感想は、またいずれ。


『SHERLOCK(シャーロック) VOL.2/死を呼ぶ暗号』

 本日よりNHK-BSで『SHERLOCK(シャーロック)』の第2シーズンが始まるので、その前に未見の『SHERLOCK(シャーロック) VOL.2/死を呼ぶ暗号』をDVDで視聴する。

 銀行の6階フロアにある一室に何ものかが侵入し、壁に黄色いペンキでメッセージと見られる落書きを残していった。調査を始めたホームズとワトソンはまもなく事件に関係したと見られる行員の死体を発見するが、さらに、あるジャーナリストが同様のメッセージを見た後に殺される事件が発生。共通点は密室状態での殺害、そして黄色の文字のメッセージだった……。

 SHERLOCK(シャーロック) VOL.2/死を呼ぶ暗号

 二作目も十分に堪能。連続殺人を結びつける暗号の謎で前半をひっぱり、後半は真相を探るホームズとワトソンの前に立ちふさがる中国系の秘密結社という寸法だ。
 ホームズ譚で暗号といえば「踊る人形」が有名だが、あとは「グロリア・スコット号事件」あたりか。秘密結社の方だと「オレンジの種五つ」や「恐怖の谷」あたりが元ネタだろうか。
 ただ本作に限っては、謎解きよりもアクションやサスペンスがメインのような印象。暗号も正直いまひとつで、これならそのものズバリで「踊る人形」を出してくれた方がよかった。ラストもワトソンの方が目立っていたような。

 ワトソンといえば、本作ではワトソンの恋愛も見ものである。いや、正確にいうとワトソンの恋愛によって浮かび上がるホームズとワトソンの関係といった方がよいだろう(笑)。二人の関係の微妙さをちくちく炙り出しているようなところも窺えて、いやはやスタッフもいろいろ考えるわ(笑)。

 とりあえず「VOL.3「大いなるゲーム」は先に観ているので、これでシーズン2への準備は万端。さあ、今晩はスコッチでも横に置いてゆっくりと楽しまねば。あ、でもホームズってウィスキーはあまり飲まないんだっけ?


レイ・ゴールデン『5枚のカード』(ハヤカワミステリ)

 レイ・ゴールデンの『5枚のカード』を読む。ひと頃ポケミスで集中的に紹介されてきた映画の原作のシリーズ、「ポケミス名画座」からの一冊である。

 こんな話。時ならぬ金鉱の発見で好景気に沸く鉱山町グローリー・ガルシュ。しかし、小さいながら平和だった町には、大金を夢見て余所者も多く集まり、その様相を一変させていた。そんなグローリー・ガルシュで、町一番の大牧場で働く牧童が次々に殺されるという事件が起こる。被害者はすべて、かつて町で起こった私刑事件の関係者だった。
 そんな頃、グローリー・ガルシュ出身の賭博師ヴァン・ナイトヒートがグローリー・ガルシュを目指していた。ナイトヒートはかつての私刑事件に巻き込まれていたため、自らも狙われていることを察して、事件に決着をつけるべく戻ってきたのだ……。

 5枚のカード

 長篇にしては短い作品ながら、主人公ヴァン・ナイトヒートをはじめとする魅力的なキャラクターが満載で、なかなか読ませる。
 基本的には西部劇なのだが、私刑事件の関係者を次々と葬る犯人がはたして誰なのかというミステリ的興味で引っ張る……のかと思いきや、序盤でさっさと犯人は明かされ、あとは犯人と犠牲者、主人公の絡みによるサスペンス要素の方がメインとなる。なんせ曲者揃いの登場人物ばかりなので、犯人捜しを早々に放棄するのは実にもったいないなぁと思いながらも、結局は本書は西部劇なのだから、こればかりは仕方ない。

 ただ、ミステリ的興味が低いといっても、あくまでそれは謎解き的興味の話。解説でも書かれているとおり、ハードボイルドと西部劇の親和性は実に高く、そちら方面の興味で読む分には非常に楽しめる。正直、読んでいる間は本当にハードボイルドを読んでいるような感覚であった。
 もちろん必ずしも西部劇=ハードボイルドというわけではなく、これは本作品における主人公の性格付けがしっかりしているからであることは言うまでもない。減らず口をたたき、女にちょっかいを出しつつも引くべきときは引き、どのような場面でも己の主義は曲げない。当然、人とぶつかる場面は数多いのだが、ときに散々な目にあっても、自分は変えない。この主人公の生き様は、そこらへんのハードボイルドよりよほどハードボイルドだ。

 難を挙げれば、主人公が賭博師の割には、ポーカー場面の盛り上げがさほどではないところか。とはいえトータルでは十分楽しめる一冊であり、少なくともハードボイルド好きなら読んで損はない。


鮎川哲也『灰色の動機』(光文社文庫)

 鮎川哲也の『灰色の動機』を読む。
 ノン・シリーズ初期短編を集めたこのシリーズもこれで三冊目だが、もともと落ち穂拾い的な性格が強い作品集だけに、過剰な期待は禁物である。それでも処女作やSFというレアっぷり爆発な作品が採られているだけに、ついつい期待してしまうのは致し方ないところである。以下、収録作。

「人買い伊平治」
「死に急ぐもの」
「蝶を盗んだ女」
「結婚」
「灰色の動機」
「ポロさん」

 灰色の動機

 「人買い伊平治」は、明治時代に東アジアを中心に女衒として活動した村岡伊平治にスポットを当てつつ、本格謎解きを絡めるという一篇。着想はいいがミステリとしてのインパクトは弱く、事件そのものも伊平治と直接絡まないため、物足りなさばかりが残る。
 「死に急ぐもの」は車の転落事故に端を発する殺人事件を追う刑事の物語。トリックはまあまあだが刑事の地道な捜査にアユテツっぽさがあふれていて本書中では比較的読ませる。ただ、真相の部分を突然犯人側の回想にする必要はなかったのではないか。いきなり犯人に同情しろといわれてもなぁ。
 「蝶を盗んだ女」は浮気相手と共に妻殺しを企む男の話。頼りない主人公が、浮気相手と妻に振り回されつつ転落してゆく様はありがちだが、こちらもラストが困りもの。罠にかけられたと知った主人公が、どういうふうにやられたかをいきなり推理しはじめるのだ。この流れが不自然このうえない(笑)。
 「結婚」は実に珍しいSFもの。内容はこの際目をつぶって、マエストロの遊び心に触れるのがよいかと。
 表題作の「灰色の動機」はそこそこのボリュームもあり、ラストのどんでん返しもまずまずで本書中のベスト。
「ポロさん」は処女作ということだが、意外なことに非ミステリー。ただし、ラストで一捻りは入れている。ちょっとO・ヘンリーを思い出したが、切れ味は向こうの方が上だ。

 ううむ、低調(苦笑)。上でも書いたが、やはり落ち穂拾い的な短編集ゆえオススメはしにくい。トリックなどが弱いのは個人的にはそれほど気にならないのだけれど、構成に難があったりするのはかなり辛い。こういうものも書いていたのかという興味ありきになるのは致し方なく、アユテツの熱烈なファンなら、といったところだろう。


山田風太郎『山田風太郎少年小説コレクション1 夜行珠の怪盗』(論創社)

 考えるとこの一ヶ月、ずっとリスベットやミカエルの話ばかりを読んでいたわけで、まあ、面白いからいいんだけれど、正直ちょっとスウェーデン人たちの活躍にも飽きてきた(苦笑)。そろそろ真逆の話も読んでみたいということで、本日の読了本は『山田風太郎少年小説コレクション1 夜光珠の怪盗』。

 山田風太郎少年小説コレクション1夜光珠の怪盗

 かつて本の雑誌社から「都筑道夫少年小説コレクション」というシリーズが出ていたのだが、実はあのシリーズのあとには他の作家のジュヴナイルも予定されていたのだという。だが、悲しいかな採算が合わずにシリーズは都筑道夫のみで終了。編者の日下三蔵氏があたためていた企画はいったん消滅したのだが、捨てる神あれば拾う神あり。あらためて論創社で続きを出すことになったのが、この「山田風太郎少年小説コレクション」らしい。
 装丁もあえて「都筑道夫少年小説コレクション」にあわせ、加えて当時の挿絵をふんだんに盛り込んだ「山田風太郎少年小説コレクション」は、もう出してくれただけで涙ものの一冊なのだが、なんとこの後には、さらに鮎川哲也、仁木悦子、高木彬光なども予定されているというから凄い。いや、ほんとに凄い。
 とはいえ、それらが出るかどうかは、まずこの山田風太郎の売れ行きにかかっているというから、予断はまったく許さない状況である。興味のある方はぜひとも本書を買って頂き、このシリーズの未来を支えていこうではありませんか。っていうか支えて下さい。

 とまあ、版元へのサービスはこのくらいにして、一応、感想も(笑)。まずは収録作。

「黄金密使」
「軟骨人間」
「古墳怪盗団」
「空を飛ぶ悪魔」
「天使の復讐」
「さばくのひみつ」
「窓の紅文字」
「緑の髑髏紳士」
「夜光珠の怪盗」
「ねむり人形座」

 いやあ、予想どおり楽しいわ。
 戦前の少年向け探偵小説もその時代なりの魅力があって楽しいのだが、戦後のものはやはりレベルが高いというか、けっこうきちんとした探偵小説になっているのがいい。これで少年小説らしい破天荒さが影を潜めては意味が無いのだが(あくまで私見ですが)、こと「破天荒」なことにかけては右にでる者のない山田風太郎である。トンデモな部分と探偵小説のバランスがよくて、それも含めて納得の一冊なのである。
 まあ、正直言うとバランスの悪い作品やバカらしい作品もあって(笑)、やはり「軟骨人間」や「古墳怪盗団」、「空を飛ぶ悪魔」のようなあまりにボリュームの小さい作品は少々苦しい。まあ、そんな作品に限って茨木歓喜シリーズだったりするから、なかなか油断はできないんだけど。
 マイ・フェイヴァリットは「黄金密使」と「夜光珠の怪盗」のツートップ。
 「黄金密使」はこの限られた登場人物で、よくもまあ、これだけ重ねてくるなぁと感心することしきり。「ああ、このネタだよね」というこちらの予想の見事に上をいく。
 一方の「夜光珠の怪盗」は正統派少年冒険小説といった趣で、脱獄トリックや意外な犯人など見どころ多し。特に脱獄トリックは、思考機械のパクリとか思っていると、プラスαでけっこう無茶をやっているのが笑えた。さすが山風である。

 とにかくシリーズの今後のためにも、興味のある方はぜひともご購入を。こんなに面白いシリーズを二冊や三冊で終わらせてはだめだって。


スティーグ・ラーソン『ミレニアム3眠れる女と狂卓の騎士(下)』(ハヤカワ文庫)

 スティーグ・ラーソンの『ミレニアム3眠れる女と狂卓の騎士(下)』を読む。これにてミレニアム・シリーズはすべて完了である。

 ミレニアム3眠れる女と狂卓の騎士(下)

 『〜2火と戯れる女』の続編というよりは、『〜2火と戯れる女』が全然終わっていなくてそのまま話が続いている体でスタートしたこの物語。つまりのっけから物語が大きく動いている状態だけに、これまでの作品で感じた前半がややもたつくという弱点は、まったく気にならなかった。むしろ疾走感やテンポの良さという面ではこれまででも最上の部類で、敵味方の虚々実々の駆け引きが堪能できる。
 ただ、その駆け引き自体はそれほど凝ったものではなく、安易な方に流れているかなという印象もやや受けるのだが、とりあえずサービス精神はかなりのものだ。リスベットをはじめとするキャラクターの魅力、スウェーデンにはびこる社会問題への提言など、このシリーズの魅力はいくつかあるが、もしかすると最大の持ち味はこのエンタメ性にあるのではないかと思うようになってきた。

 本シリーズの最大の魅力はリスベットというキャラクターにあることにはまったく異論がない。ただ、そこだけに目を奪われていると、ラーソンのエンターテインメントに対する意識の高さ、そして、それを具現化するための小説の巧さを見逃してしまいがちだ。
 例えば、よくいわれることだが、ミレニアム・シリーズはミステリのジャンルを横断しているという大きな特徴がある。『〜1ドラゴンタトゥーの女』では本格ミステリ、『〜2火と戯れる女』ではサスペンス小説あるいは警察小説、そして本書ではスパイ小説あるいはリーガルミステリという具合。
 形だけならその辺のミステリ作家でも可能だろうが、ラーソンはそのすべてを相当な水準で書き上げているのが素晴らしい。それまではミステリプロパーでも何でもなかった彼だが、ミステリを読み込んでいることは疑いようがなく、かなりのプランをもってこの三部作に臨んだことがうかがえる。おそらく彼はこれを狙ってやっていたはずだ。

 また、そういう全体の構成を成立させるため、各ジャンルに主人公に相当するキャラクターを配置しているのも巧い手だ。リスベットやミカエルだけでなく公安警察や警察、弁護士などもに光るメンバーを配し、それぞれにしっかりした背景をもたせて事件に絡ませる。若干、冗長になる場面もないではないが、物語がより豊かになる側面は認めざるをえない。
 まあ別段、珍しい手ではないのだけれど、それぞれに独自の魅力が生まれ、実に効果的である。もともとスケールの大きい物語ということもあるだろうが、おそらく著者の頭のなかには、将来的なシリーズの派生ということもあったのではないだろうか。

 というわけで概ね満足できるシリーズではあったのだが、実をいうと『〜3眠れる女と狂卓の騎士』については娯楽性が強すぎて、個人的には『〜2火と戯れる女』の火傷しそうな熱さ、あるいは『〜1ドラゴンタトゥーの女』での暗さの方が好みだ。『〜3眠れる女と狂卓の騎士』では、本シリーズ最大の弱点「リスベットのハッカー技術による何でもあり」の部分がより際だつのも不満である。とはいえかなりハードルを上げての意見なので、十分楽しめることは保証できる。
 リスベットのスーパーウーマンぶりが納得できないとか、スウェーデン人の性意識がルーズすぎて感覚的にだめとか(苦笑)、そういう人以外には諸手を挙げてオススメする次第である。


『SHERLOCK(シャーロック) VOL.1/ピンク色の研究』

 先日届いたばかりのDVD『SHERLOCK(シャーロック)』からVOL.1「ピンク色の研究」を視聴。
 なんせ昨年NHK-BSの放送時では、きっちりVOL.1とVOL.2を見逃しているので、今回のDVD発売が決まったときから楽しみにしていた作品。基本、テレビドラマはごく一部を除いてミステリ系すらほとんど観ないのだが、こればかりは別格である。VOL.3「大いなるゲーム」で初めてこのシリーズに触れたときには、推理という行為をここまでスタイリッシュにヴィジュアル化したことに感動すらすら覚えたほどで、アッという間にファンになってしまった。

 SHERLOCK(シャーロック)VOL1/ピンク色の研究

 で、VOL.1「ピンク色の研究」。タイトルは言うまでもなく原典『緋色の研究』のもじりだが、話はまったく別物。ロンドンで起こる不可解な連続自殺事件をめぐり、ホームズが活躍する。レストレード警部は助力を求めるものの、周囲はホームズの変人ぶりに引き気味。
 一方、アフガン帰りの医師、ジョン・ワトソンは、家賃節約のために知人からルームシェアの相手を紹介されるが……。

 他者による連続自殺事件ということがそもそも可能なのか、ミステリドラマとしての胆はそこに絞られる。まあ、蓋を開けてみれば驚くほどのネタではないけれど、やはり演出が上手く、テンポもいいので、一気に引き込まれる。上でも少し書いたが、本来ならセリフでダラダラ説明するしかない「推理するという行為」を、さまざまな工夫でここまで魅力的に見せてくれるところが最大の見どころといえる。

 また、第一作ということで、ホームズとワトソンの出会いがあり、さらにはハドソン夫人やレストレード警部、マイクロフトがひととおり顔を揃えているところも楽しい趣向だし、ラストではある有名人の名もしっかり登場し、シリーズ全体の流れも示唆してくれる。加えて、ここかしこにマニア向けのネタを忍ばせているのも楽しい。
 昔からのホームズファン、初めて本作でホームズに触れるファン、どちらも楽しめる良質のミステリドラマ。お進めです。


スティーグ・ラーソン『ミレニアム3眠れる女と狂卓の騎士(上)』(ハヤカワ文庫)

 昨日はDVD『SHERLOCK(シャーロック)』のシーズン1が届き、本日は論創ミステリ叢書53巻の『大下宇陀児探偵小説選II』を購入。以前に比べると欲しいものをだいぶ絞ってはいるのだが、この辺は仕方ないよね>って誰に言ってるのか?
 ただ、論創ミステリ叢書は新装開店してからすっかりペースが速くなって嬉しい悲鳴状態。次回は蒼井雄ということだが、これまた嬉しいところを。



 論創ミステリ叢書も読みたいのだが、今はひとまずラーソンのミレニアム・シリーズを消化中。ようやく最後の作品『ミレニアム3眠れる女と狂卓の騎士』にとりかかり、本日、上巻を読み終える。

 ミレニアム3眠れる女と狂卓の騎士(上)

 なんせ『ミレニアム2火と戯れる女(下)』の解説で、「2と3は続けて読むべし」みたいなことが書かれていたわけである。1と2は一応独立した作品だが、3は2の完全な続編、したがって2と3はイッキ読みがおすすめなのだ云々。いや、表現は勝手に変えているが、だいたいこういう内容のことが書かれていたのである。
 本当は口直しに別の本でワンクッションを入れたかったのだが、そういうことなら仕方あるまい。と、手に取ってはみたものの、いやあ、これって続編どころか、2が全然終わってないじゃん(笑)。
 『ミレニアム3眠れる女と狂卓の騎士』の上巻というより、『ミレニアム2火と戯れる女』の第3巻目を読んでいる感じなのだ。それぐらい普通にストーリーが続いているのである。これでは知らずに3から読んだ人がいたら、何のことやらさっぱりではなかろうか。

 というわけで普段なら粗筋めいたものを書くところだが、3の話をすると必然的に2のネタバレになりかねないゆえ、本日はここまで。感想は下巻読了時に。


手塚昌明『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』

 『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』を観る。2000年公開。ゴジラ映画としては第二十四作目、第三期=ミレニアムシリーズとしては二番目の作品にあたる。
 監督の手塚昌明はこれが監督デビュー作。後に『ゴジラ×メカゴジラ』や『戦国自衛隊1549』なども監督することになる人だが、面白いのは、監督をやるようになってからも監督補佐としてリメイク版『犬神家の一族』にも参加しているのである。特撮畑が多いせいか、仕切り、特に大きな映画のやりくりに定評があるようで、その腕を買われてのことだったようだ。

 ゴジラ×メガギラスG消滅作戦

 それはともかく。
 本作はまず設定がふるっている。登場するゴジラは1954年に東京を襲撃したゴジラ、つまり第一作目の『ゴジラ』なのだが、そのゴジラは死んでおらず、その後もたびたび日本を襲っているという設定なのだ。しかも東京を襲撃されたことで、首都は大阪へ遷都されており、加えて原子力発電所を狙うゴジラに対し、日本は原子力発電所を永久放棄したことになっている。
 なんとまあ、今の世相を反映したかのような設定。
 ただ、残念ながら設定は面白くとも、それがストーリーの面白さに直結しているわけではない。結局、舞台はほとんどが東京だし、作中でゴジラが狙うのは核燃料ではないにせよ代替品のエネルギーである。普通に東京を首都にして、ゴジラが原発を狙う話でもまったく問題はないのである。このあたり、正直、作り手の意図がまったく見えない、というか意図がそもそもあったのかどうかも疑問だ。

 特撮部分は相変わらず物足りないが、新怪獣のメガギラス登場の展開は悪くない。
 ゴジラを始末するはずの装置が時空に亀裂を起こし、そこから古代の昆虫が侵入する。それはかつて『空の大怪獣ラドン』に登場したメガヌロンの成虫、メガニューロである。そのメガニューロの産んだ卵が渋谷に持ち込まれたことで、事態は悪化する。多くのメガヌロンが孵化し、それが成虫化してメガニューラ、さらにはクイーン化してメガギラスとなってゆく過程はそれなりに説得力もある。
 ちなみに造型は、昆虫型怪獣ということもあって可もなく不可もなく。そこそこのデザインにはなるのだが、昆虫のレベルを脱していないというか。

 致命的なのは、全体的に感じる絵空事っぽさである。軽さといってもよい。
 その原因のほとんどを占めているのが、防衛庁内の組織「特別ゴジラ対策本部」である。この組織の描写や各種ギミックがなんとも中途半端にSF的なデザインばかり。いってみれば非常にウルトラマンっぽいのだ。他の科学は普通の発達を遂げているだけに、この落差が妙な感じだ。せめて自衛隊も多めに出動させておいて、一部そういう兵器が出てくるのなら、もっと自然に見えるのだろうが。
 怪獣映画に関しては、できりだけリアルな嘘をついてほしいという管理人の考えなのだが、なかなかそう思っている方々は多くはないようで、本作もその例にもれない。
 そんなわけで本作もまた期待はずれ。設定や狙いは決して悪くないだけに、なんとも惜しい。


小林正樹『怪談』

 DVDで1964年公開の映画『怪談』を観る。小泉八雲の原作に材をとったオムニバス映画で、「黒髪」「雪女」「耳無し芳一の話」「茶碗の中」の四話を収録。監督は巨匠、小林正樹。キャストに三国連太郎、新珠三千代、仲代達矢、岸恵子、中村賀津雄、丹波哲郎、仲谷昇等々の布陣を擁した大作で、カンヌ国際映画祭審査員特別賞を授賞し、アカデミー外国映画賞にもノミネートされた作品。なお、これも歴とした東宝特撮映画DVDコレクションの一本である。

「黒髪」
 貧乏に疲れ、妻を捨てて遠い任地へ向った武士がいた。彼はそこで裕福な家柄の妻を娶るが、その性格は我侭で冷酷であった。男は今更のように別れた妻を慕い、ついにある夜、荒溌するわが家に帰りつく。男は妻と再会し、今迄の自分をわび、一夜を共にした。だが、夜が明けたとき男を待っていたものは……。

「雪女」
母親と暮らす若い樵夫の巳之吉は、茂作老人と森へ薪をとりに入ったが、吹雪のため山小屋に閉じこめられる。その夜のこと、二人の前に雪女が現れ、老人は白い息を吹きかけられて殺されてしまう。しかし巳之吉は、今夜のことを誰にも話さないという条件で命を助けてもらうのであった。なんとか村へ帰った巳之吉は、その後、森で出会った美しい娘を妻に迎え、仕合せな日々を過していたが……。

「耳無し芳一の話」
 僧の芳一は琵琶の達人であった。そんな彼の元へ、さる高貴なお方の遣いと名乗る男が現れ、毎夜のように芳一は連れ出されて琵琶を弾じることになる。だが、不審に思った同輩が後をつけると、芳一が弾じていたのは平家一門の墓前であった。彼は平家の怨霊に憑かれていたのだ。住職は抱一の生命を案じ、抱一の身体中に経文を書き、怨霊が迎えに来ても声を出さないよう告げるのだが……。

「茶碗の中」
 中川佐渡守の家臣、関内は、茶店で出された茶碗の中に不気味な男の顔を目にする。茶碗を何度とりかえても顔は消えず、関内は結局それを飲みほして帰っていく。やがて屋敷に帰った関内を、見知らぬ侍が訪ねてきた。その男こそ、茶碗の底に映った不気味な顔の持ち主であった。問答のすえ、遂に関内は男を斬ったのだが……。

 怪談

 原作ではどれも数ページ(だったような)の短い話なのだが、それを各話だいたい50分程度をかけてゆったりと語るように見せる。
 とにかく映像のインパクトが強くて、一見すると何らかのメッセージや象徴性を持たせているようにも思えるのだが、たぶんそれほど意味はない(笑)。普通は美術や音楽がストーリーに貢献するが、この映画では逆にストーリーや演出が、美術と音楽に奉仕すると言ってもよいのではないだろうか。それぐらい存在感があるのだ。
 「怪談」だからといって特に怖くするでなく、文芸作品だからといって深い話にするでもなく、それぞれのストーリーが持つイメージを独特の美術と音楽で再現してみせる、アートのような映画といってもよいだろう。
 なかでも「雪女」は、一貫したブルーのイメージといい、アバンギャルドな背景といい、すさまじくシュール。岸恵子の妖艶な演技も相まって本作中のイチ押しである。

 トータル三時間という長丁場ゆえ、いわゆるエンターテインメント性だけを求めるとあては外れるけれど、気忙しい日常を忘れるにはいい映画といえる。全面的におすすめはしないが、個人的には納得の一本。


スティーグ・ラーソン『ミレニアム2火と戯れる女(下)』(ハヤカワ文庫)

 現代的社会派の衣をまといつつ本格ミステリの香りも漂わせた『ミレニアム1ドラゴンタトゥーの女』から一転、アクションとサスペンスを全面に押し出し、警察小説の味わいも備えた『ミレニアム2火と戯れる女』。まずはたっぷりと堪能させていただきました。

 ミレニアム2火と戯れる女(下)

 ミカエルとリスベットのダブル主人公、いや7対3でミカエルの物語といってもよかった前作だが、本作は圧倒的にリスベットのための物語である。
 優れた情報収集能力と映像記憶能力を持つ天才的ハッカー。そればかりか数学においても非凡な才能を有し、おまけに格闘術やドライブテクニックにも長ける。だが感情表現やコミュニケーションについては極度に苦手で人との交わりを嫌う。それがリスベット・サランデル。
 このとてつもないスーパーウーマンぶりによって、逆に感情移入できないとか現実離れしすぎているといった批判があるのはわかる。本作でもハッカーの能力が活かされすぎて、御都合主義的に進むところも少なくないのだ。
 だが、社会問題を扱ったり、語り口がリアルなだけに勘違いしやすいのだが、このシリーズはもともと虚構性が強く、ケレンたっぷりの物語なのである。何よりもまずエンターテインメントなのだ。巨悪を炙り出すシステムとして、リスベットは必要欠くべからざる存在であり、彼女の強い個性なくしては物語を淀みなく(しかも魅力的に)流すことは難しかったのではないだろうか。スーパーウーマン、けっこうではありませんか。

 とはいえ、本作がケレンだらけの爽快感溢れる物語なのかというと、決してそんなことはない。それらもひとつの魅力ではあるけれど、本作における最大の謎はリスベットの過去である。人間としての彼女に迫ることこそが最大の読みどころなのだ。
 ただし、真実は苦い。あまりに苦い。感情移入こそできないかもしれないが、我々はリスベットの体験を通して、人間の業の忌まわしさを受け止め、そして結局はスウェーデンの抱える問題について考えざるを得ない。社会から個へ、個から社会へ。

 少し注文をつけておくと、中盤では警察、ミカエル、アルマンスキーの三竦みでリスベットを追う展開になるのだが、この捜査競争が軸になるのかと思いきや、それほど大した流れにならないのは物足りなかった。結局はいつでもリスベットが先を行くというパターンで、警察が無能扱いにされるのはともかく(苦笑)、三竦みによるドキドキハラハラ感にはもっとスポットを当てても良かったのではと思う次第。

 ラストはあっけないというか、いささか唐突に幕を下ろす。解説によるとどうやらこのまま『ミレニアム3眠れる女と狂卓の騎士』になだれ込むようなので、次は他の本を間に挟むことなく、一気に取りかかったほうがよさそうだ。


大河原孝夫『ゴジラ2000 ミレニアム』

 『ミレニアム2火と戯れる女』の下巻を進めなければいけないのに、ミレニアムつながりでついつい『ゴジラ2000 ミレニアム』を観てしまう。

 1995年に『ゴジラvsデストロイア』でシリーズを終えた平成ゴジラ。そこから四年という意外に短いスパンで復活したのが第三期ゴジラシリーズ、通称ミレニアム・シリーズである。『ゴジラ2000 ミレニアム』はその第一作目であり、『ゴジラvsデストロイア』でもメガホンを取った大河原孝夫が監督を務める。

 本作でのゴジラは完全なる災害という扱い。地震や台風と同じように、ゴジラの存在そのものを消すことは不可能であり、人類にできるのはその生態を研究することで、出現をいちはやく予知し、それによる被害をできるだけ抑えること。政府はもちろんだが、民間による「ゴジラ予知ネット(GPN)」というものも存在し、企業相手に情報を提供することで収入を確保している者たちもいる。このへん今のウェザー情報を提供するサービスを連想させて面白い。

 さて、本作の主人公はその「ゴジラ予知ネット」を主催する篠田雄二。彼は科学の暴走という可能性に畏怖し、大学の研究者を辞め、今では娘のイオらとともに「ゴジラ予知ネット」を運営していた。そんなある日、彼は雑誌『オーパーツ』の記者である一ノ瀬由紀とともに根室でゴジラと遭遇する。発電所を襲うゴジラを目の当たりにし、篠田はゴジラが人間の作り出すエネルギーを憎んでいるのではないかと感じる。
 同じ頃、日本海溝で強力な磁波を帯びた巨大な岩石が発見された。危機管理情報局(CCI)の宮坂四郎、局長の片桐光男らの主導で岩石が引き上げられたが、その岩石は太陽光を受けると自力で浮上し、飛び去ってしまう。
 一方、根室を襲ったゴジラは茨城県沖に出現、東海村の原子力発電所を狙う危険性が高まる。片桐は自衛隊とともにゴジラを待ち伏せ、防衛作戦を展開するが、その最中に表れたのが、飛び去ったはずの岩石だった。岩石はビームによりゴジラを攻撃、ゴジラもまた熱線で対抗するが……。

 ゴジラ2000ミレニアム

 ネットで評判を見ると、けっこうぼろくそ書かれているのだが、まあそれも仕方ないか(苦笑)。
 個人的には平成ゴジラシリーズよりはいいと思うし、昭和ゴジラの越えられない部分を異なるアプローチでクリアしようとする試みは嫌いではない。特にゴジラと自衛隊の戦闘シーンの見せ方などは、他の特撮作品や海外の作品で研究した感じは伝わってくる(パクリともいうが)。また、上でも書いたが、民間による「ゴジラ予知ネット」という設定は現代的で面白い。ただ、それを親子でやっているという設定が急に現実離れしてしらけるのがもったいないけれど。
 残念ながらその他の欠点は快挙にいとまがない。相変わらずCGのしょぼさ(特に飛行シーン全般、今回は船団が集まるシーンもいまいち)、ストーリーにおける強引さや意味不明さ、宇宙人ミレニアンの造型の貧弱さ、ドラマの中途半端さなどなど。とりわけ終盤のミレニアンの件は、これで本当に観客に意味が伝わると思ったのだろうか。
 いつも不思議に思うのだが、観客の不満に思う点が、なぜ作り手にこうも伝わらないのだろう。温度差といって片付けるには、あまりにも大きな問題のような気がするのだが。


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sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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