Posted in 07 2011
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ヘレン・マクロイ『暗い鏡の中に』(創元推理文庫)
ヘレン・マクロイの『暗い鏡の中に』を読む。マクロイの最高傑作といわれながら、ハヤカワ文庫で長らく品切れだった同書の復刊である。まずはストーリーから。
ブレアトン女子学院に勤める女性教師フォスティーナ。同校に勤め始めてまだ五週間の彼女だったが、校長から突然、解雇を言い渡されてしまう。しかも解雇の理由すら告げられぬまま。
落ち込むフォスティーナに同僚のギゼラも同情し、犯罪捜査に詳しい恋人の精神科医、ベイジル・ウィリング博士に相談する。さっそく彼女の代理人として調査に赴いたベイジルだったが、そこで知らされた解雇の理由は驚くべきものだった……。
いやー、ほんとにようやるわ、というのが第一印象。もちろん褒めてる(笑)。
マクロイの醍醐味のひとつに、大向こうを唸らせるケレン味があるのだが、本作はとりわけハッタリのかまし度合いが激しい。しかも変にいろいろなネタをつっこまず、ほぼメインの仕掛け一本で勝負する。もちろん犯人やトリックの意外性も十分なのだが、まずはこういうテーマでシンプルに勝負しているところを評価すべきである(ちなみに、このテーマは前半で明らかにはなるものの、これ自体が驚きのひとつなので、初めて読む人のためにここでは触れません)。
ややもするとバカミスに転びかねないこのテーマ。それをしっかりサスペンスとして踏みとどまらせているのが、マクロイのプロット作りの巧さであろう。特に感心したのは興味の引っ張り方。変に謎を引っ張りすぎることもなく、ほどよくサスペンスを盛り上げておいていったん花火を上げ、また次の興味につないでゆく、そのタイミングの巧さである。読者をほんの少しだけ焦らせるタイミングといってもよいだろう。結果としてリーダビリティはすこぶる高い。
ただ、ラストの締め方は賛否両論かもしれない。本格志向が強ければ、当然ながらすっきりしない人もいるだろうことは予想できる。とはいえ本作のテーマにうまく絡めたエンディングであることもまた確かで、この何ともいえない余韻を味わうことも、本書の楽しみのひとつではないだろうか。
とにかくマクロイは素晴らしい。未訳作品がたっぷり残っているのが実にもったいない限りだ。あ、これこそ論創社さんにお願いすればいいのか(笑)。
ブレアトン女子学院に勤める女性教師フォスティーナ。同校に勤め始めてまだ五週間の彼女だったが、校長から突然、解雇を言い渡されてしまう。しかも解雇の理由すら告げられぬまま。
落ち込むフォスティーナに同僚のギゼラも同情し、犯罪捜査に詳しい恋人の精神科医、ベイジル・ウィリング博士に相談する。さっそく彼女の代理人として調査に赴いたベイジルだったが、そこで知らされた解雇の理由は驚くべきものだった……。
いやー、ほんとにようやるわ、というのが第一印象。もちろん褒めてる(笑)。
マクロイの醍醐味のひとつに、大向こうを唸らせるケレン味があるのだが、本作はとりわけハッタリのかまし度合いが激しい。しかも変にいろいろなネタをつっこまず、ほぼメインの仕掛け一本で勝負する。もちろん犯人やトリックの意外性も十分なのだが、まずはこういうテーマでシンプルに勝負しているところを評価すべきである(ちなみに、このテーマは前半で明らかにはなるものの、これ自体が驚きのひとつなので、初めて読む人のためにここでは触れません)。
ややもするとバカミスに転びかねないこのテーマ。それをしっかりサスペンスとして踏みとどまらせているのが、マクロイのプロット作りの巧さであろう。特に感心したのは興味の引っ張り方。変に謎を引っ張りすぎることもなく、ほどよくサスペンスを盛り上げておいていったん花火を上げ、また次の興味につないでゆく、そのタイミングの巧さである。読者をほんの少しだけ焦らせるタイミングといってもよいだろう。結果としてリーダビリティはすこぶる高い。
ただ、ラストの締め方は賛否両論かもしれない。本格志向が強ければ、当然ながらすっきりしない人もいるだろうことは予想できる。とはいえ本作のテーマにうまく絡めたエンディングであることもまた確かで、この何ともいえない余韻を味わうことも、本書の楽しみのひとつではないだろうか。
とにかくマクロイは素晴らしい。未訳作品がたっぷり残っているのが実にもったいない限りだ。あ、これこそ論創社さんにお願いすればいいのか(笑)。