2007年08月 - 探偵小説三昧
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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 08 2007

シャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』(創元推理文庫)

 先頃、創元推理文庫で復刊されたばかりの、シャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』を読む。
 元版は学研ホラーノベルズとして1994年に刊行されたものだから、まだ11年しか経っておらず、確かに入手困難本とはいえ、ある意味早すぎる復刻に、お手軽な商売をやっているなと最初はやや冷ややかなイメージもあったわけだ。だが、調べてみると意外や意外きっちり新訳で出しているようなので、これはすまんと購入し、さっそく読み終えた次第である。

 ブラックウッド家を襲った毒殺事件。残された者はコニーとメアリーの姉妹、そして二人の叔父のジュリアンの三人だけであった。しかも毒殺犯人としてコニーが疑われたことから、村人はブラックウッド一家を忌み嫌うようになり、今では一家は極力外界との接触を避け、独自のルールのもとに日々の暮らしを送っていた……。

 物語はブラックウッド家の次女、メアリーを通して語られる。事件のショックと毒の影響で車椅子の世話になり、精神的にも不安定な叔父。村人から殺人犯だと思われている恐怖のため外にまったく出られなくなってしまったコニー。メアリーはそんな二人に代わって、買い物など最低限の外界との接触を保っている。
 ところがところが。読み進むにつれて、どうやら一番壊れているのがメアリーらしいことが徐々に明らかになり、読み手は一気に不安に叩き落とされる。まともな者など誰もいないこのお城で姉妹はいったいどうなるのか。とても救いがありそうに思えないこの物語はどんな終焉を迎えるのか。何ともいえない居心地の悪さ。気色悪さ。
 本作は一見ホラーのようでもあるが、いわゆる怖い話とはちょっと違う。むしろ「不安」や「不愉快」というキーワードこそふさわしい。
 今宵、悪い夢を見たい人には、ぜひ一読をオススメする。


楠田匡介『楠田匡介名作選 脱獄囚』(河出文庫)

 河出の本格ミステリコレクションから『楠田匡介名作選 脱獄囚』を読む。
 楠田匡介といえば、ネット・オークションなどで常に高値を叩き出す人気作家の一人であり、著書のほとんどが入手困難本。いくつかのアンソロジー収録作を除けば、唯一、手軽に読めるのがこの『楠田匡介名作選 脱獄囚』なのである。なんと全収録作が脱獄をテーマにした短編集である。

「破獄教科書」
「沼の中の家」
「法に勝つ者」
「上げ潮」
「獄衣の抹殺者」
「朱色」
「脱獄を了えて」
「愛と憎しみと」
「熔岩」
「ある脱獄」
「脱走者」
「不良少女」
「不良娘たち」
「完全脱獄」

 戦後間もなくしてミステリに手を染めた楠田匡介は、通俗的ミステリを量産しつつも、同時に物理的トリックにも興味を示し、すぐれた本格短編を残している。そしてその通俗的ミステリを書くことで培われたストーリーテリングと、トリックメーカーとしての才が見事に結実したのが、本書に収められた「脱獄もの」なのだ。勝手な想像ですが(笑)。
 でも実際の話、主人公たちの人物造形、その背後にあるドラマ、加えて脱獄テクニックという要素がここまで高いレベルで融合していることはかなりの驚きであり、しかもそれが短編集を構成できるほど数が揃っていることはもはや奇跡的である。
 どの作品も十分すばらしいが、特に気に入ったのは「破獄教科書」。脱獄の師匠から手口を習いながら脱獄計画を進めるという話で、師匠が良い味を出している。オチも予想はできるがなかなか見事。ちなみにこの師匠の白取というのは、当然実在の脱獄王「白鳥由栄」がモデルなんだろうな。
 他では、トリックの鮮やかさに加え、最後の対決シーンが圧巻の「法に勝つ者」、類を見ないアリバイトリックと、そのアリバイが崩れ去る理由がなんとも皮肉な「完全脱獄」あたりが好み。
 とにかく本書は必読。ぜひ絶版になる前に読んでほしい一冊である。


西村寿行氏、亡くなる

 西村寿行氏が亡くなったらしい。
 一般にはバイオレンス&セックスが売りの娯楽小説の書き手と思われているのだろうが、まあ実際そのとおりである。ときには社会派や動物小説、パニック小説の書き手として取り上げられることも多いが、逆にそちらばかりのイメージで語っては、西村寿行の神髄には触れていない気がする。これを機に氏の作品に触れてみようかという人は、ヘタに選り好みせず、バイオレンス&セックスという西村寿行の転機ともなったファクターをこそ堪能すべきかと思う。読ませる力は一級品であり、硬質な文体も相まって、腹にズシンと響くような読後感をもたらせてくれるはずだ(でも、やっぱり最初は『犬笛』あたりが無難かな)。ーー合掌。

 いきなりといえば、新樹社からマージェリー・アリンガムの『クロエへの挽歌』が出てビックリ。ネットで確認すると、確かにもう発売されているではないか。新樹社は一時期完全にミステリから撤退していたと思っていたが、『スリープ村の殺人者』の例もあるので油断ならない。果たしてこれは、以前の企画を残さず全うするということなのだろうか? それとも今後も長く細くではあるが続ける予定なのだろうか?


 土日は久々にぼーっと過ごしつつ、DVDで『マリー・アントワネット』を観賞。
 いやいや噂には聞いていたが、こういう撮り方をしていたのか。ここまでマリー・アントワネットの青春時代のみをとりあげ、後生の深刻な部分を一切シャットアウトしていたとは思わなかった。しかも同時代の庶民の生活なども一切無視し、あくまで見せるのはマリー・アントワネットの半径数メートル。豪華な映像とポップな音楽が花を添える。
 さすがに賛否両論あったみたいだが、個人的にはまったくOK。歴史を扱う映画が娯楽に徹してはいけないということはないし、実際この映画と大差ない観点で暮らしていた人間も多いはず。確かにこういう歴史映画ばかりだと困るかもしれないが(笑)、これもまた歴史の一部であることを思うと、それなりに意義はある。
 なお、音楽が80年代UKロックというのはナイス。特にフェルセンとのベッドシーンが、Adam Antの「Goody Two Shoes」でスタートしたのはとりわけ印象的であった。

樹下太郎『サラリーマンの勲章』(文春文庫)

 二、三日前に雨が降って以来、気温も少し落ち着いて涼しく感じる今日このごろ。32℃が涼しく感じるってのもかなりのものだけどね。

 読了本は樹下太郎の『サラリーマンの勲章』。
 著者がミステリーから普通小説(特にサラリーマンを題材にしたもの)へ移行する、境のあたりに書かれた連作短編集である。各作品に共通する登場人物などはおらず、基本的には独立した作品。それを連作たらしめているのは、タイトルどおり、「サラリーマンにとっての勲章は何か」というテーマである。
 したがって、本書は基本的には普通小説(いくつかの作品にはミステリっぽい味つけもしてあるが)なので念のため。

 「サラリーマンの勲章」は、昇進や栄転という出世に関係したことだけに限るわけではない。人によっては社内恋愛を経ての幸せな家庭であったり、ときには社会正義だったりと様々。そしてその勲章を見事に得る者もいれば、挫折する者もいる。ときには不本意な勲章を得る場合もある。そんなサラリーマンの哀歓を、著者はいろいろな事例を挙げて見せてくれる。
 詩的とはいえないけれども、テンポのいい文章が作風に妙にマッチしており、読ませる力は十分。基本的には温かい目線なので、読後感もいい。ただし、たまに痛烈なオチの作品もあり、著者がミステリ作家だったことを思い出させてくれるのが楽しい。必読ではないけれど、通勤のお供にはまずまずといったところ。


購入予定本

 9月末までに刊行される本から気になるものを列挙してみる。単なる買い物用のメモ代わりだが、だいたい管理人はいつもこんなところを買っております。
 最初は翻訳物から。

シャーリイ・ジャクスン 『ずっとお城で暮らしてる』(創元推理文庫)→元版が好評絶版中なのでこれはお得。
ヴァン・ダイン 『ファイロ・ヴァンスの犯罪事件簿』(論創社)→絶対に買いなのは確かだが、内容そのものはやや不安(笑)
ロラン・トポール 『幻の下宿人』(河出文庫)→これも手軽に読めるようになるのは嬉しい。
R・L・スティーヴンスン 『新アラビア夜話』(光文社文庫)→話題の新訳文庫。
レイモンド・チャンドラー『チャンドラー短篇全集1 キラー・イン・ザ・レイン』(ハヤカワ文庫)→最近ミステリマガジンに新訳を掲載していると思ったら、こういうことでしたか。これを気に再読してみるのも悪くない。
ポール・ドハティー 『赤き死の訪れ』(創元推理文庫) →アセルスタンもの。このシリーズはおすすめです。
ジェフリー・ディーヴァー 『ウォッチメイカー』(文藝春秋)→おお、ライムものの新作!
ジャック・リッチー 『ダイアルAを回せ』(河出書房新社)→ついに第三弾。あとどのくらい残っているのだろう?
マイクル・コナリー 『クローザーズ (上・下)』(講談社文庫)→うわ、これはボッシュものか。これで残りのボッシュものはあと二冊だな。
ロバート・ファン・ヒューリック 『東方の黄金』(ハヤカワミステリ)→買ってはいるがすべて積ん読。そのうちに……。
D・M・ディヴァイン 『悪魔はすぐそこに』(創元推理文庫)→予告はずいぶん前からあったが、ようやく出る模様。
H・P・ラヴクラフト『ラヴクラフト全集 別巻1』(創元推理文庫)→わ、ラヴクラフトってまだ残ってたのね。予想外。
リチャード・マシスン 『フュリー・オン・サンデー』(扶桑社ミステリー)→マシスンも忘れた頃に出るなぁ。
P・G・ウッドハウス 『ブランディングズ城の夏の稲妻』(国書刊行会)→ウッドハウスも最近は積ん読気味。そろそろ読まなきゃ。

次は日本もの。

ミステリー文学資料館/編『江戸川乱歩と13の宝石2』(光文社文庫)→収録作が知りたい。どなたかご存じないでしょうか?
林不忘『林不忘探偵小説選』(論創社)→探偵小説なのに牧逸馬名義じゃないところがすごく気になる。
三島由紀夫『文豪怪談傑作選 三島由紀夫集 雛の宿』(ちくま文庫)→この叢書もいい企画です。
久生十蘭『久生十蘭 従軍日記』(講談社) →すぐには読まないだろうけれど、絶対に買い。
山本周五郎『山本周五郎探偵小説全集1 少年探偵・春田龍介』(作品社)→全七巻だっけ?これ、凄すぎ。編者の狙いどころにも驚くが、この企画を通した版元も偉い。
須永朝彦 『日本幻想文学史』(平凡社ライブラリー)→お勉強のために。

久生十蘭『真説・鉄仮面』(講談社大衆文学館)

 デュマの『ダルタニャン物語』などで有名なフランスの鉄仮面伝説。それを久生十蘭流に料理した『真説・鉄仮面』を読んでみる。講談社の大衆文学館版である。

 鉄仮面伝説というのは、仏王ルイ十四世には実は双子の兄がいて……というお話。本来なら彼こそが王座につくはずだったものの、王家からは離れて育てられ、その存在を王家に知られた後も王の座を守りたいルイ十四世によって、三十年以上もの長きにわたってバスチーユ監獄に幽閉されていたという悲劇を描いたものである。鉄仮面は王と瓜二つの顔を隠すためのものであり、食事中ですらその仮面を外すことはできなかったという。

 まあ、有名な話だし、好きな人はとことん好きな物語であろうが、実は管理人はこの辺の歴史には弱く、最初は物語の背景や人間関係をつかむだけで精一杯。しかし三、四十ページを過ぎ、ある程度のところが頭に入ってくると、どんどん魅了されていったのだから不思議なものだ。
 これは冒険譚としてベースがしっかりできあがったものであることはもちろんんなのだが、十蘭ならではの流れるような文体の功績が大きいといえるだろう。単にリズミカルなだけではなく、この歴史物語にふさわしい、やや時代がかった言い回しが気持ちよい。

 運命を、それがたとえ悲惨なものであろうとも、従容として受け入れる。そんなモチーフが込められていると、都筑道夫は桃源社版の解説で書いている。これは日本人にこそ受け入れられやすい美学であり、人生観であるともいえる。ただ、読んでいる間はことさらそんな難しいことは考えなくともよい。本作は冒険譚、伝奇としても一気読みできる娯楽作品なのである。そして読み終わったあとに、少しだけ主人公マッチョリの生涯を省みれば、自ずと自分の死生観などにも思いを巡らせられるのではないだろうか。これぞ大衆文学の極み。

 残念ながら本書は桃源社版、講談社大衆文学館版ともに絶版。もしかしたら三一書房の全集は現役かもしれないが、ただ、現在、新たな全集が企画中との話もある。数年は我慢しなければいけないが、それを待つのもまた一興かと。


エド・マクベイン『湖畔に消えた婚約者』(扶桑社ミステリー)

 エド・マクベインの『湖畔に消えた婚約者』を読む。
 
 婚約者と共にドライブ旅行に出た若き三級刑事のフィル。ところが湖畔のモーテルに泊まった夜、彼女が忽然と消え失せてしまった。彼女を捜索するフィルだが、なぜか出会った人すべてが、そんな婚約者などいなかったと証言する。果たしてこの町で何が起こっているのか……?

 「主人公以外、誰も覚えていない失踪人」という設定は、昔から魅力的なテーマのようで、『幻の女』や『バルカン超特急』の例を出すまでもなく様々な作品でお目にかかる。その割には驚くほどのネタでもないのが困るのだが、まあ、推理小説である以上、本当にそんな人物がいなかったというオチは絶対ないわけで、証言した全員がなんらかの事情で嘘をついているか、もしくは主人公が何らかの錯誤を犯しているかぐらいしか、理由はないわけである。この辺をいかに料理するかが作家の腕の見せどころなのだろう。
 本作は1957年に発表された旧い作品(87分署が始まったばかりの頃)で、さすがに舞台設定などはノスタルジックな印象を否めないものの、マクベインの読ませる技術は早くも確立されている。先に書いた失踪した婚約者の謎も、正直大したことはないのだが、とにかく話をつなぐのが巧く、一気に読ませる。基本は主人公の一人称だが、違うタイプの刑事を途中ではさんでアクセントをつけたりする小細工もなかなか。
 あくまでB級サスペンスの域は超えないが、暇つぶしには最適の一冊。


マイクル・イネス『証拠は語る』(長崎出版)

 マイクル・イネスの『証拠は語る』を読む。
 ネスフィールド大学の構内で、ブラックローズ教授が落下した隕石によって死亡するという事件が起こる。状況からブラックローズは殺害されたらしいとわかり、捜査を開始するアプルビイ。だが、なんとも掴みどころのない大学関係者らの証言に、捜査は遅々として進まなかった。やがて第二の事件が発生し……。

 実は『ストップ・プレス』『アプルビイズ・エンド』といったスラップスティック調ともいえる作品を読んできて、何となく違和感を感じていた。イネスの作風が本来こういうコミカルなものだという情報も仕入れてはいたが何かが違う。それはやはり、昔から言われていたイネスの「文学的高尚さ」というイメージとのギャップによるものである。確かにユーモアはイネスを語るときに外せない要素なのだろうが、『ハムレット復讐せよ』『ある詩人への挽歌』ではそれほど感じなかった部分だ。先に挙げた『ストップ・プレス』等はあくまで極端な例であり、イネスの基本ラインとはとても思えなかったのである。

 で、『証拠は語る』を読んで、ようやく胸のつかえが下りた。
 本作のような作品こそイネス本来の持ち味が十二分に発揮された作品ではないだろうか。
 イネスの文学的素養をはじめとする幅広い教養の部分、ほどよく毒を含み、皮肉を効かせたユーモアの部分、ロジックをこねくり回す探偵小説の部分。これらのバランスが崩れると、ペダンティックなところばかりが目立って従来のように難解な文章という誤解を受けたり、あるいは日本人には馴染みにくいファースを読まされたり、といった羽目に陥る。
 しかし本作では、イネスの作品を構成する大きな要素が非常にほどよくブレンドされている。当時のインテリが楽しみながら書いた知的娯楽作品という印象。重からず軽からず、ミステリそのものを茶化す部分も含め、良い意味での遊び心に満ちた作品である。個人的にはこの作品における匙加減こそが、イネスの狙っていたスタイルであると信ずる。まあ、本当のところは、残りの作品もすべて読まないとわからないんだろうけれど。

 とまあ、基本的にはここまで書いたようになかなかの作品なのだが、本作にも弱点はあるわけで、肝心のストーリーを引っ張る力が弱い。特に前半。
 なんせけっこう長い作品なのに、本書の前半部は、ほとんどがアプルビイの大学関係者への聞き込み捜査にあてられているのだ。隕石を使っての殺人という、とてつもなく魅力的な設定をもってきているにもかかわらず、現場検証や死体の検証などすべて伝聞&後回し、アプルビイはひたすら人間関係のみを追う。リアルタイムで死体の発見やその死因が明らかになるシーンを描けば、相当面白く劇的になりそうだが、なぜかイネスはそれをやらないのである。
 後半に入るとそれなりに動きも出てくるし、謎解きシーンでは様々な解釈を提示してみせるなど、かなり凝った演出があるだけに、よけい前半の起伏の無さが不思議だ。
 とはいえ聞き込み捜査のシーンも別につまらないわけではなく、むしろそちらに焦点を絞っているという見方もできるし、終盤の盛り上がりのため、前半の動きをあえて抑えたという見方もできなくはないのだが……。
 構成に少し変化を持たせれば、より魅力的な作品になったと思えるだけに、実に惜しい一冊といえるだろう。


『ハッピー・フィート』

 昨日は久々に過ごしやすい一日だったか。金曜は休みをとって軽井沢に行ってみたが、さすがに都心よりは涼しい。まあ旧軽井沢銀座あたりは人混みでけっこう暑うございましたが。

 土曜はドライブ疲れで一日中ぐったり。しかしながら立川で古書市が開催されているので、それだけは気合いでのぞきにいく。ミステリに関してはそれほど期待できる市ではないのだけれど、おお、珍しくハヤカワSF文庫が大量にあるではないか。残念ながらSFには強くないので何が出物かさっぱりわからないが、未所持のフレドリック・ブラウン『天の光はすべて星』、河野典生『街の博物誌』を100円で拾う。

 『ハッピー・フィート』を観る。簡単に言うと、ペンギンがミュージカルを踊って環境保護を訴えるというフルCGのアニメ映画。
 当時のCMの記憶ではあくまでペンギンのミュージカルというイメージだったが、いざ観てみると説教臭さが強すぎ。環境問題やいじめ、差別等、メッセージがてんこ盛りで、純粋にミュージカルを楽しみたい向きにはちょっと当てが外れる。しかもラストで人間がストーリーに絡んでくるともうダメ。変な現実に戻されるようで、おまけに御都合主義もここまでくるかというありさまだ。絵がとてつもなく素晴らしいだけに残念な一本。


最近のお買い物など

 いやあ、すごい暑さ。北関東では40度を記録したというし、都心でも車やエアコンの熱で体感的にはそれぐらいあったのではないか? とにかく少し歩くだけで気分が悪くなるほどである。加えてうちの会社は日本でも有数の古書店街にあることもあって、某神社は極めて近所。おかげで警察と街宣車の数が半端ではなく、午前中からいろいろと小競り合いもあった模様。この暑さでよけいヒートアップしていたのではないか?


 現在、マイケル・イネス読書中。感想は後日。

 読了本がないので、最近買った新刊本などをちょっと紹介。

 コニス・リトル『記憶をなくして汽車の旅』(創元推理文庫)
 ジョゼフ・ウォンボー『ハリウッド警察25時』(ハヤカワミステリ)
 柳田國男『文豪怪談傑作選 柳田國男集 幽冥談』(ちくま文庫)
 国枝史郎『国枝史郎伝奇浪漫小説集成』(作品社)
 コナン・ドイル『コナン・ドイル小説全集第15巻ラッフルズ・ホーの行動』(エミルオン)」

 ジョゼフ・ウォンボーの新刊はちょっとビックリ。もしかすると日本では10年ぶりの新刊じゃないかな。警察小説の書き手としてはトップクラスであり、ほぼハズレのない人なので、未体験の人はこれを機にどうぞ。ただ、過去の作品がほとんど(っていうか、もしかして全作?)絶版なのは実に残念。

リン・ブロック『醜聞の館 ゴア大佐第三の事件』(論創海外ミステリ)

 『醜聞の館 ゴア大佐第三の事件』を読む。
 二年前に出た本なので今更という気もするが、ちょっとこの本の背景を紹介しておこう。作者のリン・ブロックは本書で本邦初紹介となったわけだが、名前だけは戦前から知られていた作家だ。幾度となく全集などの刊行予定にも挙がっていたが、なぜかその度に企画がぽしゃる。で、いつしか幻の作家と呼ばれるようになったわけだが、ようやく論創社から刊行されたという次第である。
 原書の刊行年は1925年。まさに探偵小説黄金期であり、その作風は重厚な本格ということなので、それなりに期待して読み始めた。
 
 ゴア大佐の事務所へ立て続けに舞い込んだ失踪人の捜索依頼。だが、1件は本人から頼りが届き、もう1件は何者かが本人の居所を知らせてきたため、失踪事件そのものは一応決着をみた。そんなおり、元首相の屋敷から私信とフィルムが盗み出されるという事件が新たに起こり、ゴア大佐は身分を隠し、元首相の客人として内部から調査を開始するが……。

 ううむ、黄金期の有名どころに比べると、さすがに分が悪いか。なるほど確かに悠然とした語り口は古き良き時代の本格という感じはするが、どうも余計な描写が多く、そのくせ地味な展開に退屈することしばし。けっこうなボリュームの作品ではあるが、大きな事件は後半にならなければ起きず、リーダビリティの弱さはかなり辛い。
 ただ、事件の真相は悪くない。「醜聞の館」の題名に恥じない(?)、当時としてはなかなか思い切った真相ではある。だが、先ほど書いたようにそこに至るまでの過程がダラダラしすぎであり、もう少し絞って書けば、印象はかなり鮮やかになったと思うのだが。
 ゴア大佐のキャラクターはまずまずといったところ。天才型ではないが、着実に推理を積み重ねるところはクロフツのフレンチ警部を彷彿とさせる。ただ、元軍人の割にはけっこうお客(依頼人)におもねる部分もあり、個人的にはその点がかなり引っかかった。
 結局のところ、トータルではやや期待はずれ。同じタイプならジョン・ロードなどの方がよほど面白いと思うのだが。

エリオット・チェイズ『さらばゴライアス』(サンケイ文庫)

 それにしても暑いですな、毎日毎日。昨日は久々に横浜まで出かけたのだが、溶けてなくなりそうな一日。ただ、ビールがむちゃくちゃ美味いのだけはありがたい。

 と、グダグダになっていたら、いつのまにかカウンターが10,000越え。たぶん昨日の夜遅くだとは思うが、御訪問の皆様には厚く御礼申し上げます。何とかペースを落とさずにやっていくつもりなので、今後ともご贔屓に。

 読了本はマイナーどころで、エリオット・チェイズの『さらばゴライアス』。今はなきサンケイ文庫の一冊で、扶桑社ミステリーにはおそらくシフトされていないが、それもむべなるかな、という出来。
 主人公は、アメリカ南部アラバマ州の小さな町にある新聞社の社会部長、キール・セント・ジェイムス。クリスマスの早朝、彼はなんと社内で社主の死体を発見する。セント・ジェイムスの友人でもある警部のボールズが捜査を開始するが、ほどなくして社主は周り中から恨まれていることが発覚し……。
 小さな田舎の新聞社で起こるドタバタ騒ぎの一幕、といった趣き。一応は謎のカギを握るポイントもあり、最後にそのカギにそって犯人も明らかになるが、ミステリ的にはここまで引っ張る意味はあまりない。読みどころはむしろ主人公や周囲の関係者のお馬鹿で下品なやりとりにあるのだが、そちらも実はいまいち。残念ながら、暇つぶしにどうぞ、とも言い難い凡庸な作品であった。
 なお、『さらばゴライアス』というタイトルも、ネタバレ的にはやや微妙なところ。ううむ、いいとこなしか。


黒岩涙香『黒岩涙香探偵小説選II』(論創ミステリ叢書)

 論創ミステリ叢書から『黒岩涙香探偵小説選II』を読む。まずは収録作から。

「幽霊」
「紳士の行ゑ」
「血の文字」
「父知らず」
「田舎医者」
「女探偵」
「帽子の痕」
「間違ひ」
「無実と無実」
「秘密の手帳」
「探偵談と疑獄談と感動小説には判然たる区別あり」(随筆)
「探偵譚について」(随筆)

 昨年に『黒岩涙香探偵小説選I』の方を読み、「無惨」などの一、二作を除くと全体的にはミステリ色が弱く、やや物足りない思いをしたのだが、本書の場合はけっこうミステリ的な作品が多く、思いのほか楽しむことができた。例えば「紳士の行ゑ」では保険詐欺という当時としてはかなり珍しい素材を扱っているし、「血の文字」はなんとダイイング・メッセージものだ。しかも終盤にひねりを加えているところなど、なかなか本格風味で面白い。他にも「帽子の痕」「秘密の手帳」などが比較的ミステリ度が高く、それなりに工夫がされている。『I』を読んでから涙香の神髄は長編にありと思っていたのだが、少し考えを改めなくてはならないだろう。

 なお一応書いておくと、涙香の作品は文語体である。日本探偵小説界の祖といってもよい涙香の作品がいまほとんど読まれないのは、作品の古さもあるだろうが、この文語体であるということが大きいだろう。もちろん最初は読みにくい。ただ、一文ずつしっかり読んでいけば意外と普通に読めるもので、そうそう難しい言葉や言い回しが出てくるわけでもない。基本的には慣れの問題であり、ましてや涙香の場合はやや講談チックなせいもあって、テンポもよい。食わず嫌いせずに、とりあえず読んでみて、といいたい。この時代の探偵小説にしかない味もあるのだ。


シャーウッド・キング『上海から来た女』(ハヤカワミステリ)

 DVDで『デッド・オア・アライブ』を観る。原作は日本の格闘ゲームで、その人気の秘密はゲームシステムというより、登場するセクシーキャラの存在感にある。映画版ではそのキャラクターの魅力を徹底的に前面に押し出し、誰もが予想するとおりの娯楽映画に仕上がっている。まあ『チャーリーズ・エンジェル』の格闘部分をより強めた物語といえばわかりやすいだろう。
 どうせこの手のものを好きな人しか観ないだろうから、細かいことは言いたくないのだが、付録メニューの未公開シーンであまりにストーリーの肝となる部分をカットしていることに驚く。ちゃんと本編に組み込んで入ればもう少し納得できる話になったのに。
 しかし、この数日我ながら馬鹿な映画ばかり観ているなぁ(苦笑)。


 本日の読了本はシャーウッド・キングの『上海から来た女』。
 弁護士バニスターの雇われ運転手をしている元船乗りのローレンス。彼はバニスターの共同経営者グリズビイから、ある殺人計画を持ちかけられる。なんと殺してほしいのはグリズビイ本人で、報酬と引き替えにグリズビイを殺したことにして自白しろというのだ。自白があっても死体が見つからなければ無罪放免されるから、というのがミソだ。胡散臭いものを感じながらも、協力することにしたローレンスだったが……。

 オーソン・ウエルズが原作に惚れ込んで映画化したという逸品。残念ながら映画版はこけたらしいが、原作は悪くない。登場人物が限られているため、ある程度ミステリを読み慣れている人なら、中盤を過ぎる頃には真相が見えてくるだろうが、それでも様々な選択肢を読者に提示し、最後まで真相を絞らせないような工夫が見事。
 また、サスペンスの盛り上げるための基本がしっかりしている点もいい。例えば主人公の思惑を常に裏切るかのような出来事が起こったり、判明したりする展開。さらには主人公の心理のしつこいまでの描写。ああ、考えたらこれは典型的なフランス・ミステリのパターンだよなあ。と思っていたら案の定、今では本国アメリカよりヨーロッパでの方が人気があるらしい。必読とまではいかないまでも、決して読んで損はない一冊である。


小泉喜美子『暗いクラブで逢おう』(徳間文庫)

 本日もDVDで映画鑑賞。ものは『ナイト・ミュージアム』。
 もしも博物館の展示物が生きていたら、というお話なのだが、展示物が生きている理由なんてどうでもよくて、あくまでドタバタを楽しみつつ、父子のドラマもちょっと盛り込んでみました、という典型的なユルめのハリウッドコメディ映画。何気なくCGも頑張っているのだが、『トランスフォーマー』を観たあとではさすがに分が悪いか(笑)。


 本日の読了本は小泉喜美子の『暗いクラブで逢おう』。まずは収録作から。

「日曜日は天国」
「暗いクラブで逢おう」
「死後数日を経て」
「そして、今は……」
「故郷の縁の……」
「酒と薔薇と拳銃」

 様式美といってもいいかもしれない。どの作品もまるで洒落た映画のような作り。自らの作風を都会派と称し、美しいミステリを目指していた彼女の、正にど真ん中をいく作品集である。落ちぶれたボクシングの元チャンピオン、バーを経営する元作家志望の男、名門の俳優と離婚した元女優などなどーー夢を達成しそうなところで結局は掴み損ねた登場人物たちの生き様をさらりと料理している。ここまで洒落た形を突き詰めてゆくと、普通は人工臭が鼻につくところだが、際どいところで止めているのも見事だ。
 なお、本書に収められた作品は、ミステリといいつつも、かなり広義のそれである。謎解き云々を期待すると肩すかしを食うので要注意。唯一、「酒と薔薇と拳銃」だけはウールリッチ風にオチをつけたスリラーで、甘い後味も本書の締めとしては悪くない。


映画三昧

 土曜は奥多摩の渓流で川遊びに興じるも、あまりの暑さで早々に退散。日曜の本日も猛暑ながら、夕方からはいきなりの雷雨。とにかく極端で困る。

 川遊び以外は、映画三昧の週末。DVDで2本、劇場で1本消化する。

 DVDの1本目は『フラガール』。炭坑が斜陽を迎える福島県いわきで、起死回生とばかりに炭鉱会社が構想した常磐ハワイアンセンター。その目玉のひとつとして企画されたフラダンスチームの創設秘話みたいな感じの物語。ダンサーそれぞれが抱える苦悩、そして何より炭坑町が抱える苦悩が錯綜し、感動的なラストへもっていく。最初は『スイング・ガール』ノリかと予想していたが、ずいぶんシリアスな作りで、不覚にも涙腺がゆるみっぱなし。

 2本目は『007/カジノ・ロワイヤル』。久々の肉体派というか硬派なジェームズ・ボンドで、従来のシリーズにはない試みが見られるなど(恒例のオープニングパターンの変更、Mの自宅公開やら伴侶登場、秘密兵器がないこと、ボンドガールの扱いなどなど、他にもいろいろあります)、新たなシーンに入ったと感じさせる作品。映画公開前はかなり賛否両論あったそうだが、個人的には圧倒的肯定派。ハードボイルド系のボンド、酔わせます。

 3本目は劇場で『トランスフォーマー』。ロボット(地球外金属生命体らしい)と人間の対決を描くって話だと思っていたら、地球外金属生命体にも善悪両方がいるようで、人間と善側のロボットが手を組み、悪側のロボットと戦うというストーリー。
 売りはもちろん特殊効果バリバリの映像。冒頭からの一時間程度、ラストの市街戦はさすがに圧倒される。車やジェット機がロボットに変型する様子を実写さながらの映像で見るというのは、日本の男子には堪えられない(笑)。
 ただ最初の一時間ぐらいはとにかくシリアスな展開&刺激的な映像で盛り上がるが、人間と善側のロボットとの交流が始まるやコミカルモードに突入するのが、個人的には辛い。これって『ステルス』でもあったけれど、なぜ無理矢理に心温まる人間ドラマを盛り込もうとするのか。こういう映画には、怖い敵がいればそれでいいのだ。善側のロボットのキャラクターを人間臭くすることで、敵の怖さまで薄れるのがわからないのかな。
 また、主人公の青年が握るロボットたちの秘密、「キューブ」の処理方法、青年が「キューブ」をビルの上に持っていく必然性など、ストーリー上で最後まで納得できないところが目白押し。こういう映画だから、あまり理屈は考えず、映像に没頭するのが吉かとは思うのだが、もう少し親切にできないかね。


G・K・チェスタトン『マンアライヴ』(論創海外ミステリ)

 あのG・K・チェスタトンの『マンアライヴ』にとうとう手を出してしまった。

 ご存じの方も多いと思うが、論創社の海外ミステリ・シリーズは以前から翻訳のレベルの低さが指摘されていた。これは経験の浅い翻訳者ばかりを多く起用しているためで、そのかわり版元にとっては、コストを抑えることができたり、進行を滞らせることなく矢継ぎ早の刊行ができたりというメリットがあったわけだ。これは読者の都合を無視しているかのようにも思えるが、クラシック・ミステリの需要や売れ行きを考えると、ああやって五十作以上の刊行が続くだけでも奇跡的なことであり、版元が安定してこの企画を続けられるのなら、多少の翻訳のまずさなどはこの際我慢すべきであろう。

 そこで『マンアライヴ』だが、どうやら本作の翻訳については、そんなに悠長なことも言っていられないぐらいひどい状況にあるらしい。ただ問題は翻訳だけにあるのではなく、注釈のミスや、何より日本語としての文章そのものにあったりするのだ。まあ、どれぐらいのものかは、読み始めればすぐにわかることなので、いちいち例はあげない。それでも知りたいという人は、Amazonのレビューや「マンアライヴ 翻訳 つづみ綾」等で検索すれば、いくつか記事がひっかかるはずだ。
 しかしながら、もともとチェスタトンの原文自体が厄介な代物らしいことはわかる。入り組んだ文章、わかりにくい比喩、登場人物たちの抽象的な議論、哲学やら宗教やら文学やらの衒学趣味等、これらを消化して平易に翻訳するには、さぞや苦労したことだろう。訳者の悲劇は、このチェスタトンの原文の持つ雰囲気を、できるだけ日本語でも再現しようとしたところにあるのではないか(あるいは逆に原文が手に負えなくなり、ほぼ直訳でいってしまったという線も捨てがたいが)。
 ただ、同じ業界にいる者として一言いわせてもらうなら、これは訳者が悪いというより、その訳者を選び、原稿チェックをやっているはずの編集者が一番悪い。普通は気づくべきだろう。とにかく結果として、せっかくのチェスタトンの小説が、このように読みにくい形で世に出たのは実に残念である。



 まあ、翻訳の話ばかりでもしょうがないので、そろそろ中身の話に移ろう。

 ロンドンの下宿屋ビーコンハウスに住む三人の男と二人の女。そこへ現れたのが突拍子のない言動を繰り広げる、その名もイノセント・スミス。唖然とする周囲をよそに、スミスは知り合って数時間しかたたないというのに、ビーコンハウスに来ていたメアリという女性に結婚を申しみ、さらにはやはりビーコンハウスに客人としてきていた医師に発砲してしまう。下宿人たちはスミスの行動に感化されたか、下宿を法廷に見立て、施設裁判を開くことにしたが……。

 一見ミステリ仕立てではあるが、これはやはり似て非なるものだろう。チェスタトンお得意の逆説的論理が、極端に劇画化された登場人物たちによって延々と繰り返し展開される。
 最初は当時の裁判制度を諧謔化したものかとも思ったが、さすがに表面だけをとらえて云々する小説でもないだろう。もちろん、タイトルにある「マンアライヴ」=「生きている男」というテーマはあるだろうが、これは突き詰めてしまうと、人間の存在についての考察となるため、当たり前すぎてあまり面白くもない。
 で、ちょっと思ったのは、本書で登場人物たちによって延々と繰り返される議論のシーンである。論考する場面がこれだけあるからには、論考すること自体がテーマでもまったく問題はないはずで、これはもしかすると「逆説」や「論理」そのものについて書かれた小説といえないだろうか。逆説を小説内で手段として用いるチェスタトンだから、それをさらに小説のど真ん中に据えても何らおかしいことはないはず。登場人物の多くはそれを描写するための道具であり、その最たる者が、まるで逆説が生きて歩いているかのような存在、スミスなのだ。

 と、ここまで書いてみたが、どうも怪しいな(苦笑)。少なくとももう二、三度は読まないと、頭に入ってくる話ではないので(いろんな意味で)、いずれ新訳が出れば(笑)再チャレンジしてみたいものである。


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sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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