Posted in 03 2006
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ロバート・ブロック『血は冷たく流れる』(早川書房)
本日の読了本は、ロバート・ブロックの『血は冷たく流れる』。言わずと知れた異色作家短篇集の一冊で、恥ずかしながら未読のままだったロバート・ブロックの巻だ。まずは収録作。
The Show Must Go On「芝居をつづけろ」
The Cure「治療」
Daybroke「こわれた夜明け」
Show Biz「ショウ・ビジネス」
The Masterpiece「名画」
I Like Blondes「わたしの好みはブロンド」
Dig That Crazy Grave!「あの豪勢な墓を掘れ!」
Where the Buffalo Roam「野牛のさすらう国にて」
Is Betsy Blake Still Alive?「ベッツィーは生きている」
Word of Honor「本音」
Final Performance「最後の演技」
All on a Golden Afternoon「うららかな昼さがりの出来事」
The Gloating Place「ほくそ笑む場所」
The Pin「針」
I Do Not Love Thee, Doctor Fell「フェル先生、あなたは嫌いです」
The Big Kick「強い刺激」
ブロックといえば基本的にはスリラーやホラーの人であり、個人的には異色作家というのはピンとこないが、まあ、それはおいといて、短篇の質は極めて高い。
本書も昨今のえぐい小説に慣れた人には物足りないかも知れない。しかしブロックの魅力というか、語りの巧さというのは、じわじわと迫ってくる怖さにこそ真価を発揮する。しかも最後の一行でピシッとオチを決めるところや、一見ありきたりなホラーを予想外の展開にもっていくところなどが見事なのだ。
怪奇小説はただ読む者を怖がらせるだけの話ではない。そんなことを改めて感じさせてくれるブロックは、やはりただの怪奇作家とはひと味もふた味も違うといえるだろう。あ、だから異色作家なんて呼ばれているのか。
個人的には「こわれた夜明け」「ベッツィーは生きている」「本音」「針」「最後の演技」あたりが好み。
ところで短篇集ブームというものが密かに浸透しつつあるようで、早川書房の異色作家短篇集が再度、新装版になった背景には、ここ数年の晶文社や河出書房新社の頑張りがあることは言うまでもない。それだけに突然の晶文社のミステリ撤退は衝撃的ニュースだった。数ヶ月前に「本の雑誌」の特集でも取りあげられていたが、翻訳ミステリ・シーンにおけるクラシックや短篇集がブームだとはいっても、それがいかに脆弱な基盤の上に成り立っているかの、明解な証だろう。パイはあまりにも小さく、商売として成立しにくいところまできているのだ。
そういえば翻訳ミステリではないが、以前に作品社から『国枝史郎探偵小説全集』が限定千部ということで刊行された。いくら高価であろうと、どれほどマニアックな一冊であろうと、千部はやはり少なすぎる。そう思ってあわてて書店に走ったものだが、何のことはない、結局はいまだに新刊書店でお目にかかることができる。国枝史郎の探偵小説を、多少高いお金(といっても数千円だ)を出しても買おうという人は、全国に数百人しかいないということか。さらにはエミルオンで刊行中のコナン・ドイル小説全集にいたっては百人だものなぁ。どっちも買ってる自分の業の深さが逆に情けなかったりしないでもないが、完売していれば版元としても次につなげることができるわけだから、良い企画は応援していきたいものだ。
The Show Must Go On「芝居をつづけろ」
The Cure「治療」
Daybroke「こわれた夜明け」
Show Biz「ショウ・ビジネス」
The Masterpiece「名画」
I Like Blondes「わたしの好みはブロンド」
Dig That Crazy Grave!「あの豪勢な墓を掘れ!」
Where the Buffalo Roam「野牛のさすらう国にて」
Is Betsy Blake Still Alive?「ベッツィーは生きている」
Word of Honor「本音」
Final Performance「最後の演技」
All on a Golden Afternoon「うららかな昼さがりの出来事」
The Gloating Place「ほくそ笑む場所」
The Pin「針」
I Do Not Love Thee, Doctor Fell「フェル先生、あなたは嫌いです」
The Big Kick「強い刺激」
ブロックといえば基本的にはスリラーやホラーの人であり、個人的には異色作家というのはピンとこないが、まあ、それはおいといて、短篇の質は極めて高い。
本書も昨今のえぐい小説に慣れた人には物足りないかも知れない。しかしブロックの魅力というか、語りの巧さというのは、じわじわと迫ってくる怖さにこそ真価を発揮する。しかも最後の一行でピシッとオチを決めるところや、一見ありきたりなホラーを予想外の展開にもっていくところなどが見事なのだ。
怪奇小説はただ読む者を怖がらせるだけの話ではない。そんなことを改めて感じさせてくれるブロックは、やはりただの怪奇作家とはひと味もふた味も違うといえるだろう。あ、だから異色作家なんて呼ばれているのか。
個人的には「こわれた夜明け」「ベッツィーは生きている」「本音」「針」「最後の演技」あたりが好み。
ところで短篇集ブームというものが密かに浸透しつつあるようで、早川書房の異色作家短篇集が再度、新装版になった背景には、ここ数年の晶文社や河出書房新社の頑張りがあることは言うまでもない。それだけに突然の晶文社のミステリ撤退は衝撃的ニュースだった。数ヶ月前に「本の雑誌」の特集でも取りあげられていたが、翻訳ミステリ・シーンにおけるクラシックや短篇集がブームだとはいっても、それがいかに脆弱な基盤の上に成り立っているかの、明解な証だろう。パイはあまりにも小さく、商売として成立しにくいところまできているのだ。
そういえば翻訳ミステリではないが、以前に作品社から『国枝史郎探偵小説全集』が限定千部ということで刊行された。いくら高価であろうと、どれほどマニアックな一冊であろうと、千部はやはり少なすぎる。そう思ってあわてて書店に走ったものだが、何のことはない、結局はいまだに新刊書店でお目にかかることができる。国枝史郎の探偵小説を、多少高いお金(といっても数千円だ)を出しても買おうという人は、全国に数百人しかいないということか。さらにはエミルオンで刊行中のコナン・ドイル小説全集にいたっては百人だものなぁ。どっちも買ってる自分の業の深さが逆に情けなかったりしないでもないが、完売していれば版元としても次につなげることができるわけだから、良い企画は応援していきたいものだ。