2006年03月 - 探偵小説三昧
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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 03 2006

ヘンリイ・スレッサー『夫と妻に捧げる犯罪』(ハヤカワ文庫)

 立て続けに濃いめの短篇ばかり読んでいるので、本日はもっとスマートな短篇集を手に取る。ヘンリイ・スレッサーの『夫と妻に捧げる犯罪』である。

 久々にスレッサーの短篇を読んだが、やはりオチの鮮やかさと洗練されたプロットは見事。長編もいくつか書いているが、やはりこの人の持ち味は圧倒的に短篇である。本書は日本でのオリジナル編纂によるものだが、解説によるとこれまでにまとめられた短篇集の落ち穂拾い的な性格もあるとのこと。それでもこの水準をキープしているのは流石としかいいようがない。
 強いていえばややコクに欠けるきらいもあるのだが、それを補って余りあるキレの良さ。たまに見せるハートウォーミングな物語も忘れがたく、「勲章のない警官」とかは思わずホロッとくる。未訳の作品がどの程度残っているのかは知らないが、それこそ論創社や河出の新シリーズなどで出してもらえないものだろうか。強く希望。

Lost Dog「愛犬」
The Absent Minded Professor(別題:The Absent Minded Murder)「うわの空の殺人」
The Lady and the Boy「就眠儀式」
Love Nest「愛の巣」
Light Fingers「光る指」
Marriages Are Made in Detroit「アンドロイドの恋人」
Fly Home to Betsy「ベッツィが待っている」
Cop Without Medals「勲章のない警官」
A Cry from the Penthouse「ペントハウスの悲鳴」
The Candidate「どなたをお望み?」
Incognito「人相書」
Mission: Murder!「暗殺司令」
The Wishgiver「三つの願いごと」
My Father, the Cat「猫の子」
The Traveling Couch「旅する医者」
The Anonymous Man「朝帰り」
Confession of a Talking Dog「置手紙」
The Toy「おもちゃ」
The Last Smile「最後の微笑」
A Way to Make It「出世の早道」
Very Rare Disease「奇病」
Solo for Violin「ヴァイオリン・ソロ」
The Firing Line「解雇通告」
The Secret Formula「すばらしい媚薬」
The Jam「交通地獄」
Examination Day「受験日」
Victory Parade「凱旋パレード」
After...「その後……」
A Whimper「遺言」
Good Morning! This Is the Future「おはよう、未来です」


朝山蜻一『白昼艶夢』(出版芸術社)

 藤原編集室さんのサイト「本棚の中の骸骨」によると、先般終了とあいなった晶文社ミステリのために用意していたものが、秋頃に河出書房新社から新シリーズとしてスタートすることになったそうな。とりあえずジャック・リッチー短篇集 『10ドルだって大金だ』(仮題)、マイクル・イネス 『アララテのアプルビイ』、グラディス・ミッチェル 『The Mystery of a Butcher's Shop』などが進められるらしい。奇想コレクションといい、河出、本当にがんばってますな。
 ただ、河出といえば、本格ミステリコレクションの第二期とかの予定はないのですかね? 宮野叢子とかすごく読んでみたいのだが。

 本日の読了本は朝山蜻一『白昼艶夢』。ロバート・ブロックに続いて異色作家つながり。ただ、異色度は朝山蜻一の方が遙かに上だろう。なにせフェチシズムやSMといった特殊な性愛をテーマにこれだけミステリを書いた人は他に類を見ない。収録作は以下のとおり。

「くびられた隠者」
「女には尻尾がある」
「白昼艶夢」
「楽しい夏の思い出」
「不思議な世界の死」
「ひつじや物語」
「巫女」
「死霊」
「人形はなぜつくられる」
「泥棒たちと夫婦たち」
「虫のように殺す」
「変面術師」
「矮人博士の犯罪」
「掌にのる女」
「僕はちんころ」
「天人飛ぶ」

 「くびられた隠者」や「白昼艶夢」はアンソロジーでもよく採られる代表作。ネタがSMだけに人によっては嫌悪感を抱くだろうが、基本的に文章のこなれた作家なので、安っぽいエロさは感じず、その異常嗜好にはまる人々の心情や転落の様子がリアルに迫ってくる。
 しかしながら、ここまでくると別にミステリにする必要はないのではないだろうか。実際、ミステリとしての仕掛けも大したことがないうえ、作品のテーマやプロットも似たようなものが多いわけで、作者が書きたいのはミステリではなくあくまで人間の性愛なのだろう。それが昇華・消化できていない作品はやはり評価も低くなる。前述の代表作はいいとして、「ひつじや物語」「変面術師」あたりはいったいどう評価したらよいものやら。
 ちなみに朝山作品であと手軽に読めるのは扶桑社文庫『真夜中に唄う島』ぐらいだが、こちらは長編を二つ収録したもの。この特殊な味が長編でどう活かされているのか、これも近日中に試してみることにしよう。


ロバート・ブロック『血は冷たく流れる』(早川書房)

 本日の読了本は、ロバート・ブロックの『血は冷たく流れる』。言わずと知れた異色作家短篇集の一冊で、恥ずかしながら未読のままだったロバート・ブロックの巻だ。まずは収録作。

The Show Must Go On「芝居をつづけろ」
The Cure「治療」
Daybroke「こわれた夜明け」
Show Biz「ショウ・ビジネス」
The Masterpiece「名画」
I Like Blondes「わたしの好みはブロンド」
Dig That Crazy Grave!「あの豪勢な墓を掘れ!」
Where the Buffalo Roam「野牛のさすらう国にて」
Is Betsy Blake Still Alive?「ベッツィーは生きている」
Word of Honor「本音」
Final Performance「最後の演技」
All on a Golden Afternoon「うららかな昼さがりの出来事」
The Gloating Place「ほくそ笑む場所」
The Pin「針」
I Do Not Love Thee, Doctor Fell「フェル先生、あなたは嫌いです」
The Big Kick「強い刺激」

 ブロックといえば基本的にはスリラーやホラーの人であり、個人的には異色作家というのはピンとこないが、まあ、それはおいといて、短篇の質は極めて高い。
 本書も昨今のえぐい小説に慣れた人には物足りないかも知れない。しかしブロックの魅力というか、語りの巧さというのは、じわじわと迫ってくる怖さにこそ真価を発揮する。しかも最後の一行でピシッとオチを決めるところや、一見ありきたりなホラーを予想外の展開にもっていくところなどが見事なのだ。
 怪奇小説はただ読む者を怖がらせるだけの話ではない。そんなことを改めて感じさせてくれるブロックは、やはりただの怪奇作家とはひと味もふた味も違うといえるだろう。あ、だから異色作家なんて呼ばれているのか。
 個人的には「こわれた夜明け」「ベッツィーは生きている」「本音」「針」「最後の演技」あたりが好み。

 ところで短篇集ブームというものが密かに浸透しつつあるようで、早川書房の異色作家短篇集が再度、新装版になった背景には、ここ数年の晶文社や河出書房新社の頑張りがあることは言うまでもない。それだけに突然の晶文社のミステリ撤退は衝撃的ニュースだった。数ヶ月前に「本の雑誌」の特集でも取りあげられていたが、翻訳ミステリ・シーンにおけるクラシックや短篇集がブームだとはいっても、それがいかに脆弱な基盤の上に成り立っているかの、明解な証だろう。パイはあまりにも小さく、商売として成立しにくいところまできているのだ。
 そういえば翻訳ミステリではないが、以前に作品社から『国枝史郎探偵小説全集』が限定千部ということで刊行された。いくら高価であろうと、どれほどマニアックな一冊であろうと、千部はやはり少なすぎる。そう思ってあわてて書店に走ったものだが、何のことはない、結局はいまだに新刊書店でお目にかかることができる。国枝史郎の探偵小説を、多少高いお金(といっても数千円だ)を出しても買おうという人は、全国に数百人しかいないということか。さらにはエミルオンで刊行中のコナン・ドイル小説全集にいたっては百人だものなぁ。どっちも買ってる自分の業の深さが逆に情けなかったりしないでもないが、完売していれば版元としても次につなげることができるわけだから、良い企画は応援していきたいものだ。


今月のミステリマガジン

 今月号のミステリマガジンのマイケル・ギルバート追悼特集はなかなか力が入っている。毎号とはいかないまでも、せめて3号に1回は、このぐらいの作家特集をやってほしいものだ。バラエティに富んだテーマを取り上げ、売上げ増を図ると同時にミステリファンの啓蒙に努めるというのは大変重要なことだが、一番面白くてタメになる特集って、結局は作家特集であると思うのだが。

村上春樹『これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? 』(朝日新聞社)

 たまたま本屋をのぞいたら(本屋はほとんど毎日のぞくので、全然たまたまではないが)、村上春樹の『これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? 』が目に留まって購入。さくさくっと電車の中で読んでしまう。

 本作(タイトルは狙いすぎて嫌い)は数年前に出版された『そうだ、村上さんに聞いてみよう』の続編だ。村上春樹のホームページである「村上朝日堂」に寄せられた読者からの質問メールに、村上春樹が答えたものをまとめた本なのだが、固い文学論なんてものではなく、著者らしい真摯で軽妙な受け答えが楽しめる。かなり脱力系の質問(そして答えも)が多いので、あくまでファンが楽しむためのファンブック的一冊であろう。

 続編にあたる本作でもほとんどそのスタンスは変わらないが、台湾と韓国からの質問も載せているのが大きな違い。しかも日本からのそれと違って、意外に真面目に文学的疑問などを尋ねており、そういう質問には村上春樹もかなり慎重に答えているようで興味深い。……と思っていたら残念ながら韓国編は、どうやら出版関係者のインタビューを再編したものらしい。それなら普通にインタビューとして載せればいいのに、と思うのだが、これは著者よりも編集者の責任か。


渡辺剣次/編『13の暗号』(講談社)

 仕事で滅多にお目にかかれないようなトラブル勃発。何とか事後処理がうまくいき大事には至らず。原因はうちではなかったが、責任上、お客さんの会社を回って陳謝。つまらない一日である。

 読了本は『13の暗号』。渡辺剣次の編集による「暗号」をテーマにしたアンソロジーで、このシリーズは他にも『13の密室』や『13の凶器』などがある。刊行は1975年なので古くもなく新しくもなく、といったところだが、クラシックのレアどころを中心としたラインナップは当時も今も実に魅力的である。
 ただ、「暗号」というテーマはさすがに一流作家においてもなかなかハードルが高そうで、時代の古いものは暗号自体がいまいち。逆に凝りすぎた暗号は解かれたときの感動に乏しく、ミステリーにおける上質の暗号を作ることの難しさを感じる。そういう意味では乱歩の「二銭銅貨」は(いくつか疵があるにせよ)、当時としては画期的な作品だったといえるだろう。
 気に入った作品は佐野洋「三億円犯人の挑戦」、幾瀬勝彬「紙魚の罠」、鮎川哲也「砂の時計」あたり。下手をすると暗号興味だけで無味乾燥になりがちなところに、プラスアルファの要素を巧みにミックスさせたあたりを評価したい。特に幾瀬勝彬はほとんど読んだことのない作家だが、「紙魚の罠」は余韻が素晴らしい。
 なお、本書は暗号テーマのアンソロジーだが、ダイイング・メッセージものがいくつか入っているのはいただけない。作品の出来とは関係ないが、やはりダイイング・メッセージと暗号はまったく別物でしょう。

江戸川乱歩「二銭銅貨」
甲賀三郎「アラディンのランプ」
水谷準「司馬家崩壊」
海野十三「獏鸚」
大阪圭吉「闖入者」
木々高太郎「虫文字」
岩田賛「風車」
九鬼紫郎「暗号海を渡る」
仁木悦子「粘土の犬」
火野葦平「詫び証文」
佐野洋「三億円犯人の挑戦」
幾瀬勝彬「紙魚の罠」
鮎川哲也「砂の時計」


吉野梅郷へ

 青梅の吉野梅郷へ花見に。もう三月も下旬だというのに満開の梅はまだ半分程度。それでも十分に美しく、またかなりの人手である。早めに出たおかげで渋滞もうまく避けられ、帰宅後はFFXIIをプレイ。やや家族の目が冷たい(笑)。

日影丈吉『移行死体』(徳間文庫)

 きつい一週間を乗り切り、土日はぼーっと過ごす。嫁さんは実家へ帰省中、外は突風が吹き荒れ(天気はいいのに空は砂で真っ黄色という壮絶な天気)、おまけについFFXIIまで買ってしまったので、ほぼ引きこもって、ゲームやら読書やら。

 読了本は日影丈吉の『移行死体』。
 家賃滞納でアパートを放り出された大学生の宇部は、その先輩である画家の甘利のところに転がり込んだ。しかし甘利も家主の鳥山に立ち退きを迫られている身。甘利は鳥山が行っている政治活動も日頃から面白く思っていないため、ついに鳥山の殺害計画を立て、宇部を無理矢理仲間に引き入れる。そして殺人は決行された……だが、なぜか鳥山の死体があるべきビルの屋上から消え失せ、しかもその死体が300kmも離れた八丈島で発見されたのである。

 当たり前の話だがたいていの作家には作風というものがあって、日影丈吉のそれは通常だと幻想的・抒情的なものとして語られることが多い。だがそれは短編に限っての話であり、長編では正直それほどまとまったイメージがなく、どちらかというとバラエティに富んだ作品を残している。
 しかしそのバラエティが曲者であって、いわゆる本格だとかスリラーだとかというミステリの一般コードでは収められない、微妙な外し方をしているのが、日影長編の最も大きな特徴といえるかもしれない。『移行死体』もまた、そんな妙な作品のひとつである。

 例えば本作では、殺人犯が主人公という倒叙形式をとっている。しかし警察からの追求を逃れるとか、そういう類のサスペンスはあまり押し出されておらず、遠く離れた場所で見つかった死体の謎について探るという、どちらかというと本格の形をとっているのである。
 だが、本格の形をとっているとはいっても、主人公の二人は探偵ではなく、単なるモラトリアムな青年たち。純粋な推理合戦とまではいかず、中途半端な調査をしたり、根拠のない推理をたてたりと、これまたぬるい展開を見せていく。
 もしかしたら本作の魅力は、このぬるさにあるのかもしれない(作者がどこまでこれらを計算していたのかは知るよしもないが)。ユーモアとも少し違う、この適当な主人公たちの迷走ぶり。感情移入しにくいはずの登場人物ばかりなのに、不思議に嫌悪感を感じず、それどころか妙に心地よい読後感。なかなか捨てがたい一作である。
(だが、正直なところ、作者はけっこう真面目に本格を書こうと思っていた気はするんだよなぁ。この見極めが何とも難しい……)


ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード(下)』(角川文庫)

 ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード(下)』読了。上・中・下の三分冊と、けっこうなボリュームだったが、意外にサクッと読める。やはりベストセラーになるだけのことはあり、リーダビリティは相当なものだ。こんな話。

 渡仏していた高名な象徴学者ロバート・ラングドンは、ホテルで過ごしていたある夜、警察の訪問を受ける。ラングドンが会う予定になっていたルーヴル美術館の館長ソニエールが、館内で殺されたというのだ。美術館へ向かったラングドンはそこで信じられない光景を目にする。ソニエールの死体は、グランド・ギャラリーでダ・ヴィンチの最も有名な素描『ウィトルウィウス的人体図』を模した形で横たわっており、さらに死体の周りには、複雑怪奇な暗号が残されているではないか。そこへ駆けつけてきた館長の孫娘でもある暗号解読官ソフィーは、祖父が自分だけにわかる暗号を残していることを理解する。その一方、ラングドンが警察の罠に落ちようとしていることにも気付いたのだった……。

 謀略小説というか伝奇小説というか冒険小説というか、まあそんな類の小説である。キリスト教の裏の歴史を背景に、聖杯にまつわる謎を解き明す主人公の活躍を見事に描いている。感心したのは暗号解読や歴史の謎を中心にもってきておきながら、しっかりとサスペンスやアクション要素を盛り込むその手腕と構成力。しかもこのスピーディーな展開はどうだ。
 惜しむらくは飛ばしすぎのゆえか、ご都合主義的な展開が見られることと、黒幕〈導師〉の言動にやや不自然なところがあるところか。特に終盤、導師の正体が明らかになる辺り。また、映画化を意識したような演出のあざとさも気にならないではない。
 だが、これだけ盛り込んでくれれば、普通に楽しむ分にはまったく問題なかろう。これはあくまでエンターテインメントであり、歴史書やノンフィクションではないのだしね。


ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード(中)』(角川文庫)

 本日は『ダ・ヴィンチ・コード』を中巻まで。

 ところで、この『ダ・ヴィンチ・コード』の文庫版。上・中・下巻という三分冊なのだが、これは正直いただけない。いや、分厚い本を分冊するのは全然かまわないのだ。パッと見を軽くして、ミステリファンだけでなく、映画ファンや一般客をも取り込もうとしてのことだと思うので、それは商売だから仕方あるまい。しかし、一冊あたりが薄すぎるのである。上下巻でも全然問題ない厚さだと思うのだが、なぜここまで薄くして三分冊にする必要があったのか? これだと結局は複数冊持ち歩くはめになり、かえって逆効果である。


ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード(上)』(角川文庫)

 あのベストセラー、ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』が映画になるらしい。原作の方はあまりに売れすぎたこともあって、今まで逆に手に取らなかったのだが、映画はオドレイ・トトゥやトム・ハンクス、ジャン・レノとなかなか好きな俳優さんがそろっているので、たぶん観にいくはず。それならやはり原作は読んでおくか、とうわけで、遅ればせながらのダン・ブラウン初体験である。映画に合わせて文庫化されたこともあり、タイミング的にもちょうどよい。
 とりあえず本日は上巻まで読み進めたが、なかなか読ませるというのが第一印象。まあ詳しい感想は下巻読了時に。


ジョン・クリーシー『トフ氏に敬礼』(論創海外ミステリ)

 読了本はジョン・クリーシーの『トフ氏に敬礼』。論創海外ミステリから『トフ氏と黒衣の女』に続いて訳出されたトフ氏シリーズの第二弾である。
 ちなみに『トフ氏と黒衣の女』が論創海外ミステリの第1巻だったにもかかわらず、それっきり第二弾がなかったので、やはりトフ氏ものはセールス的に厳しいのだろうとは思っていた。ところが38巻目にして、いきなりのラインナップ入り。正直、この叢書だけはどういう基準で作品を選んでいるのか、本当によくわからない(苦笑)。

 トフ氏のもとを訪れたのはフェイと名乗る女性だった。行方不明の雇い主を捜し出してほしいという依頼に、その雇い主ドレイコットのフラットを訪ねたトフ氏は、そこでドレイコットらしき死体を発見する。だがトフ氏をフェイに紹介した知人から、つい三十分ほど前にドレイコットから電話があったという報告が入り、何やらトフ氏は事件そのものにきな臭いものを感じ始める……。

 印象は『トフ氏と黒衣の女』の読後時とほとんど変わらず、やはりハードボイルドというよりは通俗的な活劇小説。ただ、通俗的とはいってもパルプ小説というよりは古い冒険小説のようなノリで、イメージとしては二十世紀初頭の古典的冒険小説なのである。といっても本書が書かれたのは、実は1941年。この数年後にスピレインが登場することを思うと、同じ通俗的な活劇小説でもずいぶんおっとりした印象はいなめないが、これこそ正統派英国冒険小説の流れともとれるわけで、本シリーズは英国だからこそ成功したのではないかと考えられる。ただクリーシーのサービス精神はさすがで、この程度の話にはもったいないと思えるほど複雑な状況を設けている(それが裏目に出ているようなところもあるが)。
 ただ個人的には、トフ氏ものはもういいかなという感じ。それよりギデオン警視ものを訳してくれないものでしょうか?>論創社様


嬉しい買い物

 年が明けてから慢性的多忙な日々が続いている。なかなか本を読む時間がとりにくくなってきている。月に10冊がやっとというペースだが、これも軽いものなんかを混ぜての結果だしなぁ。せめて15冊ぐらいはノルマにしたいのだが。
 それでも本は相変わらず買ってしまうわけで、実は今日、かなり嬉しい買い物をしてしまった。ヤフオクでなんと薔薇十字社の『大坪砂男全集全二巻』をゲットしたのである。相場は三万円ぐらいからのはずなので、二万円を超えるようならスルーしようと思っていたのだが、なんと落札価格は相場の1/3程度。これは嬉しいではないか。写真で見る限りはちょっと函がへたっている感じもするが、なんせ値段が値段である。贅沢を言うとバチが当たる。うう、到着が待ち遠しい。
 それにしても最近はどうも「全集」という言葉に弱くなってしまった。なんてこんなに食指が動くのか自分でも不思議でしょうがない。ま、いいや。次はそろそろ香山滋全集だな。

パトリック・クェンティン『悪女パズル』(扶桑社ミステリー)

 パトリック・クェンティン『悪女パズル』を読む。
 束の間の休暇を楽しむため、大富豪ロレーヌの招待に応じたピーターとアイリスのダルース夫妻。ところがロレーヌの屋敷には、彼らの他にも、離婚の危機を抱える3組の夫婦も招待されていた。ロレーヌは離婚を解消させるべく、座を設けたつもりだったが、3組の夫婦はもとより、女性同士までもが険悪な雰囲気となり、屋敷にはただならぬ緊張感がみなぎっていた。やがてロレーヌの提案で、一行はカジノやダンスへと出かけたのだが、そこで最初の悲劇が幕を開ける……。

 パトリック・クェンティンは、個人的にはサスペンス系の印象が強い作家なのだが、それはどちらかというと後期の作風。初期の頃は「~パズル」というタイトルのシリーズで本格ものを書いていた作家である。ところがその本格ものの方が日本では今やまったく手に入らない状況であり、ようやく扶桑社が刊行したのが『悪女パズル』というわけだ。

 で、ようやく積ん読の中からサルベージしてきたのだが……いやいや、これはいいじゃないですか。あまり好感の持てる登場人物が少ないうえに、やっぱりサスペンス色が強いのでどうなることかと思ったが、これはもう十分すぎる本格探偵小説である。
 女性ばかりが狙われる連続殺人ということで、問題はその動機である。個々の殺人に対しては、山ほど動機のある人間がいるのだが、さすがに女性全員に対してとなると皆目見当がつかない。そのあたりの問題をクェンティンは見事にクリアし、おまけにその仕掛けたるや。練りに練ったプロットとはこういうことをいうのだろう。まさに会心の出来。帯のキャッチは伊達ではない。パズルシリーズは論創社あたりからも予定されているようだが、ぜひ、すべて出してもらいたいものだ。


ジョン・カーペンター『遊星からの物体X』

 昨日に引き続き、買ってあったDVDを観る。『遊星からの物体X』も何回観たのかわからないぐらい好きな一作。なんて書くと相当馬鹿丸出しだが、好きなものはしようがない。ジョン・カーペンターという鬼才の最高傑作であると信ずる。
 ちなみにSF・ファンタジー映画からマイ・ベスト3を選ぶと、『スター・ウォーズ』も『インディ・ジョーンズ』も『2001年宇宙の旅』も『キューブ』も好きなんだけど、やっぱり本作に加えて『エイリアン』『ブレードランナー』になってしまう。


ジョルジュ・シムノン『フェルショー家の兄』(筑摩書房)

 昼は嫁さんのリクエストで銀座へ。ペット・グッズの買い物など。
 夜は先日に購入したDVD 『大脱走』。初めて観たのは小学生の頃だが、今まで何回観ただろうか。それぐらい好きな映画なのだが、この歳になってもその気持ちはまったく変わらない。スティーヴ・マックウィーンは相変わらずかっこいいし、ひとつひとつのエピソードも実に素晴らしい。これだけのキャストをそろえ(といってもブレイク前の人が多いのだが)、よくもここまで完成度を高めたものだ。永遠のマイ・ベスト3の一作。他の二作はまた別の機会にでも。

 読了本はジョルジュ・シムノンの『フェルショー家の兄』。
 ストーリーはいたってシンプルだ。植民地に渡って巨万の富を手に入れたフェルショー兄弟。しかし兄の方は奔放な性格と過去の行いが災いし、今やいつ逮捕されてもおかしくない状況にああった。青年モーデはそんなフェルショーに秘書として雇われ、奇妙な関係を築いてゆく……。

 モーデとフェルショーの関係は師弟であり、親子であり、裏表の鏡のようでもある。しかし互いにそんな存在であることを認識しつつも、決してそれを認めようとはしない。やがて畏怖が嘲りに、親近感が憎悪にすり替わる。事件らしい事件はほとんど起きないし、ミステリでも何でもない小説だが、息苦しいまでに漂う緊張感がたまらない。

 このねちっこさこそがシムノンならではの味わいだろう。下手をすると、ほとんど主人公モーデの行きつ戻りつする心理描写しかないような展開で、シムノンの筆致はまったく奇を衒うことなく、じわじわと主人公の壊れていく様を描いている(いや、決して壊れているわけではないのだが。この辺の微妙さがシムノンの腕前というか、はまるところなのだ)。
 なぜ主人公はここまで愚かな行動をとってしまうのか。なぜ人は理性では割り切れない行動をとってしまうのか。シムノンも求めるところはいつも同じだ。読者はイライラしながらもページを繰り、そして一つの答えに納得する。これもいつもの形だ。だが、本書はそのうえで何ともいえない考えさせられるラストを持ってくる。本書が決定的に他のシムノンの本と違うのは、この点に尽きると言っても過言ではない。このラストをどう受け止めるかで、本書の評価は変わってくる。


京都出張

 京都出張。普段なら新幹線のなかで読書も進められるのだが、本日はやむなく書類のチェックなどに時間をとられる。しかし、いつも思うことだが、暖房効き過ぎだろ、新幹線。

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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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