1 名前:名無しさん[] 投稿日:2014/04/26(土)18:40:05 ID:24wPS4Vi2
最近(でもないが)オタクの中で「最近のアニメは萌えさせようという媚が見えて嫌だ」「昔は萌えアニメじゃないものから自分で萌えを見出していた」という声が散見される
そして然り、これは正しい
最近のアニメがどうかはともかく、「押し付けられる萌え」というのはひどく味気なく、「萌え」とは常に探求すべきものだ
次に続く
3 名前:名無しさん[] 投稿日:2014/04/26(土)18:43:00 ID:24wPS4Vi2
最近のアニメは非常になんというか萌え萌えしている、これを「押し付けられた萌え」「媚び」と解釈されても仕方ない一面はあると思う
そして、文学にもまた同様のことが言える
たいていの文学は文学文学している、およそ文学作品というものは「これが文学だ」という観念が凝り固まったかのような代物だ、そしてこれは、「押し付けられた「文学」」「媚び」なわけだ
4 名前:名無しさん[] 投稿日:2014/04/26(土)18:46:25 ID:24wPS4Vi2
はっきり言ってしまえば、文学作品を呼んで「俺はこの作品に文学性を感じた」などとのたまう人間はことごとく阿呆だ
文学文学した文学を読んで文学性を感じるというのは当たり前の話で、それはけいおんを見て「俺は「けいおん」に「萌え」を見出したぜ!」と得意げなのと択ぶ所が無い
村上春樹に文学性を感じたとして、それは君の手柄では全然ない、村上春樹の手柄だ、君が得意げになる理由はひとつも見当たらない
2 名前:名無しさん[] 投稿日:2014/04/26(土)18:41:11 ID:1JxUt1qJC
だけどラノベじゃん
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