杉井のひとこと

今日で目標にしていた65歳になりました!

特に何かあるわけではありませんが、何とか責任を果たせた気がしています。

やはり物事には終わりというものが必要だと思うので、このブログも今日で終わりにするつもりです。

人によっては「アフリエイトのためにコメントを書かせている」と言う人もいるようですが、ブログランキング1位でやめるのですから、私がアフリエイトで稼いでいないことがわかると思います。

これまで「杉井のひとこと」を支えてくださった皆さんには本当に感謝しています。

最後に何を書こうかと考えたのですが、今回の能登半島地震を題材に皆さんに考えてもらいたいと思います。

もし地震が起きて自分や家族が家屋の下敷きになったら、あなたはどんなことを考えますか?

私なら「誰か助けてくれ!」と思います。

自分が困ったら「助けてくれ!」と思うのに、多くの人は自分が困っていないと人の痛みに無関心で、困っている人を助けようとしません。

すごく自己中心的だと思いませんか?

もちろん、これだけの災害になると募金をする人もいると思いますが、災害ではなくても辛い思いをしている人や惨めな思いをしている人はたくさんいるのです。

どうしてその人たちのことを助けようとしないのでしょう?

その人の人生はその人の責任だというのかもしれませんが、障害をかかえて生まれた子供たちは何も悪くありません。

災害に遭ったようなものです。

私は父の借金を返済するために警察官を辞めて経営の道に入りましたが、本当に惨めな思いをした。

きちんと契約をして仕事をしても、集金に行くと金額を叩いたり、契約の途中で契約書を書き換えさせる人がいました。

支払日にお金を支払ってくれない人もいました。

ならば何の契約書なのでしょう?

その人たちは食事をするお金もないのでしょうか?

小さな会社にも家族や社員はいるのです。

経営者の中には取引先の偉い人にはペコペコするのに、部下や配送の人にはぞんざいな態度をとる人がいますが、その人たちがどんな気持ちになるかわからないのでしょうか?

災害は能登だけではなく、私たちの周りで毎日起きていると思うのです。

私はこの35年間、問題を抱えた子供の支援を家に泊めたりして支援してきましたが、その親たちは困っているときには揉み手をしてすり寄って来ますが、自分の子供が元気になると他の子供を支援しません。

経営が苦しい会社にお金を貸して助けても、経営が立ち直るとまるで「俺が頑張って会社を立ち直らせた!」という態度になり、年賀状さえも送らない人をたくさん見てきました。

自分さえ良ければいい。

自分の家さえ良ければいい。

それでこの国(世界)は良くなるのでしょうか?

「現状に満足している」と言う人の満足の多くは、そういう満足の気がするのです。

だから私は家に引きこもっている人や、真面目に働いているのに人から軽く扱っている人たちに希望を持ってもらいたいと思って、「私のような人間でも、こんな人生になれるんだよ!」ということをこのブログで見せてきたつもりです。

私が海外に行って写真を撮ってくるのも、引きこもっている人や学校での講演で子供たちに見せるためです。

私はカウンセラーという仕事をしてきたため、たくさんの人の自殺を見てきました。

だからそうなる前に「世界にはこんなにきれいなところがあるよ! 生きていればこんなきれいなものが見れるんだ! これを観なきゃ損だよ!」と伝えるために海外に行って美しい景色の写真を撮っていました。

しかし、そういう活動にもここで一旦幕を下ろそうと思います。

もちろんこれからも形を変えて私にできる支援はしていきたいと思いますが、もう他人の子供を預かったり、泊まり込んで会社を立て直したりすることはできないと思うのです。

私が人を助けたとしても、助けてもらった人の多くは人を助けません。

そういう視点で観たら、私の35年間は無駄だったのかもしれませんが、私の人生は大きく変わりましたし、良い仲間とも出会えて、少しは子供たちに父親の生き様を遺せたと思っています。

このブログを読んだ人が、他の人の痛みをわかる人になり、人生の素晴らしさを伝えてくれることを願ってこのブログをここで終わりにします。

なお、明日からは不定期になるかもしれませんが、今日をいい日にというブログで皆さんからの質問があればお答えするつもりです。

もし聞いてみたいことがあったら、気軽に質問してください!

15年間このブログを応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました!

IMG_20240106_0003今日から能登半島は雪になるようです。

そうなる前に水を届けられて本当に良かったと思っています。

人生にはいろいろなことが起きますが、その時にどのタイミングでどう動くかを決めることがとても重要になります!

どんなに良い判断であってもタイミングがズレていたら効果がないどころか取り返しのつかない悪手になってしまうのです。

こうした判断力は真剣に勝負していないとなかなか身につかないので、物事に真剣に取りむことでぜひ身に着けていってほしいと思います。

一昨日のブログ「人生を大切に」で私は「夢(欲)のない人が増えた」ということを書きました。

では、どうして欲がなくなってしまったのでしょう?

また、どうしたら夢が持てるのでしょう?

私が見てきた限り、成功している人は「能力」がある人ではなく「欲」のある人たちです。

「欲」というと語弊があるかもしれませんが、「求めている(飢えている)」人たちだと思います。

飢えがないと、目の前にチャンスがあってもそれに気づかないのです!

どうして日本人に欲がなくなってしまったのかを考えたとき、その答えの1番目は「満たされているから」だと思います。

心理的にある程度満たされているから描く夢がありませんし、叶えたい夢がなければ努力するのがむなしくなるのは当然のことです。

私が出会った人間の中で最も成功したのは京丸園の鈴木社長だと思いますが、私と出会った30歳のとき鈴木社長はうつ傾向にありました。

決して病気という訳ではありませんが、「10年後にはベンツに乗って会おう!」と言って農林大学校を卒業し、10年間一生懸命に働いても何も変わっていない人生に行き詰まりを感じ、人と会うことも嫌になっていました。

その憂さをはらすために、お酒が飲めないのに飲み屋に通っていたというのです。

でも、それだから出口を求めて苦手なマネージメント・ゲームにしがみついたと思うのです。

私の場合も、子供のころ家が貧乏で借金取りに追われて育ちました。

そのため「豊かになりたい!」という欲求は人一倍強かったと思います。

だから、同期の仲間たちが車を買っても、私は原付で我慢をして21歳で中古住宅を買いました。

お金がかかる車(負債)を持っているのと、お金を生む家(資産)を持っているのと、どちらの方が心理的な豊かさ(ステータス)を感じるでしょう?

人によって異なるのかもしれませんが、私はこのときに「消費」による満足から、「投資」による満足に意識が変わった気がします。

そのおかげで37歳で無借金で自社ビルを建てることができ、会社も安定したのですが、35年間一度も赤字を出すことなく増収増益を続けられたのは、私が自分のことを「必ず失敗する人間だ!」と思っていたからです。

私は優秀ではありませんし、利己的で人徳のカケラもない人間です。

IMG_20240106_0002だからいい気になったら必ず失敗して、また借金に追われる元の生活に戻ると思っていました。

だから、いい気にならないようにお世話になった人にお礼のハガキを書いたり、毎朝、地域の掃除をしたりしてきたのです。

このブログにしても、もし私が気分で書いていたらすぐに書かなくなっていたと思います。

そうなったら私は人から信頼されないでしょうし、人から助けてもらえないと思うのです。

自分の力がある人はそれでもいいのでしょうが、私はそんな力のある人間ではありません。

私は多くの人に助けてもらわないとやっていけないと思っているのです。

私は明日で65歳になりますが、私のような人間が自分が思いもしなかった人生を歩めたのは、

1.貧しくて「豊か(幸せ)になりたい!」という飢え(欲求)があった。

2.「私は失敗する人間だ!」と知っていて、自分を過信しなかった。

3.努力や成功を繰り返すうちに応援が集まり、挑戦することが楽しくなっていった。

の3つの要因があると思っています。

私は昨夜「どうして今の日本人は意欲がなくなったのだろう?」と考えながら床についたのですが、夢の中で「NeedsとSeeds」と書かれた「こおろぎ」の文字が頭に浮かびました。

調べてみると、これは1996年4月1日に発行した「こおろぎ」にある記事で、私は内容をすっかり忘れていました。

それなのに、そこに「多くの人は問題が起きると必要に迫られて問題解決のための努力をするが、成功している人はより良くなることを楽しみに種を蒔いている」と書かれていました。

スゴイと思いませんか?

自分でも内容を忘れていた記事が、ちゃんと夢に出てくるのです!

これが積み重ねの力だと思うのです。

人間の脳は、本当にすごい力を秘めていると思います。

しかし、多くの人はその脳に願い事を伝えていない気がするのです。

ディズニーに出てくる魔法のランプの精、ジーニーを知っているでしょうか?

ジーニーは願い事を叶える力を持っていますが、せっかくジーニーを呼び出しても
願い事を言わなければ何もしてくれません。

脳もそれと同じだと思うのです。

私は「天才」という意味の「genius」を覚えるときに「魔法使いのジーニーは、私たちの中にいる!(geni in us)」と覚えました。

私はいろいろなアイテムをそろえながら、自分の夢を叶えていく旅(ロールプレイングゲーム)が人生だと思うのです。

同じステージにずっといれば安全かもしれませんが、それは引きこもりと似ていておもしろくありません。

怖いかもしれませんが、アイテムをそろえてモンスターを倒しながら、先に進んでいくのが人生の面白味で、それを続けていくと「信念」とか「我慢強さ」「充実感」といった本当のアイテムが手に入るのです。

私がこのブログを通して伝えたかったことは、「人生を思い切り楽しんでごらん!」「せっかく人間に生まれてきたのなら、人間としての幸せを手に入れてごらん!」というメッセージで、そのために「私はこんなやり方をしましたよ!」と私なりのやり方を遺しておいたつもりです。

整理すると、もし「夢がない」としたら「現状に満足している」可能性が大です。

しかし、それは多くの場合「自分の満足」であって、自分を支えてくれた人たちに対する満足ではない気がします。

もし支えてきてくれた人たちのありがたさに気が付いたら、「その人たちに何とかお返しをしたい!」という願い(飢え)が生じると思うのです。

IMG_20240106_0004そのための努力を積み上げていくと、それが「信念(真の目的)」になり、成長するにつれて変わっていく景色が楽しくなっていくのです。

皆さんを支えてくれた人たちの苦労のためにも、一度きりの人生をどうか大切にしてください!

あなたの人生にも、きっと支えてくれた人たちがたくさんいたと思うのです。

今日のひとこと
「人の支えや人の痛みがわかったら、人生が豊かになります!」


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IMG_20240104_085216まずは2011年3月18日のブログ「公平に?」と3月23日「思いが届いていない!」をご覧ください。

私は東日本大震災の時、物資を集めて1週間後の3月18日に被災地に入りました。

この時は一般車両は進入禁止になっていたので、高速道路は波打っていましたが渋滞もなく被災地に入ることができました。

この時、私は消防学校に皆さんからの寄付で集めた物資を届けたのですが、「それぞれの避難所に公平に分けなくてはいけない」という理由から、その物資が配れずにいる実態を見ました。

確かに「被害に遭った人たちに平等に物資を配りたい」という気持ちはわかるのですが、それは机上の空論です。

IMG_20240104_094815-3道路の状況で物資が届けにくい地域があるのが現実なので、まず配れるところから配っていくしかないと思うのです。

特に能登は半島です。

道路が寸断されてしまって東日本大震災のときよりも物資が届きにくい状況にあると思います。

まだ余震もある状況なので、今回は七尾市の友人と連絡を取って一番困っているという「水」を届けることにしました。

震災が起きると、どうしても知り合いの無事を確認したくてつい連絡をしがちですが、少なくとも当日はやめた方がよいと思います。

先方の状況がわからないので、バタバタして混乱しているところに電話がかかってきたら迷惑になります!
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事実、東日本大震災の時も電話が集中して回線がパンクしましたし、先方の携帯電話のバッテリーの残量を減らすことになります。

そこで今回も静岡経営塾の人たちには「能登半島地震が発生して、皆さんも石川県や富山県の人たちのことを心配していると思いますが、多くの人が直接連絡をすると相手の迷惑になります。

被災された方たちがどんな状況にあるかがわからないときは、心配でも連絡を待つのが良識のある対応だと思っています。

自分では親切のつもりかもしれませんが、自分が”いい人”なるだけの行動は厳に慎むようにお願いします」とLINEで連絡をしました。


何もできない(しない)のなら、連絡をしても意味がないのです!

IMG_5511私はある程度状況が見えてきた1月2日に七尾市の友人と連絡を取り、今どんな状況で、何で一番困っているかを聞きました。

すると「今一番困っているのは水だ!」ということでしたので、水を運ぶ準備を始めたのですが、ポリタンクの購入に「1人〇本まで」という規制がかかっていてなかなか集まりません。

また雪道に慣れていない静岡の人間が北国に物資を運ぶのは二次災害を起こして迷惑をかける恐れもあります。

そこで富山県や金沢に住んでいる仲間に連絡をして、そちらから水を届ける準備を始めました。

今の時代は何をしてもいろいろなことを言う人たちがいるので、今回はあえて名前を伏せておきますが、こうした仲間がレッカーを用意してくれたり、食品を作るための桶をきれいに洗って水を汲んでくれたりして、昨日の早朝に水を届けてくれました。

早朝を選んだのは、他の支援の車の邪魔にならないためです。

IMG_5476 (1)私たちは「いいことをしている」と思っているとき、自分たちがかけている迷惑を見落としがちです。

少しでも良いことをしようと思ったら、自分たちがかける迷惑に十分に配慮する必要があると思うのです。

以前、年末の街頭募金で集めたお金を、街頭募金をやった会社名で寄付した会社がありましたが、私はこれもやめた方がよいと思っています。

募金活動をやったことは事実ですが、皆さん方のお金を預かっただけで、すべての額をその会社が寄付したわけではありません。

それなのに「〇〇会社が寄付しました!」と言ったら、他人のお金で売名行為をしたことになると思うのです。

IMG_5519東日本大震災の時は被災地から離れた静岡の方が物資が集めやすかったので皆さんからの寄付もいただいて静岡から物資を届けましたが、今回の場合、静岡からでは届けにくく、冬の間は水道管などのインフラの工事がしにくいため水などの不足が長期化する可能性もあります。

静岡経営塾の仲間からの支援については私の方ですべて費用を出すので、もし可能ならみなさんは赤十字などにご寄付いただければ嬉しく思います。

最近のブログで「日本人が冷たくなってきた気がする」と書いていましたが、この新年の出来事は神様が「みんなで助け合いなさい!」と言っている気がするのです。

被害に遭われた方たちのためにも、日本人の優しさを取り戻しましょう!

image_123650291P.S.私の家の猫が事故に遭って突然死んでしまったとき、家族が落ち込んでいると、能登からわざわざ子猫を連れてきてくれたご夫婦がいます。

その方たちは牧場を経営していて家もまだ新しかったのですが、今回の地震で家が倒壊してしまったようで、いまだに連絡が取れていません。

とても心配ですが私が能登まで行くことは迷惑になるのでしませんが、できる支援をして無事を祈りたいと思います。

あの時の恩をこんな時にこそお返しをしたいと思います。

今日のひとこと
「大きな不幸があったら、その分幸せにならなくてはいけません!」


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