先週末、小石川後楽園へ行ったのですが、紅葉はまだまだでしたね。
我が家の周辺の公園や街路樹でも、欅は7割方、ポプラは9割方、
まだ葉が落ちずに残っていますし、
年々、桜の見ごろは早まり、紅葉の見ごろは遅くなる、てなものです。
旅行の計画も、それに合わせて立てるようにしなければ。

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では、大河ドラマ『光る君へ』の感想です。
第46話「刀伊の入寇」を簡単に。

引き続き、1019年(寛仁3年)。
亡き夫・宣孝が赴任していた大宰府に到着したまひろは、思いがけず、周明と再開します。
2人が越前で出会ってから、すでに22年の月日が経っていました。
当時、まひろを脅して、道長宛てに、交易を願い出る手紙を書かせようとした周明でしたが、
結局、交易の許可は下りず、彼が仕えていた朱は、博多から宋に帰国したとのこと。
朱と別れた周明は、太宰府で通詞をしていましたが、宋から目の病を治す名医が来たので、
その人の技を学びながら、再び薬師の仕事を始めていたのでした。

46.12

その後、まひろは周明に連れられ、太宰府の政庁を訪れます。
政庁には宋の人間が多数出入りしていて、まひろはそこで、周明の師匠を紹介されますが、
その人こそが、大宰権帥・隆家の目の病を治した、宋の名医なのでした。
政庁の裏手では、武者が訓練をしており、その中には双寿丸の姿もありましたが、
そこに、武者たちへの差し入れを持って、隆家がやってきます。

隆家は、周明の連れの女性が、藤式部だと知ると、太閤・道長から、
まひろを丁重にもてなし、旅の安全を図るようお達しが来ている旨、伝えます。
隆家にとって、まひろは、自分たち中関白家の人間を追いやった『源氏物語』を書いた女房、
政敵ともいえる存在でしたが、何事もなかったかのように、宋の茶でもてなします。
その席で隆家は、太宰府に赴任して5年経った今の心境を、こう語るのでした。
目が再び見えるようになったら、違う世が見えてきた。
狭い内裏で、位を争う日々を、下らないと思うようになったが、今は、仲間がいる、と。

46.06

まひろは、その夜の宴会にも招かれましたが、皆に交じって楽しげに踊る様子、
また、賄賂を受け取らないことで、九州の在地の勢力が心服し、懐いているという、
平為賢の言葉からも、隆家が、善政を敷いていることが伝わってきます。
この宴会の場面、青磁の壺や食器がふんだんに使われていましたが、レンタルですかね?
乙丸が、きぬへプレゼントする紅を市場で買うシーン、可愛かったです。

さて、まひろは太宰府を出発し、次ぎの目的地、松浦へ向かうことになりましたが、
舟で行く方が安全だと、港のある船越津まで、周明が送ることになります。
しかし、その頃、対馬や壱岐では、大変な事が起こっていました。

46.08

4月7日、命からがら壱岐から脱出してきた僧・常覚が、太宰府に辿り着き、報告します。
先月末、正体不明の賊が大挙して襲来し、子供と年寄りは殺され、他の者は連れ去られたと。
国守までもが殺されるという深刻な事態を受けて、隆家は都に急使を派遣するとともに、
周辺国に対して出兵を依頼。自らは部下を率いて、太宰府防衛の要、博多へ向かいます。
騎馬武者の装束などは、源平時代に近い感じですね。

46.11

正体不明の賊は、女真族を主体とした海賊で、後に「刀伊」と呼ばれることになりますが、
彼らの目的は略奪。とりわけ、奴隷として使役し、また売るための、人間狩りでした。
賊は、船約50隻、約3,000人からなる船団を組み、対馬と壱岐の後は、筑前を襲っていますが、
このうち、筑前国志摩郡では、文屋忠光が活躍して、賊を打ち払っています。
なお、文屋が、博多警固所に、敵の首級をもって参上したということは、
この時代から、そういう習慣があった?

46.03

4月8日、賊は、博多湾内にある能古島を襲うと、ここを拠点として、4月9日、博多に上陸。
援軍の到着前でしたが、隆家は打って出ることにし、先頭に立って出陣します。
賊を発見した隆家は、自ら鏑矢を放ちますが、その音に驚いた賊が足止めされているところへ、
平為賢の軍勢が到着、弓矢と鎗で賊と戦い、どうにか賊を撃退することが出来たのでした。
若き日、花山法皇に向けて矢を放ち、中関白家没落の原因を作った隆家でしたが、
今や、彼の放った矢が、日本を救うことになったのです。

その頃、土御門邸では、赤染衛門が、『栄華物語』の完成部分を、倫子に披露していました。
道長の輝かしい物語を書くはずが、道長がまだ生まれてもいない、
宇多天皇の御代(在位887年~897年)から始まっていることを、倫子は訝しがりますが、
衛門に言わせると、藤原を描くなら、「大化の改新」から書きたかったくらいだと。
『枕草子』『源氏物語』と書かれてきたが、仮名文字で書かれた史書はまだ存在しないので、
必ずや、後世まで読み継がれるものになる――そう力説する衛門に、倫子もたじたじです。

46.10

さて、船越津近くまで来たまひろたちですが、激しい風雨に遭い、納屋で一泊することに。
その夜のこと、周明は、まひろと太閤・道長との関係を、
なぜ妻になれなかったのか?弄ばれただけか?など、ずけずけと質問してきます。
先日の茶の席で、隆家が、太閤が出家し、体の具合も悪いらしいと話した時、
まひろが顔色を変えたことに、周明は気付いていたのでした。

私が私であることの意味を、道長が与えてくれた――そう答えたまひろでしたが、
周明から、それではなぜ、都を出たのか?と突っ込まれ、本音を明かします。
「偉くなって世を変えてと言ったのは私なのに、本当に偉くなると、虚しくなってしまった。
そういうことを思い悩むのも嫌になって、都を出た。とにかく、道長と離れたくなった」
「これ以上、あの人の役に立つことは何もないし、都には、私の居場所がない。
今は、何かを書く気力も湧かない。私はもう、終わってしまったのだ」と。

46.04

そんなまひろに、周明は言います。まだ、命はある、違う生き方だって出来る、と。
そして、書くことが全てというまひろに、これまで自分がやってきたことや、
友人や親兄弟のことなどを書いているうちに、良い物語が思い浮かぶかも知れない――
そう言って、執筆活動を続けるよう、励ますのでした。
書くことは、紙と筆と墨があれば、どこでも出来る。都でなくても、と。

4月11日になると、暴風も収まり、まひろたちは再び、船越津の港を目指しますが、
折悪く、その道中、海辺の村を襲う海賊と、遭遇してしまいます。
いったんは退いた賊でしたが、風雨が止んだので、再び上陸して、略奪していたのです。
まひろたちは村人もろとも、波打ち際に追いやられ、賊に囲まれてしまいますが、
直ぐに、双寿丸ら、大宰府方の軍勢が駆け付けてきます。
援軍を得た隆家は、風雨の間に、賊の再度の来襲に備えて多数の兵船を用意し、
船越津に上陸するであろう賊を、待ち構えていたのでした。

46.07

激しい戦闘の中、まひろは周明に手を引かれて逃げますが、
流れ矢だったのでしょうか、周明の左胸に、矢が当たってしまいます。
松浦から太宰府に戻ったら、話したいことがある――そう言っていた周明ですが、
もし、それがプロポーズだったりしたら、フラグとしか・・・・以下次回。