こんなニュースが今日載っていました。

あの三尺玉も打ち上げられるのでしょうか?
毎年8月2日・3日の2日間で8時、9時の2回ずつ打ち上げられる。

子供の頃、長岡で何度も夏を過ごしましたが河川敷に行かなくてもこの大輪の花火は良く見え、まだ腹に響く大きな音がしました。

長岡と言えば山本五十六ですが、地元では河井継之助の方が有名かもしれません。

昭和20年7月20日朝、長岡の郊外に一つの大きな爆弾が投下された。
これは、後に長崎に投下された爆弾と同じ型のもので、原爆投下の模擬投下でした。

そして長岡は連合艦隊総司令官山本五十六の里と言うこともあり、盛んに空襲にあいました。
特に終戦に近い昭和20年8月1日にたくさんの焼夷弾が投下され、市街地の8割を焼かれてしまいました。

私の母方の里が長岡であったため、この空襲で逃げ惑った話は時々聞かされました。

長岡花火もこの空襲被害からの復興を願ってその1年後の昭和21年8月1日に復興祭が行われ、今の長岡まつりになりました。

来年で戦後70年。真珠湾攻撃は1941年であるので74年になる。
もうこんなことを繰り返したくない。

山本五十六はアメリカの戦力も知っていたし、アメリカとの戦争には反対だった。
でもやるとなればやらなければならないと・・・

筑波で当時のゼロ戦の残骸が公開された。
特攻は2万4000人が出撃し1万9000人が戻らなかった。

皆、「国のために」と言って命を投げ出した。
これを美化もできないが、無駄死になどともとても言うことは出来ない。

それが戦争。戦争になればこう言うことになる。それが正義となる。

こんなことにならないように皆で知恵を出して民間交流などをしていかなければなりません。

軍備を増強し、やられたらやり返すぞと防衛力を強くし、攻撃できるように法整備することが抑止力になるのか??

このままでは日本も核武装をすることに向かうでしょう。それしか核保有国に対抗する抑止力がない。
いや、少しずつ確実に向かっています。

戦争の突発原因は些細な事。それが「どちらが悪い」、「自分たちは正しい」、「国のため」「正義のため」と繰り返し戦争をし人を殺してきた。

この愚かな行為は今までの長い人類の歴史を見れば無くならないようにも見える。

でも世界は狭くなり、色々な人種の人とも友達になり、この愚かな事をたくさんの人たちの知恵で克服することができないとも思えない。

山本五十六が尊敬していたという河井継之助は司馬遼太郎の「峠」に描かれている。

戊辰戦争で新政府軍のの岩村精一郎と小千谷で会談(小千谷談判)した。

河井は会津・米沢を説得し、中立をめざし会談したが拒絶され、やむなく戦争に突入した。
そして最後の武士として死んだ。

小千谷談判がもう少しわかる相手であればこんなに犠牲を出すことはなかった。(北陸戦争)(会津戦争)

  八十里 腰抜け武士の 越す峠

河合の辞世の句である。(八十里峠 は越後から会津へ向かう途中にある)

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

山本五十六の人を育てる言葉をもう一度かみしめて見たい。

今の時代にいたらどのように進む方向を指し示してくれるのでしょうか。