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 前回の記事で石垣島でのお話はおしまい。


 翌4月23日は、東京へ発つ日。24日にフロリダへ戻るので、その1日前に羽田空港近くのホテルに移動するのね。


 自宅では大体朝4時から4時半に起きているのだけど、この日は朝5時過ぎに起床。せっかく日本時間に慣れたと思ったら、もう帰るのかぁ…。バルコニーから見た空はまだ真っ暗だった。東京よりも30分ほど日の出も遅い。ずいぶん西へ来たのだなぁと実感(フロリダも日の出は遅いからこれに慣れてると言えば慣れてるが)。


 そしてファミマで最後の朝ごはんの買い物。あと、アメリカから持参したプロテインバーを切らしてしまったので(想定内)、ここでザバス プロテインバーというのを見つけて買ってみた。石垣島のファミマは、自動ドアの手前に、ガラス張りの玄関みたいなのがあって、手動のドアが横についている。これって、雨風除けなんだろうなあ、と思った。


 西表カイネコさんはご自分の赤いボルボでお迎えに来てくださって、石垣空港まで送ってくださった。左にあるストリートビューは、以前ぱいーぐるの像があったところ。


 空港には無事に9時前に到着。預けるスーツケースはすでに重量オーバーしているのは分かっているので超過料金を支払い…。セキュリティも問題なく通過。私のステンレスの水筒は、あらかじめ空の状態にしてあるんだけど、係員さんに「一口飲んでみて」と言われた。なので中身を見せて「空です~」って。てか、水筒に飲み物入れたまま持ち込んでいいの???多量の液体って駄目なんじゃないの?って逆にびっくり。


悲しい雨降り 2024-4-23
 朝から曇ってはいたけれど、飛び立つ前に雨が降ってきた。なんだか悲しくなってしまう。

 離陸した後、窓から下を見下ろしてみたら、サンゴ礁が美しかった。こんな綺麗なところを飛んだのは、ジャマイカに着陸する(モンテゴ・ベイ空港)時以来かも。そして雨雲に入ってしまう前に、遠くにソナチネビーチも見えた。


 このボーイング737-800がたどったルートは下のコラージュの通り。先に調べた時はこうだったんだけど、当てが外れた。てか琉球列島も奄美諸島も雲の下になって見えていなかったから別にいいんだけど…。

奄美大島から千葉へ飛ぶヤンバルクイナ 2024-4-23

 上のコラージュ、左と真ん中上が奄美大島の真上で、真ん中下は伊豆諸島付近でくきっと面白い曲がり方をした様子。そして右が千葉だね。この後木更津方面へ向かう。翼に描かれているヤンバルクイナは東京にはあまりに合わない気がする。東京から乗る乗客たちはこれ見て「沖縄行くぞ~」とワクワクするんだろう。


 木更津方面から東京湾を超えて、下にアクアラインのトンネル入り口を見ながら羽田空港の滑走路へ。この時一瞬だけあの事故のことを思い出す、が、大丈夫大丈夫、ちゃんと飛んでる、と自分に言い聞かせる。

東京湾から羽田 2024-4-23

 無事羽田に到着。これで1か月の間に飛行機4会社4便乗ったことになる。慣れてはきたけど、やっぱり疲れるわ。


 羽田空港のホテルって高いのだけど、天空橋駅に新しく出来ていたホテルは割と安価だったので、そこに1泊することにしていた。国際線ターミナル(第3ターミナル)と異なり、タクシー乗り場はがらがらで、すぐに乗れたのはいいけど、運転手さんに行先を告げても知らないって言う。おまけに「シャトルバスで行かれると思いますけど?」って危うく乗車拒否されそうになった。こっちは荷物が大変だからタクシーで行くんだけど、それが分からない?あるいは近くて大した額にならないから面倒くさいだけ?ってがっかりしちゃった。なんとか連れて行ってもらったけど、羽田イノベーションシティの車寄せはホテルの入り口からは結構遠くて、また一苦労。


 チェックインの時間までまだ少しあったので、隣のカフェで時間つぶし。プロテインバー食べてたから、おやつ程度で。モンブランってかマッターホルンじゃないかと思うぐらいそびえたってたモンブランが美味しかった。


 ホテルに無事チェックインした後、すぐに出発。5年前の帰国では、芝離宮には行ったけど、モノレールに乗っていなかった。それがちょっと心残りだったので、今回は最後の最後に乗ることに決めていた。例年なら芝離宮の藤棚が咲いていそうな頃ではあったのだけど、今年の春は冷えて何もかも開花が遅かったからね(おかげで開花から満開から葉桜から八重桜まで思う存分桜が楽しめたのだけど)。それに藤は長崎大変印象的なものを見たし、生まれて初めて山藤も見たし、それで十分すぎるぐらい。天空橋駅から出発。この駅って以前はなんだったんだっけ?と気になる(イノベーションシティが昔のターミナル跡で、天空橋駅は羽田駅だったそう、結局小学生の頃に社会科見学に来たスポットに戻ってきたことになるのか)。


 整備場駅昭和島駅流通センター駅、と、懐かしい名前の駅たち。でも昔の面影がほとんどないので戸惑う。

整備場から流通センター 2024-4-23

大井競馬場駅あたり 2024-4-23
 そして大井競馬場前付近。高校の体育祭や陸上競技会ってこの近くの陸上競技場で開かれたので、40年ぐらい前はよく利用したところだったのよね。駅の付近には厩舎があったので(いまはどうなんだろ)、当時はすごく臭い駅だったんだよねー。


天王洲アイルへ 2024-4-23
 で、そこから天王洲アイル駅へ向かう間に見える風景。地名で言ったら品川区八潮のあたり。この煙突のある建物は品川清掃工場だそう。東京のこのような埋め立て地にはもともとゴミ処理場だの清掃工場だの汚水処理場だのがあったわけだから、まあそういうことね。


港南 2024-4-23
 天王洲アイル駅を過ぎて、やっと港区に入った。ここは港南あたり。なんだか取り壊し中のところがあり、東京都立港特別支援学校の脇を通った(これは以前東京都立青鳥特別支援学校の港分校だったものが移転してきて1982年に開校したという学校だそうだ。青鳥養護学校の港分校って、私が通っていた東町小学校・幼稚園の建て直し中に使っていたプレハブの校舎をその後で使っていた学校で、小学校の運動会の見学に毎年来ていたのでよく覚えている)。そしてこの日の私の目的のレインボーブリッジが遠くに見えてきた。

 中学卒業間際で付き合い始めた男の子に連れてこられた「港までの道」を思い出す。自宅から徒歩で行ったんだ。田町駅の線路下の狭いトンネルを抜けてね。あそこのスポーツセンター、今は建て直されているけれど、以前の建物は屋内プールにいると、窓からモノレールがよく見えて、まるでプールに突っ込んでくるんじゃないかと思えたぐらいだったな。


 あの頃「海を見に行く」と言っては歩いて行っていたスポットは左のストリートビューの通り。その芝浦埠頭も、もちろん40年前とは全然様子は違う。


 さて、終点の浜松町駅だ。



 *写真をクリックしていただくと、拡大サイズで見ることが出来る他、地図にも貼り付けてありますので、撮影地点も航空写真で見られたりもします。


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