高木いくの(イクノリリィスキア)YouTube Liveのセットリストとか
多摩川の旧流路
「神霊矢口渡」の舞台が現在の矢口の渡しの場所とは異なり、当時は新田神社付近を多摩川が流れていたという話を読んで、かなり昔の話なので流路ははっきりしないのかと思っていた。
ところがとある天神社の近くで水路跡を見つけた。左右両側に舗装された道のある立派な緑道で、最後はポンプ場だ。つまり暗渠だ。そして、これはどうやら支流ではなく、旧流路だと気づいた。
「古市場」という地名は現在の多摩川の両岸にあり、流路変更で分断された地名だということは気づいていた。丸子や等々力、野毛と同じである。
地図を見ると、それ以外にも流路跡がはっきり見える。
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1e1BLJA3XTBVqmgzmGFVt7-1Ty9p1HXMo&usp=sharing
もともとは小向マーケットを見に行こうとしたら緑道があり、辿ってみるとポンプ場に行き着いて、「小向の渡し」という石柱(新しい)があった。こちらは二ヶ領用水という話もあって、明確な区別はできないのかもしれない。
参考資料はこのあたり。
ヴォネガット『これで駄目なら』の邦題について
カート・ヴォネガットの没後9年を経て、今また新刊が編まれて邦訳まで出版されることはとても悦ばしい。そういうものだ。翻訳は円城塔、帯には糸井重里という布陣で、新しい読者にも届くことが期待できる。これからも多くの人にヴォネガットの小説が読まれて欲しい。
ただこの邦題には違和感を持った。
原題はIf This Isn't Nice, What Is? 。本文ではこのように訳されている(p.47)。
これで駄目なら、どうしろって?
意味は損なっていないし、日本語として自然だ。だが、「駄目」というネガティブワードが気になる。原文は nice というポジティブワードの修辞疑問文だ。心優しきニヒリスト、皮肉屋のヒューマニストであるヴォネガットの言葉として適切だろうか。
浅倉久志であれば何と訳しただろう。今となっては訳してもらうことはできない。そういうものだ。だが答えは用意されている。
これがすてきでなくて、ほかになにがある?
小説『タイムクエイク』の中の重要なフレーズなのである(1998 p.28 第4章3段落ほか)。英語から直訳した村上春樹のような文体だし、本のタイトルとしては締まらないかもしれない。だけど、この訳が正解だと思う。『タイムクエイク』の本文中では「これで駄目なら〜」とは訳せないのも明らかだ。
偉大な先達の翻訳者と僕のような五月蝿い愛読者がいる作家を訳すのは大変だ。
あるいはヴォネガットの読者なら nice という単語を聞けば、ボコノン教のカリプソから「ナイス、ナイス、ヴェリ・ナイス」を思い起こすのではないだろうか。