山形浩生の「経済のトリセツ」

余談:モーレツ営業係長としてのチェ・ゲバラ、および商品としての革命

Executive Summary

チェ・ゲバラのキューバ革命とそれ以降の成功と挫折は、上(カストロ) がお膳立てしたうえでのモーレツ営業係長的な成功と、そしてそれが勘違いしたまま部長になってしまい、お膳立てがなくなって思うように事態が進まなくなったときの困惑、シバキ主義とパワハラ化、一気に立て直そうとする焦り、かつての栄光を夢見ての挫折、といったプロセスで説明できるのではと思う。

そしてそこでは、その営業係長として売り込んでいた「革命」という商品の変化も効いてくる。20世紀社会主義革命は、機械化と量産による生産性向上と、その恩恵の平等な分配で万人にパンを与えるというパッケージ商品。だがもし機械化が成功しすぎてパンくらい無人でも平気で提供するようになると、そもそもの労働が不要になるために逆に合理化/機械化反対を余儀なくされ、イノベーションも否定することになり、一方で人民の「パン以外もよこせ」の要求に対応する生産調整もできなくなったはず。そう考えると、社会主義というのも外部条件のえらく微妙なバランスがないと成立しない、ずいぶんつらい仕組みなんだなあ。


モーレツ営業係長としてのチェ・ゲバラ、および商品としての革命

懸案のアンダーソン『チェ・ゲバラ伝』邦訳がついに出ました! すばらしい。いろいろおもしろいので、是非ともお読みください。上巻の見所は幼少期とキューバ革命武勇伝、そして最初の奥さんへのあまりにひどい扱いです。

下巻の見所は、硬直ぶり(革命で覚醒した人間は💩しない!)による革命キューバでの失政の連続、さらには同じ原因からくる国際舞台での失敗、コンゴでの挫折、ボリビアでのダメ押しの死。

それにしても、なぜみんなの大好きなチェ・ゲバラの決定版伝記がこれまで邦訳されなかったのか、と考えて見るに、やはりこの本がチェ・ゲバラ大絶賛になっていないことが大きな原因としてあるのだろう、とは思う。彼は当然ながら、特にキューバ革命成功後はまったくといっていいほど成功がない。そしてそれはすべて、かれ自身のせいだ。その青臭い頭でっかち、現実感覚の欠如、社会経験欠如、最初の成功からくる思い上がり。

そこらへん、本書の特に下巻を読むと痛々しいくらいにわかってしまうのがつらい/都合が悪い、ということなんだと思う。その都合の悪さはかなりのものらしく、別の本の後書きで、訳者の後藤政子が未訳の本書をわざわざ名指しで、しかもほとんど言いがかりに等しいまったくピントはずれなやり方でdisっている。

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学者だからある程度の中立性はあらまほし、とは思うんだけれど、そうもいかないらしい。

でも、そのゲバラの後年の失敗と挫折の連続を見ているうちに、雑ながらそこそこわかりやすいアナロジーを思いついた。彼はね、革命/ゲリラ暴力革命という商品を売り込む、モーレツ営業マンなのだ。

モーレツ営業係長としてのチェ・ゲバラ

チェ・ゲバラ伝読むと、彼は目標と指針とリソースを適切にお膳立てしてくれる部長の下で、猪突猛進のすさまじい営業成績をあげるモーレツ (死語) 営業係長だが、部長にしたら、リソース管理できず、自分と同じ「頑張ればできるはず」「なぜできない」と言うだけのブラックパワハラ部長になるタイプ。

営業成績あがらないと、馴染みの大口取引先 (ソ連) について「こんないい商品買わないなんて客がバカだ」から「俺たちをもり立てるのが大口顧客の責務だろう!」とか公言しはじめ、客先からの苦情が殺到。みかねた元部長(現社長)が、「あー、チェくん少し新規開拓の現場 (コンゴ) に戻ってみては」と言ったらそこでも強引な押し売りやって自滅、そして「いや、前から温めていた腹案があるんです、そっちをやらせてくれ、満を持して!」とアルゼンチン革命の前段としてボリビアに出かけて、同じ押し売りで失敗して爆死という感じ。

彼自身は純粋で真剣で「頑張ればできる」「なぜできない」「サービス残業しろ」と言う時にはいじめてる意識はなく、本気でそう思っている。いるでしょう、「なんでできないかなあ」とかまったく悪意なく首を傾げて、なおさら部下を追い詰めてしまうタイプ。自分も深夜残業したり「オレも休日出勤つきあうよ!」と言って、部下もやらざるを得なくなり、本気で応えようとはするが……つぶれてしまう。手柄を横取りしたり、怒鳴って殴ったりするパワハラではないが、ある意味でなおさらたちが悪い。

当初は隣に、もっとおおらかで雑駁なカミロ・シエンフエゴス係長もいて「ぐわっはっは、おいチェ、無理すんなよ、飲みにいこうぜ」とガス抜きもしてやったが、部長と営業方針で対立し、うとましく思った部長が、社長になったとたんに彼を左遷(暗殺)しちまって、なおさらゲバラ係長は孤立。

シエンフエゴスは、ゲバラの最初のできちゃった婚奥さんにも、部長が孕ませた愛人にも気を遣ってあげる(比喩でなくホント)実に気の利くタイプで、彼が専務とかになってたらキューバもずいぶんちがったかも、とは思う。彼が(おそらく) カストロに殺されたのは、カストロがカミロの人望を恐れて/嫉妬してのこと。キューバ革命政府に共産党が急速に入り込むのに反対した友人マトスに共鳴していたので、カストロはマトス拘束にまさにそのカミロを遣わせるという嫌がらせをして、その帰りにカミロの飛行機を撃墜させている。カミロが残っていれば、共産化も少しはペースが下がり、ゲバラのスターリン型集産主義導入も少しは緩和され……が、実際に専務になったのはけんかっ早いだけのガリガリの赤、ラウル・カストロだったという……

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フィデルも本当にはえぬき営業部長タイプで、社内の旧派閥に属する共産党こと生産部門や財務部門のことは何もわからずに、威勢のいいスローガンと宴会芸と社内政治でいきなり成り上がったが、部長の頃はむちゃくちゃなスタンドプレーやっても、他の部の部長がそれをある程度は抑えられていた。それとカストロは山の中にいたので、むちゃくちゃ言っても最終的にないものはないのだ、と我慢するしかなかった。

そして同時に、すべてを仕切る給湯室一般職お局様ともいうべき旧派閥のセリア・サンチェスと不倫関係になって、彼女が他の部長との交渉仕切りをなんでも手配してくれて、それだけで切り盛りできてたという感じ。ゲバラが動けたのも、カストロ部長のおかげというより、セリア・サンチェスの調達能力のおかげが大きい。

ところがカストロ部長は、社長になっても同じノリ。もう抑えのきく他の部長も物理的制約もないし、営業の大風呂敷が世界相手となると、セリア・サンチェスの社内調整だけではまわらなくなる。そのうち、社内の仕組みはこれまでカストロにヘコヘコしつつも様子をうかがっていたキューバ共産党に地道に抑えられてしまったけど、カストロは自分の地位さえ保てればよかったので、それを見すごして……

そのカストロは社長になったら、まずは社内政治にばかりかまけて粛清三昧。シエンフエゴス係長は出張させてなぜか事故死。国の切り盛りはすべて思いつきレベル。それでも、客先 (ソ連) をあれこれ言いくるめて援助 (and/or ミサイル) を分捕ってくるという、大事な仕事はこなし続けたので、会社はなんとか潰れずにはすんでいる。

そして実際の商品である「革命」の営業はパワハラのゲバラ係長にぶん投げている。それのみならず生産と財務部まで、こともあろうに何の経験も知識もないゲバラ係長に丸投げしてしまう。具体的には、ゲバラは対外ゲリラ革命輸出の人材育成 (つまり革命の「生産」)をやり、工業省で物資兵站の生産も担当し、さらには中央銀行総裁も引き受けて、財務担当までやっている。

もちろんゲバラ係長は営業一筋なので、そんなものは一切知らない。ゲリラ山中でパン焼きとか靴づくりとかちょっとやった経験はあるくらい。だが真面目なので、財務部長になってから (前部長は追放されその部下もすべて逃げ出している) 日商簿記3級の勉強から徹夜して始めるが……そりゃゲバラも潰れるわ。

商品としての革命の価値提案

営業係長の比喩はあくまでお笑いではある。が、それをもう少し敷衍するなら、チェ・ゲバラについてはかならず「純粋」「信念の人」「理想に殉じ」みたいなことが言われる。これはつまり、彼がモーレツ営業係長として、自分の扱い商品の優秀性を本気で信じていたということ。そしてその信念が、彼の営業成績に大きく貢献したのはまちがいない。

当然ながら、そこでの扱い商品というのは「革命」だ。社会主義革命ではあったんだけれど、キューバ革命の過程では、それは前面に出してはいけないことになっていたので、単なる「革命」であり、一歩踏み込めば反米帝となる。

そしてフランス革命でもロシア革命でも中国革命でも、「パンがなければケーキ(実際はブリオシュだけど)を食べればいいじゃない」と言ってのほほんとしていた階級に対して「ふざけんな、こっちはパンも食えずに飢えて苦労してるんだ」という民衆の怒りが基本だった、というのが公式のストーリーではある。これはキューバ革命でも同じだった。

つまりその場合、革命としての価値提案というのは「みんなパンは食えるようにしますよ」という話。そして20世紀の科学的社会主義の革命において、それは集産農業や機械化に伴う合理化と量産を裏付けとした主張ではあった。

ここらへんはむずかしい話ではある。一方で、社会主義の一つの源泉は、産業革命でこれまでの繊維工業の労働者が機械化により買いたたかれ、失業してしまったことからくる、悲惨な暮らしに対するエンゲルスの怒りがある。だから、社会主義運動の根底にある種の反合理主義みたいなのがあるのは否定できない。

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その一方で、全員を食わせられるようにするためには、機械化・合理化による生産性向上も必須だった。それはエイゼンシュテイン『全線』で主張されていることだ。富農のお情けにすがる必要はない。機械化で生産力をあげよう。コルホーズで大規模農業により効率化しよう。それをみんなに行き渡らせよう——それが「革命」の価値提案だ。


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営業係長としてのゲバラは、この価値提案に自分も洗脳され、そしてそれを本気で純粋に信じていたので、それを積極的に他の人たちにも勧めた。そこで彼は「あんたらがパンも食えないのは米帝、およびその傀儡バティスタとかのインチキ搾取の下だからだ、それでは何も残らない。オレたちは生産性をあげて、みんなにパンを食わせるぜ!」と主張していた。ゲバラがこれを信じていたことは、革命政権樹立直後に、キューバの生産性はこれで爆上がりしてすぐに食料のほぼ完全自給自足を達成するぞと宣言していることからもわかる。そして彼はそれを実現すべく、工業省のトップとなる。

そのわずか七ヶ月後にそれが破綻するんだけど。

彼がいかにそれを盲信し、いかに現実感覚を欠いていたか示すエピソードがある。カストロは、キューバ経済を存続させるため、アメリカ (またはソ連) が市場より高い金額でキューバの砂糖をどんどん買え、と要求した。ところがゲバラは、それこそが米帝の搾取なのだと罵倒した。米帝が市場より高めの金額で砂糖を買って甘やかすから、キューバは砂糖にばかり依存した単一作物経済になってしまう、これは米帝の陰謀なのだ、と公然と主張し、カストロにさからった。それがなくなれば、キューバは砂糖依存から抜け出せて、豊かな工業国に発展できるのだ、というわけ。シバキ主義極まれり。もちろん、そんな都合のいい話はないんだけど。

が、営業係長/営業部長なら、そういう勢いだけの宣言だけでよかったかもしれない。それで売上がたったら、あとは彼らの知ったことではない……んだが、困ったことに彼らはもはや営業だけをやっていたわけではなかった。生産部門も財務部門も彼らがいまや握っているので、自分の勢いとノリだけの営業トークの責任を負わなくてはならなくなった。

そして革命して農地や工場や機械を接収すれば、それだけで自分たちも以前と同じ生産が維持できると思っていたら、そんなオイシイ話はなかった。トラクターがあれば生産性が上がるわけではない。トラクターをどう使うの? 農地があれば自然に作物ができるわけではない。施肥はどうするの? 石油精製プラントがあれば自然にガソリンができるわけじゃない。

が、そういう知恵を持っている人を、彼らは殺すか追放するかしちゃったんだよねー。そして小学校出たくらいの知識しかない人々に生産現場を任せ……何もかもが破綻した。

そしてその結果として導入されたのは、配給制となる。写真は今も続くキューバの配給所だ。ベーシックインカムならぬ、ベーシックヒューマンニーズ保証というわけ。

そういえばある意味で、ベーシックインカムの提案というのは、配給制復活の提案ではあるんだなあ。

ちなみに配給制がどんな位置づけかは、こんなあたりを参照。

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さてこれで、革命営業の約束は果たされた……はずなんだが、これですらカツカツで、大口顧客さんのお情けでなんとか存続できていたようなもの。

でもその一方で、ゲバラその機械化による社会主義に成功していたら?

これまた社会主義が直面した大きな問題だった。効率が上がりすぎて、みんなにパンが行き渡る程度の生産力は一瞬で実現できてしまうはずだから。

もともと、エイゼンシュテインが描いたような機械化のイメージでは、そんなに生産性があがるはずではなかった。みんな頑張って労働して、たまにビールが飲めるくらいには豊かになりましたねー、という程度の話のはずだった。従来の生産方法なら、完全雇用でも生産が不足してみんなヒイヒイ言ってるのが、機械化で生産量が二割アップくらいにして、ちょっと余裕ができるくらいの印象。みんな、生き生きとゆとりをもってやりがいを感じながら働ける、そんな状況になるはずだった。

ちなみに、技術による自動化はいくない、とか言うアセモグルのようなラッダイト経済学者も、そういう状況を理想としている。

ところが、もちろんそんな生ぬるいことではすまなかっただろう。ソ連も、馬鹿なルイセンコとかやらずにまともに科学的な農法をやって緑の革命の成果も入れて、というのをやっていたら、そしてそれがキューバに入っていたら、そして農機もちゃんと使えて保守管理もできていたら (そして輸送もまともになって低温保存もできてあれやこれや……そうやっていろいろ考えると、これがソ連やキューバにできたはずはないから、これはすべて妄想ではあるんだなあ)、キューバの食料自給くらいはかんたんにできるようになり、そうするとゲバラ部長はこんどはあまりに生産力が改善しすぎて過剰な労働力問題に直面するようになったはず。

さらにパンが食えるようになったら、みんな「パンがあっても、ケーキもたまには食いたいよ」と言い出す。パンストもほしい。チョコレートもほしい。すると、過剰な労働力をケーキ部門にまわしていろいろな生産の調整を行わねばならなくなり……

ゲバラは(そしてキューバは) ずっと生産力低迷の中で活動していきたので、こんな悩みには対応せずにすんだ。これまた、もともとはないはずの悩みで……

……なんかこの下書きでは、ここから政変を期待して経済制裁するのがいいのか、という話につなげるはずだったことになっているんだが、どんな理屈でつなげようとしたのか覚えていないや。思い出したら続きを書こう。

リックライダー「コミュニケーション装置としての コンピュータ」 (1968)

Executive Summary

コミュニケーションは、お互いの心的モデルを変えるということ。ネットワーク化したコ ンピュータは、利用者の心的モデルの外部化を可能にし、従ってコミュニケーションを大幅 に改善する。これや協働的な創造的作業を飛躍的に改善させる。対面コミュニケーションす らコンピュータの支援を受けるようになる。そのためにはコンピュータが、メッセージ処理 装置 (いまならルーター) 経由でネットワーク化され、インタラクティブな利用が進み、 あらゆるオンラインのリソースが相互に使えるようになる必要がある。費用も決して高く はない。実現すれば社会は、地理的制約を超え、関心に基づくオンライン・コミュニティが 花開く。そしてそのネットワークのソフトデバッグ業務で失業もなくなる!(要約訳者)


リックライダー「コミュニケーション装置としての コンピュータ」 (1968) (pdf, 1.6MB)

リックライダー「銀河間計算機ネットワークのメンバー向けメモ」(1963)

Executive Summary

インターネットの生みの親の一人とされるリックライダーが全地球的、宇宙的な壮大なネットワーク構想を抱いていたという根拠としてよく持ち出される文書。ただし実際の中身は、宇宙はおろか地球全体といった話はほぼ出てこない。計算機センターの相互運用を高めるための標準化やRFC的なコンセンサスの必要性をめぐる漠然としたアイデア。言語の標準化、ネットワークのプロトコルめいたものの必要性、さらにネットワーク上のリソース共有の方法について議論しようという、会議のためのアイデアメモ。


ADVANCED RESEARCH PROJECTS AGENCY (高等研究計画局 / ARPA) Washington 25, D.C. April 23, 1963

メモ: 銀河間計算機ネットワークのメンバーおよび関係者向け

Memorandum For Members and Affiliates of the Intergalactic Computer Network

FROM: J. C. R. リックライダー

Translated by: 山形浩生 (hiyori13@alum.mit.edu)

SUBJECT: 来る会議での討議内容

まず、パロ・アルトでの1963年5月3日予定の会議を延期したことについて真摯にお詫びする。ARPAの指揮統制研究局は、ちょうど即座に開始すべき新たな責務を割り当てられたので、今後一週間丸ごとそれに専念しなくてはならなくなったためだ。この優先事項は外部から強制されたものだった。5月3日を予定していた諸君に迷惑をかけたのは本当に申し訳ない。今週はこれからずっとケンブリッジにいることになるので、会議の日時と場所を5月10日にパロアルトにリスケするよう、ここの同僚たちにお願いする。

この会議の必要性と目的は、私が直感的に感じたもので、何か明確な構造をもったものではない。この事実は、以下の文を読んでもらえれば露骨にわかってしまうだろう。それでも、全体としての事業と、その中の各種活動の相互作用の可能性について、多少の背景となる材料を提示してみようとは思う。その全体事業を何と呼ぶべきかは、上の題名からもご明察の通り、自分でもよくわからないのだが。

そもそも、我々の中には個別の (個人、そして/あるいは組織の) 野心、努力、活動、プロジェクトがいろいろあるのは明らかだ。それらは、思うに、情報処理の技芸または技術、知的能力 (人間、人間=機械、機械のもの) の発展、科学理論へのアプローチという点と、何らかの形で関連しているはずだ。個別の部分は、少なくともある程度は相互に依存し合っている。前進するためには、それぞれの活発な研究はソフトウェアの基盤と、ハードウェア設備が必要となるが、それはその人物が自分だけで、現実的な時間内に作り出せるものよりも複雑で広範なものとなる。

こうした個別の目標を追求するため、グループの各メンバーは監視ルーチン、言語、コンパイラ、デバッグシステム、文書化方式、重要な計算機プログラムを実効的に用意することになる。これらはおおむね、汎用的に役立つものだ。この会議の目的の一つ——おそらく主要な目的——はこうした活動でお互いに役に立つような可能性を検討することだ——だれが何について他のだれに依存しているかを見極め、グループ内で他のメンバーのどんな活動から、他の人がおまけの便益を得られるかを見極めることになる。もちろん、価値だけでなく費用も考慮することは必要だ。それでも、計画を完全に固める前に、お互いの暫定的な計画を観ておくのは、不利益よりも利益のほうがずっと多いように思える。これは別に、プログラムの互換性を最大化するために、何やら硬直したルールや制約の仕組みにみんなを従わせるべきだとか論じるつもりではない。

しかし、いくつか予想される活動の主要部分を全部黒板に書き出して、見てみるべきだとは思う。そうすれば、それをしない場合よりも、ネットワーク全体としての決まりがどこで役にたち、それぞれのグループの利益に個別に任せるのが最も重要なのはどこなのかについて、もっとはっきりするとは思う。

もちろん「グループの利益」とは何かを決めるのはむずかしい。が、私自身(あるいはARPAの) 目的と「グループ」の目的をごっちゃにしかねないとはいえ、ある意味で、グループやシステムやネットワークの必要としているものを、いくつか挙げてみよう。

プログラミング言語、デバッグ言語、TSS制御言語、計算機ネットワーク言語、データ・ベース (またはファイル保存抽出言語)、さらに他の言語もあるだろう。こうしたものが乱立してしまうのを禁止したり制約したりするのは、いい考えかどうかはわからない。だがこれらの言語の間で、「訓練の移転」を促進するのが望ましいという点については、疑問の余地はあまりないように思う。こうした移転を促進する一つの方法は、各種言語の設計と実装において登場する、恣意的またはかなり恣意性の強い決断を行うときに、グループのコンセンサスに従うことだ。例えば、「何かの内容」「何かの内容の種類」を示すシンボルが、個人ごとあるいはセンター毎にちがうのは、まるで意味がない。ある言語システムのサブ言語集合において、現実的に実現可能な限りの統一性を維持するのは望ましいように思う。たとえばQ-32上のJOVIALに関連したプログラミング、デバッグ、TSS制御言語、あるいはQ-32計算機用のAlgol (それが開発され、JOVIALセットとはちがったものになったとするなら) に関連した各種システムや、7090か7094用FORTRAN関連の言語セットなどは統一性を持っていいはずだ。

いまの段落を口述したことで、以前よりもはっきり認識するようになったことだが、相関する言語セットの中で統一性を実現するという問題を困難にしているのは、各時点において、ある計算機上で稼働しているTSSはたった一つしかないが、その上で同時に使われているプログラミング言語は、それに関連するデバッグ言語とともに、複数あるということだ。TSS制御言語は、どれか一つのプログラミング言語/デバッグ言語のペアとしか強い相関を持てない。だからシンタックスに関する限り、それぞれの計算機設備やシステムについては「推奨」言語を決めて、TSS言語はその推奨言語と整合させるべきかもしれないようだ。意味のほうを考えるなら——少なくともある記号をある制御機能と関連させるという話であるなら——複数のちがった個別語彙を使う、複数のオペレータの使途に供するのは、可能ではあるが、不便かもしれないな。いずれにしても、この領域では問題、あるいは問題群があるように思う。

ネットワーク化された計算機の制御の問題においても、似たような問題がある。おそらくこちらのほうがむずかしいだろう。複数のセンターがネットでつながれ、各センターがきわめて独自化されていて、独自の特別な言語と、独自の特別なやり方を持っている場合を考えよう。すべてのセンターが、「どんな言語を話しますか?」といった質問をするときに、何か言語、あるいは少なくとも慣行について合意しておくのが望ましいか、必要ですらあるのでは? 極端な話として、この問題は基本的にSF作家が論じている次のようなものと同じだ。「まったく相関性のない『知能を持つ』存在同士でそのようにコミュニケーションを開始しようか?」 だがここでは、相関性のなさについてあまり極端な想定をしたくはない (知能についてはいくらでも極端な想定をしよう)。もっと実務的な問題は次の通り:ネットワーク制御言語は、TSS制御言語と同じものなのか? (もしそうなら、共通のTSS制御言語があることになる)。ネットワーク制御言語は、TSS制御言語とはちがっているのだろうか、そしてネットワーク制御言語は、複数のネット接続された設備の間で共通なのか? ネットワーク制御言語などというものはあり得ないのか? (たとえば、すでに稼働しているネットワークのどんな部分にでも好き勝手に接続するよう、各人が単純に自分の計算機を制御して、つないだら適切なモードにシフトすればいいのか?)

いまのいくつかの段落で、ややこしい話のど真ん中にいきなり飛び込んでしまったようだ。別の出発点からアプローチしてみよう。明らかに、この事業のメンバーの中には、FORTAN [ママ]、JOVIAL、ALGOL、LISP、IPL-V (またはV-l, V-ll) をコンパイルする既存プログラムを改変するようなコンパイラ(複数かもしれない) を用意しているところがあるだろう。いま挙げたそれぞれや、私が予想もしなかった何かについて複数のものがあれば、そうした予想されるプロジェクトの互換性を検討しておくとよいはずだ。さらには、想定されている活動を見て、その固有の特徴が何かを調べ、望ましい特徴の集まりを定義して、それを一つの言語や一つのコンパイラシステムに入れ込むのに何か意味があるかを考えるのは、望ましいんじゃないかと私は少なくとも思う。ALGOLやJOVIALの要素の可能性として、リスト構造の特性が重要なのだという議論には感心している。リスト構造を核とした言語構築をやるのと同じくらい、リスト構造的な特徴を既存の言語に組み込む活動もすべきだという議論は一理ありそうだ。

システム全体の計算機がすべて、あるいはそのほとんどが統合ネットワークの中で協働で動く場合はごくまれだということになるかもしれない、というのはわかっている。それでも、統合ネットワーク運用能力を開発するのは、おもしろいし重要に思える。私が漠然と考えているそんなネットワークが運用にこぎつけたら、少なくとも大型計算機4台、小型計算機が6台か8台かな、さらに大量のディスクファイルや磁気テープユニット——さらにはリモートコンソールやテレタイプ局が山ほど——がすべて同時に稼働することになる。この問題へのアプローチは、個別利用者の観点からやるのがいちばんよさそうだ——その人が何を持っていそうで、何をやりたそうかを考え、その要件が満たされるようなシステムをどう作るかを考案しようというわけだ。利用者が持ちたい、またはやりたそうなこととしては、こんなものがある:

(仮に、私がCRTディスプレイとライトペンとタイプライターを持つコンソールの前にすわっているとしよう)。「リスニングテスト」というテープにある実験データ集合を読み出したい。そのデータは「実験3」という名前だ。このデータは基本的に、各種のS/N比の比率だ。こうした実証関数はいろいろある。この実験はマトリックス型で、聞き手は数人、提示方法は数種類、信号周波数も複数、その期間も複数だった。

まず、「理論的」な曲線を実測データにフィットさせたい。これを予備的にやって、割合とS/N比の理論的な関係についてどの基本関数を選ぶべきかを調べたいわけだ。「カーブフィッティング」と名付けた別のテープには、直線やべき乗関数、累積正規曲線にフィッティングを行うルーチンを保存してある。だが他のものも試してみたい。最初は、私がプログラムを持っている関数から始めてみよう。困ったことに、私はよい散布プロットプログラムを持っていない。それを拝借したい。単純な直行座標で十分だが、軸の目盛の細かさや、その凡例は指定したい。その情報をタイプライターから入力したい。システム内のどこかに、これに適した散布プロットプログラムはあるだろうか?

現状のネットワークのドクトリンを使うと、まずは自分のいる設備を調べて、それから他のセンターを調べることになる。たとえば私がSDCで働いていて、使えそうなプログラムがバークレーのディスクファイルで見つかったとしよう。私のプログラムはJOVIALで書かれている。だがシステムを通じて見つけたシステムはFORTRANで書かれている。それを移植可能なバイナリプログラムとして持ってきて、それを「導入時点」または「実行時」に、自分のカーブフィッティングプログラムのサブルーチンとして使いたい。

いま述べたステップを実現できたとして話を進めよう。直線、二次曲線、四時曲線などではデータがうまくフィットしないことがわかった。最高のフィットでもオシロスコープで見たらかなりひどい。

計測データを累積正規曲線にフィッティングさせると、どうしようもないほどひどくはない。検出プロセスについての何かの理論と整合させるよりも、少数のパラメータで制御できる基本関数を見つけるのがこちらの眼目なので、システム内のだれかが、利用者の提供する曲線にデータをあてはめたり、たまたま累積正規曲線っぽい(だが非対称)関数が組み込まれたりしているような、カーブフィッティングプログラムを持っていないか知りたい。仮にいろいろファイルを調べたり、あるいはマスター統合ネットワークファイルがあってそれを調べたりして、そんなプログラムはないことがわかったとしよう。したがって、正規曲線で行くことにする。

こうなると、プログラミングをしないといけない。自分のデータは手元において、正規曲線にフィッティングするプログラムも手元に置き、拝借したプログラムを表示したい。実験の順序尺度または比率スケールの次元のそれぞれを進めつつ、各種の対象について少しずつちがった境界値群を与え、平均と分散がゆっくり変化するよう制約をかけながら、自分のデータの各種サブセットを累積正規曲線にフィッティングさせたいわけだ。そこで次にやりたいのは、カーブフィッティングのルーチンに境界値を設定するような、一種のマスタープログラムを作り、そのフィットがどれほど高いかを、図化すると同時に数値でも表示させ、ライトペンと境界値の図示と独立変数の対比をオシロスコープの画面上に表示し、いろいろやってみて、各種の(私から見れば) 無理のない設定を試してみる。実データに対して、すでに述べたサブプログラムを使い、繰り返しプログラムを行い、うまく動くようにしたい。

仮にやっとこれが成功して、まあまあの結果が出て、実証データと「理論」曲線の両方を示すグラフを写真に撮って、新しいプログラムを将来も使えるように保存したとしよう。このプログラム群全体のシステムを作り、それを「制約境界正規曲線フィッティングシステム」と題して保存しておきたい。

が、そこで仮に、私の直感的には自然なシステム命名方法が、ネットワークのプログラム命名に関する一般指針に適合していないとしよう。そうした慣行との不一致については教えて欲しいと思う。だって私はプログラムライブラリや有用なデータの公開ファイルの話となると、良心的な「組織的人間」なんだから。

いまの話で、私はいくつかのネットワークの特徴を活用しているはずだ。念頭にある要件を満たすようなプログラムを探すシステムを通じて、情報の抽出を行った。おそらくこれは、記述子か、それにかなり似たものに基づくシステムで、遠からぬ将来には、自然言語に対する計算機適用に基づくものになるはずだ。だが前衛的な言語学の能力をある程度利用できたら嬉しいだろう。拝借したプログラムを使うにあたり、自分のプログラムと拝借したものとの間に、何らかのリンクを行った。できれば、これはあまり手間をかけずにできてほしい——願わくば、リンクまたはそのリンクを行うための基盤は、そのプログラムが使っているシテム[ママ]の一部として持ってこられたときに設定されていてほしい。データは何も拝借していないが、それは自分の実験データで作業をしていたからだ。何か理論を試そうとしていたなら、プログラムだけでなく、理論も拝借したかったはずだ。

計算機が私のプログラムを処理するとき、その処理は私の居場所だと想定したSDCの計算機で行われただろう。だがそれは単なる憶測レベルにとどめてもいいはずだ。高度なネットワーク制御システムがあれば、そのデータを送信して別のところのプログラムに処理させるのか、あるいはプログラムを読み込んでデータを処理させるのかという選択を自分ですることはない。自分でその決断を下すのに、少なくともいまのところは特に反対する理由もないが、原理的には、その判断を計算機またはネットワークが下したほうがいいように思う。自分の作業が終わったら、いくつかをファイルにしてしまい、それを他の人にも有用となる形で行った。これはおそらく、何か慣習をモニタリングするシステムが関与することになる。そうしたシステムは初期段階には、ほぼまちがいなく機会[ママ] 処理に加えて人間の基準判定者も入っているはずだ。

いま挙げた (残念ながら長ったらしい) 例は、言わば例のそのまた例となるよう意図したものだ。こうした例を大量に集めたい、あるいはだれかに集めてほしい。そしてそれがどんなソフトウェアやハードウェア設備を含意しているかを検討したい。こうした例の相当部分から出てくる含意の一つは、きわめて大量のランダムアクセスメモリとなることは、十分に承知している。

さてこの問題全体にさらに別のアプローチをするなら、いくつか思いつきをつれづれなるままに述べていこう (ここでちょっと邪魔が入ったので、議論はそろそろ切り替えなくてはならない)。まずは「純粋プロシージャー」の問題がある。JOVIALの新バージョンはプログラムを「純粋プロシージャ」の形でコンパイルするとのこと。

他のセンターの他のコンパイラもそうやってくれるだろうか? 第2に、別のセンターからそのセンターに向けられた要求の解釈の問題がある。入ってくる言語を、その受け手側のセンターが運用する形式の命令や質問に翻訳する、何か通訳システムみたいなものを漠然と思い描いている。あるいはもちろん翻訳は送り手側でやってもいい。また別のやり方は、協調が実に見事に行われてみんな共通の言語をしゃべり、同じ形式群を使うことになるというものだ。第3に、公開ファイルの保護と更新の問題がある。だれかが改変途中のファイルからの材料は使いたくない。我々相互の活動の中で、何か軍のセキュリティ区分と似たようなものがあるかもしれない。その場合にはどう扱おうか?

次に、インクリメンタルなコンパイルの問題がある。パーリスは、「スレッド化したリスト」の話で、その問題やそれに関するコンパイル-試験-再コンパイル問題を基本的に解決したんだっけ?

ハードウェア側では境界レジスタ型問題、あるいはもっと一般的には目盛保護問題がQ-32では解決が高価となり、他のマシンでは高価な上に解決困難となるのではと懸念しているし、コアと二次記憶装置との間で情報をスワップまたは転送する問題が、7090や7094では高価で困難になるのが心配だ——そして高速スワップや転送なしにはTSSがあまり役に立たないのではと心配している。この問題についての最高の考えとは何だろう? 我々の各種または集合的な計画はこれについてどうなっている?

この長ったらしい例で含意されているのは、ランタイムでサブルーチンをリンクするという問題だ。呼び出しそのものは、単純なディレクトリを通じて簡単に行えるが、システム変数を扱うのはそれほど簡単ではなさそうだ。ひょっとすると原理的には簡単でも、テーブルや単純なアドレッシング方式を使ってシステム変数を実行時にリンクさせるのは、ひょっとすると実現困難なのだと言うべきかもしれないな。

この大作をそろそろ終えねばならない。飛行機の時間に遅れそうだからね。ARPAの指揮統制局が持っている、人間=計算機のインタラクションやTSSや計算機ネットワークの改善についておさらいするつもりだった。だがたぶんみんな、こうした問題についてのARPAの基本的な関心はわかってる[ママ]と思うし、必要なら会議の席でそれを手短におさらいしてもいい。実際問題として、私の見たところ、軍はいま作られつつある設備を我々が活用しようとしたときに生じる多くの、いやほとんどの問題について、解決策を大いに必要としている。

我々の個別の活動の中で、協調的なプログラミングと運用に十分な利点が示されて問題が解決され、軍の必要とする技術を我々が生み出せるようになってほしいと思う。問題が軍事の文脈でははっきり登場するのに、研究の文脈では出てこないなら、ARPAはそれを個別に処理するような手を講じればいい。だがすでに述べたように、願わくば問題の多くは軍事の文脈だけでなく研究の文脈でも本質的な重要性を持つはずだ。

まとめると、繰り返すがこれまでの議論で指摘しようとした、セットの中の問題や課題についてかなりしっかりと議論すべきだと私は思っている。すべての問題は指摘できていないかもしれない。願わくば、会議での議論はここで終えようとしている試みよりも多少はまとまりのあるものとなりますように。


リックライダー「銀河間計算機ネットワークのメンバー向けメモ」(1963) pdf版


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訳者付記

訳書で,リックライダーの壮大なネットワーク構想を示すものとしてえらく持ち上げられていたので、興味をもって探し出してみた。が、題名は単なるシャレで、中身はほとんど関係ないのでちょっとがっかり。

だが、リックライダーの思考のプロセスがわかるという意味ではとてもおもしろい。彼はこれを、口述筆記でタイプさせているんだけれど、口述することでだんだん考えがまとまっていく様子がわかる。それが何かはっきりしたものになっているわけではないが、まさにそのための会議で、見た者は「あー、親分はなんとなくこんなこと考えているのね、こんなことしたいのね」というのがわかる。後半から彼はだんだん自分の世界に入ってしまい、「オレがこんな研究できるといいなあ」みたいなところに深入りしている様子は、おもろいといえばおもろい。

たぶん現代の、無駄な会議をなくすナントカとかいう話になると、こんな長ったらしいメモは論外で、議題をきっちり書き出して決めごとをつくれ、みたいなことになると思う。するとたぶん:


5月10日会議の議題について

  • 計算機言語仕様の標準化および統一化の課題
  • 計算機センター通信のあり方
  • ネットワーク上での各種リソースの形式および命名の基準策定

こんな感じのメモになって、話はいきなりFORTRANの変数命名規則をガチガチに決めようといった話になったとは思う。そしてたぶん、あまり生産的なことにはならなかっただろう。

クルーグマンが自分のキャリアにおいて、ノードハウスの研究室に入って、彼が漠然としたアイデアをいろいろな面から詰めてがっちりした理論にかためるプロセスをずっと見られたのがすごく役に立った、と語る文章がある。

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このリックライダーの文章は、そういうプロセスを示している。いくつか問題意識 (相互運用における標準化の重要性) と、同時にあるビジョンを提示している。これを見て部下たちが、あれこれ話をする中で、これはできる、こんなのはどうか、という案が出てきて、やがて現実的な落とし所が出てきて、ビジョンの実現に近づく。

おそらくこの会議、短時間で効率よくビチッと決めごとする会議ではなく、ブレーンストーミングに近いような、すごくゆるいものになったとは思う。実際、どんな様子だったのかは聞いてみたいところ。「おもしろいなー」となったのか「また親分が得たいの知れないことを」とみんな思ったのか。

ビジョンとかいうと、ジョブズやイーロン・マスクの、親分がいきなり妄想を掲げて、部下たちをしばいてむちゃくちゃいってやらせる話になるけれど、たぶんこういうリックライダー的な、なんとなく方向性を示しつつ、具体的な話をだんだん作っていくようなやり方のほうが、たぶん一般性はあるんだろうね。それが成功するかは、もちろんいろんな力関係や信頼関係、チームの指向で決まるわけだけれど。

アルセ『チェ・ゲバラ最後の真実』: ボリビアでのゲリラ戦を大量のインタビューで細かく追った良い本

Executive Summary

アルセ『チェ・ゲバラ最後の真実』: チェ・ゲバラの1967年のボリビア侵略とその敗北について、大量のインタビューで追った本。細かい移動、作戦行動、物資、その他いろいろな話を、生き残りや当時の軍人、地元住民などの大量のインタビューで裏付けている。手の切断、デスマスク、防腐処置の詳細まできわめて細かい。インタビューの実際の言葉をそのまま引用してくれているので、迫真性もある。巻末100ページほどは彼の伝記の簡単なおさらいになっており、特に目新しい部分はないものの、写真も豊富でこれもおもしろい。なかなかよい本。


アルセ『チェ・ゲバラ最後の真実』: ボリビアでのゲリラ戦を大量のインタビューで細かく追った良い本

そろそろまとまったゲバラ本もほとんどなくなった。

チェ・ゲバラの伝記ではなく、ボリビアにおける最後の逃走/戦いについてのルポ。一応、最後の1/4ほどでチェ・ゲバラの人生のおさらいは行われるが、かなりの駆け足ではある。

チェ・ゲバラが (当初の公式発表のように) 戦闘中に殺されたのではなく、捕らえられて射殺されたのだ、というのをいちはやく暴いた、というのが売り。だが、いまはすでにもう目新しさはない。原著が出た2008年でも、すでにそれは何度も明らかにされていたので、その部分はあまりありがたみはなかっただろうし、いまやなおさらありがたさはない。

が、本書のいいところは、チェがボリビアのジャングルに入ってからの話を、かなり徹底したインタビューで明らかにしているところ。ヒアリングを要約するのではなく、相手が語ったことを(おそらく)そのまま引用して載せてくれているのは、かなりありがたい。そしてどんな作戦行動が行われたか、物資はどこに置かれたか、だれがいつどんなふうに殺されたか、というのを克明に描き出してくれるのは、非常におもしろい。

また、手をどうやって切り取ったか (ゲバラが殺されたとき、本物かどうか疑念が起こらないように、両手を切り取ったのだ)、デスマスクをどうやってとったか、死体の防腐処置の詳細についても、実際にやった人たちの話が細かく出ていておもしろい。一方で、デスマスクは石膏ではなくロウソクで作ったというんだが、チェ・ゲバラの死体が発見されたとき、ポケットに石膏がついていて、デスマスクをとったときのものだというのがアンダーソンの伝記には書かれてるんだよなー。細かいところでいろいろ齟齬がある。そして死体の処分については、どうもまったく触れていない。この時点では、死体は発見されてそれにまつわる各種の話も出ていたんだが。

その一方で、関係者の証言をどこまで真に受けるか、というのはむずかしいところ。この本によると、チェ・ゲバラは捕まったときに、かなり悠長なやりとりをしている。

(p.241)

うーん、「こちらは天下に隠れもなきチェ・ゲバラ殿であるぞ、控えおろう」ですかー。「私を殴るような真似をしてはならない」っておまえ、ここでの自分の立場わかってんのかよ。相手にえらそうに指図できる立場かよ。これを信じるかどうかは人による。好意的に見るなら、捕まえて連行するプロセスがずっとあって、その間にいろいろやりとりもあっただろうから、その中でこれに類する会話もあったのかもしれない。あと命乞いした説もあることは以前書いた。

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関係者がいろいろ尾ひれはヒレをつけるのは、仕方ないことだろうね。確認しようがないから。アンダーソンが伝記初版での命乞い説を削除したのも、いろいろ証言が錯綜しているから、ということかもしれない。

あと、pp.124-125 で、チェ・ゲバラのゲリラ勢がサマイパタ村を襲って、その薬局でチェ用のぜん息薬を手に入れようとした部分がある。そのときの描写は、薬の名称がやたらにくわしく、やりとりが本当に絵に描いたように描写されているんだが、これは証言なのかそれとも著者 (医学の心得がある) が話を作っているのかわからない (詳しすぎるので作っているのではないかと思う。ゲバラの日記にもそんな細かい話は載っていない)。そういうところが混じっていると、ちょっと信用は下がってしまう。

ヒアリングをたくさんやったり、関係者の証言をたくさん集め、それをそのまま載せてくれるのは伝記部分でもありがたい。彼はキューバでいきなり中央銀行総裁になったりして、付け焼き刃で経済学や数学の勉強をしたというんだが、何を勉強したかはよくわからなかった。本書によると、数学では微分方程式までやって、そこから線形計画法の勉強に進んだそうな(日本にも同行したビラセカ博士の証言、p.462)。経済学は、アダム・スミス、リカード、ケインズ、ハンセンを見ていたとのこと (イルダ・ガデア証言、p.458)。ハンセンってことは、つまり一般理論をがんばって理解しようとしていたわけですな。彼がボリビア行きのためにまったく別人の変装をして、自分の子どもたちに会うところでも、娘アレイダによるそのときの状況のかなり詳しい証言インタビューが、6ページにわたりそのまま転載されている。

あといろいろ写真も豊富。ただ、ホントかなと思うようなものもある。ゲバラやカストロが、グランマ号でメキシコからキューバに上陸した瞬間の写真、なるものがあるんだが、そんな悠長に写真撮ってる余裕があった上陸ではなかったはずだがなあ。本当かなあ。それにこんな写真があるなら、到るところで使われると思うんだが、見たことないんだよね。

書きぶりは全体に、チェ・ゲバラに心酔している感じではあるが(特に最後の伝記部分)、ヒアリングの引用が多いために、それで変なロマン主義に陥るような部分は少ない。ゲバラの最期の様子を克明にたどりたい人には決して悪くない。地図とかを広げながらたどっていくとおもしろいはず。まったく期待していなかったけれど、なかなかよい本だと思う。

Newman ”JULIA": オーウェルの顔を長靴で踏みにじる粗悪なフェミ二次創作

Executive Summary

オーウェル『一九八四』をジュリアの視点から語り直した、フェミ版『一九八四』というふれこみで出てきた小説だが、その中身はというと、実はジュリアは体制側のスパイで、下々の男たちはみんな、ジュリアにハニーポットで陥れられただけのバカでした、というもの。『一九八四』はすべて、彼女の仕組んだ猿芝居でしかなかったという原作軽侮の極致。その彼女も裏切られて愛情省で拷問を受けるが、最後にネズミを食いちぎって男との格の差を示し、ビッグ・ブラザーへの憎悪を確信して、反乱軍を(一瞬で)見つけ出して囚われのビッグ・ブラザーと対面し、総攻撃に向かう。『一九八四』の世界やイデオロギー観に何も付け加えないどころか、女子をかっこよく描くためにむしろ退行した、原作に対する冒涜でしかなく三流フェミ二次創作。


Newman ”JULIA": オーウェルの顔を長靴で踏みにじる粗悪なフェミ二次創作

オーウェル『一九八四』拙訳が、そろそろ出るんですが~

まあ解説書いたりする関連で、いくつか『一九八四』やオーウェル関連本に目を通した。その中に、つい最近出た、ジュリアの視点から『一九八四』を語り直した小説、なるものがあって、解説書いた時点ではそういうのもありかねー、と思ったけど未読だった。で、図書館にあったので、座興で読んで見るかと、手に取った。

ひどかった。オーウェルが墓の中で紅茶吹きそうなほどひどい。まあ、まずはあらすじ読んでよ。

あらすじ (完全ネタバレです)

ジュリア・ワージングちゃんて(そう、オーウェルは彼女に姓さえ与えなかった!差別だ!)は真実省の創作部で働くけなげなメカニックの女の子。彼女もずっとオブライエンをなぜか信奉してる。

さて『一九八四』の世界は当然ながら女子にもきついもので、セクハラ、強姦、寮に住む仲間の女子の堕胎と嬰児遺棄などの女性ならではのひどい環境に暮らしている。で、日々の抑圧の中で自由な世界を夢見て、反体制っぽい感じの男と逢瀬を楽しんできて、たぶんオブライエンになんか惹かれるのもそんなのかも。最近では同じ真実省の記録部のウィンストン・スミスを落としてみたところ。

ところがある日、そのオブライエンの自宅に一人で呼ばれる。そして君は見所がある、思考警察になりなさい、反体制っぽい男を見つけてどんどんたらし込む腕はたいしたもんだ、ビッグブラザーのために働きなさい、そういうけしからん男どもをどんどんわしらのところにつれてきなさい、これで君も党の上層部だ! と言われる。

彼女は、はい承知とその仕事に乗り出す。『一九八四』で最後に愛情省にいたウィンストンの同僚ーーサイムもアンプルフォースも、パーソンズも、全員ジュリアにたらし込まれて愛情省送りになった。パーソンズは実はただの馬鹿で反体制なところは何もなかったけど、ジュリアが「打倒ビッグブラザー!」って言われるとあたしイっちゃうわー、と仕込んだので寝言でそれをいうようになっちゃって、それで殺されたんだって(ひどい)

ウィンストンとの『一九八四』に描かれたやりとりも、すべてやらせの仕込み。チャリントンさんともツーカーで、おめでたいウィンストンを二人であざ笑いながらはめていく。男ってばかねー。『一九八四』読んで、けなげで馬鹿なジュリアに喜んでた男読者は単純なアホねー。ウィンストンが政治とかの話をするとすぐ寝るのは、別にバカで理解できないからではない。彼女はもちろんゴールドスタインの本の中身なんかとっくに知っていて、飽き飽きしてるから寝ちゃうだけなのよ。それを無学の証拠だと思ってるウィンストンも読者も、ホンッとおめでたいわ。女子のほうが男より賢いんだよ!

一方、党の方針で、何やらビッグブラザーの精子で人工授精との話がきて、それを受けて妊娠 (ここに少し工作はあるが)。でも最後、ウィンストンがつかまるところで、自分は体制側だから無罪放免……と思ったら愛情省につれていかれて拷問される。実は、彼女は思考警察なんかではなく、真実省内部の創作部と記録部との勢力争いに利用されただけだったんだって。(記録部のやつらを全部ジュリアが陥れたら部がお取り潰しになるから、創作部がそこを乗っ取れるんだって……やってる仕事が全然ちがうと思うんだが。おまえ何も考えてないだろ)

で、最後に101号室にやられて、ウィンストンの醜態を見たあとで自分も同じ目にあわされる……んだが、女子は機知に富んでいるので、ネズミを自分の口におびき寄せて食い殺して危機を逃れる! 女子すげえ! すぐにジュリアを売り渡したダメなウィンストンなんかとちがうよね!

そして釈放されたあと、ウィンストンに会ったら、こっちの身体しか見てないゲスなヤツなのが丸わかりだったけど、まあかわいそうなんで、みんな裏切るもんだから気にしなくていいよー、と言ってウィンストンを救ってやる(女子は度量も広いのだ!)。で、強いジュリアは、BBに屈した軟弱なウィンストンとはちがい、自分がいかにビッグブラザーを憎んでいるかを認識し、その打倒を誓うのだ!

で、そのために友愛団に入ろうと思って、ロンドンからちょろっと郊外にいくと、なんと自由人友愛団の本拠があった! (あるなよ。なんでそんなものがそう簡単に見つかるんだよ! ちなみにその探索20ページ) 実はすでに友愛団は一大軍勢となってロンドンを完全に包囲していた!(するなよ! そんな大都市の包囲がそう簡単にいくと思ってンのか!) あと数日で完全攻勢画始まるの! その友愛団の世界は女性が尊重されつつも平等で、お風呂も物資もなんでもあるすばらしいユートピアだった!(水道とか物流とか何も考えずに妄想ふりまくなよ!) ちなみに、作者はお風呂になにやらえらくご執心で、泡風呂がいかにすごいものかについて延々と語る。そしてそこでは女もプロレも平等に扱われるのよ! そしてビッグ・ブラザーもすでに捕虜にしていた! 彼の本名はハンフリー・ピーズというんだ! そしてジュリアは、とらえられたBBに会うが、ただの情けないデブだった!(ビッグ・ブラザー個人をどうこうしたって関係ないじゃん。それが『一九八四』のポイントだろうに。しかも、それが本物のビッグ・ブラザーだと示すものは、状況証拠も含め一切なし)

そしてその友愛団本拠には、お互いに恋慕の情を抱いたかつてのルームメイトが!(そう、もちろんジュリアはフェミのレズビアンなんですねー)。彼女との新たな生活を夢見つつ、ジュリアは任務で必要なら殺すしサボタージュもするし拷問もするし、というオブライエンの友愛団/テロリストの誓いを改めて唱えるのでした。(友愛団見つかってからわずか30ページで終わる。何のチェックもなく受け入れてもらえ、イケメン2人がなぜかジュリアを下にも置かぬ丁重な扱いで何から何までペラペラしゃべりまくるだけ。説明ネームにもほどがあるだろ。小説じゃねえよ、こんなの)。おしまい。

感想

『一九八四』を女の視点から~というのは、まああるでしょ。でもそれは、その視点が『一九八四』の世界に何か付け加えるものがある場合にのみ意味がある。

ところがこれは、『一九八四』では女子が活躍せず、ジュリアが脇役なのが気に食わないので、主役にしてみました、というだけ。それで『一九八四』の世界について何か新しいものが見えるかというと、何もない。だれも『一九八四』の世界が女性に優しい社会とは思ってないよ。そしてその女性の苦労は、どれ一つとして『一九八四』の世界固有のものではない。

そしてジュリアを活躍させるために、実は『一九八四』はほぼすべてジュリアが仕組んで彼女の手のひらのなかでウィンストンが踊っているだけ、という、女子上げのために原作をおとしめるという、情けないことをこの小説はやってる。

『スター・ウォーズ』でも『力の指輪』でも、シー・ハルクでもゴーストバスターズでもいいや。できあい作品をもってきて、女子の主人公を据えて、それが何でもできて強くて賢くてすべてを仕切ってて、原作で活躍した男たちは実はみんな馬鹿で弱くて無能で、と改変するものが最近やたらに出てきたけど、この小説もその一つではある。女は、賢く、上から目線で、強く、狡智に富み、臨機応変で強く、それが最後にビッグ・ブラザーを倒す(のではなく、他人がすべてお膳立てしてくれて捕まったビッグ・ブラザーに会って気分的にマウントを取る)! それがくだらないヒーロー妄想でなくて何なの?

そしてこうした作品の常として、この小説も、ジュリアが強く賢くかっこよくなればいいだけなので、その背景となる世界の作り込みは呆れるほど浅い。オーウェルの書いたものがベースにあった最初の350ページは、それでもよかった。でもそこから彼女が、友愛団を見つけ出して、それについてひたすら口頭説明が続くあたりの薄っぺらさは何もない。友愛団はどうやって成立して、どんな具合になってるの? どこから資金や武力支援受けているの? 自由がいいです、というイデオロギー以外に何があるの? たいがいの独裁国は民主で自由を名乗る。ここはどこがちがうの?一応軍隊のはずだけどその指揮系統は?何もなし。

そんな具合だから、思想的にも大したものはない。女は虐げられているけど実はすごいんだぞ、というのさえ言えればいいんだけれど、すごくなるために何をした? 何もない。いきなり何でもできるようになるだけ。(この手のでよくあるのは、男性の抑圧の下で苦労してきたからそれですでに鍛えられているのだ、とかいうおめでたい妄想だが、それすらない)

そしてこれまたその手の作品すべてに共通することとして、すべて台詞で説明するしかできず、場面で見せられない。ラノベですね。そして、最後収拾がつかなくなって(いやそれまでも)、あぜんとするほどご都合主義のおとぎ話。いろんな人が特に意味なく背景説明を独白したり雑談したりというひどいざま。そしてこんなラストならそもそも『一九八四』の問題意識とか、何も関係ないじゃん。やー、ビッグ・ブラザーつかまえちゃったーって、おまえふざけるんじゃないよ。さらにその体制打倒に向けた活動で、ジュリア自身は何もしないじゃん。最後の出来合の勝ち組にすり寄って、口だけ勇ましいこと言ってみせるだけ。

せめて、実はオブライエンがすべてを操るラスボスのビッグ・ブラザー (かそれを操る役)で、それをジュリアが最後にガン・カタで倒すくらいのサービスがあればまだ許せたかもしれないけど。


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そこまでしなくても、ハッピーエンドにするなら、原作の党のイデオロギーにどう応えるのかは必要でしょう。せめてビッグ・ブラザーとイデオロギー対決くらいはしてよ。「あたしは嫌いだ、好き勝手したい」——本書はそれだけ。そしてそう思ったら、だれか他の人が面倒な仕事をやってくれました——そんなムシのいい話があるかい。

お話も書きぶりも、原作あるからそのチェックリストをなんとか埋めてそこに自分の妄想からめた、ファン二次創作の域を出ない。そして最後の、殺すし破壊するし子どもも犠牲にすると平然と誓ってみせるあたりで顕著だけれど、それを宣言して後でお前も残虐さの点で党と同じ穴のムジナだ、と逆手に取られたウィンストンとはちがって、女は覚悟を決めるぜ、度胸と根性があるぜ、みたいなことを言いたいわけ? そこも、基本的に『一九八四』の言ってること、何もわかってないよな。そういう変なテロ妄想は何の役にもたたない、というのが『一九八四』のメッセージの一つだと思うが、なに、そういう変な英雄妄想をあんたは肯定するわけ? 全体に、『一九八四』がそもそも何もわかってないとしか思えないわ。

というわけで、一九八四新訳の解説で軽く言及したのさえ後悔するひどい代物。まさか邦訳されたりしないだろうね(でも物好きな版元があるなら、思いっきり嫌味な解説書いて良ければやりますよ)。手に取ってはいけない精神汚染作品です。原作読んでね。

内藤『チェ・ゲバラとキューバ革命』:単なる公式プロパガンダに基づく切手コレクション紹介

Executive Summary

内藤『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、ゲバラの伝記的な話をすべて、公式プロパガンダでしかないと批判されているタイボIIによる伝記に頼っており、都合の悪いことが書かれていなかったり美化されたりしている。また、ゲバラが会う様々な政治家たちについて、コンゴ動乱の背景やベトナム戦争の詳細についていきなり数十ページにわたり記述が展開され、記述として焦点がしぼれておらず、読んでいて混乱する。そして「ポスタルメディアで読み解く」という郵便学の利用が売りのはずであり、切手がプロパガンダに貢献するのがポイントのはずだが、プロパガンダ (つまり実際とはちがう誇張や歪曲) についての分析はほとんどなく、単なる記念切手紹介や肖像写真がわりの切手利用にとどまり、郵便学なるものの意義がない。


チェ・ゲバラ関連本は一通り目を通すという方針でいろいろ見てきた。で、この内藤陽介の本があるのは知っていたが、各種ゲバラ切手の紹介だと思っていて、ゲバラ自体の紹介はオマケだと思い込んでいたため、これまで手に取ることはなかった。が、どうももう少し踏み込んでいるようだと知って、一応目を通すことにした。

……そして後悔した。やはり見る必要はなかった。切手紹介のおまけで、しかもそのおまけが妙に偏っているから。

ぼくは基本的に、伝記を見るときにはそれがある程度はフェアに書いてあるかどうかが第一歩だ。どんな人も、スーパー聖人ではないだろうし、生まれつき超悪人でもないだろう。特にそれがある程度は有名になるくらいの地位に到達できた人なら、多少のかけひきもあり、少なくともその時代、その世界では長所もあり、単なる良い人で地位を実現できるほど世の中甘くない。失敗もあるだろう。その失敗がどう書かれている? あるいは悪人も、恐怖政治だけではなく、評価された部分もあったんだろう。そういうあたりが、それなりに公平に描かれているか? そこがまず、伝記としての評価ポイントだ。

が、この本は670ページもある大著なんだが、まずチェ・ゲバラの伝記的なメッセージは、どうやらほぼすべて、タイボIIの大部の伝記に頼っているらしい。

さて、このタイボIIの伝記を、ぼくはまったく評価していない。ゲバラの後半生で重要な役目を果たすシロ・ブストスの言う通り、キューバの公式聖人伝をつないで、それにさらに尾ひれはひれをつけ加えてヨイショした最悪の代物だと思う。それについてはこちらで書いた。

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そしてそれを元にしたせいだろうと思うんだが、本書はゲバラについてひたすらカッコよく英雄的に描くばかり。ダメなところ、失敗もすべて英雄的に処理してしまうか、黙殺するか、悲劇的に描くだけ。まあ、英雄的な処理ができなければ切手にならないから、という言い訳はあるだろう。が、何があるか、だけでなく、何がないかというのをきちんと検証するのも、郵便学とやらでは求められないんだろうか?

たとえば、ゲバラの大きな汚点は、革命直後にバティスタ政権の小役人たちの人民裁判を仕切って、ものの一週間ほどで二百人かそこらを銃殺にした話で、これは当時国際的な非難も浴びたし、家族ですらかなりキモを潰した。それについての記述はまったくない。プロパガンダというなら、そういう国際的な不評を糊塗するためにどんな手だてが取られ、その中で切手がどんな役割を果たしたか、というような話があってもいいんじゃないの?ちなみにこの話がないと、pp.13-5の、ゲバラに対する殺人鬼、虐殺者という非難が何を言っているのかわからないんだが……

さらにカストロは、自分は権力を求めているのではないというポーズをするために、バティスタ政権での中道系の首相や大統領をたてるんだけれど、政策は裏で勝手に進める。そして大統領や首相がそれに難色を示すと、それを辞職に追い込む。ところが本書ではそれは、何やら大統領や首相が政治的に経験が浅かったから、みたいなバカな話にされる。

さらにゲバラは、後先考えずに政治経済を、大資本から奪う、米帝依存を捨てる、国家接収だ、とやらかす。でもその失敗については何も書かれない。なんだかそれがいかにすばらしいことで、立派な人民のための施策だったか、みたいな話になり、その結果については何もない。

ちなみに、単細胞な反米がちょっと成功した部分もあり、キューバ中央銀行の準備の黄金がアメリカにあると知って、彼はいきなりそれを全部売り払った。たぶん彼は黄金準備の何たるかもわかってなかったはず。単なるアメリカ嫌いの発現だ。でもそのおかげで、その後のアメリカによるキューバ資産差し押さえのときにそれが奪われずにすんだという怪我の功名はあった。でも本書は中央銀行の話はまったくないようだ。

悪名高い矯正収容所の話は……かなり美化されている (pp.345-51)。キューバ人民はそれをスターリン的な収容所と理解していたことは、書かれてはいるんだけど、ほとんどゲバラの純粋な理念が人々に理解されなかったかのような書きぶり。

さらに国内外の政治的切り盛りに失敗したゲバラは、自分はやっぱえらいゲリラ指導者なんだという思い上がりで、まずはアルゼンチンでのゲリラ革命蜂起をリモコン指導しようとして大失敗する。さっき名前が挙がったシロ・ブストスは、その作戦の生き残りだ。その後ゲバラは、コンゴ革命を自分が率いてやるぜ、と思い上がってでかけて……そしてこれまた、まったく成果を上げられなかった。そもそも、相手に「自分がいく」と話を通していったわけですらない。自分で勝手にでかけて、オレがその場にいれば誰も断れないだろうとたかをくくり、そして実際には現地の連中にはひたすら疎ましがられていた。そして敗走。

そこらへんの無策ぶりと思い上がりについては一応記述はある。が、その後本書では、逃げ出すためタンガニーカ湖を渡る船を下りるにあたりゲバラは何やら、革命精神を忘れてはならないという感動的な演説をして立ち去り、残されたコンゴの反政府集団は感涙にむせんだ、というあり得ない話を平然とする(p.589)。

へー。その船に乗る時点でゲバラは、自分が曲がりなりにも「指導」してきたはずの反政府ゲリラ軍たちを見捨てて置き去りにしなければならなかった。それも政府軍や他の軍閥的なゲリラ指導者たちが彼らを追い立てて、命からがら逃げ出した末路だった。置き去りにされた連中のほとんどは、虐殺される運命にあった。その置き去りを目の当たりにした連中が、そんな感動的な演説でごまかせたんだろうか? 連れて行ってくれとみんなが泣いてすがるのを、見殺しにした人間だよ?

その後、ボリビアで捕まって殺されるときの大失態の中で、さっき出てきたシロ・ブストスを、本書は「ジャーナリスト」と呼ぶ。彼は画家で美術講師はやっていたが、ジャーナリストと呼べるような存在ではなかったはず。ゲバラが、いずれ故国アルゼンチンで武装テロを展開しようと思って確保していたテロ要員なのだ。これは彼自身の回想記もある。

タニアがのこのこ山中にやってきたのも、タニア自身が素人臭いミスをたくさんやって、資料や写真を大量にのせたジープを押収されて帰れなくなったからなんだけど、キューバ公式史ではボリビア共産党のマリオ・モンヘを悪者にすることになっているので、本書では彼女のヘマには一切触れない。レジス・ドブレも、本書では単なる取材にきたことにされているが、実はそもそもキューバの工作員で、ゲリラ戦士気取りで前衛として山に入るぜと大見得切って、しばらくして泣きが入ったというのが実情らしいよ。

さらにゲバラがいなくなった後もキューバ経済はどんどん悪化する一方で、カストロがまた思いつきでサトウキビ大増産計画をぶちあげて、まったく実現せずにつぶれる。でもそれは本書によると、農業機械化を担当していたゲバラがいなかったせいなのだそうな。ああ、ゲバラ様さえいてくれればキューバ農業は機械化できてたんですねー。そんなわけあるかい。pp.323-6あたりに、ゲバラの機械化というのが単に機械を休ませることもなくぶっ通しで使うだけの話で、すぐに機械が壊れて整備員つきっきりで結局サトウキビ生産は下がったと書いてあるじゃん。

あと、オルギンのイバラに有刺鉄線工場が日本の技術援助でできた、とあるんだが (p.297) ……それって浅沼稲二郎工場のことだろうか? あれは繊維工場だと思うんだけれど……まあ他に有刺鉄線工場もあったのかもしれない。

そして、ゲバラがちょっとでも関係した他の国について、当時の事情についてえらくさかのぼった話が延々続く。ネルーに中国の印象を聞いた、というヘマをきっかけに、中印紛争の細かい話がごちゃごちゃ続く。さらに、彼がアフリカにでかける前にはコンゴをめぐる植民地と紛争の話が30ページにわたり続く。ゲバラがベトナムに行くと、ベトナム戦争の話が20ページにわたり続く。それはお勉強としてはいいんだろう。でもゲバラ&キューバが中心の話であれば、必要以上に余談が多く、話が整理されていない印象しかない。

なんだか、ずいぶんいろいろ調べて書いたことになっているんだが、題名になっているキューバやゲバラについては、複数の資料にあたって批判的な検討をした気配がほとんどない。相当部分は、キューバ的プロパガンダの垂れ流し。それでいいの? さらに他国については、何か目新しい話があるわけでもない。そして切手がそこで何か重要な役割を果たしているかというと、そんなふうにも見えない。冒頭で、切手はある種のプロパガンダの表れだ、という話を内藤はする。だったら、それは基本的にはフィクションであって、どこがフィクションで、なぜそこでそのフィクションが必要だったか、という話をしてほしいもの。プロパガンダを見るというのはそういうことだと思う。ところがこの本にはそれがほとんどない。

すると内藤の言う郵便学、本書で実践されていたはずのものって何なの? 肖像画のかわりに切手を使ってみましたというだけ? ぼくは、それに何の価値があるのかよくわからないのだけれど。

チェ・ゲバラの命乞い&愛人隠し子と「ゲバラ伝」での削除

Executive Summary

アンダーソン『チェ・ゲバラ:革命的人生』はすごい伝記ではあるが、1997年の初版から2010年の増補版への改訂で、ゲバラがつかまるときに命乞いをしたという一節がなぜか削除されており、ネット上ではそれが政治的圧力によるのではと勘ぐる声もある。また、伊高の新書に出ている、彼の愛人と隠し子の話が一切触れられていない。アンダーソン本の執筆当時はすでに、その話はでまわっていたし、ゲバラ未亡人アレイダ・マルチも知っていたはず。なぜ噂としても触れられていないのかは不思議ではある。


チェ・ゲバラの命乞い&愛人隠し子と「ゲバラ伝」での削除

以前、アンダーソン『チェ・ゲバラ:革命的人生』(増補版、2010) を絶賛した。

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そしてその絶賛はいまも変わらない。チェ・ゲバラの伝記としてこれ以上のものは今のところ出ていないと思う。今後、これ以上のものが出るとすれば、ソ連の南米工作の全貌が暴かれ、その中でチェ・ゲバラのオルグがどのように行われたかが暴かれるときぐらいしかないだろうとは思う。

ゲバラの命乞い?

だがこの伝記について、ネットでときどき悪口を見かけた。次のようなものだ。

チェ・ゲバラがボリビアで捕まったとき「撃つな! オレはチェ・ゲバラだ。殺すより生かしておいたほうがお前にとって価値があるぞ!」と叫んだ、つまりは命乞いをした、という話だ。そして、それが何やら政治的圧力で削除された、という説となる。

さて、ぼくはこの本の紙版を持っていた。だからそもそも紙版にもそんな下りはないことを確認したので、このツイートの返答にもそう書いた。でも、この一節はその後もあちこちで見かけたし、一部の雑誌記事の見出しにまで使われていたので、このツイート者の捏造ではないのは確かだ。どこかの本か何かにあるはず。だから気にはなっていた。

そして先日、諸般の事情でこの伝記の初版を取り寄せて比べて見たところ、やっとどういうことなのかはっきりした。

この一節は、このアンダーソン本の初版 (1997, p.733) には含まれている。

でもいま出回っている増補版 (2010) には含まれていないのだ。

つまり、引用したツイートは、決してデタラメではなかった。デジタル版での削除ではなかったけれど、確かに初版と増補版の間で削除が起きている。そして、それについては何の説明もない。

これはいささか不思議ではある。チェが、自分はどうせ殺されないと高をくくっていたのは、この本の増補版でも書かれている。射殺するよ、と言われてかなり取り乱しそうな。だから、これが圧力をかけて潰すほどのものとは思えない。その一方で、なかなか印象的なせりふだし、普通は残すだろう。軍曹の後日の談話が信用できないと思った可能性はあるが、他にもそういう描写はあるし、不確かだと断りつつ置いておく手もある。完全に消した理由はさっぱりわからない。

ゲバラの愛人隠し子

あともう一つ、ゲバラ関連本をまとめて取り上げたとき、伊高『チェ・ゲバラ』(中公新書) を取り上げた。

cruel.hatenablog.com

さて、この本の中に、チェ・ゲバラが愛人や隠し子を持っていたという記述がある。これは、ある時期まではこの息子当人にも隠されていたのだけれど、彼が16歳だか25歳だかのときに実の父親について聞かされたそうだ。

この息子は1964歳生まれなので、つまり1980年か1990年頃には、この事実はすでに出回っていたということになる。伊高本によると、未亡人アレイダ・マルチもそれを知っていたらしい。というか、伊高ですら (というと失礼だが、すごい研究者というわけでもないのは事実) 耳にしたくらいの話だ。そしてその後、この息子自身があちこちで、ゲバラの息子としてインタビューに出たりしている。つまり極秘情報などではなく、公開されているし、隠そうという意図もないようだ。

www.tagesspiegel.de

ところが、1997/2010年に出たアンダーソン本には、これについての記述がまったくない。この本の恐ろしいほどの調査ぶりからすると、その噂が耳に入らなかったはずはないと思うのだが。他のいい加減な噂 (たとえば最後に中学校の先生とお話させてもらえたとか) については、注に書いてそれを否定する、という手順を踏んでいるが、これについてはまったく何もない。それ以外にも、他の各種伝記はおろか、ウィキペディアにもこれについての記述はまったくない。どういう事情でこれが黙殺されているのかはよくわからない。なんとなく、圧力があるのでは、という印象も受ける。

さて、他の人の話ならば、「ゲバラさぁん、隅に置けませんねえwww」「意外と人間くさいっすね」ですむのかもしれない。だがゲバラに関する限り、そうはいかないだろう。彼は自分の工業省で、不道徳な連中を叱責し、「自主」サービス残業/休日出勤を強い、矯正労働改造所に送って「自発的」奉仕労働をさせていたのだ。それは、ゲバラ自身が身持ちがかたく生真面目だったからだれも文句を言えなかった面が大きいらしい。それが実は裏で女を作り子どもを産ませていた、となるとラオガイ送りになった人たちはあまりに可哀想だし、ゲバラ自身の清廉潔白生真面目さという前提がかなり崩れてしまうのではないだろうか。

付記

こうしたものについて、はっきりと原因はわからない。命乞いについてのツイートで、政治的な圧力を勘ぐる見方もあることは述べた。そして、ゲバラが最後にアルゼンチンの政府転覆を企んでいたときの手先ブストスは、自分の手記の最後にアンダーソンの伝記について、自分のコメントが大幅に削除されたりしていることについて、政治的な圧力/取引があったのでは、と疑義を述べている。

確かにアンダーソン版の伝記は、完全に独立ではあるものの、キューバ革命の重鎮の実に多くにインタビューをしている。本来なら彼らにそうそう簡単にアクセスが得られるものではなく、また彼らが完全にありのままを打ち明けるとは考えにくい。キューバでは、外国人を自宅に招くことさえ問題視される (仕事で、お昼ご飯を (有料で) 出してくれた職場近くのおばさんは、密告され警告を受けた)。誰に会うか、何を言うかは政府がしっかり管理していると考えるべきだし、そもそも彼らに会う時点で何らかの公式筋との交渉はあったと考えるべきだろう。内容についても、すべて完全にニュートラルとは思わないほうがいいかもしれず、多少は情報源≃キューバ当局の意図も反映された部分もある可能性には留意すべきだろう。