秋が来てようやく旅に出られる時節になった。海が見たいと思ったときにいつもは『見たことがない海』を見に出かけるのだが今年は失うものがあまりにも多く過去を訪ねる旅に出たかった。
大切な思い出が色褪せないうちにまたあの海を、と旅先を佐賀県唐津市に決めた。
今回の同行は曽我灯さん。
https://x.com/gaso_0131?t=Db2LOA2qDIQXXA7tScfK2Q&s=09
唐津にあるラブホも合わせて行く旅程を完成させ旅の記録写真をお願いした。レトロなラブホに興味がある人と出かけられるのはありがたいことである。
初日は福岡空港へ。
福岡に住む人に会いにしばしば来ていた時期もあるので懐かしい気持ちになる。
博多、天神あたりをふらふらと歩いて他愛のない話をしたけどもあの頃見えた景色はがらりと変わり空港もすっかりきれいになっていた。
夜のアーケード街は蒸し暑く東京の中野にいるみたいだった。どこも似たような街並みでどこにいるのか分からなくなってしまった。
冷たい飲み物を買って駅の切符売り場を見たらさよならの記憶は遠くただただ美しかったものとして手からこぼれていった。またいつかここで会えたら懐かしさに目を細めてしまうかもしれないけど今はすくい上げなくても大丈夫、大丈夫と思えるほど過ぎ去ってしまった時を感じた。
力強い写真展で人の持つ魅力というものに引き込まれた。最近個々の人が持つ味わいというものに惹かれている。それぞれ違うことが良いので人っておもしろいものなのだなと楽しめるようになった。『その人が放つもの』を写真として見られて良かった。誘ってくれた曽我さんには感謝である。
予期せず前川國男建築に出会えたのも嬉しかった。
その後大濠公園をゆったり歩いて駅に向かう。
市内にこんな大きな公園と池があるのには驚いた。昨日とうって変わって爽やかな風が吹く。
九州に来るといつも思うのだが太陽に愛された土地だと思う。強くて柔らかい光がさす。
市街地から田園風景を写す車窓が海に変わったときああやっとこの景色が見られたと嬉しくなった。佐賀へ来たという高揚感がふつふつとわいてくる。
唐津からレンタカーを借りて車を走らせる。
曽我さんが何気なくかけたインナージャーニーのグッバイ来世でまた会おうという曲があまりにも過去を引き連れてきた。
https://youtu.be/_0FTRrpQBSw?si=eeQ0YBdl6FJESps7
車通りの少ない市街地から、君外れた道を走る中、君の声を忘れたくはないよという歌詞がその通りで居なくなってしまった人の声をなんども思い返そうとするけども年々薄れていってしまう声。あぁそうだよな、忘れたくないよなってハンドルを握る。
父や母を助手席に乗せて、田舎の祖父母の家へ行く。待っている人がいたこと、会いに行く人がいたこと、同じ時間を共有する喜びがあること。元気だった?また来てね、元気でねと交わした言葉の数々。今となっては全てが尊くて眩しい時間だ。
過去に繋がる道を走っているようだった。この先を走っても懐かしい人にはもう会えないと思うと少しだけさみしい気持ちになった。
このさみしさは私だけのもの。埋めるつもりも埋めてもらうつもりもない。この先もずっと私と共にある。あなたたちがいた温もりは替えの利かないもの。だからそれでいい。
ぽつりぽつりと景色がかわり、のらりくらりと話をしながら知らない曲が流れてきて時間は進んでいった。
風力発電の風車がゆったりとまわる。過去ばかり見ていることに気づいた。きちんと『今』を過ごさないと。過ぎた時間には戻れないけどちゃんと大切にしてもらってきたじゃない。忘れないで。
目の前にある美しいものに触れていいのだし
ここに来られたことを喜んでいいのである。
きちんと自分の足で歩いてきたから
ちゃんと私の時間として受け止めておこう。
また来たいなここは。好きな場所を何度も訪れるほうが性に合ってるのかもしれない。
七ツ釜を離れホテルへ向うとき曽我さんがまたおもしろい曲を流してくれて笑かされた。人の何気ない行動にこんなに救われるものなんだと驚いた。さりげなく寄り添う空気感をありがたく受け取った。
ホテルは海の見える部屋で、夜風を浴び波の音を聞いていた。今だけあればいいから終わらないでほしいと思えるのは旅の夜の醍醐味だろう。日常というものを好いているけど、たまにある旅の夜というのは際立って良いと思ってしまう。1ヶ月くらい旅に出て全ての夜の感じ方を記録してみたい。1週間位したら飽きてしまうものなのだろうか。
深夜に目が覚めてベランダから月を見ていた。いつか居住地を変えることができるなら佐賀に住んで休みの日は七ツ釜に散歩に出かける日常がほしい。
曽我さんが夜明けを見ましょうとのことだったのでホテルの屋上から夜が明けるのを見に行った。
薄闇から燃えるような光が差し込んでくる。
刻一刻と色を変える空。
全てなくなったかのような静寂な夜明けしかなかった。
ぷかぷかと流れる雲を見つめる。
よく「お迎えがくる」と言うけども、こんな雲に優しく包まれて思い入れのある土地を空から流れるように旅してお別れをしていくお迎えであってほしいと思った。
病院での仕事でお迎えの時間を察したら私はその人の髪を洗っている。その髪がお迎えの雲に乗ったとき風になびいて心地よい時間となってほしいと強く思った。苦しさや悲しみのない世界のような空を見られてよかった。あちら側に大切な人が増えてしまったけどもこちら側にも大切なものがあるってちゃんとわかってよかった。来世があるかなんて分からないけどまたこの雲に乗って来世を始められたらいいのでは。
最終日は念願のラブホに行き重要文化財としてもいいのではないかというせり上がり回転ベッドを体験した。高さがあるので高所恐怖症の人には慎重に乗ってほしいベッドである。
今日という日まで現役で稼働するために維持していてくれるホテル側には敬意と感謝しかない。レトロラブホの荘厳さを体験できる時代の瀬戸際だと思っているから気になるホテルには積極的に行っておきたいと誓いを改めた。
↑撮影 曽我灯
楽しかった時間を記録してくれた曽我さんには感謝しかない。滞在中歯を出してにこにこ笑ってる姿が写真に収められていてちゃんと今を生きてる気がしてほっとした。
さよなら唐津の海。さよなら過ぎ去った眩しい光たち。またいつもの日常を大切に生きるよ。だからこの光を見たらもう死んでもいいかなって思える光景をこれからもたくさん見ていくよ。