天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

お局制度による日本企業ガバナンスの研究

というような論文がないかと探したけれど、能力不足のせいか見つけられなかった。もちろん、「お局」(Otsubone)の存在は多くの文献で報告されている。けれど、そのほとんどはビジネス関連の軽い本であったり、あるいは小説のような文学作品であったりする。私はむしろ社会学的にとても面白いネタだと思うのだけれど、そんなふうにこの素材を扱ったものを、そういえば読んだ記憶がない*1。「お局制度による日本企業ガバナンスの研究」は、いまだに見つからない。

なんでそんなことを思ったか(そしてGoogle Scholarで検索をかけたか)というと、今日、ひさしぶりに会ってお茶をしたひとが、会社を辞めた話をしていたからだ。正式にはまだ辞めてないのかな。11月末日までの給料は支払われるという話だから。ともかくも、その話を聞いていて、「ああ、これは社会学が扱うべきトピックスだよなあ」と感じた。きっと多くの知見が積み重なっているだろうと。けれど、Webを検索して出てくる文献には見当たらなかった。まあ、文系の論文の多くは紙の書籍になるので、PDFで転がっていないことが多い。なので、図書館とか行けば見つかるのかもしれない。

 

その「会社を辞めた話」の要約は、こんな具合だ。

派遣で1年すこし前から勤めるようになったその事務所には「お局」的な先輩がいる。彼女の指示にしたがって定型的な作業(リストのラベル用紙への印刷とその貼付)を定期的にやるのだけれど、一連の手順が非効率的なのに常々疑問を感じていた。具体的には、データと出力の手作業での突き合わせのような、本来では不要な作業が発生している。ただ、派遣の身ではあるし、当初は言われたことを言われたとおりにやるようにしていた。

それがすこし前、「慣れてきたようだからこの仕事を任せる」と、指示があった。そこで、この機会に非合理的なデータを作り直し、業務のフローがうまくいくように改変することを提案した。ところが、「これは前任者が苦労してつくりあげたデータだからいじらないでくれ」と、オフィス内で激詰めされた。

あまりのパワハラに耐えられず、「このような対応に自分は納得できないから、来月末日をもって事務所を辞める」という内容のメールを所長を含む事務所内の全員に流した。すると翌営業日、所長との面談があり、「ああいうメールを全員に送った以上、残りの期間を顔を合わせて仕事するのは双方に耐えられないだろうから、11月いっぱいの給与は支払うので、もう今日で終わりにしてかまわない」と言われた。

なお、事務所の仕事は社労士。

以上が、私の理解した概要だ。たぶん聞き漏らしたところもあるし、誤解しているところもあると思う。だからほんとうの事実関係はもう少し違うはずだけれど、そこを正確にしようとは思わない。というのもこれは学術論文ではないし、ネットに流す風説にはフェイクを入れるのが一般的だから、私の理解の足りないところはちょうどいいフェイクになるだろう、と考えられるからだ。

「今日から来るに及ばない」は、多くの場合、それ自体がパワハラになる。けれど、これを話してくれた人は、その措置に感謝していた。「あんな仕事、行かずに給料もらえるならそれはそれでありがたい話やし」というわけだ。実際、ふだんの仕事の現場でも、この所長の従業員に対する接し方は問題なかったとのことだ。「社労士で、いろんなとこの就業規定とか書く立場だから、パワハラとかにはやっぱりそれなりに意識があったんちゃうかな」とのこと。

問題は、「お局」の行動がパワハラにあたるのかどうか、ということだ。労働法関係の業界でどういう定義になってるのかは知らないけれど、言葉の成り立ちから考えると、これはちょっと無理筋に見える。というのは、powerは権力だから、パワハラが成り立つためには権力関係の上下がなければならない。ところが、外形的には、「お局」に権力はない。なぜなら、彼女は単に古くからその職場にいるというだけで、地位としては同じ「派遣」の身でしかないからだ。なので、これをパワハラ案件とするのは、外形上は無理になる。

 

ここでちょっと横道に逸れるが、なぜ、この当事者がこの件を「パワハラだ」と感じたのかを分析すると、興味深いことが見えてくる。もちろん、「従前通りにやってほしい」と先方が伝えたときの口調であるとか身体言語などが「ハラスメント」に相当するほど強烈なものであったことは想像に難くない。ただ、おそらくそれだけでは「パワハラ」とは感じなかったのではなかろうか。「ハラスメント」は、それ以前からの「およそ無意味な行為を継続的に強制される」ことに根本があったように見える。つまり、私にこの件を語ってくれた人には、「より合理的に、よりよい方法で仕事を処理することが自分にはできるし、そのための道筋も見えている。けれど、それを頭ごなしに否定された。その理由は実につまらない〈前からやってるから〉でしかない。そんな根拠もない理由を持ち出すのは、単純にこの〈お局〉が、新参者によりよい方法を示されることで自分のメンツを潰されるのが嫌だという低レベルの心理にもとづいているにちがいない。そんなことのために延々と手作業で紙データとPC上のデータの照合をやらされるのはハラスメントだ」という感覚があったのだろう。なぜなら、部外者の私にはあまりよくわからない業務のフローについて、ずいぶん熱心に説明していたからだ。この人にとっては、お局の態度とか性格以上に、業務のフローが「昭和的」であることが最も許せないことだったような印象を受けた。

さらに横道に逸れると、似たような話を別の友人から割と最近に聞いた。そこはインボイスの話だったのだが(ちなみに私はインボイス制度にも不案内なので話の要点はついにわからなかった)、会社が本来制度に合わせて記帳を改めなければならないのに、必要な対応をしていないというのが、どうもその内容であるようだった。それはよくないことだとわかっているので、上司に「どんなふうにして改めていくべきか」を提案したところ、上司の機嫌が悪くなった、というものだった。これも私の理解が不足しているせいでだいぶ事実から離れているが、上記のとおり、そのままにしておく。

どちらの事例も、時代の変化による仕事観の変化がトラブルの背景にあるように感じられる。言葉を借りると「昭和」の時代には、上司に言われたとおりにやっていれば、それでよかった。創意工夫は言われた範囲内のことを処理する上で発揮すればいいのであって、上司の意向に対してあれこれと口を挟むのは越権行為でしかなかった。けれど、21世紀には、各職種に専門性が求められている。専門性は、特定の分野においてその分野の一般的なオペレーションに通じていてそれを遵守することにあらわれる。したがって、たとえば経理の専門職であれば、優先すべきは税法上の要請であり、上司の命令はあくまでその要請の範囲内で出されることが前提になっている。事務職の専門性は事務を効率的かつ正確に処理するスキルにあらわれるのであって、それに反することを命じられるのは専門性をおびやかすことになる。そういった感覚が、現代の仕事の場には存在するように感じられる。

 

話題を「お局のパワハラ」に戻そう。同じ「派遣」同士のトラブルは、外形的には(少なくとも語義的には)パワハラを構成しない。しかし、当事者の立場から実際に起こったことを見れば、それは「不必要な業務を強制された」のであり、さらに「真っ当な提案を正当な根拠もなく否定された」のであって、まさに何らかの権力によってハラスメントがおこなわれた状態になっている。すなわち、確かに何らかの権力は働いているわけだ。

では、この権力はどこからきているのか。それは、「お局」がオフィス内で激詰めをした際に、実はこの社労士事務所の所長もオフィス内にいた、という事実を見れば明らかだ。所長は、「お局」が権力を行使するのを制止しなかった。話の内容から問題の所在は明らかだったはずであり、所長にそこを裁決する権力は存在したはずだ。けれど所長はそれをせず傍観するだけで、結局は「お局」が権力を行使するのを認めることになった。すなわち、外形的には「お局」にはなんの権力もないけれど、事務所内の最高権力者である所長が黙認することにより、実質的に権力を行使した。

ここで所長の立場から物事を見てみよう。雇用者として、最も重要なことは業務が効率的かつ正確に処理されることだ。そういう意味からいえば、所長は「お局」の暴走を制止して、新参者の派遣の提案であっても専門性にもとづいた合理化案を受け入れるか、少なくとも検討するべきであっただろう。しかし、経営者としては、業務が安定して継続性をもって遂行されることも劣らず重要だ。そうなると、ベテランの「お局」にへそを曲げられては困る。どちらを優先するかとなれば、影響のできるだけ小さな方を選びたい。結果として、自ら裁量を行って業務フローの合理化を検討するよりは、「とりあえずぜんぶ彼女に任せておけば間違いない」という方を選ぶことになる。そして「お局」がプチ・ハラスメントを行うのを見てみないふりをする。

これが、本来はパワハラの発生する要件を満たさない場でパワハラが発生したメカニズムだろう。そして、社労士である所長は、おそらくそこはちゃんと意識している。だから権力者である自分自身は、その権力によるハラスメント行為が起こらないように細心の注意を払う。実際、事件の処理にあたっては「仕事をしなくても1ヶ月の給料を払ってやる」という太っ腹な対応をして、当事者から感謝までされている。そして、見えない形、非公式な形で権力を移譲して、ハラスメント行為が必要になればそこに汚れ仕事を任せる。ただしこの権力の移譲は外見上は存在しないから、そのハラスメント行為は「なかったこと」にできる。それは単純に従業員間のトラブルに過ぎない。そりゃ、社労士事務所でパワハラがあったらシャレにならんわな。

 

そういうふうに見てくると、なぜ日本の多くの企業に「お局」が存在するのかが理解できてくる。集団を統率していく方法として、手っ取り早いのは権力構造をつくることだ。ただ、権力の表立った行使は、トラブルにつながることが多い。特に労使関係では争議に発展することもあり得るし、その場合は法制度は権力のない労働者側に味方するようにできている。さらに、あからさまな権力統治は反発をかいやすく、結果として企業の生産効率を下げることにもつながるだろう。しかし、ここで外形上は権力のない「古参従業員」に、暗黙の権力を与え、その権力を必要に応じて行使させれば、これらの問題は発生しない。問題がこじれたらそれは「従業員間のトラブル」として処理できる。そして「お局」に支配された従業員のあいだからは、正しい意味での権力闘争は起こり得ない。なぜなら明示的な権力はそこにはないからだ。ただ、プレッシャーとストレスだけがそこに発生する。そしてそれは、集団の統率の上でプラスに働くだろう。少なくともそれを良しとするような経営体制のもとでは、役に立つはずだ。

社会学は、人間の集団に固有に見られる現象の法則性に着目する。これは、個人に着目したのでは見えてこないものだ。個人レベルでは、「お局」は、「なんか知らんけどイヤなヤツ」であったり、あるいは「表立っては目立たないけれど実は仕事ができるスーパーウーマン」であったりと、さまざまな評価を受けるだろう。そしてその一人ひとりの個性はそれぞれにちがっているし、その位置づけも企業ごとにちがっている。だから、個人レベルで「お局とはなんぞや」みたいなことを考えても、雲をつかむような話になる。けれど、社会学はあくまで集団を扱う。日本の企業の多くに「お局」と呼ばれる(あるいはそう呼ばれなくともそれに相当するような立場の)人が存在するという共通性が見られるとき、それは社会学の研究対象となるはずだ。そして、私の仮説は、「お局は権力支配を見えないものにし、実際の権力者を守るための構造ではないか」というものだ。もちろんこれは、個別の「お局」を糾弾するものではない。そうではなく、当の「お局」さえ、ときには社会構造の被害者になり得ることを示すものだ。

 

ま、私は学者ではないし、こんなことは戯言にすぎないのかもしれない。少なくとも上記の言説は、何ら実証的なものではない。たったひとつの事例にもとづいて(それも曖昧な理解で)空想したものだ。けれど、だからこそ思う。「お局制度による日本企業ガバナンスの研究」、ぜひ読みたいと。そこで実証的に明かされる社会の仕組みを知りたいと。なぜなら、どういうわけだか私の周りにはあまりにも多いのだ。まともに仕事をしたいだけのに、何かがそれを阻んで、やがてそこにいられなくなると訴える人々が。そういうのはほんとうにおかしいと思う。

まあ、私自身がそういう問題に遭遇しないのは、単純に「まともに仕事をしたい」という欲求があんまりないからなのかもしれないな。仕事、できればあんまりしたくないよなあ…

雑穀を食っていた話

いくつかの原稿(たぶん何かの企画で書いてでボツになったエッセイ)にはもっと詳しく書いたし、このブログでも2回ぐらい触れている(ここここ)から目新しい話ではないのだけれど、若い頃1年ばかり、雑穀を主体に暮らしていたことがある。このブログで過去に書いたのを引用しておくと(新たに書くのも面倒なので)

そのころ私は、若さ故の不安に苛まれながら東京で暮らしていた。いまなら笑うしかないのだけれど、その不安のなかには、「もしも米が食えなくなったら自分は生きていけるのだろうか?」というものもあった。なぜ米なのか? たぶん、小さいころからずっと毎日食べてきているものだから、それなしでは生きていけないという感覚が抜けず、けれど、この狭い日本、いつか米が食えなくなる日が来るんじゃないかと、ありもしない妄想にとりつかれたのかもしれない。

いや、米を常食にしているのは世界でも一部の地域だけで、他の地域では米以外のものも食べている。たとえば小麦だ。だが、(中略)パンやスパゲティで生きていくのは無理だろうと勝手に決めていた。

そこで、「もしも米が食えなくなったら」という恐怖を克服するために、1年間の米断ちをしようと決心したとき、選んだのは雑穀だった。粟や稗といった雑穀を主体にした食生活に変えて暮らしはじめた。

という顛末だ。まあ、よっぽど暇だったのだろう。

なぜ雑穀に変えたのかといえば、これはほぼ偶然だった。そういう変な悩みを抱えていた私にもありがたいことに友人がいた。彼はときどき、これも変な場所へ誘ってくれたのだが、あるとき「いっぺん見学に行こうよ」と連れて行ってくれたのが、当時「じいさんばあさんの原宿」として脚光を浴びていた巣鴨のトゲ抜き地蔵だった。私は文京区大塚に住んでいたから、歩いていけない距離ではない。そこである春の日に散歩がてらに連れ立って行ったわけだが、参拝を済ませ、商店街をもどってくると、怪しげな食料品店が目についた。どうやら飲食品店で使う乾物や製菓原料みたいなものを扱っている業者向けの卸商売みたいな感じだ。一般小売もしていて、じいさんばあさん連中が珍しそうにいろいろ買っている。そこそこ広い店内には確かに当時はほかであまり見かけなかったような食料品があって、見ているだけでそれなりに楽しかった。そして、そこでアワ、ヒエ、キビの3種類の雑穀を、1キロ袋で売っていた。私はそれを見て、「これだよ、これ!」と思った。

そのときには買わずに帰ったのだけど、確かキロあたり600円とか800円とか、そんなに高価ではなかった。米が当時キロあたり500円ぐらいだったと思うから、比較すれば少し割高だけれど、手が届かない値段ではない。一晩寝て考えて、やはりこれを機会に「米のない生活」を実験してみようと思った。ちなみにその前は玄米を食っていたのだけれど、そのあたりの顛末はべつのところに書いている。その玄米もちょうど切れそうなタイミングだった。米を買う代わりに雑穀を買うというのはいいスタートに思えた。

そこで改めて出かけて、キビ、アワ、ヒエをそれぞれ1kgずつ買ってきた。これらの雑穀は「かて飯」つまり、米が主体である食生活の中での米の不足を補うための増量として用いられてきた歴史がある。だから、米に2割とか3割混ぜて炊くのが、すくなくとも初心者にとっては正しい道だったのだろうけれど、私の目的は「米断ち」だから、そんなことは思いもしなかった。そしてアワを、米を炊くのと同じように炊いてみた。

「うまい!」

それが偽らざる感想だった。後になってわかったのだけれど、キビにもアワにも、たぶんヒエにも、実に多様な品種がある。そしてこれらの穀物は、収穫から食用としての出荷までにかなり調製の手間がかかる。なので、味は相当に多様だ。もっというと、調製に手間がかかることから国産の雑穀はかなり高価で、後に自然食品店なんかで買うときには300グラムぐらいで500円を超えているパッケージで販売されているのに出会うことが多かった。そう思うと、このトゲ抜き地蔵前商店街の食料品店で謎に売られていたアワは格安でうまかった。おそらくは中華料理店のお粥の原料として中国あたりから輸入していたのではなかろうか。ちなみに、いまこのぐらいの値段で雑穀を探すと、ほとんどが鳥の餌として売られているものしか見つからない。言葉を変えれば鳥の餌レベルならまだまだ安価で生産可能なのが雑穀であるといえるかもしれない。

 

ともかくも、アワは美味であることをこのとき知った。上記のようにいつもそんなにうまいものに遭遇できるとは限らない。ひどくまずいアワにあたったこともある。それでも全般としては、アワはうまいし、そして調理が手早い。米のように浸水40分以上で炊飯に20分、蒸らしに10分は最低でもかけないとうまくないということはない。水を加えて10分も煮たら食べられる。粒が小さいことがこういうところで利点になる。遅くまで出かけていて家に帰ってなにか食いたいなと思ったら、お茶を沸かすぐらいの感覚で粥ができるわけだ。「便利だなあ」と感心した。

キビに関しても、ほぼ「アワに準ずる」という感じだった。キビのほうが粒が少し大きいから食べごたえがあるぐらいがちがいだろう。もっともその後いろいろ試して、キビのほうがアワよりもさらに変異が大きいことを知った。なかにはかなりアクが強いものもあった。よくいえば「野趣にとんでいる」わけだが、食べやすくはなかった。

そしてヒエだが、これには辟易した。見かけはアワと同じようなつぶつぶで、色がちがうぐらいだ。けれど、アクが強く、食感もわるい。アワが溶けるようになめらかなのに対して、ヒエはざらざらとしている。ただ、歴史書なんかを読むと、貧農はほぼヒエを常食としている。米なんかめったに食えず、ひたすらヒエを食わざるを得なかった地方もある。まあ、これを食ってたら米がお菓子並みに甘く柔らかに感じるだろう。

そして雑穀全般に、食事の量が減る。米だと(当時の私は若さから大食いだったので)1合つまり150グラムぐらい食べないと気がすまなかったけれど、雑穀だと100グラムも炊けば多いぐらいだ。ヒエだとまずくて食えないから、もっと減る。減った割に欠乏感はないから、ある意味、飽食の時代には健康的だ。健康のために雑穀食にしたわけではないけれど、そのうちに健康のためにそういう食生活を選ぶ人々の意見に触れる機会も多くなっていった。シンポジウムに出かけたりね。

そういう人々が根城にしていたのが健康食品店だ。これもいろんな派閥があってちょっと簡単に語りきれないのだけれど、そういうところに出入りするようになって、雑穀の相場がやたらと高いことに驚いたりもした。驚きながらも、アワ、キビ、ヒエのほかにいろいろな雑穀があることを知った。そして、シコクビエやキヌアといったマニアックな商品も試してみることになった。

 

雑穀だけでは高くつくので小麦に走ったことは、上記にリンクを貼った別の記事で書いた。そのほかいろいろ試しながら、気がつくと1年近くがすぎ、そして私は個人的な事情から生活拠点が定まらない時代に突入していった。そうなるとあんまり変なことはできないので、雑穀生活は自然消滅した。正確には、1991年の5月から1992年の3月まで、ということだと思う。

若い頃のむちゃをいま繰り返そうとは思わない。けれど、そういうことをやってきたことが、いまの自分をつくっているなとは思う。そしてこういう駄文を書くネタにもなる。だからどうしたといわれたら言葉に窮するけれど、ま、それも人生。

「法学通論」を読んだ

書評とかレビューとかいうのでもないし、夏休みの読書感想文的なものでもない。「法学通論」(田中誠二、千倉書房)という本を読んだので、とりあえずのメモとして書いておこう。どうやら古い時代に大学1年生あたりを対象に書かれた教科書らしい。

私が学生の頃はまだ教養科目というような概念が生きていたので、工学部の学生であった私もいくらか文系科目の講義を受けることができた。ただ、法学には近寄らなかった。うっすらとした記憶によれば、「あれは単位が取りにくい」みたいな噂があったのと、それ以上に全く興味がなかったのとで、選択しなかったのだと思う。ちなみに近頃の大学は、シラバスとか見てる限りだと工学部の受講できる文系科目はごく限られているようだ。それだけ専門分野で学ばねばならないことが増えているのだと思う。21世紀の大学生は、何かとたいへんだ。

ともかくも私の人生は法律とは無縁のはずだったのだけれど、生きていいる限り法律と完全に無縁ではいられないのが現代社会だ。私の場合は30代なかばで会社をつくろうと思ったときに最初の法律との関わりが生じた。もちろんそれまでも意識しない場面では法律ががっつりと関係していたわけだけれど(例えば雇用保険を受給したときとか引っ越しで住民票を移したときだとか)、意識の上では「そんなの知らんわ」で通すことができた。ところが、自分が会社をつくろうとなるとそうはいかない。「会社」という存在そのものが法律がなければ存在し得ない理念上のものであり、いわば幻のようなものだ。その幻をあたかも実在するかのように扱うには法律が必要で、具体的には法務局に登記をしなければならない。ふつうの人ならそこで司法書士なり行政書士なりに駆け込んでアドバイスを求めるのだろうけれど、世間知らずの私は図書館に行って会社法を読み始めた。どうも自分の力では株式会社は無理だとわかって(当時は存在した)有限会社法を読み、さらにやたらと民法を参照するように記述があるので民法を読んだ。ちなみにこれはカタカナ書きの旧民法で、まず日本語として何が書いてあるのか理解に苦しむようなシロモノだった。さらにいえば、言葉がわかろうがわかるまいが、こういった法律を読んでも実際の手続きをどうすべきか、理解できるものではない。結局は徒手空拳で法務局に行って、いろいろ教えてもらうことになった。窓口の担当官は、「ふつう、もうちょっとちゃんと準備してくるもんだ」と呆れながら、定款の書き方とかいろいろ教えてくれた。まあ、このあたりは余談だ。

ともかくも、このときに私は、すべての行政のおこないの根拠は法律に記載されているという原則を学んだ。だからその後、免許を取るときには道路交通法道路運送法を読んだし、問題集を編集するときには教育基本法と学校教育法も読んだ。こういうことをするのは単なるバカなのだろうけれど、おかげで後に食い詰めて企業に雇われたときには補助金担当者として経産省の役人の相手をすることもできた。そして家庭教師を始めてからは、憲法その他のいくらかの法律関係の講義を生徒に向かってするようになった。

そんななかで、やっぱり自分自身に法学の基礎がないことは痛感してきた。「だから今回、法学の本を読んだ」と言ったら、殊勝な話だけれど、それはウソだ。結局、「なぜ」と言われたらそれは直接には古本屋で税込み100円で大学の教科書っぽいのを売っていたからでしかない。奥付を見ると相当に古い本だというのがわかった。ちょうどNHKの朝ドラでやっている「虎に翼」と時代がかぶる。そういう興味もあった。あと、SNSでしばらく前にやたらと「ガイウスが」「ローマ法が」と叫んでいた人がいたというのも記憶にあった。索引を見ると、そういう方面もカバーしているらしい。グロピウスなんかは自由意志論のところで気になっていたけど、国際法の関係で当然出ている。眺めているうちに、「いま、自分にとって読むタイミングなんじゃないか」と思えてきて、それで100円払って買ってきたという次第だ。

 

内容に関しては、一読しただけで書けるほどの素養は私にはない。なのでどうこうと書評めいたことは書かないし、だいたいがこの本、すでに30年以上前に絶版になっていて、故紙寸前の投げ売りか、さもなくば稀覯本としてしか手に入らないもののようだ。なので、レビューする意味もない。個人的に面白いと思った点だけ、以下に書いておく。

まず、この本の初版が出たのは新憲法制定直後の時代だったらしい、というのが興味深かった。そう、「虎に翼」の時代だ。憲法施行から昭和30年代初めぐらいまでの10年ぐらいはかなり興味深い時代だ。私の両親の青春時代でもあり、時代の雰囲気に独特なものがある。この本は1949年の発行以後、1953年の改訂、1961年の全訂、1965年の再全訂、1979年の三全訂と版を重ねた最終版のものであるのだけれど(だからちょうど私の学生時代ぐらいに教科書として使われていたのだろうと思しきものなのだけれど)、それでも憲法制定時の高揚感が文章の端々に残っている。特に、旧憲法下の旧法制度からどのような変化があったのかについて、その渦中にいた人にわかるように説き起こしているところが、70余年を経て、まるでドラマでも見るように興味深く思える。また、主権の変更のような大きな変化について学者をはじめとする権威側の立場の人々がどのように解釈のつじつまを合わせていたのかもどことなく想像できる。ドラマの中に旧態依然の法学の権威みたいな人が登場してたけど、そういう人たちの考え方が依然として無視できなかった時代の雰囲気もどこか感じられて、「なるほどなあ」という印象があった。

元編集者としての興味もあった。組版が古めかしいので最初は活版清刷かと思ったが、1979年版なのでさすがに写植のようだ。割括弧の位置がズレている誤植が一箇所あったが、そういうズレ方は活版ではふつう起こらないだろう。活版ならオモテ罫のなかに1つぐらい潰れが見えてもよさそうなものが見えないのも、写植なんだろうなと思った理由だ。書体が古臭く見えるのは、私がもう写研の文字から離れて長いからかもしれない。それでも、奥付に検印があったのはほんと、時代を感じた。1970年代ならもうほとんど検印廃止だと思うのだけど、律儀にハンコが押してあった。かつてはこれで部数管理してたんだよなあ、印税の語源だよなあ、なんてことを思った。

もうひとつ時代を感じたのは、文が全体的にうまくないことだった。碩学の大先生にこういう失礼なことを言ってはいけないのだろうけど、かつてはどんな大先生でも文章がうまくないことは珍しくなかった。目立つのは、主語と述語の対応が見えにくいことだ。これは一般に長い文を書くときに特徴的に起こる。だから文章を書く際の鉄則として長い文は書いてはいけないのだが、(まさにこの文のように)私たちはついつい分割可能な文を重ねてしまう。この際、主述の関係が見失われがちで、特に句読点を打ちまちがえると可読性が著しく下がる。場合によっては見かけ上完全に主述の対応が失われ、読み下せない文になる。これは書いている本人には案外わからないので、だからこそ20世紀には編集者が朱を入れて著者にお伺いを立てるのが重要な仕事になっていたわけだ。そうはいっても特に学術書などでは、権威である先生の文をそうおいそれといじるのは畏れ多く、「あれ、これは何を言いたいの?」というような難読文がそのまま印刷されることも多かった。これはなにも学者の書く文に限って読みづらかったわけではなく、一般人の文章の読みづらさも相当なものだった。私は90年代に投稿で成り立つ雑誌の編集をやっていたので、そのあたりは身をもって経験している*1。それが急速に変化したのは実は21世紀に入ってからのことだ。学校教育が変わったのがその理由ならたいしたものなのだが、実際にはそうではない。単純に電子デバイスの使用が増えたからだ。PCをはじめとして、インターネットの情報は大量の文字情報を伴う。それまで以上に多くの人が大量の文字を扱うようになって、文章のクォリティは格段にアップした*2。出版物の文章も読みやすいものが多く、編集者が朱を入れる必要なんてほとんどないんじゃないかとさえ思える*3。明らかに現代人の文は読みやすいし、そういう意味で、初版が75年も前に書かれたこの本は読みづらい。「ああ、昭和の頃ってこういう文が多かったよなあ」と、懐かしくなった。

 

あとは、やっぱり体力がなくなったんだなと痛感した。自分のことだ。内容が堅くて読むモチベーションが上がらなかったというのもあるのだけれど、古本屋で見つけてから読了まで1ヶ月以上かかった。本文455ページだから、小説みたいに読みやすいものだったら若い頃の私は3日もあれば読了していたんじゃないかと思う。内容が堅すぎてスピードが出ないときには飛ばし読みや斜め読みをするぐらいのことはできたから、やっぱり1週間ぐらいあれば読めたんじゃないかと思う。けれど、いまの私にはそれだけの体力がない。ポツポツと、読んでは休み、読んでは考え、そんなふうにしてずいぶんと時間がかかった。

これを読んで何かが「わかった」わけではない。実用的には、だいたいがもう古い話で制度もけっこう変わっているので、全くの益はない。歴史的な興味はあるけれど、それも「ふうん、そうなんだ」程度の読了感だ。それでも、法律関係の人の発想がなんとなく前よりも少しだけでも見えやすくなった気がする。そういう意味では、時間をかけただけの値打ちはあったな。

*1:だから私はその時代に相当な悪文読解の技術を身に着けた。私でなければ読み解けない手書き原稿なんてふつうにあったな

*2:実際、いまから20年ほど前に私はネット上で「文章講座」なるものを開講して小金を稼いでいたのだけれど、そのときに開陳していた「読みやすい文を書く方法」は、いまではほとんどの人が実践している常識になってしまっている

*3:実際には私たちが目にする書籍は編集者の仕事の後だからそれ以前の原稿段階はわからないのだけれど、例えばブログのような編集者の手が入る以前の著作物を読んでいても、違和感のある文にはほとんどお目にかからない

自治会と商品券の話 - 日常のつぶやきとして

以下、ごちゃごちゃと長いけれど、特に主張とかある話じゃなく、単純に「昨日、こんなことがあったよ」というだけの話。

                  

自治会について書き始めたら長いので、そこは端折ることにする。大雑把に私の認識だけは初めに書いておくと、これはもともと鎌倉から室町時代にかけて成立した農村の自治の動きの中から生まれた「ムラ」(惣村)がベースにある、本質的には政治組織であった*1。ただし、秀吉の改革以後、江戸時代の幕藩体制の中でこれは支配のツールに転用され、それを受け継いだ明治維新以後の政府によってある部分は行政に組み込まれ、ある部分は行政の下請けとして、戦前日本社会の骨格のひとつとなった。GHQはこれを問題視して解散・解体させたが、行政はその便利さを手放したくなかったため、形式上は民間の任意団体として基本的にすべての地域に組織させた。これが現在の自治会につながるものだ。この理解は何度かの引っ越しでいくつかの自治会に関わってきた私の観察だけでなく、いくつかの書物・文献からも学んだものであるので、概ね多くの人の理解とそれほど異なっているものではないと思っている。

民間の任意団体なので本来それには義務的な参加はない。ただし、歴史的には住民の権利・義務としての参加があり*2、居住に無関係な自由意志による加入や脱退は許されていなかった。現代では制度上そうではありえないのだから、自治会は「有志によるボランティア団体」ぐらいにまで縮小すべきだと個人的には思っている。「なくすべき」とまではいまのところ思わない。というのも、時代が変わればまた別な役割・意味をもってくるのが地域コミュニティという単位だと思うからだ。事実、「ムラ」の役割はこれまでも時代に応じて拡大と縮小を繰り返してきた。いまの時代にはかつてのような「住民の自治組織」としての政治的な役割はそこにそぐわないというだけのことだ*3

前置きがやたらと長くなったが、その自治会の「地区役員」に今年はあたっている。何年かに一回まわってくるので、しかたなくやるわけだ*4。個人的に「自治会なんて有志によるボランティア団体ぐらいに縮小すべきだ」と思っていても、現実にそうなっていない以上、自分の個人的な思いを前面に出して「当番はやりません」みたいに拒絶したり「自治会やめます」と宣言したりまではしない。そこは波風立てずに生きていたい。

この自治会、地区役員は3つの委員会に振り分けられる。私が属しているのは「文化厚生委員会」で、イベントなどの文化行事の裏方が主な仕事ということになる。たぶん元は他にも仕事(「厚生」の部分)があったのだと推測するのだけれど、文化行事だけでも、かつてあった夏祭りも文化祭も餅つき大会もなくなって、小規模のイベントがいくつかあるだけだ。仕事がないのも張り合いがないから的な感じで規模の小さなものは企画されているのだけれど、もう大イベントをやるだけの体力はこの高齢化が進む住宅地にはない。そして、そのイベントのおそらくは残滓として、「敬老の日のお祝い」というのがある。おそらくかつては「敬老祝賀会」のイベントぐらい自治会館でやっていたのだろうが、いまは「お祝いの品」の進呈のみだ。土曜日に文化厚生委員会の会合があったのだけれど、その議題がこの「敬老の日のお祝い」だった。

 

いまでもあるのかどうか知らないが、かつては高齢者に自治体が記念品を贈ることがよくあった。「米寿の祝いに市役所から座布団をもらった」みたいな話をよく聞いたものだ。まだ平均寿命がそれほど高くなかった昭和の時代にあっては、「健康に長生きをすれば市から表彰される」みたいな意識があれば人々の健康維持へのモチベーションを上げることができた。だから公的機関が高齢者に祝意を示すのは保健政策上も意味があったわけだ。おそらく自治会の「敬老の日のお祝い」も、そういった時代の流れの中で定着したのだろう。近隣の自治会でも金品の贈呈をやっているという。ただし、毎年やるところはだんだん減ってきているとか、もう廃止したとかの話もあるらしい。高齢者がこれだけ増えれば、そりゃ、珍しくもないものな。

今日の委員会の話だと、ここの自治会のように、「敬老の日のお祝いの品を希望されますか?」と意思を確認してから毎年、粗品を配布している自治会は少ないらしい。ここの自治会がそれをする理由はもちろんある。さまざまな事情(たとえば「まだワシは若い!」というようなカワイイものから、「入院中でそれどころじゃない」という深刻なものまでいろいろあるだろう)で祝い品が嬉しくない人は普通にいる。さらに、たとえば施設入所とか「娘の家に厄介になってます」とかで不在の人のところに祝い品を届けようと無駄足を繰り返すのも負担になるばかりだ。なので、まずは回覧でアンケートを回して、希望者分だけ粗品を用意して、それを地区役員が敬老の日に合わせて届ける、という段取りになる。

もともとこの粗品、紅白まんじゅうだったらしい。昭和の時代には、なにかというと紅白まんじゅうが出た。小学校の頃は運動会とか卒業式とか、年に3回ぐらいは紅白まんじゅうを家に持ち帰らされたような記憶がある。その時代はまだ大家族時代の名残があったから、おじいちゃんから孫までのどこかに必ず需要があって、それはそれなりに喜ばれたのだろう。ただ、小学校のどこかで「あれは衛生上よくない」みたいな話があって、やがて紅白まんじゅうの配布はなくなった。それでもそういうのを一手に請け負う地域の和菓子屋みたいなのがどこにでもあって、ここの自治会の「敬老の日のお祝い」も、当初はそこのまんじゅうだった。それが数年前に「まんじゅうかもしくは商品券」という選択式になった。確認するアンケートの際に、どちらを希望するかを記入してもらう。なぜ商品券になったのかの理由は複数あるのだけれど、その最も大きなものは「医者から甘いものを止められている」人が一定数存在するからだ。かつての大家族なら、自分が食べなくても貰い物のまんじゅうを喜ぶ子どもがいた。いまの少子高齢化の時代、そんな子どもはめったにいない。メタボリックシンドロームの撲滅が喫緊の課題とされるこのご時世にあって、甘いまんじゅうの押しつけはどう考えてもダメだろう。だから、選択肢として商品券を入れるのは理にかなっているわけだ。

 

ただ、この商品券の配布に関しては、当初より強烈な反発があった。高齢化の進んだこの地域、商品券配布の対象になる住民は少なくない。そしてその原資は、月額数百円の割で徴収される自治会費だ。お金を集めて配るだけの事業など、おかしいではないかというわけだ。それが社会政策のように「富の再分配」によって不平等を和らげるためのものであればまだ納得もできる。払う人と受け取る人がほぼ同じ場合、それは何の意味もないのではなかろうか。実際にはそこまで突き詰めた考えでもないのかもしれない。単純に、「そんなことに金を使うのなら自治会費を安くしろ」ということであるのかもしれない。なにしろ、「自治会なんて毎年何千円ものお金を徴収しておきながらたいしたことは何もしてないじゃないか」というのは実感として多くの人が抱いている不満なのだから*5

その一方で、皮肉なことに「まんじゅうと商品券のどちらを取るか」という選択肢を示された該当の高齢者は圧倒的に商品券を選択するほうが多かったという現実がある。甘いものがまだまだ貴重だった昭和の半ばぐらいまでならともかく、この時代、まんじゅうの価値は高くないのだ。特別に食べたいわけでもないまんじゅうをいきなりもらって賞味期限を気にしながら過ごすよりは、商品券でもらっておいて自分の都合のいいときに自分の好みのものを買ったほうがよっぽどいいということになるのは、ある意味、自然なのだろう。つまり、反発が強いのと同じくらいに賛同も多いわけだ。

委員会の議題は、具体的な段取りの打ち合わせや役割の相談を経て、この商品券問題に行き着いた。去年からは和菓子、洋菓子、商品券の3択になっている。原案では商品券に対する批判を受けて、「たしかに甘いものが困る人もいるだろう」とその代わりにお茶を入れるという3択案になっている。それに対して、「いや、商品券への支持が多いのが現実なのだから、これはお茶で代替できるものではない」という意見があって、議論は暗礁に乗り上げた形になった。

 

この例題、いろんな角度から考えてみることができる。たとえば、なぜお菓子ならそれほど反対意見が出ないところ、商品券なら強烈な反対が出るのだろうかというのは興味深いポイントだ。商品券というのは結局は現金と同じだから、「現金を徴収して現金を配る」ことに虚無を感じるのは感覚的に頷けなくない。ものがぐるぐる回るだけならその果たす意味はないのではないだろうか、という疑問だ。ここで思い出すのは、若い頃に読んだ狩猟社会における観察事例だ。狩猟採集を主要な生計とするあるむらで、森から獲物が運び込まれた日の獣肉の分配の様子を事細かに追いかけた興味深い研究だった*6。分配はむらの社会的序列に則って行われるが、うまいぐあいに末端まである程度公平に行き渡るように配分される。冷蔵庫などの保管施設がないため、どのみち2、3日内に消費してしまわねばならないから、できるだけ公平にしたほうがいいという物理制約もあったように記憶している。おもしろいのは、むらの広場で行われる解体と分配後に、肉の贈与・交換が始まることだ。つまり、ふだんのつきあいのなかで感謝の贈与をしたくてもなかなか機会がなかった人々が、肉という価値のある消費財を手に入れたこの機会に、その一部を日頃の感謝の意で贈与する。これを読んだとき、私はちょっと驚いた。貨幣経済以前の交換経済では、一方に希少なものがあり、他方に余剰があればそれが余剰側から希少側に交換価値を持つのだと、なんとなく思い込んでいた。けれど、ふだんはほとんど何の余剰もないところにほぼ公平に同じ価値のものが分配された状態から、いきなり贈与や交換が始まる。そしてさらにおもしろいのは、肉は腐る前に食わねばならないから、贈与を受けた者はそれによって生じた余剰分を別の人との間の贈与・交換にあてる。これが村落内で繰り返され、同じ肉がぐるぐるとむらのなかを巡って、ときには元の所有者のところに戻ってきたりする。結局は、物理的な配分としては元の状態とあまり変わらない公平分配になって、獲物はむら全体で消費される。では、この肉はただぐるぐると回るだけで何の役割も果たさないのだろうか。そうではなく、そこでは日常の生活内に必ず発生する社会的な負債の解消という役割をその過程で果たす。たしかそういった研究だったように思う。

つまり、同じものがひとつの社会の中をただぐるぐる回るだけのことであっても、その過程で何らかの社会関係にまつわる問題が解決されることがありうることが示されている。けれど、金銭は、物品とは違ってその価値が定量化されている。おそらくそれによって阻害される社会的機能があるのだろう。「感謝の気持ち」は、けっして表立って定量化されてはならない。たとえ現実には「あのまんじゅうの売価は500円」とか知っていても、それが「500円」と印刷された商品券と等価ではないわけだ。

あるいは、「わずかな価値の祝い品などもらっても嬉しくない」という感覚がそこにあるかもしれない自治会が大山鳴動してそこらの駄菓子と大差ない程度のまんじゅうひとつもらっても釣り合わないという感覚だろう。ただ、それが(昨年の選択肢にあったような)和菓子や洋菓子であれば、金銭的な評価は見えにくい。「まあ、いいものをもらったんだろう」で終わって、詳細を追求するまでもない。けれど、額面に金額が印字された商品券だと、「わずかこれだけのことか」とがっかりするような感性があるのかもしれない*7

 

こんなふうに、価値観によって物事の見え方が真反対になってしまうような問題は、なかなか解決がしにくい。同じ価値判断の中での尺度の問題であれば、「間を取る」ことで落とし所を探ることはできる。商品券の是非のような「それは無意味・害悪だ」という見方と「それが助かる・名案だ」という見方に現れる真逆の価値判断は、中間地点がない。プラス1とマイナス1なら、極端な場合、ゼロという中間地点がある。ゼロかイチ、つまり存在の有無に関する問題には中間地点がない。最終的には多数決ということにならざるを得ないのだけれど、そうなると少数意見である「商品券はやめるべきだ」という動議は最初からなかったことと同じだ。

こういうことは政治の世界ではしょっちゅうだ。そして少数意見は、結局はあってもなくても同じことになるのだから、「だったら最初っから混ぜっ返すなよ」ということにもなってしまう。政治の効率化を妨げる雑音のような扱いを受けることになる。本来そうであってはいけないのだが、価値観や思想の対立にはそうそう簡単に決着点は見つけられない。

ということで、結局は多数決で商品券は存続と決まった。まあ、オチのない話であるのだけれど、ただ、最後に私はひとつだけ、便宜としてちょっと卑怯なゴマカシの提案をしておいた。ので、それを付け加えておきたい。それは、「商品券」を「ギフト・チケット」と呼びかえることだ。

昭和の昔に比べたら物品を贈り合うような関係はずいぶん少なくなったが、老母のところにはまだまだ親戚から祝い返しのようなギフトがよくやってくる。そしてその大半が、カタログギフトだ。カタログギフトなんて、実質は商品券だし、それもカタログ内に登録された商品しか買えない非常に割の悪いものだけれど、案外とそれが通用する。実際、使いもしない食器類だとかタオルだとかを贈られるよりは、とりあえずカタログから必要なものを選べるので、便利といえば便利なのだ。現実にはそのカタログを見ればそのギフトが何円相当のものであるのかもわかるから、現金と変わらない。どこがちがうのかといえば、単純に名称だけだ。「金券」となっていれば角が立つものを「ギフト券」と言い換えてるから、納得してしまう。ゴマカシではあるが、人間の心理なんてそんなものかもしれない。

自治会で問題になっている商品券、調べてみると券面には「ギフト・チケット」と印刷されている。だったら、「商品券」の使用をやめて「ギフト・チケット」を使うようにしたら、反対意見も多少は宥められるのではないか、という姑息な提案だ。失笑をかうような案ではあったが、どういうわけか承認された。これがどういう反応を得るのか、少し楽しみにしている。

*1:ただし、どこか別のところでも書いたが、顔の見える範囲内での直接合議(これは古代のギリシア哲学者が想定したものでマキャベリまでも踏襲されている)と現代的な民主政治(アメリカ合衆国で現実化した巨大領域国家の代議制政治)がどこまで性質が同じで性質が異なるのか、ここは議論のしどころだとは思う

*2:これは以前書いたシチズンシップとの関連で理解するとわかりやすい。当然参加できない住民もいたわけだ

*3:ただし、これは全国一律にそうだというわけではない。地域コミュニティの果たす役割は地域ごとに異なっている。地域によってはその存在が最後の生命線みたいなところもあるわけで、そういうところに「時代に合わないから縮小すべきだよ」みたいにはいえない。だからこそ、私は自治会廃止論まではとれないわけだ

*4:地区によってちがうらしいのだけれど、私のところは「輪番制」みたいにカチッとしていなくて一応は拒否もできる。実際、仕事がいちばん忙しかったときには「仕事の都合で会合に出られないので」で1回はパスさせてもらってる

*5:自治会には会費収入の他に市からの補助金が降りてくるのだけれど、これは公園清掃とか道路の維持管理の代償という性格が強いので、いってみれば住民の労役で自治会が潤っているという構図に見えなくもない。ちなみに、自治会の予算・決算で問題になるのは「積立金」なのだが、たしかにこれがなければ自治会費は大幅に減らせるだろう。けれど、自治会館が老朽化したときの建て替え予算は積んでおかねばならないという理屈にも一理あって、このあたりは解決がつきそうにない

*6:たぶん調べればすぐにソースが出てくるぐらいに有名な研究だと思うのだけれど、私は学者じゃないから曖昧な記憶に頼って書いた

*7:実際、ある自治会では金額の張る祝い品を贈るために贈呈を10年に1度と定めているそうだ。そうすれば同じ予算で10倍の価値のあるものが調達できる。ただ、これはその10年分の名簿管理の問題や、期間内の物故や転入・転出による不公平感の問題が発生してしまうことになるのだろう

信用と疑念の連続体の上を歩きながら

“You were about to confide it to Monsieur Bonacieux,” said D’Artagnan, with chagrin.

“As one confides a letter to the hollow of a tree, to the wing of a pigeon, to the collar of a dog.”

「ボナシュー氏なら信用して託そうとしていたのに」ダルタニャンは悔しそうに言った。

「木のうろ、伝書鳩の羽、犬の首輪に手紙を託すくらいには」

(「三銃士」18章より)

「信用する」とか「信頼する」という言葉の意味をあまり深く考えずに使っていた中学生の私は、この一節に遭遇したときに新鮮な驚きを覚えた。「信じる」というのは全面的にそれを真実である、間違いがないとみなすことだと思っていたのに、「この程度までなら期待できるだろう」という推定でも、人は信じることができる。信じることと疑うことは2つの対立する概念ではなく連続体である。そのことをこの19世紀の大作は若かった私に教えてくれたわけだ。

実際、「絶対的に正しい」とそこに依存をするのは宗教でしかない。この複雑怪奇な人間社会を渡り歩くときには、疑いながら信じ、信じながら疑う態度がないと大怪我をする。人間相手の話だけでもない。3月の高山の稜線を歩くとき、足もとの雪の安定性を信じなければ一歩だって踏み出せないし、同時に常に疑わなければ雪崩や雪庇の崩落は防げない。デカルトは自分自身が疑うことは疑えないと詭弁を弄したが、そんなものは屁理屈でしかなくて、疑っている自分自身が誰かの夢の中の存在でしかないという可能性は、けっして捨てられるものではない。ま、その夢を見ている存在がその場合は実存してなきゃならんのだけれど。

そんなふうに疑いを捨てきれない世界を生きていくときに重要なのは、常に情報を更新し続けることと、その情報をもとに自分自身の頭を使うことだ。いわゆる「まなびてこれをおもわざれば…」というやつだ。考えることが重要なのは言うまでもなく、ただ考えているだけなら非常に危うい。新たな学びがなければならない。そして学びをもたらす情報は、多くの場合、他者の言葉としてもたらされる。人間は半分くらいは言葉でできている生物だといっても過言ではない。

 

はてなブックマークはてブ)を使うようになって長い。これはどっちかというと悪癖とか悪習に分類されることではあると思う。タバコとかパチンコとかに依存するのと類似の行動であるような気もする。どのくらいに依存しているかというと、はてブを3日も見ないと体調が悪くなるぐらいだ*1。ブックマーク・コメント(ブコメ)についた「はてなスター」を数えるのは最も低俗な趣味である。けれど、「お、今日は3桁に乗ったな」みたいなのが半分生きがいになってるのは、情けないけれど事実だ。そして、自分でコメントするだけでなく、ブコメをじっくり読む。もちろん興味のある記事についたものだけなのだけど、コメント数が少ない場合は全部、多い場合はスターのついたものを拾って、あまりに多すぎる場合は人気コメントだけでも読むことが多い。

何のためにそんなことをやってるのかというと、(まあ暇つぶし、気分転換のためではあるのだけれど)それは他者の言葉に触れるためだと言ってもいいのではないか。自分が思うこと、考えることと似たような言葉が見つかる場合もあれば、まったく異なる言葉が並んでいることもある。自分では思いつかないような言葉の中には、「ああ、そこまで考えないといけないんだなあ」と思えるものもあるし、「なに考えとんねん、こいつは」と思ってしまうものもある。けれど、後者のような場合であっても、「じゃあいったいどういう思考回路でそういう言葉が出てくるんだろう」と想像を巡らせてみるのはおもしろいし、また思いがけない発見をもたらしてくれたりもする。ときには完全に誤読していたり、誤解しているようなコメントにスターが集まっていることもあるけれど、そういう場合でも、「ああ、こういう文脈でこういうことを言うとこういうふうに受け取られてしまうんだなあ」と気づかせてくれたりもする。もちろん、そういうことの一切感じられない罵詈雑言や偏見の言葉に接することもあるが、そこは黙って目をそらす。いちいち突っかかっていてもしゃあないもん。戦うべき場所があるとしたら、それはコメント欄ではない。

 

そんなふうにブコメを見ていると、こういうことを考え、比較する人がいるのに驚く。いや、それ、比較の対象とちゃうやろと。

fromdusktildawn.hatenablog.com

いや、何を比べてもそれは自由だ。そういう視点があってもいい。けれど、「どっちが信用できるか」と信用度を比較するのは、そもそも「信じる」が「疑う」との連続体であるという立場からしたら、あまりにも問題の立て方がおかしいのではなかろうか。

そりゃ、論文に書かれたようなエビデンスなら、どの程度信用できるかは統計学でもなんでも動員して数字を出したらいい。そういう場合に「どっちが信用できるか」は、意味のある(significant)問いの立て方だろう。けれど、一方は単なるコメントであり、もう一方は世の中に流れている情報を継ぎ接ぎしてそれっぽくまとめた計算結果だ。どっちも連続体の任意のどこかに位置するのであって、それがどこに所在するかは「場合による」としかいえないのではなかろうか。

 

世の中、定量的に物事を語ることが唯一の正解であるという風潮があって、それはそれでとても有用だと思う。けれど、こういうときこそ定性的に物事を捉えるべきではないのだろうか。世界はそのぐらいに曖昧で、模糊としている。それでも私たちはそこを歩んでいかなければいけない。雪庇を踏み抜かないことを祈りながら。

 

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【追記】

上記の引用ブログを読んだときの違和感を「問題の立て方がおかしい」とまとめたのが本記事なんだけど、その後、ひょっとしたらこれは日本語に冠詞がない構造のせいではないかと思い至った。そっちで書いたほうがおもしろかった気もするが、ひとつのネタで2つの記事を書くと粘着してるみたいで嫌だし、めんどくさいので概略だけ追記しとく。

英語なら基本はすべての名詞には冠詞がつく。もちろん例外のほうが多いのだけど、原則はそうだ。それによっかかって論理が展開する。特定されているときは定冠詞のtheで不特定の場合は不定冠詞のaとか、この辺は長く引っ張るネタも多いのだけど、まあ広く知られたことでもある。複数形の場合はaがつけられないので、見かけ上は冠詞のない名詞になる(が、本質は不定冠詞がついている)。

で、「ChatGPT(の出力結果)」と「はてブの人気コメ」を比較しているのだけれど、これが定冠詞付きか不定冠詞付きか、不特定なら単数か複数かで、英語の論理的にはテーマがまったく変わってしまう。ところが日本語では、そこを曖昧にすることで、よくいえば議論をふくらませる、悪くいえば炎上にガソリンを注ぐことができるようになっている。この記事の場合、特定の元記事に対するブコメとそれを検証するChatGPTの出力なのだからある意味、定冠詞付きになるべきものだ。ただ、それが「1サンプルを出しましたよ」なら不定冠詞でもいい。あるいは複数形なら(それはこの記事には相当しないのだけれど)複数のサンプルを用いたことになる。このあたりが文法的にはっきりしているかどうかは、実はとても重要だ。

ちょうど昨日、「aとtheの違いを教えてください」という質問を受けた直後だったんで、タイミング的にはおもしろいのが書けただろうにな。ちょっと悔しい。

*1:これは典型的な相関関係と因果関係の誤謬で、つまりははてブを3日も覗けないぐらいに忙しいと、忙しさのせいで体調が低下するということであるわけだけれど

イラストが本文化していく時代

ブコメはてなブックマークにつけたコメント)の補足を書いておこう。もともとの話題はこちら。

togetter.com

これももともとのTweet(といまは言わんのか)をまとめたもので、さらにそれにブコメつけるというやたらと階層のめんどくさい構造になってるのだけれど、それはともかく。スタートのポストはまともなことを言ってて、

当時は小説におけるイラストというものが惰性的というか、かなり軽んじられていたことが窺える 

と、なんかニュアンスはあれとして、事実関係はそのとおりと思う。ところがそれにぶら下がるポスト群が、なんだか現代の文脈で当時を解釈していて、なかには「それはあり得んだろ」という解釈をとくとくと語っていてそれに賛同者が出てくるみたいな奇妙なものもあった。そこで、ブコメを書いたら割と星がついたので、「じゃ、補足しておこう」と思った。

映画化された小説『セーラー服と機関銃』の表紙がセーラー服ではなく、ブレザーを着ていて、当時は小説におけるイラストというものが惰性的というか、かなり軽んじられていたことが窺える話

なんかすべて現代の基準で物事を語ってて、ああ昭和は遠くなりにけりと思った。絵と本文が矛盾するとか、むかしはそんなこと誰も気にしてなかったよと。何ならあの時代の単行本を10冊ぐらい並べてみたらいい

2024/04/27 12:07

b.hatena.ne.jp

で、「単行本を10冊ぐらい並べてみたらいい」と書いたんだけど、思い立ってデスクのすぐ脇にある本棚からひと並びの10冊抜き出して写真に撮った。ただし、昭和の頃に中高生だった私が買った「単行本」は実際にはほとんどが軍事関係のオタク本ばっかりなのでそれは参考にならんだろうと、当時買った文庫本を広げた。ここ、自分の言ったことと齟齬が生じてるので一応の言い訳。まあ、もとの文脈からいえば文庫本のほうがいいかもしれない。

見事に本文と「なんか違う」みたいなのばかりになったが、恣意的に選んだのではない。もちろん、少しは選んだが、それは本文との整合性とかいう視点ではなく、同じ作者ばっかりにならないようにとか、文字だけでレイアウトされているのははじくとか、そういうことだから。なので、ふつうこのぐらいには表紙絵と本文は違うんだという見本にはなると思う。

 

左上から見ていこう。「船乗りクプクプの冒険」は、私がごく初期に買った本だった。そして、この表紙絵には面食らった。というのは、小学生の頃に読んだ本は挿絵入りの子ども向けのものがほとんどであり、そして挿絵は(多くの場合は)本文との整合性が意識されていて、そして表紙絵もその挿絵と矛盾ないようになっていた(表紙絵は画家が別になる場合もあったけれど)。だから、表紙に描かれている絵は本文の内容を表すものだと思い込んでいた。そして、この水色は海を表すのだろうか、茶色は島を表すのだろうか、みたいに悩むことになった。それが、北杜夫の同じ新潮文庫の本をもう1冊買って、「なあんだ」と拍子抜けした。全く別内容の本に同じ表紙絵が使われていたのだ。つまり、これには「新潮文庫北杜夫のシリーズはこの絵でいきますよ」という以上の意味はなく、本文とは全く無関係に「デザイン」(20世紀日本の文脈での用法)として用いられていただけだったわけだ。中学生になったばかりの私にそれが理解できるまでだいぶ時間がかかった。

宮沢賢治の童話集の表紙は、明らかに「銀河鉄道の夜」をモチーフにしている。だが、このお話を読んだことがある人なら、この表紙は本文の内容とほぼ無関係だと思うことだろう。そうではなく、「銀河」というキーワードと「少年が登場する」というプロットだけから画家が自由にイメージを広げたものだと思ったほうがすんなりくる。表紙絵とはそういうものだというのが当時の常識だったのだろう。

「ようこそ地球さん」は星新一ショートショート集で、単一の作品ではない。だから当然、本文の内容とは無関係に、SF的な世界を表現した絵にならざるを得ない。ただ、上記のように小学生向けの本に慣れ親しんでいた私は、「この絵はどのお話の絵なんだろうな」と何度も見返していた。結局結論は出ず、最終的には「表紙絵なんてそんなもんなんだ」と何年かかかってようやく納得したように覚えている。

長靴をはいた猫」は、確かに猫が主人公だから(いや三男なのか?)猫が表紙で本文とあっているといえなくはない。けれど、だいぶイメージが違う。私はこの猫、嫌いだったなあ。

動物農場」も豚の出てくる話だから豚が表紙で内容は本文とあっているといえる。でも、そうなのか? やっぱりこれは違うぞと思うのだけれど、当時の本の表紙なんて、読者の納得感とかはどうでもよかったといえるんじゃなかろうか。

「怪傑黒頭巾」はもう内容をあんまり覚えてないのだけれど、確か二刀流ではなかったと思う。これは脇差というよりも太刀を2本差してないか? 背景も江戸城の城内にしてはやたらと鬱蒼としている。

「バクの飼い主めざして」はエッセイであり、バクは登場しない。

いつか猫になる日まで」は新井素子の数々の作品の中でも出色のものだと思うのだけれど、決して主人公が猫に変身する話ではない。この表紙を見たら誰だってそう思うんじゃなかろうか。

「オヨヨ島の冒険」は、どう見てもこの2人、本文に登場する人物と同じとは思えない。爺さん、こんなに鍛えてないだろう。「あたし」は体操服着てないと思うぞ。

あなたにここにいて欲しい」は、作品の舞台になる秋吉台を描いているし、中心人物である2人の女性も描かれているのである意味、これこそ本文にピッタリ合わせて描かれているともいえるのかもしれない。でも虹は出てないぞ、とか本文と違うツッコミを始めたらそれはいくらでもできるだろう。

 

結局のところ、昭和の時代には表紙絵はある程度本文と独立して扱われていた。ちなみに、「適当な既存の絵を探してきたんだろう」みたいな話は、ある部分は正しく、ある部分は噴飯ものでもある。ここに例示した10冊の本のカバー絵は、おそらくほとんどが作品に合わせて依頼・作成されたものだ。例外は「船乗りクプクプの冒険」の絵で、これは串田孫一のクレジットがあるから既存の絵を編集者が気に入ってカバーに採用したのだろう。このように、本文と全く無関係に「この絵はすばらしいから」みたいな理由でカバーに採用されることがむかしにはけっこうあった。その一方で、「本文にあうようなイラストがないかな」みたいに既存の絵を探して持ってくる、みたいなことはほぼなかった。なぜかといえば単純な話で、そんなライブラリが存在しなかったからだ。1970年代も半ばをすぎると有償で提供するフォトライブラリみたいなのが生まれていったが、それはあくまで写真素材であって、イラストを登録してあるライブラリはたぶんなかった。いまみたいに画像検索したら何でも出てくる時代じゃない。だから、「そこらに転がってる既存の絵」なんてのがそもそもあり得ない前提であるわけだ。

 

こういう発想の変化は、「なぜ表紙絵が本文と半ば独立していたのか」という方向でしか現代の人々には考えられないのだろうけれど、逆に、私は「なぜ本文と合わない表紙絵に違和感があるんだろう」というふうに感じる。ここで最初の「『セーラー服と機関銃』の表紙絵がセーラー服ではなくブレザーだ」という話に戻るのだけれど、昭和の感覚だとこのぐらい本文と離れているのは(少なくとも読者にとっては)ふつうの体験だった。ところが現代はそうではない。

いや、昭和の頃でも、小学生にとっては大きな違和感があった。ここに問題を解く鍵がある。なぜ小学生だった私が本文無関係の表紙絵に違和感を感じたかといえば、それは小学生向けの本は基本的に本文と挿絵が一体化していたからだ。そしてラノベ以降の現代の作品では、本文とイラストはひとつのものとして作品世界を作る。それが常識化してしまったがために、この程度のことで違和感を覚えるように読者の側が進化してしまった。

 

それがいいとかわるいとかいうのではなく、ああ、時代は変わるのだな、ということだ。セーラー服とブレザーの違いは、それが「女子高生を表象している」という意味において昭和の時代には何ら問題なく同一のアイコンでありえたが、現代ではそうではない。そこまで描きこむことが十分に合理的な時代なのだ。そして時代の変化に取り残されていく老兵は、ただ去るのみ。いや、そういうのが居心地良く過ごせる場所もあって、たとえばはてブとか…

ああ、やだやだ

 

 

 

「ディスレクシア」(マーガレット・J・スノウリング)を読んだ

本をもらったので、昨日、一気に読んだ。もっとも、200ページほどの本だから、それほどたいへんな話ではない。

www.jimbunshoin.co.jp

「もらったから読んだ」というのは身も蓋もない事実で、けっして興味があったわけではない。とはいえ、私の仕事にまったく無関係かというとそうでもない。というのは、(言語圏によって発生率は異なるようだが)ディスレクシアはそこらの公立小中学校でも各学年に1人か2人いるのがふつうなぐらいにありふれた障害であるからだ。そういった障害が学校でうまくサポートされず、家庭教師にヘルプを求めてくるケースは十分に想定される。家庭教師商売をやっている以上、無関係とはいえない。

無関係ではないが実際には、10年を超える家庭教師としてのキャリアで毎年十数人からときにはそれ以上の生徒を教えてきているにもかかわらず、私はいまだにディスレクシアの範疇に入りそうな生徒にあたったことがない。同僚の講師の中にはディスレクシアの疑いがある生徒を担当した人はいるのだけれど、最終的にそれは他の学習障害だろうという結論に達したと先日聞いた。なので、どういうわけだか、私の周囲には実例はない。それでもまあ、いつそういう話がくるかわからないので、知っておくにこしたことはない。

ただ、それでは興味が続かない。途中で投げ出してしまうだろう。読み通せたのは、ディスレクシアについて語ることで、この本が「言葉ってどういうものなんだろう」という問いに思わぬ方向から答えてくれるからだ。私たちは、「言葉は自然に覚えるもの」として扱う。小学校の国語の授業の成り立ちを見ていると、そういうふうに思える。一方で、小中学校での英語教育の内容を見ていると、「言葉は理屈で理解するもの」として扱われているように思える。だが、実際はどちらでもない。「自然に」のなかには、けっこう複雑なメカニズムがある。そのメカニズムは、「理屈での理解」ともやや異なっている。何らかの法則性を把握することによって言葉という暗号の解読が実行可能になっていくのだけれど、それは論理というよりはもっと肌身に沿ったもののような気がする。多数派の人々とは同じように言葉の理解が進まないディスレクシアな人々の分析を通じて、このあたりの「ちょっとちがうんだけどなあ」という感覚が腑に落ちる場所に整理されていくような気がした。

その一方、ディスレクシアは遺伝的な要因が発現する形質であると断定されているのには驚いた。驚くと同時に、それが納得できる形で展開されているのに感心した。遺伝子が支配するタンパク質は、実は単独で目に見える結果を生むものではない。それは他の遺伝子からもたらされる他のタンパク質との共同の中で何らかの作用を引き起こす。そしてそういう遺伝子の発現は、環境要因によってトリガーが引かれる。それらの働きが連鎖的、累積的に行われて、ようやく障害のごく一部の要因が動き始める。だから、たとえ遺伝的な要因を根本に持つものだとしても、結局はそれが絡み合ってディスレクシアという障害となって現れるまでには個体を取り巻く環境、さらにはその成長の歴史、ときには偶然や運・不運のような要因までが関係してくる。同じ遺伝的素質を持っていても、それがディスレクシアという障害として発現しない場合だってある。程度も異なれば、困難の意味や位置づけも異なる。遺伝子なんてことを持ち出すとまるでそれですべてが決定されるような印象を受けるが、実際に起こることは多様であり、スペクトラムとして展開する。そういった多様性は生物が獲得してきた強みであって、忌避すべきものではない。なすべきことは、その多様な特性が障害として個人の「生きること」を阻んでいかないように手を打つことである。そういった立場を強く感じた。

書いてある内容を読んで素人なりに私はこんなふうに感じたわけだが、一方、書かれていないことに関しても、いろいろと思うことはあった。たとえば、言語に関するあるタスクを実行すると脳のある領域が活性化する、みたいなことが実験から実証されているのだそうだが、「はたして人間は身体(脳)をそこまで同じように使うのだろうか?」という疑問が生まれた。たとえば、同じタスクを同じ道具を与えてやらせてみても、(正しいやり方みたいなのを指導しない限りは)人間は百人百様の身体の使い方をする。彫刻刀なんか持たせたら、確かに手を使うというところまでは同じなのだけれど力の加え方とか刃の当て方とか、同じではない。もちろんそこは指導によってある程度の型にはめていくことはできるのだけれど、それは身体の動きが外側から見えているから可能になる。動きが見えない脳の働きなんて、しょせんはすべてが我流ではないのだろうか。ある人が左頭頂側頭部を使って単語分析を行っているとしても、他の人が別の領野を使っている可能性は否定できないのではないだろうか。だが、実験結果はそうではないようだ。ということは、脳の領域は運動器官でいえば手や足のような特定の運動を分担する器官に相当するのだろうか。けれど、たとえば足の不自由な人が腕力でもってある程度の運動能力を確保するように、代償的な脳の使い方というのもまた可能なのではなかろうか。そんなふうに、空想はどんどん広がっていった。

 

結局のところ、私はこの本をディスレクシアを理解するために読んだのではないのだろう。むしろ、そういったスペクトラムの範疇に入らない人々、つまり自分が日々に接する生徒たちのことを思い浮かべながら読んだ。特に、外国語として英語を学びはじめる中学生の学習の進め方をディスレクシア支援の方法と突き合わせながら読んでいた。というのも、この本はイギリスの事情を前提に書かれてあり、(ときどき対照として中国語などの別体系の言語に関して触れられることがあっても)基本的に英語に特有な困難がそこに関わってくるからだ。おもしろいのは、フォニックスがイギリスで英語教育に全面的に取り入れられたのはそれほど古い話ではないということが書いてあったことだ。これは日本でフォニックスが注目されるようになった流れなんかを思えば、なかなかに興味深いことである。

監訳者はこの本の読者を「研究者や学生も含まれる」と想定しているようだ。確かにそういった人々が読んで有益なものではあるだろう。けれど、もともとの建付けはあくまで入門書のシリーズの1冊だ。だから、途中、唐突に「魚油とサプリメント」みたいな項目が出てくる。概ね、「いや、影響が皆無とはいいませんけど、直接に改善に役に立つかと言われたらそんなエビデンスはありませんし、まあ、おすすめはしませんねえ」程度の言及なのだが、研究者相手ならあえてそんなことは書かないだろう。だからこれは、ディスレクシアに悩む当事者の家族や支援者に向けて「ディスレクシアってこういうものですよ」と伝えるための本であるにちがいない。そして、それを具体化するための工夫もされている。一貫して3人の当事者の事例を参照し続けていることなどはその最たるものだろう。だが、残念なのは、翻訳においてそれが十分に活かされ得ないことだ。やはり日本の当事者家族や支援者には、日本の事例、日本語に特有の研究こそが役に立つ。そういう意味で、翻訳であることそのものに限界がある。私が言うべきことではないのだとは思うが、この翻訳を出発点として、日本語版の類書が編まれることを期待したい。