カナタガタリ

カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

令和6年にIZ*ONE(アイズワン)の話を大いにする

霜月になった。すなわち今年もハロウィンが終わった。
「私たち、来年はアイズワンに仮装しましょうか」
2020年のアイズワンハロウィン配信でそういったキム・ミンジュさんの言葉は今年も実現することはなかった。

2021年の4月にアイズワンは活動終了した。(たとえ言葉遊びと言われようと「解散」ではないと筆者は主張しておきたい)。その後に生まれた娘ははや3才3カ月になろうというから、時の流れる速さを実感するばかりである。

その間筆者は何をしていたか。アイズワン復活カムバを念仏のように唱え続けていた……訳ではない。筆者は彫刻や標本を愛するようにアイズワンを愛したのではなくアイドルとして愛した。アイドルに永遠というものはなく変化変転が常であり、それはすなわち進化し続けるということだ。その軌跡が導く奇跡こそが筆者がアイズワンに魅せられた理由であった。かつてアイズワンとして在った12人のメンバーは今もそれぞれの場所で眩いばかりの光を放っており、その残光を追うだけであっという間に3年が過ぎてしまった。

しかし一方であくまで「アイズワンの延長」として見てしまっている自分に罪悪感を覚えているのも事実であった。なぜそうなっているのかを突き詰めると「自分はWIZONEとしてやり足りないことがあったのではないか?」ということに考え至った。

そういうことで先月末、信頼するWIZONEである次元氏とアイズワンシンポジウムを開催するに至った。オブザーバーはpop氏である。……そんなことある?

進化し続けるアイドルグループとして今、筆者が一番注目しているのはハロープロジェクトの一柱を成すアンジュルムである。外野から見れば「もはやこれまで」と思えた時がありながらも赤き炎はより熱く青く揺らめいて、三色の団子は花より麗しく輝き、四肢をもがれたように見えながらも前へ進み続けているうちに気がつけば一回りも二回りも大きくなっている。


そのアンジュルムと出会ったきっかけは当ブログにおいて未曽有のアクセス数を記録したもはや騒動と言ってもいい「映画・刀剣乱舞」の記事をきっかけに知り合った柚樹ログさんの記事であった。そこから知り合った青い三角コーンの不審者との交流をきっかけに真っ当なリトルペンギン社主宰、お名前の通り跳ねるような感性を持つpopさんとお友達になったのが今年のことであり、そのpopさんとクールな美声とホットな情熱を併せ持つDJ・次元さんが配信している「昨日何聴いた?」は筆者の退屈な通勤時間を他のPodcast番組たちと合わせて大いに彩ってくれたことは以前に述べたとおりである。

要するに筆者は「昨日何聴いた?」の一リスナーでありファンに過ぎなかったのであるが、砂漠の白ゴマのようなこのブログをなんと次元さんはアイズワン活動中にご購読いただいていたということであり、今回歴代の錚々たるゲスト諸賢の文字通り末席に名を連ねることになった。筆者が末席に連なっているゲスト名鑑も収録されたフルカラーZINEは500円という破格で頒布中である。こんな記事を読んでいる暇あり読書子諸賢においてはただちに購入するべきである。電子版もある。個人的にはAmazonpayに対応してくださっているのがとてもありがたい。

hiiampop.theshop.jp


もちろん筆者とて人並みの羞恥心を持っているので固辞するつもりではあったが他方で冒頭の「WIZONEでやり残したこと」が頭をよぎった。
――もう一度WIZONEとIZONEについて思うさま話がしたい。

IZONEはその活動の後半部分においてコロナ禍に晒され、いわゆる「現場」が存在しなかった。必然、WIZONE同士の生のコミュニケーションというものもまた。幸いにして妻もまた12人の少女たちに魅了された人間であったので、超・コアWIZONEトークができたものの、しかし外部にもそれを発信したいという思いもあった。そういった点では今回のお声がけは渡りに船だった。このタイミングでなければ繋がれなかったWIZONEであり、また公開がIZONE結成記念日と近しかったことは彼女たちのご加護を感じるエピソードであった。

当日。定時より少し早めに収録用ディスコ―ドサーバ(すごい時代だ)にアクセスすると、既にpopさんがpopしていらしたので接続テストも兼ねて雑談になった。神尾彩乃さん……。まもなく次元さんもログインされ、全員のマイクが良好であることを確認すると、スルッと収録が始まった。この手慣れぶり、さすがである。

いつもの軽妙なオープニングトーク。ただ違うのは、そのあと呼ばれるゲストが自分だということである。実際呼ばれたからのことは緊張のためかあまり記憶になく、聴き返してみると「ブログで言ってることの焼き直しじゃねーか!」とも思ったりもするのだが、しかし心に確かな満足感と感謝が残った。あの時、こんな風にざっくばらんに話せるWIZONEがいたならもしかしたらブログに書かなかったかもしれない。しかしそうなると、今回のお話がなかったわけだから、何とも縁というのは不思議なものである。

かなり支離滅裂に話を転がしてしまった気がするがしっかりアイズワンテーマのラジオになっているのもすごい、と感じた。編集の妙である。

話のド素人である筆者を敬意を持ってお助けいただき、誠にありがとうございました。

プロとアマチュアの喋りの違いとかつてアイズワンとして眩い輝きを放った人々の「その後」の軌跡、そしてその轍である作品について気になった方は是非ご一聴いただきたい。

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娘氏映画館で「プイキュア、がんばえー!」をする(わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー! ドキドキ・ゲームの世界で大冒険!ネタバレ感想)

 

余談

五丈原でもないのに秋風が吹いていると思ったらいつの間にか9月最後の日である。(筆者注:この記事は余談部分までは9月末に書いたものです)そういえば先週は月曜日が祝日の上に28・29日が土日ということで末日払いの当社としては給与計算が阿鼻叫喚だったのだった。人間喉元を過ぎれば熱さを忘れるというが、まだ噛み砕いている途中にこんなことを考えているといよいようっかりとかぼんやりではなくて何か適切な医療に繋がった方がいいのではないかと我ながら心配になるが、先週は火曜から妻が体調を崩しており、娘も水曜日にダウン。木曜日には娘は回復したがもし何かあった場合園まで娘を迎えに行けるほど妻は体調が戻っておらず、そのまま金曜日まで休んでもらった。食欲も戻ってきて、金、土はそれぞれ習い事を見事にこなした。日曜日に至っては土曜日も前述の娘の習い事が始まったため、唯一のアラームを設定せず眠り呆けることが出来る喜びをかみしめていた筆者の肩をゆすり、起こすまでに娘の気力体力は充実しているようであった。曰く、「パパ起きて、プリキュアでしょ」と。


娘にとって初めてのプリキュアは「トロピカル~ジュ!プリキュア」であった。生後何か月かの娘はYouTubeで見るTWICEの曲とこの番組のEDに異様な関心を示し、明らかに他とは違う様子でせわしく手足を動かしていた。続く「デリシャスパーティ♡プリキュア」においてはまさしくご飯は笑顔というべき笑顔で離乳食の階段を番組の推移とともに駆け上がり、「ひろがるスカイ!プリキュア」においては「プリキュア」というものを認識したようであった。とはいえ、彼女にとって世界の中心はアンパンマンであり、しまじろうがいて、プリキュアというものは能動的に摂取するものではなかった。他方、おもちゃ売り場に行くとそのきれいなコスチュームに見とれていたことは一度や二度ではなかったが。


そして、今回の「わんだふるプリキュア」である。あれはGWの頃であったか、娘は幼稚園から帰ってくると、自分のおもちゃ箱をひっくり返し、「これ、娘ちゃんのプリキュア!」と何かのおまけについてきた二代前のプリキュアグッズをまるですぐそばにいたけれど今まで気が付けなかった青い鳥を見つけたかのように、恭しく手のひらに包んだ。お風呂にまで連れていこうとして、妻に叱られていた。誕生日、アンパンマンのトイレセットが欲しいということでおもちゃ屋さんに行ってみると、娘は店頭のプリキュア映像に釘付けで、熱っぽい瞳で変身グッズを持っていた。以前からのお約束だと説明するとあっさりトイレセットを受け入れたが、一緒に買ったプリキュアのリップに驚くくらい喜んで、これまた娘の「寝る前に枕元に揃っていないと不機嫌なもの」の一つになった。
潮目が、変わってきていると感じた。そしてその後、実際娘はアラームでもついているかのように日曜プリキュアに合わせて起床し、そうでなく早起きした日もプリキュアを見たがった。筆者としては、そのまま「仮面ライダーガヴ」を見られるので丁度良かった。動物への心優しい触れ合いを啓蒙した後、いたいけな「眷属」を消費し、人間を食料にするさまを娘に見せてしまっていいのかという葛藤がないでもないが、筆者が娘くらいの時には真・仮面ライダーで色々ブシャブシャだったのでまあ、大丈夫だろう。
そんな中、番組内のCMも映画仕様に変わり始める。「見に行きたいの?」その問いかけに、娘は真剣なまなざしで頷いた。公開前日。娘と自分の分のムビチケを購入した。おまけはもうなくなっていた。人生初、プリキュア映画への参加。お父さんもプリキュアです。

本題

余談が、ながくなった。

公開日。あらゆるネタバレを封印して鑑賞しただろうフォロワー諸賢がネタバレを踏まずに安堵して気が緩んだのか、自らがネタバレの種となりつつあることをそこここに観測してドキドキしているうちに、公式からも今回の映画、こんな感じ! といういわゆる「サプライズ要素」がお出しされた。インプレッション=収益となってしまった昨今、変なアカウントが吹聴したことが拡散してしまうことを考えればこれが最善手なのかもしれないが、筆者はいまだに心が平成に囚われているのか、なかなか慣れない(「シン・ウルトラマン」の時でさえ相当早いな! と思った)。
メイン層は明日からの土日で見に行く子どもたちであろうから、そんな子たちがうっかりネタバレを踏まなければよいが……と非実在うっかりネタバレ踏みちびっ子を想像したりした。Twitter(自称X)を見るメイン層、やだな。(確かTwitterは小学生以下禁止だったような気がするしな)
それまで9月後半の大人も入場者プレゼントをもらえるタイミングで観賞しようと思っていたが、思いのほか娘が楽しみにしていること、それまでの間ネタバレを抱え続けるのも中年男性の少ない脳のリソースを使ってもったいないという思いがあり、折よく急ぎの用もなかったので、翌日見に行くことにした。公開直後であればちびっ子たちがまだ映画館に多いだろうという打算もあった。過去、アンパンマン、しまじろう、シルバニアファミリーなどの子ども向け映画を観てきたが、見ず知らずの子どもたちの新鮮かつ真剣なリアクションというのは何ものにも耐えがたいものがあり、しかもプリキュア映画と言えば伝説の「ぷいきゅあーがんばえー」が発生するのではないかという期待もある。夜の歯磨きを渋っていた娘に「お利口にしてたら明日……」と映画プリキュアのムビチケをちらりと見せると驚くほど従順になり、恐ろしさすら感じた。


翌朝。娘はすっくと起きると、「今日は水泳に行って、つるつるを食べて、ぷいきゅあをみて、バスケをするのよ」とスケジュールを突如決定した。迷いなく水着に着替え、習い事の水泳では初めて水遊びパンツの装着なく1時間の練習を終えていた。おそらくお手洗いに行きたいことをコーチに告げたのだろうことが保護者席からも感じられ、彼女の中の「プリキュアを見ること」がいかに成長させる要因となっているかを思い知らされた。つつがなく着替え、隣町へのドライブへ出発だ。

映画館のある隣町のショッピングモールにつくと、我々はまず「つるつるを食べる」ことに取り掛かった。食べ終わる頃丁度映画の入場が始まるだろうという算段だ。終盤、初回で見ただろうファミリーたちがお店にやってきたときは娘にネタバレが入ってしまうのでは……と思ったがつつがなく食事が終わり、我々はいよいよ映画フロアに足を踏み入れる。

コラボドリンクホルダーでも買おうと思ったが娘はポップコーンのみのリクエスト。席は既に予約済みである。パンフレットを購入し、入場。銀の袋が手渡される。袋ごしの感触で「理解」る。あの「プリキュアを応援するやつ」だと。

予告編の段階でガンガンポップコーンに手が伸びる娘にやはりジュースも買うべきだったかと思う間に、本編が始まった。

娘と映画に行くといつも実質2画面状態になるので忙しい。実際の画面はもちろん、それに対する娘のリアクションも見逃したくないのだ。「アンパンマンのマーチ」に比べればずっと聴いた回数が少ないはずの主題歌を口ずさむ娘、早速の変身に早くもテンションマックスの娘、可愛くなったたぬきにあっさり騙される娘……。

ゲームの中の世界は頭身が下がり、キャラクターたちの動きもデフォルメされて面白い。猫屋敷まゆさんの「もしかして私たちつかまってる?」は予告編でも何度か見たが、絶妙なゆるさがよくて笑ってしまった。

ゲームの内容は軽快で、聴きなれた歌が次々に流れ、娘を体を振りながら楽しそうだ。場内のあちこちからは可愛らしい声での歌声も聞こえる。

ゲームが進む中でこむぎに困難が訪れる。そしてついに、あの時が訪れる。

「リングを掲げて応援する」シーンだ。

シリアスな視線を画面へ向ける娘にそっと、リングを差し出す。予行練習をしたかのようにスムーズに指にはめる娘は筆者が触るよりも前にスイッチを押し、そのまばゆく掲げるリングを掲げた。同じように周囲がキラキラと輝きだす。世界平和の希望の灯に思えた。

小さき命が自分と家族の未来の希望を抱えて階段を駆け上がるというのは不朽の名作クレヨンしんちゃんの「オトナ帝国」を思い出させるわけであるが、決定的に違うのは犬であるこむぎと人間であるいろはには寿命の違いがあるということだ。筆者は四つ足の生き物を飼育したことがなく、今のところ娘にそういった形の家族を増やす予定もないが彼女にとってこむぎの奮起はどのように映ったのだろう。

実世界に移ったプリキュアたちの前に手を差し伸べるのは娘にも馴染み深い「ひろプリ」の面々だが、スラムダンク復活上映の際の予告編で見て少しウルッと来てしまったソラちゃんの「ヒーローの出番です!」は本編では無く、少しさびしさがあった。

その後の大福・悟コンビの変身は娘はキョトンという感じであったが小さい悲鳴がパラパラと聞こえた。今のところ地上波では変身の機会がないが、口上もなかったし(変身アイテムも不明だし)劇場版限定みたいな感じなのだろうか。

その後再びの応援シーンで全く自然発生的に娘は「プイキュア、がんばえー!」の言葉を画面に投げかけ、筆者は大いに感動させられ、ほどなく映画も大団円を迎えた。

ただ、劇中ではプログラムであるものがなぜガオガオーンと同様な卵めいた形を持って顕現したのか、ムジナや子分が実世界で動いている理屈、ナツキのバイザーの意味などはわからず、「そういうものだ」と受け止めるしかないのだろうか……という点はいささか消化不良だった。

娘は上映中一度も立ち上がることなく、真摯に映画と向き合っていた。映画の間ゆっくりショッピングを楽しんでもらっていた妻と合流すると、映画の内容について熱を持って説明していた。

翌日の本編視聴時は映画仕様のOPに「昨日観たやつ!」と興奮していたし、翌週からの「今度はいつ行くの?」という繰り返される質問に根負けして月末にもう一度見に行った。

パンフレットは今でも毎日読み返して既に歴戦の風格がある。

娘にとっても良い映画体験になったようでなによりである。さて、そろそろ寝なくては、明日の娘とのプリキュアリアタイが待っている――。

『わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー! ドキドキ♡ゲームの世界で大冒険!』オリジナル・サウンドトラック (特典なし)

失はれ・得る物語

猛暑に怯え物語の種に過剰に水をあげたりあるいは肥料を怠ったり日照りに晒しているうちに10月になり、今年も年の瀬が少しずつ足指に忍び寄りそうな様子を見せてきた。今期はいまだ何も公募に出せていない。

Twitterでも投稿したが、娘と連れ立って外出したとき、「風の匂いが気持ちがいいね!」と言われてはっとした。

その日は曇り空で風もあり、家から一歩踏み出した瞬間、明確な季節の変わり目を感じた。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にも驚かれぬる」

という歌が残されているように風には音があり、また皮膚にあたることによって我々はその触感から季節の移り変わりを感じることだろう。

その日の筆者も耳と肌で秋の到来を感じていたはずだ。

ただ、風の匂いについてはすっかり意識することを忘れていた。風の匂い、味、木々の揺れ方で間接的に感じるすがた……そういったことは35年生きて効率化されていった筆者の感覚デバイスは拾おうとしなかった。そんなものがなくても秋風を感じることは出来るからである。

生まれて1,000日そこそこしか経っていない娘にとって、その日は風の匂いの気持ちよさを言葉にした初めての日だったかもしれない。そうした感性は筆者にはもう、ない。不器用ながら社会を生きていく中で、抱えられるものが少ないものだからそういったものはどんどん道すがら落としてしまっていた。

それを娘は拾い上げて、再び筆者に見せてくれた。惜しげもなくその感性を披露してくれる存在は、もともと乏しかった筆者が失った感性よりずっと得難いものだ。

どこかでも書いたが、もはや筆者は人生の主役ではなく、「娘ちゃんパパ」としての、娘の人生の脇役としての日々を少しずつ歩み始めている。しかし脇役の魅力的な物語が面白いように、自分の生き方をサボらないようにはしなくてはなるまい。

あの日の風の匂いを思い出す。鼻をくすぐる秋の香り、続けて押し寄せる運動会を控えた近所の学校のグラウンドからの土の匂い、目的地であるパン屋さんからやってくる焼き立てのパンのたまらない匂いを。

それはまとめて「幸せの匂い」として、娘の言葉と一緒に、今度は落とさないように筆者の胸の奥に保存されている。

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娘氏3才になる

月日は八つ裂き光輪のごとしとはよく言ったもので、あっという間に娘が3才になった。というか3才になってからも2週間が過ぎた。

幼稚園は楽しく通っており、見る間に社会性、語彙、行動パターンが広がりを見せており、父も母も知らない時間を積み上げている。とはいえ先生からはおとなしいと認識されているようなので、まだまだ猫をかぶっているようだ。

今は我が家に初めて「夏休み」という概念が出現しているところだが、8月生まれのお誕生会もありがたいことに開いて頂いて、(一週間弱くらい登園期間が8月にもあった)お友達たちに祝福されていた。招待された妻によれば、やはり家にいるのとは別人のようにもじもじしていたようであるが挨拶はしっかりできていたとのこと。挨拶は大事だ。

旅行記がその前の前の前フリくらいで挫折しているのでこちらで語れてはいないが、妻の実家にもお邪魔し、先方としては三十年ぶりくらいの新キャラ実装に大いに盛り上がっていた。最初こそぐずっていたものの、段々とこのエリアを自分の「内」と認識してからは、存分に内弁慶ぶりを発揮していた。

膨大な書庫、やさしい瀬戸内海、きれいに掃除されたピアノなど、日ごろ目にせぬものを大いに楽しんでいた。その情報量に混乱したのかその夜は久々に夜泣きがすごかったが。

 

産科から我が家に帰ってこの方、(親子3人で寝ることも含めて)基本的に筆者が寝かしつけていたのだが、ちょうど幼稚園に通いだしたころから妻と寝ることにこだわり始め、これもまた成長か……と娘の残していったメルちゃんと添い寝をしたりしていた。(筆者は年間の多くをアレルギー性鼻炎に苦しめられ、その副産物として発生する鼾から妻の安眠を守るため基本的に居間で寝ている)が、夏休みに入ってからは心境の変化かまた一緒に寝てくれることが増え、筆者はこっそりほくそ笑んでいる。

 

おもちゃはブロック、積み木、ジグソーパズルが特に好きで、ミニカーもずっと好きである。3才になってからは少しずつシルバニアファミリーを解禁しているが、一番食いついたのはシルバニアファミリーのみんなが乗る車だった。キャラクターでいうとマリオとポケモンが好きであり、任天堂の力を感じる。おかげで最近31に行く頻度が増えている。

お絵描きも好きで、ノートとペンを与えていたら放っておけばいつまでも何かしら描いている。「ママと、パパと、じいじと、新幹線の運転手さんと娘ちゃんよ」というシチュエーションがよくわかない絵を描いてはプレゼンを行っている。

基本的に愛想と要領がいいが、それだけにふとした拍子にいやいやモードに入ると挽回が大変である。とにかくエネルギッシュで、夏休みに入ってから意図的に早く寝かせるようにしているが、何もしないと平気で日が変わるまで起きている。

久々にブログを書いてみたが、センテンスを積み上げていくばかりでなかなか文章にならない。これくらいにして、娘と遊んでこようと思う。お祝いの言葉をくださった皆さんありがとうございました。

マイベストムービー捜索日記

身構えているときは雨風は来ないものだ

4月、半年ほど使った傘が突風で折れてしまった。5月末、サブとして愛用していたビニール傘が店の傘立てから間違えられて持っていかれてしまった。6月、降り続く雨をサブのサブ(とはいえへし切長谷部鑑賞時に福岡についていってくれたこともある実は一番長く使われている傘)であるちいさなビニール傘でしのぐことに嫌気がさし、とうとう新たにちゃんとした傘を買った。2,000円が2割引き。自立し、雨に触れる部分が内側に畳まれるので車のシートなども濡らしにくい……というハイテクなシロモノだ。21世紀も1/4が過ぎようとしているのだからそろそろ差した瞬間周囲をバリアーで覆ってくれたりしてもいいように思うが、しかしこのようにして傘も着実に進化しているわけである。ちなみに会計時は「婦人傘」とレジに表示されたが、ユニセックスなカラーで気に入っている。ただ良いのか悪いのか、この傘を買って以来晴天が続いてテクノロジーの恩恵はいまだ授かっていない。見上げる夏の入道雲がほくそ笑んでいるような気がするが、まだ梅雨は明けていないので遠からず活躍の時は来ることであろう。

オタク(敬称)の熱弁は夏バテに効く

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133トークを聴いた。かつて没頭していた(最近タイミングが合わずさみしい……)スペースの楽しみは「好きなものについて熱く語っているオタク諸賢の肉声」(いうまでもないがオタクは敬称である)を摂取できることであり……というか筆者が聴いている音声メディアってだいたいそうだな。なぜ自分が音声メディアを選ぶかの理由がよく分かった。ともあれ、その嗜好に漏れず今回のトークも素晴らしかった。しかも映画通であるお2人のマイベストというからその熱量も語り口もまるでヴィンテージワインのように豊潤でコクがあり、豊かだ。果たしてそのお2人が選ぶマイベストとは……ということで是非聴いてなんなのか確かめて頂きたいが、実は筆者はどちらも未見である。全く見ていないということではないのだが、それこそ洋画劇場とかで途中をサクッと見たり、TLでサラッとネタバレされたり、後発のパロディ作品の方を見ていたりと、鑑賞はしていないが何となく知識としてはある、という作品2つであった。

人生は有限であり、幼子育成タイムである今は1分1秒の時間も惜しいというのが本音だ。映画玄人が太鼓判を押しているのならもうその作品は任せた、おれは新たな作品を開拓していくぜ……という気分でもあったが、「好きなものについて熱く語っているオタク諸賢の肉声」はそのもの自体を見たくさせるもはや呪い一歩手前の魔力がある。セブン、さんのマイベストの方は最近その題材に娘も興味を持ってきているところであるので、配信されていたら週末見てみようかな、と思っている次第である。

しかし嬉しいことに「前編」である。こんなにヒートアップしてしまって「後編」が一体どのように転がっていくのか想像もつかない。(前編、後編でお一人ずつマイベストを紹介されるのかと愚考していたので)待望の更新の後にせっつくのも野暮というものだが、しかし後編が楽しみである。何事もなかったかのように映画アンパンマンについて語っていただいても大丈夫です。

空白の玉座

さて、筆者の「マイベストムービー」とはなんだろうか、と聴き終った余韻で考える。劇場で見た回数、ということであれば圧倒的に「THE FIRST SLAM DUNK」である。復活上映のムビチケも買った。ただ得難い「試合体験」ではあったけれど、映画としては不満点もあり、「マイベスト」とはちょっと違うかもしれない。
生涯で最も観た映画、となればこれは「ライオン・キング」となる。誇張ではなく100回以上は見たのではないか。祖母宅。戦隊ヒーローが、メタルヒーローが映らない祖母宅。そこにあった唯一の映画作品が「ライオン・キング」であった。恐らく筆者のために買い与えられたと思うが、物心ついたころには既にあったのでよくわからない。絵本もおもちゃもない祖母宅で、ほどなく父の蔵書という鉱脈を発見することになるが、それまでの朝起きてご飯を食べ、昼食までの時間をどうやって潰すか――祖母はキレイ好きかつ完璧主義でその間の掃除に他人が手を出すことを許さなかった――それは繰り返し「ライオン・キング」を見る、ということで解決されることがほとんどであった。そのため台詞や歌、キャラクターの所作をほとんど覚えてしまった思い出深い作品であるが、前述したように父の蔵書を濫読するようになってからはほとんど見ることがなくなってしまった。
そうであれば――と頭をひねるが、結局突出して「これ!」という映画は思い浮かばなかった。きっとまだ出会っていないのかもしれず、そう考えるとこの茹だるような暑さの先を生きる楽しみも湧いてくるというものである。

映画アンパンマン「ばいきんまんとえほんのルルン」とっても良かった日記(ネタバレ)

7月である。6月は2週目から筆舌を尽くしがたい忙しさで、先週金曜日ようやく解放されたと思ったらしっかり書くと特定されそうな近隣のトラブルで寝不足となり、土日はいずれも中途半端な時間にやたら寝るという悔いの残る結果となった。活動時間はかなり充実していたのでトレードオフといったところだろうか。活動時間に何をしていたか。娘とアンパンマン映画を観ていたのである。今日はその話をしたい。当然ながら完全ネタバレとなる。

はたしてこの世のエンタメの中でばいきんまんくらい負け続けている存在って他にどれくらいいるのだろうか。映画の構成はだいたい、子どもたちの歌のシーン(客席の子どもたちが思い思いに歌ってとてもかわいい)→ばいきんまん乱入→颯爽と助けに来てばいきんまんを打ち払うアンパンマンという流れであり、今回もそのご多分に漏れない。アンパンマン映画ねえ……と斜に構えている大人たちはまずここで異様にぬるぬる動く作画に度肝を抜かれて欲しい。そうしていつものようにばいきんまんメカは爆発四散、本人は居城へと吹っ飛ばされ、そこでばいきんまんは自分が「愛と勇気の英雄」として祭り上げられている絵本に出会い、その世界に入っていく。その世界は「すいとるゾウ」により支配される、アンパンマンのいない世界。妖精たちから助けを請われたばいきんまんは一旦は拒絶するものの、その世界をわがものにするため引き受けるが惨敗してしまう。

そこからゲストキャラのルルンとばいきんまんが共同で木製の「だだんだん」を作る流れになるのだが、その工程が良い。廃棄された城から鉄製のものを見つけて溶かし、なるほどこれでこの世界でも「だだんだん」を作るのか、と思ったら作ったのはのこぎりなどの工具。そしてこれで木材を切ったり削ったりして作っていく。しっかり段階を踏むし、最近の子はマイクラに親しんでいるから逆にこの方が伝わるのかも、と思った。ルルンはその最中何度も弱音を吐くし、出来ないというし、と思ったら変に気を遣って裏目に出たりする……。ああ、ルルンって「ちびっこ」なんだな、と思う。いっちょ前に喋って動いて憎まれ口だって叩く娘を「大人の論理」で叱っていなかったか、彼女の目線に合わせた問題解決への工夫がしっかり出来ていたか……ぶっきらぼうながらも都度対処するばいきんまんに学ばされるところがあった。

一度コテンパンに負けたばいきんまんにルルンは聞く。なぜまた挑むのかと。ばいきんまんは自分が世界で一番強いのだ、と強がりでもなんでもなく言う。これは痺れた。我々が慣れ親しんだアンパンマンの物語というのはとりもなおさずばいきんまんの敗北に至る物語なのだが、しかしばいきんまん自体は今日も負けておくかというマッチポンプ的に挑むことなんて一度もなく、常に勝利のために挑み続けているのだ。今日勝つために負け続けた、今日勝つためにまた立ち上がった、それがばいきんまんという生物なのだ。
そのばいきんまんとルルンが力を合わせて作ったウッドだだんだんは再び現れたすいとるゾウに雪辱戦を挑む。またこのからくり作画も垂涎モノの動きで、アンパンマンが回避を主軸としたヒット&アウェイであることの対比として相手の攻撃を受けとめ、反撃するストロングスタイルなばいきんまんの戦闘スタイルがまた格好いい。だが、悲しいかな少しずつウッドだだんだんはほころび、崩壊していく。あんなにばいきんまんとルルンが頑張って作ったのに……とここで、30年以上何の疑問もなく、ついさっきの冒頭シーンまで、「ばいきんまんがメカをぼろぼろに壊されやっつけられる」というシーンを何の疑問もなく爽快な顛末として見ていた自分に気づき、ドキリとさせられる。起こっている事象は同じなのに、その背景を知るだけでこうも感じ方が変わってくるとは。
いよいよ敗北が決定づけられようとしたとき、ばいきんまんはルルンを思いきり投げ飛ばして戦闘から退避させ、伝言する。「アンパンマンを呼んで来い」と。宿命の2人であるからこそ、絶対に交わらない平行線であるからこそ、真横にいる相手をある種誰よりも理解していて、信頼している。本当の窮地の時に誰が頼りになるかを理屈ではなく本能で理解している。これはバットマンとジョーカーの話ではなくアンパンマンばいきんまんの話なんである。本当に? そういやさっきのシーンもアイアンマンぽくはある。
アンパンマンのいる世界にやってきたルルンは妖精の子どもでまだうまく飛べない。が、空高くに転移してしまったのでそのまま落ちてしまう――思わず口から出る「助けてアンパンマン」の言葉に颯爽と駆け付け、マントに乗せて軽々飛ぶアンパンマン。これがまた、先ほどルルンを掴んでほとんど飛べなかったばいきんまんと合わせ鏡のようで切ない。これまた対照的に知らなかったとはいえルルンたちのわずかな食料を奪ったばいきんまんと違い、アンパンマンは自分の顔を分け与える……(ちょっとルルンが引いてるのがアンパンマン初見だとそうだよな、と納得できて笑ってしまった)弱気なルルンにアンパンマンは言う。誰もいなくなっても、ぼくがそばにいるよ。ぼくがいなくなっても、大切な友達が君の心の中にずっといるよ。こ……これは……! 読者諸賢が察したように筆者も察したが、ひとまず展開を追いかける。
アンパンマンはルルンと絵本の世界に向かい、すいとるゾウにも善戦する。そしてすいとるゾウは毛皮がはがれ、真の姿があらわになる。ばいきんまんメカの失敗作であったことが明らかになるのだ! 「ばいきんまんのメカ」であるからばいきんまんには歯が立たなくとも、アンパンマンなら太刀打ちできる、というロジックの流れもわかりやすい。すいとるゾウの設計図は冒頭のシーンにしれっと出ているところも「AtoZ運命のガイアメモリ」を彷彿とさせる心憎い伏線である。ところがむき出しとなったすいとるゾウの弱点部分には盾のようにばいきんまんが捕らえられていた。自分ごと倒せというばいきんまんだが、アンパンマンはそうしない。結局、ばいきんまんは助け出せるがアンパンマン自体はコゾウに変えられてしまう……。

ここで解放されたばいきんまんが「ウッドもぐりん」で再出撃するのもまた熱い。正攻法では敵わないので地中に潜り、地盤を緩くしてすいとるゾウを落とし穴にはめる、というこの動きをポッと出の機械ではなくアンパンマンを見たことがあるなら誰しも記憶がある「もぐりん」でやってみせるのがたまらない。ルルンがいなくても自分たちだけで絵本の世界にやって来れた(ルルンが開けたワープホールみたいなのが残っていたのか?)パン工場御一行様はコゾウになったアンパンマンを見て「大変だ! 早く新しい顔を!」と焦る。後ろの席のちびっこが「なんでやねん」と突っ込んだのでだよな! と声を殺してまたも笑ってしまう。新しい顔にしたらコゾウ状態って改善するもんなのか⁉
ともあれすいとるゾウの前には彼らもまとめてコゾウにされてしまい、もはや希望が絶たれたかと思われた。
いや、この世界にはルルンがいる。アンパンマンから無償の愛を。ばいきんまんから何度でも立ち上がる勇気を。ヒーローとヴィランから愛と勇気を受け継いだルルンは妖精として成長し、すいとるゾウに比肩するサイズの木製の「愛と勇気の戦士」を生み出すのだ。またこのフォルムがばいきんまんにクリソツで、おっさんは泣いてしまうのだった。そう、アンパンマンが言っていた心の中の大切な友達は愛と勇気だった。口さがない連中から「愛と勇気だけが友達ってしょくぱんまんとかカレーパンマンはなんなんだよ」と揶揄され続けてきたが、孤独になってもまた一から立ち上がることを助けてくれる心のうちの友達こそが「愛と勇気」なのだというこの映画のアンサーは実に見事だった。ばいきんまん自身が拒絶した「愛と勇気の戦士」がその愛弟子ともいえるルルンによって顕現する、という作劇も心憎い。

パン工場チームがコゾウになってちゃんと衛生面に配慮して足にビニールをはめて作った新しい顔でコゾウ状態が治ったアンパンマン(治るんかい)、おなじみばいきんまんUFOで高アシストするばいきんまんによりいよいよ物語はクライマックスを迎え――ぜひその結末は映画館で見届けていただきたい。
娘は1時間以上の上映中、席を立つこともなく、後半はじっと画面を見つめ続けていた。最後にまた歌のシーンがあり、そこでは来場したちびっ子たちと一緒に元気よく歌っており、最高の応援上映だな……と思った。前売り1500円で特典ももらえ、こんな濃厚なストーリーを摂取できて、娘やほかのちびっ子のリアクションも堪能できる、安い、安すぎる……と余韻に浸っていると、劇場の明かりがついた。
娘と目が合った。アンパンマンチャンネルヘビーユーザーの彼女はにっこり笑ってこう言った。
「パパ、もう一回見よ?」

 

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6月6日だからって雨ザーザー降らなくていいじゃん日記

紫陽花が 

そこかしこで咲き誇っていて、6月なんだなあと実感する。意外と6月になってからの方が天気が安定していて、過ごしやすく、いい感じである。問題は今月はまさに上半期の総決算だとでも言いたげに重い業務が集中していることで、これに物価高や年度初めの支払(自動車税NHK、固定資産税、Googleフォトの追加容量代…)がどっと押し寄せてきて、晴天と夕方のそよそよとした風の外界を尻目に、心はすっかり梅雨模様。娘は15㎝の上履きがきつくなってきて、買い替えるついでに祖父母を伴って夏服を買いそろえた。petit mainというお名前からしてなんともおしゃれなブランドを娘は切り札のように節目に1着買ってきていたのだが、今回そこが「プティ・プラ」というお値段3桁買えるけどもしっかりブランドのかわいらしさを備えているラインを展開してくれたため、いつも西松屋で使うくらいの金額で多少被りにくそうな(子育て応援西松屋様やバースデー様は我が家だけでなくすべての家庭を平等に応援しているため、上下とも服がお友達と被るということは決して珍しいことではないのである)服が揃えられたことは大変喜ばしい。親に出してもらったのであるが。ありがとうございます。気が早い話であるが、自分がしてもらっているように娘にこのようにサポートできるかと思うとなかなか憂鬱である。節制しよう。と、この段を書いたのは6月5日だったのだが、翌日はしとしと雨が降り、まさに「6月6日に雨がザーザー降っている……!」と齢34にしてちょっと感動してしまった。

昨日何を 

聴きましたか? 筆者は「昨日何聴いた?」を聴きました。

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一昨日も今日も聞きました。DJの次元さんとリトルペンギン社のpopさんによる音楽ポッドキャスト番組(ご本人たち説明のまるパクリ)で、しばしばタイムラインを賑わせていたのだがようやく聴くことが出来た。ちょっとしたフレーズやムードから滲み出る「ホンモノ」感にドキドキしながらも新しい知識を得る喜びも感じていたわけであるが、満を持して次元さんの口から飛び出した曲が「FIESTA」であったことで筆者はこの先長くこのPodcastを愛聴しようと決意するのだった。――というのは少し虚飾があり、ほーんと第1回を開いてみたらかかる曲に「FIESTA」が目に入ってきたので矢も楯もたまらず再生ボタンをクリックした……というのが正しいかもしれない。続いて紹介されている曲たちは全く知らないのにいざ耳に届くとすっかり聞き入ってしまいSpotify無料版のプレビュー機能(フルでは再生されない)が恨めしく感じること多々であった。
親のカーステで流れた曲に始まり初めての8㎝CDとして「だんご3兄弟」を、12㎝CDとして「サウダージ」を買うことから始まった筆者の音楽遍歴は中学生時代を主にスピッツポルノグラフィティに、高校生になりTSUTAYAの会員になることで――あのころあのウクライナカラーのカードは新しい世界へのパスポートだった――同じくTSUTAYAのBookエリアで手に取ったロッキンオンジャパンや深夜のスクール・オブ・ロック、学友たちの影響もあって大いに聞く幅が広がり、そのまま大学時代自らがTSUTAYAのアルバイト店員となることでまさに転がる石のように邦楽坂は転げ落ちていったものの、洋楽(この野蛮な分類!)は意識をして聴くことがなかった。
社会人になりサブスクも普及してきたころ、筆者は「ライフイズストレンジ」というゲームに出会い、妻と共に没頭した。フランスのゲームスタジオが制作したこの作品はOPからEDまで、随所に印象深く楽曲が使用され、ことにEDのFOALSによる「SpanishSahara」は筆者の胸を大きく揺さぶったのだった。

Spanish Sahara

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だらだらと話したが、そのFOALSが第1回の雑談の中でさらっと出てきたので、勝手に親しみを覚えたりしてしまったのである。 
その親しみのままに今度はプレゼンの鬼:四角さんが出演されている回を聴き始めた。

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四角さんの名は知らなくとも「おやすミニョク」という単語は知っている……という人々もいるくらい、筆者にとってはモネク(スターシップ事務所の誇る野獣アイドルMONSTAXのこと。よく収監されている気がする。エッ「ワカワカ先輩」として一世を風靡したのが4年くらい前……?)ペンとしての印象が強く、当然その話が繰り広げられるかと思ったが、それだけではないのが才人の知識の奥深さである。筆者はサバイバル番組を好んで見るという死後地獄の業火に焼かれることが運命づけられた趣味を持っているが、今ではもはやベテランの風格すら持ち始めた世代たちがかつてデビューのため披露していた課題曲としてF(X)のホットサマーはよく見られた。筆者より深くK-POPを愛聴する妻に言わせれば、この作風の変化が即ち今渦中にいる不世出のプロデューサー・ミンヒジン氏においてソルリという人がどういう存在かわかるような気がする……と四角さんが紹介された4wallsを指して言っていたことを思い出す。それはそれとして、愉快動画をシェアすることも忘れないそのエンタメぶりはさすがである。

4 Walls

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次元さんの繰り出す「Panorama」…十年に一度の傑作「ラビアンローズ」があり、百年に二度とない名歌「ヴィオレッタ」があり、初回でも紹介された千古不易の叙事詩「FIESTA」……それらを経てなおアイズワンが繰り出してきた文字通り畢生の、万古長生の曲こそが「Panorama」であった。二年半というただでさえ短い活動期間を大人たちの事情と未知のウィルスによってなお阻まれてしまった素晴らしい十二人が、終わりを予感しながらも最後に愛するファンたちに「永遠に覚えていて 約束よ がっかりさせないでね」と告げて終る……。確かにこれでアイズワンというアイドルは「完成」してしまったのかもしれないが、まだまだ続いてほしかったという気持ちが今もなおある。次元さんやそれを受けての四角さんのトークは既に披露から二年以上過ぎていたはずだが、それを感じさせない熱量であったことがアイズワンがいかに素晴らしいグループであったかの証左であると言えよう。

言語化が巧みな出演者所見をもってしても、アイズワンを考えた時、言葉に詰まる、いや、言葉が余計になっていく……。まさにアイズワンという宇宙の完成を見るようであった。

Panorama

Panorama

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そうして本日、日プ女子感想回を聞いたわけである。2人の共通のpickである笠原桃菜さんはもちろん、それぞれのいわゆる2pickが最終的にデビューしているのはさすがの慧眼である。早半年が過ぎようとしており、お2人が話されるエピソードのなつかしさに時の過ぎゆく速さの恐ろしさを感じたりもするが、(もはや出だしのリープハイがはるか太古の楽曲のようだった)前述したように筆者はいわば「サバ番愛好家」みたいなところがあり(今はI-LAND2を見ています)感覚が麻痺している自覚があるので、そういう意味でも良識ある意見を聴き自分のキャリブレーションが出来て良かったと思う。

今後は時系列通り聞いていきたいと思う。いつの間にか次元さんが「法王」になっている、その就任の瞬間を何とかとらえたいものだ。