古典における「魔王と勇者」
仏教用語としての「魔王」は第六天魔王・波旬のことを指しており、この波旬というのはゲーム『真・女神転生』シリーズにインパクトのある姿で登場する「マーラ」という名でも有名である。釈迦の修行を邪魔するためにエロい美女を送り込んだとかいう「煩悩」の象徴みたいなヤツである。織田信長が「第六天魔王」を名乗ったエピソードも知られている。
14世紀に成立したとされる『太平記』には、
上座の金の鵄こそ崇徳院であられる。その側の大男は源為義の八男為朝。その左に座るのは、代々の帝王、淳仁天皇・井上皇后・後鳥羽院・後醍醐院で、それぞれ位を逐われて悪魔王の首領となられた、高貴な賢帝たちである。その次に座る、玄肪・真済・寛朝・慈慧・頼豪・仁海・尊雲などの高僧たちも、同じく大魔王となってここに集まり、天下を乱すための評議をしている。
太平記/巻第二十七 - Wikisource
というようなくだりがあり、すでに仏教における「魔王」のイメージから離れて「なんか怨霊のすごいバージョン」くらいの感じで「悪魔王」「大魔王」といった語が使われているように思われる。
16世紀に中国で成立した『西遊記』には、「混世魔王」や「牛魔王」などの妖怪が登場するが、これらも中国の民間信仰における「妖魔の王」のような意味であって、仏教的な「魔王」そのものではない。なお『西遊記』は江戸時代に日本に伝来している。
ここまでは、語としてはあくまで仏教の「魔王」がベースにありつつ、民間伝承のなかでイメージが広がっていったものなのだろうが、明治以降になると、世界各国の神話や民話などが流入し、そこに「勇者」や「魔王」の訳語が当てはめられるようになっていく。
たとえば明治初期に出版された『百科全書』では、キリスト教のサタンを「魔王サタン」と訳している。同書では他に、インド神話の女神ジュルガ(ドゥルガー)の名の由来を述べるくだりでアスラ族のジュルグを「大魔王」と称したり、同じくインド神話のカンサ王や、妖精王オベロンを「魔王」としたり、あるいはインド神話の英雄や、北欧神話のエインヘリヤルを「勇者」と表現してもいる。
この頃においては、「勇者」は単に「勇気のある者」の意味だから、そもそも「魔王」よりも遥かに広範に使われる言葉ではありつつも、ファンタジー的な文脈に限定すれば、やはり神話や伝承上の英雄を「勇者」と呼ぶ例が多かったと思われる。ただし、それは「勇士」などとコンパチブルで、「勇者」という語に特殊な含意があるわけではなかった。そして、もちろん「魔王」と「勇者」が対として扱われているわけでもなく、「海外の悪魔や邪神が魔王と呼ばれることがある」「神話の英雄や豪傑が勇者と呼ばれることがある」といった事例が個別にあるだけだったろう。
ちなみに、明治大正の頃にも、権勢を振るう者を比喩的に「魔王」と呼んだりする例があったことは申し添えておく。
追記:シューベルトの『魔王』については、その元となったゲーテの詩が明治32年の『独逸詩文詳解』にて「魔王」と訳されているのが、おそらく初訳である。
Erlkönigは元来Elbenkönigと云ふべきである、Elbeは独逸の鬼神譚に拠れば、人間を嘲弄したり、侮慢したりする魔物である。(中略)ErlkönigはElbeの王の義にて仮りに魔王と訳し置く。
独逸詩文詳解 二巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
ソ連映画の「魔王と勇者」
戦後、「魔王」「勇者」といった用語は、神話や伝承を踏まえたヒロイック・ファンタジーに導入されていく。
1948年に日本で公開されたソ連映画『不死身の魔王』は、ロシアの「不死身のコシチェイ」の伝承を元にしており、悪の魔術師・コシチェイに婚約者をさらわれた主人公ニキータが旅に出るというあらすじ。
当時、ニキータが「勇者」と呼ばれていたのかはわからないが、1972年の『キネマ旬報』では、
古いロシアのおとぎ話にもとづく少年向き特撮映画。不死身の魔王をヒトラーになぞらえている。婚約者マリア(ゲー・グリゴリーエワ)を魔王にさらわれた勇者ニキータ(エス・ストリャーロフ)は荒野をさすらい、吹雪や炎熱と闘いながら魔王の城にたどりつき、さまざまな魔法をのりこえてマリアをとりもどす。
キネマ旬報 - Google ブックス
などと紹介されている。
1959年に日本で公開された映画『豪勇イリヤ 巨竜と魔王征服』は、『不死身の魔王』と同じ監督が手掛けたソ連映画である。ロシアの神話的英雄イリヤ・ムーロメツを主人公とした映画で、あらすじによれば、恋人をさらわれたイリヤが、竜を操る蛮族の王・カリンと対決する話だという。本作に登場する三つ首の竜がゴジラシリーズのキングギドラに影響を与えただとか、手塚治虫が本作のファンだったとかいう話が残っている。
やや話は逸れるが、魔術師であるコシチェイは「魔王」の「魔」の側面が強く、蛮族の王であるカリンは「魔王」の「王」の側面が強いように思われる。これ以降の魔王たちについても「すごい魔法使いだから魔王」のパターンと「邪悪な王だから魔王」のパターンに大別できるような気はする。
閑話休題、少なくとも50年代の時点で、こうした典型的なヒロイック・ファンタジーのラスボスを表すのに「魔王」というワードがチョイスされていたことは注目に値する。
アニメや特撮の「魔王と勇者」
60年代から70年代にかけて、アニメや特撮番組が増加するにつれ、「魔王」「勇者」は急激に増えていった。
1967年から放送されたアニメ『リボンの騎士』には「魔王メフィスト」が登場する。原作の漫画では初登場時に一度だけ「大魔王」と呼ばれるものの、それ以外では単に「悪魔」と呼ばれている。明確に「魔王」を名乗るようになったのはアニメ版からと言えるだろう。
1968年に日本で放送されたアメリカのアニメ『大魔王シャザーン』はアラビアンナイトがモチーフで、この「大魔王」というのは「ランプの魔人」のたぐいである。
1969年から放送されたアニメ『ハクション大魔王』もアラビアンナイトがモチーフだが、『シャザーン』にインスパイアされたのかはわからない。
1969年に公開されたアニメ映画『長靴をはいた猫』には「魔王ルシファ」が登場する。
1970年から放送されたアメリカのアニメ『チキチキマシン猛レース』の主役が「ブラック魔王」である。日本語版の名前をつけるときに、悪役だからということで「魔王」にしたらしい。
1972年から放送された特撮番組『快傑ライオン丸』には、ラスボスとしてインドで妖術を習得したという「大魔王ゴースン」が登場する。
1972年から漫画とアニメが開始した『デビルマン』には勇者アモンと魔王ゼノンが登場する。ただしアモンはゼノンの配下である。永井豪の前作『魔王ダンテ』と同じく、キリスト教の悪魔観がモチーフとなっている。
1972年から放送された特撮ヒーロー番組『サンダーマスク』では、主人公サンダーマスクは「宇宙の勇者」と呼ばれており、その敵は「宇宙の魔王デカンダ」および「大魔王ベムキング」である。神話とは無関係に「魔王VS勇者」の構図が設定されているのはこれが初ではなかろうか。
1974年から放送された『チャージマン研!』は近年になって謎の人気が出たアニメだが、敵であるジュラル星人の王が「魔王」である。
1975年から放送されたアニメ『勇者ライディーン』では、タイトルどおり主人公が「勇者」と呼ばれる。ラスボスは妖魔帝国の帝王・バラオだが、これは放送当時から「魔王バラオ」と表記されることもあったようだ。
1975年から連載された漫画『ザ・ウルトラマン』には宇宙大魔王とも言われる「ジャッカル大魔王」が登場する。
日本では1979年に公開されたアニメ映画『指輪物語』には、かのサウロンが「大魔王ソロン」として登場している。なお原作小説は日本語版が1972年から出版されたが、大部分で「冥王サウロン」とされつつ、一部で「魔王サウロン」という表記もされている。
1980年の雑誌『新刊展望』に掲載された手塚治虫と山本和夫(漫画サンデー編集長)の対談では以下のようなことが語られている。
手塚 それから今、アニメなんかでは、SFのジャンルで、勇者物というものが流行っているんです。
新刊展望 24(12)(418) - 国立国会図書館デジタルコレクション
山本 『円卓の騎士』みたいなものですか。
手塚 いや、そうじゃなく、『指輪物語』みたいなものです。ファンタジーですね。ファンタジーだけれども、そこに恋あり、剣あり、悪魔あり、魔法あり、というような、どのジャンルにも入らないものでしょうね。そういうものが今、若い連中の間で非常に受けているものだから、当然、こういった幻想漫画集みたいなものができてくる。やはりこれは時代の要求でしょうね。
「勇者物」が具体的にどの作品を指しているのかは判然としないが、手塚にそういったジャンル意識があり、そしてジャンル名として「勇者」というワードがチョイスされていた、ということは興味深い。
実際、この時期になると「勇者」の語により馴染みができたのか、他の「勇士」などの語の採用は減少しているように思える。
コンピュータゲームの「魔王と勇者」
80年代に入ってコンピュータゲームの時代が到来する。マイルストーン的な存在である『ドラゴンクエスト』までの「魔王」もしくは「勇者」が登場するゲームを列挙する。
1983年5月発売の『聖なる剣』のラスボスは「魔王」であり、主人公は「勇者」と呼ばれる。
1984年3月発売の『デーモンズリング』のラスボスは「魔王サローン」である。
1984年8月発売の『ザ・クエスト』には「勇者ゴーン」が登場する。ラスボスはドラゴン。
1984年12月発売の『ハイドライド』の主人公ジムと、ラスボスの悪魔バラリスについては、当時の雑誌などでは「勇者ジム」「魔王バラリス」の表記もあったようだ。
1985年2月発売の『ファンタジアン』のラスボスは「魔王ビルアデス」である。
1985年4月発売の『ザ・キャッスル』のラスボスは「魔王メフィスト」である(が設定だけでゲーム内には登場しないらしい)。
1985年6月発売の『アークスロード』は、アークスという島に住み着いた「魔王」を倒すというストーリーで、主人公は「勇者」と呼ばれる。
1985年9月発売の『スーパーマリオブラザーズ』には「大魔王クッパ」が登場する。
1985年12月発売の『クルセーダー』の主人公は「勇者ザーバック」、ラスボスは「魔王デッドロック」である。
1986年2月発売の『ゼルダの伝説』には「大魔王ガノン」が登場する。そしておそらく同年に発売されたボードゲーム(パーティジョイ)のパッケージには「ハイラルの勇者はキミだ」というフレーズが書かれている。
そして1986年5月発売の『ドラゴンクエスト』の登場となる。
伝説の勇者ロトが、闇の支配者であった魔王を倒し、神から授かった光の玉で魔物たちを封じ込めた
https://www.nintendo.co.jp/clvj/manuals/pdf/CLV-P-HBBBJ.pdf
この時点でも、ほとんどの作品の「勇者」はあくまで一般的な「勇気ある者」の意味であって、「特定の人物に与えられた特別な称号」というわけではなさそうだが、「魔王やドラゴンに立ち向かう戦士によく付けられる肩書き」の立ち位置にはなっていると思われる。
さらに以降のドラクエブームを通して、たとえば1989年連載開始の漫画『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』の時点で「勇者」が特別な称号として描かれているように、徐々に「勇者」という称号が特別な意味合いを帯びていったのだろう。