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ファンタジーにおける「魔王と勇者」について

古典における「魔王と勇者」

仏教用語としての「魔王」第六天魔王・波旬のことを指しており、この波旬というのはゲーム『真・女神転生』シリーズにインパクトのある姿で登場する「マーラ」という名でも有名である。釈迦の修行を邪魔するためにエロい美女を送り込んだとかいう「煩悩」の象徴みたいなヤツである。織田信長が「第六天魔王」を名乗ったエピソードも知られている。

14世紀に成立したとされる『太平記』には、

上座の金の鵄こそ崇徳院であられる。その側の大男は源為義の八男為朝。その左に座るのは、代々の帝王、淳仁天皇・井上皇后後鳥羽院・後醍醐院で、それぞれ位を逐われて悪魔王の首領となられた、高貴な賢帝たちである。その次に座る、玄肪・真済・寛朝・慈慧・頼豪・仁海・尊雲などの高僧たちも、同じく大魔王となってここに集まり、天下を乱すための評議をしている。

太平記/巻第二十七 - Wikisource

というようなくだりがあり、すでに仏教における「魔王」のイメージから離れて「なんか怨霊のすごいバージョン」くらいの感じで「悪魔王」「大魔王」といった語が使われているように思われる。

16世紀に中国で成立した『西遊記』には、「混世魔王」や「牛魔王」などの妖怪が登場するが、これらも中国の民間信仰における「妖魔の王」のような意味であって、仏教的な「魔王」そのものではない。なお『西遊記』は江戸時代に日本に伝来している。

ここまでは、語としてはあくまで仏教の「魔王」がベースにありつつ、民間伝承のなかでイメージが広がっていったものなのだろうが、明治以降になると、世界各国の神話や民話などが流入し、そこに「勇者」や「魔王」の訳語が当てはめられるようになっていく。

たとえば明治初期に出版された『百科全書』では、キリスト教のサタンを「魔王サタン」と訳している。同書では他に、インド神話の女神ジュルガ(ドゥルガー)の名の由来を述べるくだりでアスラ族のジュルグを「大魔王」と称したり、同じくインド神話のカンサ王や、妖精王オベロンを「魔王」としたり、あるいはインド神話の英雄や、北欧神話のエインヘリヤルを「勇者」と表現してもいる。

この頃においては、「勇者」は単に「勇気のある者」の意味だから、そもそも「魔王」よりも遥かに広範に使われる言葉ではありつつも、ファンタジー的な文脈に限定すれば、やはり神話や伝承上の英雄を「勇者」と呼ぶ例が多かったと思われる。ただし、それは「勇士」などとコンパチブルで、「勇者」という語に特殊な含意があるわけではなかった。そして、もちろん「魔王」と「勇者」が対として扱われているわけでもなく、「海外の悪魔や邪神が魔王と呼ばれることがある」「神話の英雄や豪傑が勇者と呼ばれることがある」といった事例が個別にあるだけだったろう。

ちなみに、明治大正の頃にも、権勢を振るう者を比喩的に「魔王」と呼んだりする例があったことは申し添えておく。

追記:シューベルトの『魔王』については、その元となったゲーテの詩が明治32年の『独逸詩文詳解』にて「魔王」と訳されているのが、おそらく初訳である。

Erlkönigは元来Elbenkönigと云ふべきである、Elbeは独逸の鬼神譚に拠れば、人間を嘲弄したり、侮慢したりする魔物である。(中略)ErlkönigはElbeの王の義にて仮りに魔王と訳し置く。

独逸詩文詳解 二巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

ソ連映画の「魔王と勇者」

戦後、「魔王」「勇者」といった用語は、神話や伝承を踏まえたヒロイック・ファンタジーに導入されていく。

1948年に日本で公開されたソ連映画『不死身の魔王』は、ロシアの「不死身のコシチェイ」の伝承を元にしており、悪の魔術師・コシチェイに婚約者をさらわれた主人公ニキータが旅に出るというあらすじ。

当時、ニキータが「勇者」と呼ばれていたのかはわからないが、1972年の『キネマ旬報』では、

古いロシアのおとぎ話にもとづく少年向き特撮映画。不死身の魔王をヒトラーになぞらえている。婚約者マリア(ゲー・グリゴリーエワ)を魔王にさらわれた勇者ニキータエス・ストリャーロフ)は荒野をさすらい、吹雪や炎熱と闘いながら魔王の城にたどりつき、さまざまな魔法をのりこえてマリアをとりもどす。

キネマ旬報 - Google ブックス

などと紹介されている。

1959年に日本で公開された映画『豪勇イリヤ 巨竜と魔王征服』は、『不死身の魔王』と同じ監督が手掛けたソ連映画である。ロシアの神話的英雄イリヤ・ムーロメツを主人公とした映画で、あらすじによれば、恋人をさらわれたイリヤが、竜を操る蛮族の王・カリンと対決する話だという。本作に登場する三つ首の竜がゴジラシリーズのキングギドラに影響を与えただとか、手塚治虫が本作のファンだったとかいう話が残っている。

やや話は逸れるが、魔術師であるコシチェイは「魔王」の「魔」の側面が強く、蛮族の王であるカリンは「魔王」の「王」の側面が強いように思われる。これ以降の魔王たちについても「すごい魔法使いだから魔王」のパターンと「邪悪な王だから魔王」のパターンに大別できるような気はする。

閑話休題、少なくとも50年代の時点で、こうした典型的なヒロイック・ファンタジーのラスボスを表すのに「魔王」というワードがチョイスされていたことは注目に値する。

アニメや特撮の「魔王と勇者」

60年代から70年代にかけて、アニメや特撮番組が増加するにつれ、「魔王」「勇者」は急激に増えていった。

1967年から放送されたアニメ『リボンの騎士』には「魔王メフィスト」が登場する。原作の漫画では初登場時に一度だけ「大魔王」と呼ばれるものの、それ以外では単に「悪魔」と呼ばれている。明確に「魔王」を名乗るようになったのはアニメ版からと言えるだろう。

1968年に日本で放送されたアメリカのアニメ『大魔王シャザーン』はアラビアンナイトがモチーフで、この「大魔王」というのは「ランプの魔人」のたぐいである。

1969年から放送されたアニメ『ハクション大魔王』もアラビアンナイトがモチーフだが、『シャザーン』にインスパイアされたのかはわからない。

1969年に公開されたアニメ映画『長靴をはいた猫』には「魔王ルシファ」が登場する。

1970年から放送されたアメリカのアニメ『チキチキマシン猛レース』の主役が「ブラック魔王」である。日本語版の名前をつけるときに、悪役だからということで「魔王」にしたらしい。

1972年から放送された特撮番組『快傑ライオン丸』には、ラスボスとしてインドで妖術を習得したという「大魔王ゴースン」が登場する。

1972年から漫画とアニメが開始した『デビルマン』には勇者アモンと魔王ゼノンが登場する。ただしアモンはゼノンの配下である。永井豪の前作『魔王ダンテ』と同じく、キリスト教の悪魔観がモチーフとなっている。

1972年から放送された特撮ヒーロー番組『サンダーマスク』では、主人公サンダーマスクは「宇宙の勇者」と呼ばれており、その敵は「宇宙の魔王デカンダ」および「大魔王ベムキング」である。神話とは無関係に「魔王VS勇者」の構図が設定されているのはこれが初ではなかろうか。

1974年から放送された『チャージマン研!』は近年になって謎の人気が出たアニメだが、敵であるジュラル星人の王が「魔王」である。

1975年から放送されたアニメ『勇者ライディーン』では、タイトルどおり主人公が「勇者」と呼ばれる。ラスボスは妖魔帝国の帝王・バラオだが、これは放送当時から「魔王バラオ」と表記されることもあったようだ。

1975年から連載された漫画『ザ・ウルトラマン』には宇宙大魔王とも言われる「ジャッカル大魔王」が登場する。

日本では1979年に公開されたアニメ映画『指輪物語』には、かのサウロンが「大魔王ソロン」として登場している。なお原作小説は日本語版が1972年から出版されたが、大部分で「冥王サウロン」とされつつ、一部で「魔王サウロン」という表記もされている。

1980年の雑誌『新刊展望』に掲載された手塚治虫山本和夫漫画サンデー編集長)の対談では以下のようなことが語られている。

手塚 それから今、アニメなんかでは、SFのジャンルで、勇者物というものが流行っているんです。
山本 『円卓の騎士』みたいなものですか。
手塚 いや、そうじゃなく、『指輪物語』みたいなものです。ファンタジーですね。ファンタジーだけれども、そこに恋あり、剣あり、悪魔あり、魔法あり、というような、どのジャンルにも入らないものでしょうね。そういうものが今、若い連中の間で非常に受けているものだから、当然、こういった幻想漫画集みたいなものができてくる。やはりこれは時代の要求でしょうね。

新刊展望 24(12)(418) - 国立国会図書館デジタルコレクション

「勇者物」が具体的にどの作品を指しているのかは判然としないが、手塚にそういったジャンル意識があり、そしてジャンル名として「勇者」というワードがチョイスされていた、ということは興味深い。

実際、この時期になると「勇者」の語により馴染みができたのか、他の「勇士」などの語の採用は減少しているように思える。

コンピュータゲームの「魔王と勇者」

80年代に入ってコンピュータゲームの時代が到来する。マイルストーン的な存在である『ドラゴンクエスト』までの「魔王」もしくは「勇者」が登場するゲームを列挙する。

1983年5月発売の『聖なる剣』のラスボスは「魔王」であり、主人公は「勇者」と呼ばれる。

1984年3月発売の『デーモンズリング』のラスボスは「魔王サローン」である。

1984年8月発売の『ザ・クエスト』には「勇者ゴーン」が登場する。ラスボスはドラゴン。

1984年12月発売の『ハイドライド』の主人公ジムと、ラスボスの悪魔バラリスについては、当時の雑誌などでは「勇者ジム」「魔王バラリス」の表記もあったようだ。

1985年2月発売の『ファンタジアン』のラスボスは「魔王ビルアデス」である。

1985年4月発売の『ザ・キャッスル』のラスボスは「魔王メフィスト」である(が設定だけでゲーム内には登場しないらしい)。

1985年6月発売の『アークスロード』は、アークスという島に住み着いた「魔王」を倒すというストーリーで、主人公は「勇者」と呼ばれる。

1985年9月発売の『スーパーマリオブラザーズ』には「大魔王クッパ」が登場する。

1985年12月発売の『クルセーダー』の主人公は「勇者ザーバック」、ラスボスは「魔王デッドロック」である。

1986年2月発売の『ゼルダの伝説』には「大魔王ガノン」が登場する。そしておそらく同年に発売されたボードゲーム(パーティジョイ)のパッケージには「ハイラルの勇者はキミだ」というフレーズが書かれている。

そして1986年5月発売の『ドラゴンクエスト』の登場となる。

伝説の勇者ロトが、闇の支配者であった魔王を倒し、神から授かった光の玉で魔物たちを封じ込めた

https://www.nintendo.co.jp/clvj/manuals/pdf/CLV-P-HBBBJ.pdf

この時点でも、ほとんどの作品の「勇者」はあくまで一般的な「勇気ある者」の意味であって、「特定の人物に与えられた特別な称号」というわけではなさそうだが、「魔王やドラゴンに立ち向かう戦士によく付けられる肩書き」の立ち位置にはなっていると思われる。

さらに以降のドラクエブームを通して、たとえば1989年連載開始の漫画『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』の時点で「勇者」が特別な称号として描かれているように、徐々に「勇者」という称号が特別な意味合いを帯びていったのだろう。

ファンタジーにおける「聖女」の類型について

「聖女」とは何か

「聖女」と言えば、現代日本においてはキリスト教における「聖女」を指すことが多いだろう。

カトリックで「聖女」あるいは「聖人」(英語では区別なく「saint」)と認められるための条件ははっきりと決まっていて、もちろん敬虔であることは大前提だが、まず「殉教」、つまり信仰のために亡くなっていること、あるいは「奇跡」、科学では説明できない現象が起きたこと、が教会によって認定される必要がある。

殉教者であれば奇跡を一度、殉教者でなければ奇跡を二度、起こしたと認定されれば「聖人」「聖女」となれるらしい。「奇跡」なんてどうやって調べるんだ、そんなポンポンと起きるもんなのか、と思ってしまうが、たとえば、

アクティスさんは2020年、膵臓(すいぞう)に先天性疾患のあるブラジル人の子供を癒(いや)したとして、すでに福者に列せられていた。
そしてローマ教皇フランシスコは今回、アクティスさんが、頭部の外傷から脳出血を起こしていたイタリア・フィレンツェの大学生を癒したことを、第二の「奇跡」と認定した。

「神のインフルエンサー」の少年がカトリック教会の聖人に ミレニアル世代で初 - BBCニュース

といった感じで、意外に奇跡はよく起きているものらしい。

ともあれ、こうしたキリスト教的「聖女」がフィクションに登場すること自体は何の不思議でもない。

たとえば有名なジャンヌ・ダルクカトリックの「聖女」なので、ジャンヌ・ダルクが絡んでいればすべて「聖女が登場するフィクション」ということになる。あるいはFGOでもおなじみの「聖マルタのタラスク退治の伝承」などは、ある種のファンタジーと言えなくもないだろうから、それをもって「ファンタジーにおける聖女の元祖」ということもできるかもしれない。

それはそれでいいとして、私の興味は、そのキリスト教的「聖女」から逸脱した、近年のファンタジーに登場する「聖女」類型がどのように確立されてきたのか、というところにある。

女性向けなろう作品における「聖女」

「逸脱した聖女ってなんじゃらほい」という人のために、「小説家になろう」に投稿されている、「聖女」が主人公の人気作品(多くは女性向けの作風である)をいくつか見てみよう。

たとえば2016年に投稿され、「なろう」の累計ランキングでも12位につけている人気作品『聖女の魔力は万能です』の設定はこうである。

スランタニア王国では数世代に一度、国が瘴気に覆われ魔物が大量発生する時代がやって来る。これまではそのたびに、魔を祓う力を持つ「聖女」が現れ、国を救ってきた。過去一度だけ聖女が現れなかった時は、儀式により聖女を召喚した。

この作品の「聖女」は、瘴気を祓う特別な魔法を使えるから「聖女」なのであって、教会に「聖女」として認定されているわけではないし、神への信仰が奇跡を起こしているわけでもない。「聖女」を召喚するのも、聖職者ではなく魔道師である。これがつまり「キリスト教的な聖女から逸脱している」ということである。

他の人気作品も見てみよう。2019年に投稿された『転生した大聖女は、聖女であることをひた隠す』では、こういう設定である。

前世の私は、「大聖女」だった。聖女の中でも、飛びぬけた力を持つ者、具体的には、あらゆる傷を瞬く間に治し、欠損を補い、ほとんどの病気を快癒させる力を持つ者に与えられる尊称。私が生きていた間は、私にしか与えられなかった呼び名だ。「大聖女」としては敬われていたと思うけれど、「聖女」自体は、そもそも尊敬される職業ではなかった。なぜなら、聖女の数がとても多かったから。当時、女性の半分以上は聖女だった。攻撃魔法とは異なり、回復魔法には、精霊との契約を必要とする。そして、精霊との契約は簡単に与えられた。

主人公は、前世では精霊王の血を引く王女であり、精霊から好かれやすかったために「大聖女」となったという。前世では魔王討伐のパーティに参加し、兄弟に裏切られて死んでしまったというRPG的な要素もある。聖女たちを統括するのが教会であったりはするが、聖女である条件はあくまで「精霊と契約していて回復魔法が使えるかどうか」であるようだ。

同じく2019年投稿の『聖女じゃなかったので、王宮でのんびりご飯を作ることにしました』は、単純に『聖女の魔力は万能です』を踏襲したような設定になっている。

この世界は【瘴気】と呼ばれる物に覆われており、一定の濃度になると、魔物が何処からともなく出てきたり、そこに生きていた動物達を魔物化させるらしい。この瘴気により発生した魔物を、ある程度倒していれば瘴気は薄まったりするのだが、どういう訳か濃くなる時期があるようだ。その度に【聖女】または【勇者】が現れ、瘴気を浄化、魔物を殲滅させてきた。なのに、今世は一向に現れる気配がない。このままでは瘴気の影響を最も受けやすいこの国【ヴァルタール皇国】は、1番に滅んでしまうと考えた。そこで、この美少年。エギエディルス皇子は現れるのを待つのではなく、召喚という形で強制的に喚んでしまおうと、魔導師達を集い儀式を行った。

「聖女」と「勇者」が対になっているあたりもポイントである。なろうテンプレでは「聖女」が「女性版の召喚勇者」のような扱いであることも多い。

2020年投稿の『完璧すぎて可愛げがないと婚約破棄された聖女は隣国に売られる』では、

聖女は結界を張ったり、魔物たちの力を弱めたり、国を守る要のような役割を果たしていました。

と軽く説明されているだけで、「聖女とは何か」の具体的な説明がないままストーリーが進んでいく。ざっと斜め読みしたところでは、光属性の魔法を使って魔物を退治したり、結界を張って街を守ったりする、魔物対策の専門家、といったところだろうか。この「聖女」は基本的には世襲で、いちおう教会にも所属しているようだが、少なくとも主人公は聖職者という感じではない。

といったところでイメージを何となく掴めるだろうか。大雑把に要素を抽出してみると以下のような感じになる。

  • 回復魔法を使える
  • 瘴気を浄化できる
  • それらは聖女だけの特別な魔法である
  • (本来の聖女と比べると)宗教色が薄い
  • 聖女の血筋がある
  • あるいは召喚される存在である

聖女レベル

もちろん、「聖女」が登場するのは、女性向けなろう作品に限った話ではない。近年のファンタジー作品には、キリスト教的なものから、なろう的なものまで、さまざまな「聖女」が登場している。ただ、作品数が膨大だし、そもそも多岐に渡りすぎていて、そう簡単に「こっちはキリスト教ベース」「こっちは違う」と振り分けできるようなものではないだろう。

そのグラデーションを無理やり分類するために、ファンタジーにおける「聖女レベル」を考えてみた。

聖女レベル1 ごく普通の心優しく高潔な女性(修道女)が、比喩的に「聖女」と呼ばれている。ちなみにポルノではこの用法の「聖女」が頻出する。
聖女レベル2 宗教組織によって「聖女」と認定される。あくまで形式的な話であり、特別な能力を持っているかどうかは問わない。
聖女レベル3 RPG的な冒険者パーティの女性聖職者(多くは回復職)が、魔王討伐などの功績を挙げて「聖女」と称えられる。
聖女レベル4 「聖女しか使えない特殊能力」によって「聖女」という存在が規定されている。宗教や教会と関係が薄いことも多い。
聖女レベル5 レベル4のなかでも、特に聖女が「ほぼ一人しかいない」「世界の存否に関わるような存在」である。


つまり、レベルが上がるごとに「能力」が強力に、かつ特別なものになっていくイメージである。キリスト教的「聖女」のイメージがそのまま反映されているのがレベル1・2、キリスト教的「聖女」をRPG的世界観に導入したのがレベル3、キリスト教的「聖女」から逸脱した新しい類型がレベル4・5である、とも言える。

80年代・90年代ファンタジーの「聖女」

では、こういった「聖女」類型がどのように生まれて、どのように変化してきたのかを考えるために、80年代から90年代にかけてのファンタジー作品を見ていきたい。

1974年に制作されたTRPGダンジョン&ドラゴンズ』のクラス(職業)のなかに「クレリック(聖職者・僧侶)」があるが、これが「聖女レベル3」のような、RPG的世界観における聖職者のイメージの元になっているのだろう。聖職者がメイスを武器にしがちなのもD&Dの設定に由来するらしい。とはいえ『D&D』には「聖女」と呼ばれるような存在はほとんど登場しないようだ。

ただし、1989年『ドラゴンランス伝説』(D&Dの設定をもとにしたファンタジー小説)には「パラダインの聖女」と呼ばれるクリサニアという人物が登場する。敬虔なクレリックだったが悪の魔法使いに魅せられていく……といったキャラらしいが、英語の説明を見ても「聖女」らしき肩書きはないので、邦訳の際に分かりやすいキャラ付けとして「聖女」とされたのだろうか。

初期の『ドラゴンクエスト』にも「聖女」は登場していないが、1989年に放送されたアニメ『ドラゴンクエスト勇者アベル伝説)』に「赤き珠の聖女」と呼ばれるティアラというヒロインが登場する。主人公アベルが「青き珠の勇者」なので明らかに「勇者」と「聖女」が対比されている。ティアラは僧侶などではなく、伝説の竜を復活させる巫女のような立ち位置らしい。つまり「レベル4」あるいは「レベル5」に分類される聖女である。

かの『ロードス島戦記』には小ニースとフラウスという二人の「聖女」が登場する。小ニースの登場はロードス島戦記の6巻なので1991年(雑誌連載は1988年?)、フラウスは『ロードス島伝説』なので1994年(漫画版なら1991年?)に初登場か。もちろんのことロードスはD&Dの多大な影響下において成立した作品であり、小ニース・フラウスとも敬虔なクレリックとして描かれている。特にフラウスは、先述の「パラダインの聖女」クリサニアの立ち位置に似ているような気もする(ワルい男に惚れてしまった聖職者…みたいな)。『ドラゴンランス』の翻訳を担当した安田均は、『ロードス』を世に送り出したグループSNEの中心人物でもあり、そこに影響関係を見出すのは容易だろう。

1991年に刊行されたライトノベル流星香『プラパ・ゼータ』の1巻の副題はずばり「聖女の招喚」である。この「聖女」ファラ・ハンは、世界滅亡の危機に天界から召喚された神的な存在であり、「レベル5」の聖女だと言える。彼女は勇者・魔道士・竜使いの三人とパーティを組むことになるのだが、少女向け作品ということもあって、物語の主人公およびパーティの中心は、勇者ではなくあくまで聖女自身である(三蔵法師ポジションだとも言えるかもしれない)。

1991年から連載された漫画『ハーメルンのバイオリン弾き』には「聖女パンドラ」が登場する。彼女は人間と天使のハーフであり、聖なる者として魔王の封印を解くことができた。それとは別に、メインヒロインにも「回復魔法を使える女王の血筋」の設定があり、そちらも聖女っぽい扱いを受けている。この作品の主人公は「魔王と聖女のあいだに生まれた勇者」であり、RPG的な設定を土台としつつも、かなり特徴的な世界を構築している。

1992年に発売されたゲーム『ファイアーエムブレム外伝』には、各ユニットの兵科や役割を示す「クラス」というシステムがあり、そのうち「シスター」の上位職として「聖女」が用意されている。ただし「聖女」クラスは以降のシリーズに引き継がれなかったようである。ちなみに2002年の『封印の剣』には「聖女エリミーヌ」という人物が登場する。彼女は竜を倒した八人の英雄のうちの一人で、エリミーヌ教という宗教の開祖であるらしい。こちらは聖女レベル3.5くらいか。

1995年のOVA覇王大系リューナイト アデュー・レジェンドII』には「沈黙の聖女」ソフィーが登場する。彼女は神の血を引く一族で、意識を持つロボット「リュー」に命を吹き込んだり操ったりできる能力を持つという。聖女レベル4と言えるだろうか。

というわけで、綺麗な変遷が観察できたらよかったのだが、こうして初期の事例を眺めてみると、レベル4やレベル5の「聖女」はかなり唐突に登場している印象がある。キリスト教的な「聖女」が徐々に変化していったというよりも、実質的な役割としては「巫女」や「天使」や「宗教国家の女王」なのだが、そこでたまたま「聖女」というネーミングがチョイスされた、といった感じなのではないか。

設定だけ「聖女」っぽい例

逆に、「聖女」とは呼ばれていないものの、設定や役割が「聖女」っぽいキャラの例もいくつか思い浮かぶ。

1990年のアニメ『NG騎士ラムネ&40』では、主人公の勇者ラムネスを異世界に召喚するヒロインが、その姉妹と合わせて「聖なる三姉妹」と呼ばれている。この三人は一種の巫女であり、勇者を導く存在とされている。

1992年から連載された漫画『ふしぎ遊戯』では、主人公は中華風の異世界に「朱雀の巫女」として召喚される。朱雀の巫女が「七星士」を集めて神獣を召喚すればどんな願いも叶えてもらえるというが、実はそれは巫女の命と引き換えである。同年の『十二国記』や後の『エスカフローネ』などと共に「少女向けの異世界召喚ファンタジー」として影響力は大きそうだ。

乙女ゲームの名作『遙かなる時空の中で』(2000年発売)は、おそらく『ふしぎ遊戯』の影響を受けており、主人公は「龍神の神子」として和風異世界に召喚される。「龍神の神子」は怨霊を浄化する能力を持っており、なろう系の「聖女」の描かれ方に近い気もする。乙女ゲームを通じて女性向けWeb小説に影響を与えた可能性はある。

1993年から連載された漫画『魔法騎士レイアース』に登場するエメロード姫は「柱」と呼ばれる存在である。「柱」は世界を支えるために祈り続ける存在であり、「柱」がいなくなれば世界も崩壊してしまう。そしてエメロード姫は、世界を救うために異世界から「魔法騎士」を召喚することになる。

1996年発売のゲーム『ファイナルファンタジーVII』のエアリスは、古代種の血を引く存在であり、世界を救うために白魔法「ホーリー」を発動させようとする。のちの『ファイナルファンタジーX』に登場するユウナも「エボン教」における巫女のような存在として描かれる。

こういったキャラの肩書きが「巫女」となるか「聖女」となるか、あるいは独自の呼称になるかは、やはりコンパチブルな感じがある。

2000年代の「聖女」

2000年代に入ると、いろんなゲームに「聖女」が登場するようになる。

主だったところをいくつか挙げてみると、まず先述した2002年の『ファイアーエムブレム 封印の剣』の聖女エリミーヌ。

2002年発売の『ブレス オブ ファイアV』の聖女オルテンシアは「時間や空間を自在に操ると言われている統治者のひとり」らしい。

2002年発売の『テイルズ オブ デスティニー2』の聖女リアラや聖女エルレインは「神の御使い的な立場として生を受け、人々を幸福に導く使命をもって生まれてきた」。

2005年発売の『ドラッグオンドラグーン2』の聖女マナは「現在は封印騎士団の犠牲となっている弱き人々を救う解放者として日々を送っている。騎士団直轄区で生きる人々からは“聖女”と呼ばれ慕われている」。

2009年発売の『スターオーシャン4』の聖女イレーネは「占い師の女性だが、その力の占いという生ぬるいものではなく、神託により過去・未来など全ての時空を見通すことができる」。

2010年発売の『英雄伝説 碧の軌跡』の《鋼の聖女》アリアンロード、および《槍の聖女》リアンヌは、「250年前の獅子戦役の終結に多大な貢献を果たした"救国の聖女"」ということでジャンヌ・ダルクがモチーフっぽい。

ただ、90年代や2010年代と比べると、2000年代はファンタジーというジャンル自体が低調だった時期なので、アニメや漫画まで含めたときの代表的な聖女キャラがいたかというとあまり思い浮かばない。どのように2010年代のなろう系聖女へ繋がっていったかはミッシングリンクである。

なろう系に大きな影響を与えた『ゼロの使い魔』では、ヒロインのルイズは作中で「聖女」と崇められることになる。ルイズは始祖ブリミルの力を扱える「虚無の担い手」なのだが、「虚無の担い手」というだけでは「聖女」と呼ばれておらず、あくまで「聖女」という呼称は教会から与えられたものだった。いちおう聖女レベル2としておこう。最初に紹介したような女性向けなろう作品における「聖女」は、明らかに『ゼロ魔』的な設定ではないので、その影響は限定的だと思われる。

2010年代初頭のなろう作品

小説家になろう」において、大々的に「聖女もの」が広まったのは、『聖女の魔力は万能です』の影響が大きいのだろうが、もちろんそこが元祖だったわけではないだろう。というわけで『聖女の魔力は万能です』以前、というか「なろう系ブーム」以前となる、2010年代初頭の作品を調べてみよう。

いまも削除されずに残っている作品のなかで、総合評価が高めなのは、2011年に投稿された『裏切られた勇者のその後……』か。これは勇者として召喚された主人公が、パーティーの「聖女」に裏切られ、魔王もろとも殺されかけるという話。聖女レベル3である。この聖女は王女であり、また勇者を召喚した張本人でもあったりと、設定が盛り盛りだが、ただし作品自体は男性向けである。

「聖女」が主人公の作品としては、たとえば2010年投稿の『世界は無常に満ちている』は、主人公の友人が瘴気を浄化する「聖女」として異世界召喚され、主人公はそれに巻き込まれて召喚され、「バシレース」という聖女以上の存在になる、という話。

同じく2010年投稿の『ラダトリアの聖女異聞』は、戦争に疲弊した王が、異世界から「神子」を召喚し、王の伴侶にしようとする話。

やはり2010年投稿の『役割を終えた神の子』は、異世界から召喚された「神子」が、平和になってから王と結婚した、そのあとを描いた話。

2009年投稿の『正しい国の作り方』は、異世界に「巫女姫」として召喚され、五つの王国の王子のいずれかを伴侶として選ぶことになる、という話。乙女ゲーチック。

これらは『聖女の魔力は万能です』などの設定と繋がりを感じる。また、この頃の「聖女」や「巫女」は、現在よりも「召喚される存在」だったようで(そもそも「なろう」全体で召喚・転生が流行りはじめた時期でもある)、さらに王や王子と恋愛をするのがお約束にもなっている(がゆえに、いくつかの作品はその逆張りをしている)。

もちろん、これらの作品が、なろう系の「聖女もの」の元祖だとか、以降の作品にめちゃくちゃ影響を与えたとか、そういうわけではなさそうだ。やはり「なろう」よりもさらに以前、2000年代のあいだに女性向けのWeb小説などで「聖女」概念が育まれており、これらの作品はその影響下にあったのではないか、と思う。

まとめ

思ったよりだいぶ長くなったわりに散漫な感じがするが、調べながら結論を探っているので仕方がない。

80年代から90年代にかけてのファンタジーブームにおいて、TRPGクレリックなどから派生した「聖女」キャラは、「巫女」や「天使」などとのイメージの混同もあり、早々に多様化していったが、そのなかでも「聖女を主役にした作品」は、おそらく90年代の異世界召喚系の少女漫画から乙女ゲームなどを通じて、2000年代の創作界隈において「異世界召喚されて聖女になって王子さまとラブロマンス」的なテンプレとして発展していき、さらに2010年代になって「小説家になろう」という器を得て爆発的に拡大していった。

みたいな仮説でどうだろうか。特に2000年代以降は確証がないが。

スペースオペラ✕ライトノベルの現況

近年のスペオペラノベにおける課題は「なろうテンプレをいかにスペオペに移植するか」ということだったと思います。ここで言う「なろうテンプレ」とは、長らくWeb小説サイトで培われてきた、さまざまな定番要素や設定を広く指したもの、ということでご了承ください。

小説家になろう」から初期に書籍化された『銀河戦記の実弾兵器』や、現在10巻超えの長期シリーズとなっている『目覚めたら最強装備と宇宙船持ちだったので、一戸建て目指して傭兵として自由に生きたい』などは、なろう系における「ゲーム転生」要素を『EVE Online』や『Elite Dangerous』といったSF系MMORPGに置き換えた作品でした。つまりファンタジー世界に転生するかわりにスペオペ銀河に転生して交易に励んだり傭兵になったりするわけです。

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特に『目覚めたら最強装備と宇宙船持ちだったので、一戸建て目指して傭兵として自由に生きたい』は、この長ったらしいタイトル以外は本当に素晴らしい作品となっています。最強の傭兵となって銀河を駆け回り、目も眩むような大金を稼いで、さまざまな栄誉を獲得し、たくさんの美少女を助けてハーレムを築いていく。むしろ古典的なスペオペに先祖返りしているのではないかという。なろう系スペオペの代表格ですね。

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さらに『最強宇宙船』は「エルフやドワーフを登場させている」という点においても「なろうテンプレをスペオペに移植」していると言えるでしょう。昨年はそうした「エルフやドワーフが登場するスペオペ」が続けざまに刊行されて、新しい潮流となりそうな予感がしています。

まずは『スペースオーク』。地球人類が宇宙に適応するための身体改造の結果として「オーク」や「エルフ」らが生まれ、それぞれ星間国家を築いているという設定。主人公はオークの一員ですが、遠い過去の地球人(つまり現代人)の記憶が刷り込まれたために、それが疑似的な転生設定として機能しています。手柄を挙げてオークの女王を手に入れるため、脳筋オークたちを率いて奮闘する主人公の姿がかっこいい。とても面白かったです。

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そして『ファンタジー銀河』。カクヨムの人気作ですね。宇宙ゴブリンにアブダクションされて奴隷になった地球人の主人公が、なんとかそこから脱出して、さらに運良く超能力を手に入れて、銀河の冒険者として活躍していくという話。『スペースオーク』もそうなのですが、なろう系ファンタジーを表面的にスペオペにしたわけではなく、十分に独自性のあるスペオペになろう系ファンタジーの皮を被せたような形になっているところに良さがありますね。

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アニメ化も決まっている『俺は星間国家の悪徳領主!』は、なろうテンプレの一つである「悪役もの」「領主もの」をそのままスペオペにしたような作品です。お世辞にも「巧い」作品ではないのですが、とにかく勢いがあって引きが強く、そして一巻ごとにスケールが大きくなっていくので飽きないという、これはこれで「なろう系」の良いところを正しく受け継いだ作品だと思います。

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『魔王と勇者が時代遅れになりました』は、人類がとっくに宇宙に進出して、誰も残っていない異世界に召喚された「魔王」と「勇者」がタッグを組んで、宇宙船に乗って銀河で大暴れする話。つまり、なろう系でもよく見られる「魔王勇者もの」をスペオペに乗っけるという趣向ですね。魔王による「企業経営もの」でもあります。

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わらしべ長者と猫と姫』は、ベースはいわゆる「現代ダンジョンもの」なんですが、主人公のスキルが「宇宙のどこかの誰かと物々交換できる」というもので、それを通して宇宙猫やら宇宙アイドルやらが送られてきて、会社を立ち上げて宇宙技術で知識チート、最終的に宇宙に進出していくという、90年代的なごった煮感のある作品です。すごく面白かったんですが、たった二巻で完結しちゃったのが残念。

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その他、いわゆる転生・転移要素はありませんが、

異種侵略ものと「掲示板もの」をあわせてコメディに仕立てた『宇宙戦争掲示板』
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「嫌われ系」でスローライフな『キモオタモブ傭兵は、身の程を弁える』
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「勘違い系」な宇宙提督が出世して「ざまあ」する『「ここは任せて先に行け!」をしたい死にたがりの望まぬ宇宙下剋上
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といった作品が、いずれも「なろう」的な要素を加えたスペオペを展開しています。

もう一つ、直近発売された『銀河放浪ふたり旅』は、逆にあまり「なろう」っぽくない作品でした。滅びた地球の生き残りの一人が、銀河連邦的な国家に拾われて、宇宙船と超能力を手に入れて、広大な宇宙を旅していくという話なんですが、主人公に世俗的な欲望が薄く、秩序を守りつつも、純粋な好奇心によって動いているという、とてもお行儀のいいスペオペで良かったですね。
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といったわけで、ここ数年くらいのスペオペラノベをざっと紹介してみました。すっかり「なろう系スペオペ」がこなれてきて、これだけの数のスペオペが刊行されるようになったというのは、もはや90年代以来のスペオペ・ブームと言っても過言ではないのではないでしょうか。……いや、昔と比べて全体の作品数がはるかに増えているので、このくらいだとあまりブームとは認識されていない気がしますが。胸を張ってブームと言えるくらいに、もっともっと増えてほしいですね。

2024年ライトノベル個人的ベスト10

1. 『亜人の末姫皇女はいかにして王座を簒奪したか』

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人間と亜人の一大戦争を、その戦争にかかわったさまざまな人物をとおして描いたファンタジー戦記。英雄的な死に様を見せた竜騎兵。伝説的な猫人の暗殺者。飛空艇を作った発明家。砂漠の悪徳商人。人間たちを聖戦に駆り立てた神官。亜人たちを煽動する雄弁な皇女。どいつもこいつもクセの強い、あまり善人とは言いがたい連中の一生が、列伝のようなかたちで綴られていきます。まさに「歴史」を読んだ、という気分にさせられる傑作でした。

2. 『スペースオーク』

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新世代のなろう系スペオペ。遺伝子改造された人間がオークやらエルフやらと呼ばれている遠未来の宇宙を舞台に、かつての「地球人」の記憶を刷り込まれたオークの主人公が頭角を現していくストーリー。脳筋すぎてさまざまな問題を抱えるオーク社会の描き方が面白くて、SF的にも読み応えがありつつ、美しいオークの女王さまや姫さまなどのヒロイン陣も魅力的で、「スペオペ」としてのケレン味もたっぷり味わえました。

3. 『わらしべ長者と猫と姫』

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いわゆる「現代ダンジョンもの」なんですが、主人公のスキルが「宇宙のどこかの誰かと品物を交換できる」というもので、そこから喋る猫や宇宙アイドルなんかがやってきて、宇宙の進んだ技術を活用したビジネスを起業して、巨大人型ロボットを作ったり、さらには宇宙海賊だとかのスペオペ要素も絡んでくるという、なんというか、90年代の落ちものラブコメ的な「ごった煮」感がとても楽しい作品でした。

4. 『貞操逆転世界のたばこ事情』

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京都のクズ男子大学生と、それに寄ってくるダメ女たちを描いた底辺キャンパスライフもの。ただ、そこに「貞操逆転」のスパイスを振りかけることで、読者に「この世界の主人公は『男のバカ話にも付き合ってくれるタバコの似合うお姉さん』みたいなものか」という意識が刷り込まれ、なんなら主人公が本当にそういうお姉さんに思えてくるというバグを味わえるんですね。いわば実質的なTS百合ハーレムなんですよこれは。素晴らしい。

5. 『よって、初恋は証明された。』

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進学校を舞台にした理系青春ミステリ。主人公はいかにも理屈っぽい陰キャだけど、ヒロインは明るく優しい人気者。理系キャラでこのヒロインみたいな性格ってちょっと珍しいな、と思っていたら、それがちゃんと本編に絡んでくるんですよね。何の気なしに流したところをきっちり消化してくれたというか、「こんなもんだろ」で済ませないあたりが丁寧な作品だと感じます。青春の苦悩が反映された謎解きも好みでした。

6. 『第七魔王子ジルバギアスの魔王傾国記』

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五巻目にして主人公ジルバギアスの初陣が描かれたわけですが、これまでの蓄積を燃やし尽くしたような激動の展開と言いますか、ここまでやるのかという感想でした。何重にも絡みついたジレンマから決して主人公を解放しない、決して「なあなあ」にしないという思いが伝わってきて、本当に素晴らしかったです。

7. 『全員覚悟ガンギマリなエロゲー邪教徒モブに転生してしまった件』

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洗脳・拷問・人体実験など何でもありの「邪教」の構成員に転生した主人公が、それを内側から滅ぼすために教団に忠実な信徒のふりをする、という筋立ては『ジルバギアス』に近いんですよね。しかし本作の主人公は、特殊な能力も、特別な地位もない。ただのモブでしかない主人公が、化け物じみた幹部たちをどうやって倒すのか。本当に「覚悟ガンギマリ」なのは主人公だったという話です。

8. 『フルメタル・パニック! Family』

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言わずもがなの名作の続編。結婚した宗介とかなめが、二人の子供とともに追手と戦いながら、住居を転々としていくホームコメディ。かつての短編シリーズに近い作りですが、あそこまでギャグに振っているわけでもなく、ある意味では大人になったというか、落ち着いたコメディになっています。「大人になってしまった」という哀愁すら漂っている。でもそれは決して悪いことじゃない。というほろ苦い味が良いですね。

9. 『冒険者酒場の料理人』

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そのままでは食べられない迷宮の素材をあれこれと工夫して食べられるようにしていく異世界料理ファンタジー。『異世界刀匠の魔剣製作ぐらし』あたりと同じく一つのコンセプトを巧みに転がしていく手腕が見事。硬すぎる魚だのすぐ腐る肉だのを分析し、実験し、その調理法を解き明かしていくあたりはミステリ的な面白さもある。さらには子育て要素や恋愛要素もあって、それで描かれるキャラクターも魅力的でしたね。

10. 『エイム・タップ・シンデレラ』

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毎年のことながら「最上位以外はベスト30くらいまで同着」みたいなところがあるので悩むんですが、今回は他に選んだ作品と題材が被っていないところを買って、こちらの作品を選びました。『VALORANT』的な対戦FPSを描いたeスポーツもの。あくまで試合シーンを中心とした筋肉質な構成はスポーツ小説として出来がよく、加えて主人公を中心とした百合三角関係も見どころ。主人公のやってることが「自分の妹を倒すために無名の天才選手を育てる」という星一徹ムーブなんでエグいんですよね。とても楽しく読めました。

2024年ライトノベル10大ニュース

KADOKAWAサイバー攻撃を受ける

ja.wikipedia.org
ランサムウェアによってKADOKAWAのサーバーがロックされ、ニコニコ動画などのKADOKAWA系のWebサービスが軒並み停止するなど大騒動となりました。ライトノベル業界的にも、書籍の受注システムが停止したことで一時的に出荷が減少したり、ライトノベルレーベルの公式サイトが無くなったりなど、さまざまな問題が起きていましたね。現在でも電撃文庫以外の公式サイトは再開されていません。そのため各レーベルともSNSでの情報発信を強化するなど、図らずも広報戦略に変化があったような気がします。サーバーが別だったのか稼働を続けている「キミラノ」も公式サイトの代替として活躍していました。

あとはKADOKAWASONYに買収されるかもしれない、というニュースにも驚きましたが、いったんは資本提携というところで落ち着いたようですね。

ラノベ原作ラブコメアニメのヒット

makeine-anime.com
2010年代後半から続く第二次ラブコメラノベブームのメインストリームがついにアニメ業界にまで波及したと言うべきか、今年の夏は『マケイン』『ロシデレ』『義妹生活』『ふたきれ』『V伝』が同時に放送されるという、なんだかもったいないような気もするクールとなりました。特に『マケイン』『ロシデレ』はかなりの高評価だったようです。その余勢を駆った『マケイン』は「このラノ」でも一位になっていましたね。

とはいえ、これに続くラブコメアニメの予定は、いまのところ『クラ婚』『チラムネ』『わたなれ』『クラにか』『だんじょる』くらいか…?

涼宮ハルヒ』シリーズ新作発売

kimirano.jp
前作『直観』から四年なのでぜんぜん早かったですね(錯乱)。昔の短編に書き下ろしで肉付けをした短編集、というのは『直観』と同じでしたが、久々のハルヒを楽しませていただきました。どうなんでしょう、もう長編は書かれないんでしょうか。いっそハルヒ以外の新シリーズでも読みたいのですが。

『誰が勇者を殺したか』駄犬の活躍

ln-news.com
昨年の『誰勇』のスマッシュヒットから、今年はその作者「駄犬」の作品が各社から続々と書籍化されました。すっかりヒットメーカーといった感じですね。元・編集者という経歴や、その作品の多くが単巻完結というあたりも興味深いです。また『誰勇』の影響か「魔王を討伐したあとの勇者パーティ」を取り扱った作品が目に付くようになった気がして、勝手に2010年代初頭の魔王勇者ラノベブームのリバイバルを感じています。

小説家になろう20周年

blog.syosetu.com
2004年に個人が開設したウェブサイトが、そこから20年で日本最大のWeb小説サイトとなり、ライトノベル業界に留まらず、出版業界に凄まじい影響を与えてしまったということで、なかなかドラマチックなものを感じます。一方で、運営会社ヒナプロジェクトの経営陣が刷新され、創設者である梅崎祐輔氏も退任されたということで、詳しい事情はわかりませんが、今後の「なろう」がどうなっていくかにも注目ですね。

魔法のiらんどカクヨムに吸収される

kakuyomu.jp
「現在でもこんなにPVがありますよ!」と発表するたびに、そのPVの数字が数億単位で下がっているというのが風物詩だったケータイ小説の代表格「魔法のiらんど」でしたが、ついにカクヨムと合併することになりました。実はKADOKAWA傘下だったんですよね。読者層で言えばエブリスタと合併したほうがよかったのではと思わないでもありませんが。

カクヨムは、人気作家の新作をサブスクで読める「カクヨムネクスト」を開始するなど、さまざまな施策を行いながら、陰りを見せつつある「小説家になろう」を猛追している印象です。「なろう」は女性向けの作品が増えたために、男性向け作品がカクヨムに逃げ出したと言われていますが(それでもまだ男性読者のほうが多いらしい)、魔法のiらんどカクヨムに入ることで男女比がどうなるかも気になります。

Web発ホラーブーム

www.asahi.com
近年は『近畿地方のある場所について』『右園死児報告』『ほねがらみ』などカクヨム発のホラー小説が人気を博しており、それが今年は『変な家』のヒットなどとあわせて「ホラーブーム」として認知されたように思います。ホラー自体はずっと人気のあるジャンルではあるのですが、最近の作品はWeb発であることに加えて「モキュメンタリー」っぽさも特徴になっているでしょうか。カクヨムでも次なるヒットを狙ってモキュメンタリーホラーが続々と出てきているようですが、来年はブームにさらなる広がりがあるのか注目ですね。

ブルーライト文芸」バズる

toyokeizai.net
もともとは阪大感傷マゾ研究会のペシミ氏が提唱していた概念でしたが、上記の東洋経済の記事をきっかけにそこそこ人口に膾炙したのではないかと思います。要するにスターツ出版文庫に代表される「表紙に青系のイラストが使われているエモ系ライト文芸」のことです。その多くは「余命もの」「難病もの」であり、こちらもやはり昔から人気のあるジャンルではありますが、今年は映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』のヒットもあったことから、あらためて注目が集まったということでしょう。

「好きラノ」復活

lightnovel.jp
Twitterの問題により中止が続いていた人気投票企画「好きラノ」ですが、今年は開催場所をBlueskyに移して開催されることになったようです。皆さま、忘れないように投票しましょう。でもブログ投票は無いんですね。

個人的にもTwitterはそろそろ潮時かなと思っているんですが、とはいえネットワーク効果が強すぎて。せめてログの移行だけでも出来ればいいんですけどね。

山本弘、死去

ln-news.com
ラノベ作家として、あるいはSF作家として、グループSNEの中心人物として長く活躍されました。『ロードス島戦記』の元となったD&Dのリプレイ企画でエルフのディードリットを担当したことはあまりにも有名で、私自身はほとんど作品に触れる機会はありませんでしたが、ラノベ黎明期の伝説的作家の一人、といった印象があります。


去年までの年間ニュースはこちらからどうぞ。
10大ニュース カテゴリーの記事一覧 - WINDBIRD::ライトノベルブログ

「自分が好きな」ライトノベル・オールタイム・ベスト100

前回は「客観的に重要な作品」で100作品を選んだのですが、いちおう「自分が好きな作品」に全振りしたリストも作っておこうと思いました。「シリーズ単位」「一作家一作品」で選出。とはいえ、西尾維新が言うところの「はぐれてしまった」というやつ、つまり「最初は大好きだったけどいつのまにか買わなくなったシリーズ」も多い。でも、そのとき好きだった気持ちは嘘じゃないから…と言い訳しておきます。

ちなみに私のライトノベル遍歴を読むと、初期のあたりがどうしてこういうラインナップなのかがわかると思います。

というわけでそのリストです。

  1. 田中芳樹銀河英雄伝説』(1982年)
  2. 森奈津子『お嬢さまとお呼び!』(1991年)
  3. 小野不由美十二国記』(1992年)
  4. 流星香『電影戦線』(1997年)
  5. 賀東招二フルメタル・パニック!』(1998年)
  6. 城平京『名探偵に薔薇を』(1998年)
  7. 響野夏菜『東京S黄尾探偵団』(1999年)
  8. 秋田禎信『エンジェル・ハウリング』(2000年)
  9. 上遠野浩平『ナイトウォッチ』シリーズ(2000年)
  10. 秋山瑞人イリヤの空、UFOの夏』(2001年)
  11. 海羽超史郎『ラスト・ビジョン』(2001年)
  12. 三雲岳斗ランブルフィッシュ』(2001年)
  13. 岩井恭平『消閑の挑戦者』(2002年)
  14. うえお久光悪魔のミカタ』(2002年)
  15. 乙一『GOTH』(2002年)
  16. 西尾維新きみとぼくの壊れた世界』(2003年)
  17. 谷川流涼宮ハルヒ』シリーズ(2003年)
    • 人生で「ベスト3」を選ぶとしたらこの『GOTH』『きみぼく』『ハルヒ』なのだが、この三作品の時期が固まっているのは偶然ではなく、つまりいちばん多感な青春時代、いちばんライトノベルを新鮮に感じていた頃に、いちばん好きな作品だったから、という思い出補正が大きい。
  18. 新井輝ROOM NO.1301』(2003年)
  19. 桜庭一樹『赤×ピンク』(2003年)
  20. 海原零銀盤カレイドスコープ』(2003年)
  21. 桜坂洋ALL YOU NEED IS KILL』(2004年)
  22. 米澤穂信さよなら妖精』(2004年)
  23. 奈須きのこ空の境界』(2004年)
  24. 近藤信義『ゆらゆらと揺れる海の彼方』(2004年)
  25. 中村恵里加ソウル・アンダーテイカー』(2005年)
  26. 扇智史『アルテミス・スコードロン』(2005年)
  27. 山形石雄戦う司書』シリーズ(2005年)
  28. 新城カズマサマー/タイム/トラベラー』(2005年)
  29. 友桐夏白い花の舞い散る時間』(2005年)
  30. 周防ツカサ『ユメ視る猫とカノジョの行方』(2006年)
  31. 水瀬葉月『ぼくと魔女式アポカリプス』(2006年)
  32. スズキヒサシ『タザリア王国物語』(2006年)
  33. 林トモアキ戦闘城塞マスラヲ』(2006年)
  34. 竹宮ゆゆことらドラ!』(2006年)
  35. 木ノ歌詠『幽霊列車とこんぺい糖』(2007年)
  36. 一柳凪『みすてぃっく・あい』(2007年)
  37. 清野静時載りリンネ!』(2007年)
  38. 森橋ビンゴ『ラビオリ・ウエスタン』(2007年)
  39. アサウラ『バニラ』(2007年)
  40. 師走トオル火の国、風の国物語』(2007年)
  41. 杉井光さよならピアノソナタ』(2007年)
  42. 藍上陸アキカン!』(2007年)
  43. 葉鳥哲『この広い世界にふたりぼっち』(2008年)
  44. 平坂読ラノベ部』(2008年)
  45. 伏見つかさ俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2008年)
  46. 十文字青『ぷりるん。』(2009年)
  47. 壁井ユカコクロノ×セクス×コンプレックス』(2009年)
  48. 本田誠空色パンデミック』(2010年)
  49. 耳目口司丘ルトロジック』(2010年)
  50. 日野一二三『A=宇宙少女^2×魂の速度』(2010年)
  51. 南井大介『小さな魔女と空飛ぶ狐』(2010年)
  52. 比嘉智康神明解ろーどぐらす』(2010年)
  53. 玩具堂子ひつじは迷わない』(2010年)
  54. 広沢サカキ『アイドライジング!』(2011年)
  55. 高木幸一『俺はまだ恋に落ちていない』(2011年)
  56. 宇野朴人天鏡のアルデラミン』(2012年)
    • この時期の選出が少ないのはお金が無くてラノベから離れていたため。かわりにWeb小説を読み漁っていた。
  57. 石川博品『ヴァンパイア・サマータイム』(2013年)
  58. 佐藤ケイ『魔女は月出づるところに眠る』(2013年)
  59. 青葉優一『王手桂香取り!』(2014年)
  60. 出口きぬごし『サディスティックムーン』(2014年)
  61. 田吉孝『夏の終わりとリセット彼女』(2014年)
  62. 稲葉義明『ルガルギガム』(2014年)
  63. Gibson銀河戦記の実弾兵器』(2014年)
  64. 雨木シュウスケグリモアコートの乙女たち』(2015年)
  65. 鳩見すた『ひとつ海のパラスアテナ』(2015年)
  66. 椎田十三いでおろーぐ!』(2015年)
  67. 白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』(2015年)
  68. あわむら赤光『我が驍勇にふるえよ天地』(2016年)
  69. 久遠侑近すぎる彼らの、十七歳の遠い関係』(2016年)
  70. 川原礫絶対ナル孤独者』(2016年)
  71. 神野オキナ『EXMOD』(2017年)
  72. 長谷敏司『ストライクフォール』(2017年)
  73. 河野裕『ウォーター&ビスケットのテーマ』(2017年)
  74. 羽場楽人『わたしの魔術コンサルタント』(2017年)
  75. 杉原智則『叛逆せよ! 英雄、転じて邪神騎士』(2017年)
  76. 紙城境介『継母の連れ子が元カノだった』(2018年)
  77. 松屋大好『無双航路』(2018年)
  78. 酒井田寛太郎『ジャナ研の憂鬱な事件簿』(2018年)
  79. 西条陽『ランダム・ウォーカー』シリーズ(2018年)
  80. 黒留ハガネ『世界の闇と戦う秘密結社が無いから作った(半ギレ)』(2019年)
  81. まきしま鈴木『気ままに東京サバイブ。』(2019年)
  82. リュート『目覚めたら最強装備と宇宙船持ちだったので、一戸建て目指して傭兵として自由に生きたい』(2019年)
  83. 遠藤浅蜊『帝都異世界レジスタンス』(2020年)
  84. 不手折家『亡びの国の征服者』(2020年)
  85. 理不尽な孫の手『オーク英雄物語』(2020年)
  86. 二月公『声優ラジオのウラオモテ』(2020年)
  87. 芝村裕吏『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』(2020年)
  88. ヰ坂暁『僕は天国に行けない』(2020年)
  89. Schuld『ヘンダーソン氏の福音を』(2020年)
  90. 之貫紀『Dジェネシス』(2020年)
  91. 紫大悟『魔王2099』(2021年)
  92. ロケット商会『勇者刑に処す』(2021年)
  93. 依空まつり『サイレント・ウィッチ』(2021年)
  94. 野井ぷら『12ハロンのチクショー道』(2021年)
  95. 有丈ほえる『ブービージョッキー!!』(2022年)
  96. 甘木智彬『第七魔王子ジルバギアスの魔王傾国記』(2022年)
  97. トルトネン『ハイセルク戦記』(2022年)
  98. 七篠康晴『ダンジョンシーカーズ』(2023年)
  99. 荻原数馬『異世界刀匠の魔剣製作ぐらし』(2023年)
  100. Syousa.『あなたの未来を許さない』(2023年)

ライトノベル・オールタイム・ベスト100を考える

オールタイムベストって「自分が好きな作品」を選ぶか「客観的に重要な作品」を選ぶかでかなり性質が違ってくると思うんですが、そもそも「自分が好きな作品」なら毎年の個人的ベスト10をまとめればいいだけだし、「客観的に重要な作品」を選ぶならアニメ化リストを見ながら売れてそうな作品を選ぶだけなので、あんまり面白くないんですよね。

と思いつつ、まあ何事も経験だし、いったん100作品挙げてみるか、ということでリストアップしてみました。大変でした。

いや100作品って中途半端なんですよ。まずパッと思いつく作品を並べてみたら60作品くらいだったんですよ。んで気合を入れて候補をリストアップしたら140作品くらいになったわけですよ。だからもう極端に言えば「同率61位が80作品ある」みたいな感じなんですよね。今日寝て明日起きたらぜんぜん別のリストを作っているかもしれない。その程度のものです。

ちなみに私がリアルタイムで知っているのはだいたい2000年以降です。それ以前の作品は、先達のラノベ語りを聞いて、そこでよく出てくる作品とかを並べているだけだと思ってください。

あと、個人的な信条として、少女向けやライト文芸も含め、ラノベの定義をなるべく広く取ろうとしています。

なろう系は本当に網羅しようと思ったら数が多すぎるので「悪役令嬢」とか「追放もの」とか「クラス転移」とか「グルメもの」とかそういった小ジャンルの代表を選んでいるような感覚です。

もっと「自分が好きな作品」も入れたかったんですが、どちらかというと「客観的に重要な作品」だけで一杯になってしまっています。

そういった意味でも、全体的に選出基準にムラがあって、かなりバランスが悪いリストだと思っているんですが、リスト作成に費やした時間がもったいないので記事にします。このリストが完璧だとはまったく思っていません。と言い訳しまくっておきます。

というわけでそのリストです。

  1. 時をかける少女(1967年)
  2. ウルフガイ(1971年)
  3. ねらわれた学園(1973年)
  4. クラッシャージョウ(1977年)
  5. グイン・サーガ(1979年)
  6. 星へ行く船(1981年)
  7. 銀河英雄伝説(1982年)
  8. キマイラ(1982年)
  9. 吸血鬼ハンターD(1983年)
  10. なんて素敵にジャパネスク1984年)
  11. 妖精作戦1984年)
  12. ロードス島戦記(1988年)
  13. 隣り合わせの灰と青春(1988年)
  14. フォーチュン・クエスト(1989年)
  15. スレイヤーズ(1990年)
  16. 炎の蜃気楼(1990年)
  17. ゴクドーくん漫遊記(1991年)
  18. 蓬萊学園シリーズ(1991年)
  19. 〈卵王子〉カイルロッドの苦難(1992年)
  20. 十二国記(1992年)
  21. 魔術士オーフェン(1994年)
  22. セイバーマリオネットJ(1995年)
  23. タイム・リープ(1995年)
  24. ブラックロッド(1996年)
  25. ブギーポップシリーズ(1998年)
  26. マリア様がみてる(1998年)
  27. フルメタル・パニック!(1998年)
  28. ラグナロク(1998年)
  29. 皇国の守護者(1998年)
  30. キノの旅(2000年)
  31. まるマシリーズ(2000年)
  32. 少年陰陽師(2001年)
  33. まぶらほ(2001年)
  34. トリニティ・ブラッド(2001年)
  35. イリヤの空、UFOの夏(2001年)
  36. 古典部シリーズ(2001年)
  37. 戯言シリーズ(2002年)
  38. GOTH(2002年)
  39. NHKにようこそ!(2002年)
  40. 灼眼のシャナ(2002年)
  41. 伝説の勇者の伝説(2002年)
  42. 涼宮ハルヒシリーズ(2003年)
  43. 撲殺天使ドクロちゃん(2003年)
  44. 彩雲国物語(2003年)
  45. 半分の月がのぼる空(2003年)
  46. 銀盤カレイドスコープ(2003年)
  47. されど罪人は竜と踊る(2003年)
  48. マルドゥック・スクランブル(2003年)
  49. 空の境界(2004年)
  50. ゼロの使い魔(2004年)
  51. とある魔術の禁書目録(2004年)
  52. 砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(2004年)
  53. All You Need Is Kill(2004年)
  54. レイン(2005年)
  55. 狼と香辛料(2006年)
  56. とらドラ!(2006年)
  57. “文学少女”シリーズ(2006年)
  58. 図書館戦争(2006年)
  59. バカとテストと召喚獣(2007年)
  60. ミミズクと夜の王(2007年)
  61. 俺の妹がこんなに可愛いわけがない(2008年)
  62. 生徒会の一存(2008年)
  63. とある飛空士への追憶(2008年)
  64. AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜(2008年)
  65. ソードアート・オンライン(2009年)
  66. IS〈インフィニット・ストラトス〉(2009年)
  67. 紫色のクオリア(2009年)
  68. まおゆう魔王勇者(2010年)
  69. ゲート(2010年)
  70. 悪ノ娘(2010年)
  71. 魔法科高校の劣等生(2011年)
  72. やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(2011年)
  73. デート・ア・ライブ(2011年)
  74. ビブリア古書堂の事件手帖(2011年)
  75. 魔弾の王と戦姫(2011年)
  76. 冴えない彼女の育てかた(2012年)
  77. オーバーロード(2012年)
  78. ニンジャスレイヤー(2012年)
  79. この素晴らしい世界に祝福を!(2013年)
  80. ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか(2013年)
  81. 青春ブタ野郎シリーズ(2014年)
  82. Re:ゼロから始める異世界生活(2014年)
  83. 転生したらスライムだった件(2014年)
  84. 無職転生(2014年)
  85. 薬屋のひとりごと(2014年)
  86. 異世界居酒屋「のぶ」(2014年)
  87. ようこそ実力至上主義の教室へ(2015年)
  88. りゅうおうのおしごと!(2015年)
  89. 乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…(2015年)
  90. ありふれた職業で世界最強(2015年)
  91. 君の膵臓をたべたい(2015年)
  92. ゴブリンスレイヤー(2016年)
  93. 弱キャラ友崎くん(2016年)
  94. 86-エイティシックス-(2017年)
  95. 真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました(2018年)
  96. お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件(2019年)
  97. わたしの幸せな結婚(2019年)
  98. 時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん(2021年)
  99. VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になってた(2021年)
  100. 誰が勇者を殺したか(2023年)

おまけで、リストからは泣く泣く外したけれども「自分が好きな作品」寄りの候補。

未アニメ化の定番名作。このラインの作品をリストアップしたほうが面白いのでは?と思わないでもない。

セックスあり青春ラノベの代表格。

最近思い出す機会があった。刊行当時にかなり話題になった鮮烈な作品。こういうのも入れたいよな。

ラノベにおける「無双」「俺TUEEE」の先駆けとしてエポックメイキングな存在だと思っている。

ある種の極北として非常に重要な作品だと思っているが同意が得られないのも理解している。

  • 幽霊列車とこんぺい糖(2007年)

砂糖菓子を入れるならこんぺい糖も入れたいじゃないですか。

2008年にすでに最高の現代ダンジョンものが出ていたという事実を噛み締めたい。

「日常系ラノベ」で選ぶならジャンルを確立した『生徒会の一存』は外せないんだよな、と思ってこっちを外しました。すみません。

やっぱり石川博品は入れておくべきなんじゃないですか。

  • 継母の連れ子が元カノだった(2018年)
  • ひげを剃る。そして女子高生を拾う。(2018年)

2010年代後半からのラブコメブームの初期の代表格として入れておくべきなのではと悩む。

「いいな」と思った最近のライトノベル表紙(2024年版)

なんとなく思い立ったときにやってみるコーナーです。本当に素人目で見たときの「いいな」なのでデザインの専門的な解説などはありません。作品内容の良し悪しとも関係ありません。

過去のやつ → 2017年版 2021年版

TS悪役令嬢神様転生善人追放配信RTA

TS悪役令嬢神様転生善人追放配信RTA 嫌われ追放エンドを目指してるのに最強無双ロードから降りられない

大きくて目立つ黄色い文字と、光り輝く熱狂感、そして主人公の不敵な笑み。まさにRTAのような勢いを感じます。一発で印象に残りますよね。

ジェノヴァの弟子

ジェノヴァの弟子 ~10秒しか戦えない魔術師、のちの『魔王』を育てる~ (ダッシュエックス文庫DIGITAL)

輝きならこっちだって負けてないぜ、とばかりにキラキラのビカビカ、タイトルロゴまで閃光エフェクトで飾られている。なんだかよくわからんがド派手すぎる。いやあ好きですね。

刻をかける怪獣

刻をかける怪獣 (角川スニーカー文庫)

これはタイトルロゴが好きですね。こういうデザインって何て言えばいいんだろ。何か言い方がありそう。キャラクターはわかりやすく『怪獣8号』なんですが、この太くて無骨なタイトルロゴによって異なる印象になっている気がします。

同い年の妹と、二人一人旅

同い年の妹と、二人一人旅 (MF文庫J)

横向き表紙で海のパノラマ感を出している。美しいですね。

竜殺しのブリュンヒルド

竜殺しのブリュンヒルド (電撃文庫)

下半分をバッサリ白くした大胆なデザインに、血のように真っ赤なタイトルロゴが鮮烈。作品自体がスマッシュヒットしたこともあって、ここ数年では最も話題になった表紙ではないでしょうか。

恋は暗黒。

恋は暗黒。3 (MF文庫J)

暗闇のなかで黄色い照明だけを浴びせたような二階調デザイン。濃い黄色で塗られることでむしろ「暗黒」を強く感じます。

冤罪執行遊戯ユルキル

冤罪執行遊戯ユルキル 上冤罪執行遊戯ユルキル 下

ノベライズ作品の表紙はやっぱり「ラノベとは別の文法」でデザインされていることが多い気がします。ロゴもゲーム用に作られているからめちゃくちゃ凝っているし。あとはまあ毎度のことですが清原紘の絵ヂカラが強い。そして単色背景が好き。

プラントピア

プラントピア (電撃文庫)

こちらも単色背景。しかもビビッドなピンク。タイトルロゴもフローラルに飾られていて端正ですね。

仕事が終われば、あの祝福で

仕事が終われば、あの祝福で

『エルデンリング』のノベライズ…というか、「エルデンリングのプレイヤーのノベライズ」として話題になった作品。現実のオフィスの窓から『エルデンリング』の黄金樹が見えている、という構図が印象に残るし、キャラクターも向こうを見ていて顔がわからない、というのも面白いです。

推しに捧げるダンジョングルメ

推しにささげるダンジョングルメ 01 最強探索者VTuberになる

Vtuberものは、表紙にシークバーをつけたり、アイコンを添えたりすることが多いんですが、この表紙も密かにウィンドウになってますね。作者名などが枠外にあるので、要素は盛り込まれているんだけどスッキリして見えます。遠近感のある構図が良くて、大きく口を開けたヒロインもすごく可愛い。

小説が書けないアイツに書かせる方法

小説が書けないアイツに書かせる方法 (電撃文庫)

日陰に立っているような暗めのイラストに、白黒のはっきりした太いタイトルロゴと真っ白な原稿用紙のコントラストがスタイリッシュですね。妙に現実感があるというか、写真にマンガキャラをコラージュしたような印象を受けます。

小鳥遊ちゃんは打ち切り漫画を愛しすぎている

小鳥遊ちゃんは打ち切り漫画を愛しすぎている (MF文庫J)

作中の一場面を切り取ったようなストーリー性の高い表紙イラスト。タイトルがフキダシになっているだけでなく、フチのところが漫画の原稿用紙になっているのも芸が細かいです。

大っっっっっっっっっっ嫌いなアイツとテレパシーでつながったら!?

大っっっっっっっっっっ嫌いなアイツとテレパシーでつながったら!?【電子特典付き】 (MF文庫J)

陰影のはっきりしたアニメっぽいイラストに、疾走感のあるタイトルロゴ。キックボードに乗って追っ手から逃げる主人公たちの動きが伝わるような、シンプルですけど作品内容をよく表したデザインですね。

ルチルクォーツの戴冠

ルチルクォーツの戴冠 -王の誕生- (DREノベルス)

デザインというよりは、単純にイラストが好きですね。光の差し込むステンドグラス。ルチルクォーツの王冠と首飾り。主人公のちょっと頼りなさそうな表情。作品のモチーフが詰め込まれていて、強く印象に残ります。

負けヒロインが多すぎる!

負けヒロインが多すぎる! 6 (ガガガ文庫)

いや、眼鏡っ娘が好きなので…。いまだにラノベ業界には「表紙に眼鏡っ娘を描いてはいけない」という無根拠で無思慮な不文律が残っているのですが、そうした非文明的な因習は駆逐していかなければいけないな、と思わされますね。

はじめてのゾンビ生活

はじめてのゾンビ生活 (電撃文庫)

こういった「写実性の高い美少女イラスト」は近年の一般文芸でよく見られるもので、というかイラストの雪下まゆは実際に『同志少女よ、敵を撃て』などの装画を手掛けている方なんですが、電撃文庫でこのタイプの表紙をやるんだ、というのが少し驚きでした。既成概念はぶっ壊していけ。

まだ「ラノベレーベルから出てるのがラノベ」とか言ってるの?

ラノベレーベルから出てるのがラノベ」論(以下「レーベル論」)、この明らかにトートロジーな言説が世間に広まったのは、とある横光三国志コラのせいだったと記憶しています(もちろんレーベル論自体はそれ以前からありましたが)。どこが初出なのかもわからないのでリンクは貼りませんが、そのセリフをいくつか引用してみましょう。

最初に断言しておきます。ライトノベルというのは文章の内容ではなくレーベルによる分類です! SFやミステリのような内容によるジャンル分けとは根本的に異なるのネ。

「ジャンル分けではない」というのは正しいですね。SF・ミステリ・ファンタジー・ホラーなどはジャンルの分類ですが、ライトノベルはさまざまなジャンルを含んだプラットフォームなので、コンテンツとしては「漫画」や「アニメ」などと横並びのカテゴリになります。ただし、「小説」という大カテゴリのなかではサブカテゴリ的に扱われている、というあたりがラノベ定義論のややこしいところなわけですが。

ライトノベルを漫画の『少年誌』に置き換えてみましょう。「バガボンドは少年誌か」答えはもちろんNOネ。質問の意味すら不明よ。「スラダンは少年誌か」質問が少しおかしいけど強いて答えればYES。スラムダンクは青年誌で連載しても通用する作品だったネ。でも実際連載してたのは少年ジャンプだったネ? だから分類は少年誌。内容が高尚だろうがスポーツ漫画だろうが関係ないのよ。

これはラノベを「少年誌」に置き換えることの妥当性が示されていません。たとえば、ライトノベルを『漫画』に置き換えてみましょう。「バガボンドは漫画か」答えはもちろんYESネ。と言っても比喩は成り立ちます。このコラの書き手は「大前提としてラノベは若者向けのコンテンツである」と認識しており、それが無意識的に「ラノベレーベルかどうか」の判定に反映されているように思えます。

ソノラマ作品はラノベ? 答はNOです。歴史的にも内容的にもラノベ的でありますが、当時はライトノベルという分類がありませんでした。だからラノベじゃないネ。同様の理由で90年代のスニーカーやファンタジアなんかにもラノベじゃない作品が混じってるけど、これは『ラノベの歴史』で改めて話すとするネ。

「同じレーベルでもラノベじゃない作品が混じってる」というのはレーベル論として破綻してますよね。ちなみに「ライトノベル」という呼称は1990年に生まれ、当時から「ソノラマやコバルトあたりの作品群」が想定されていました。よって「当初からライトノベルに分類されていたかどうか」という基準なら「分類されていたからラノベだ」と言えるし、分類の遡及を認めず「あくまでラノベという分類が生まれて以降に創刊されたレーベルに限る」とするならスニーカーや富士見もバッサリ除外しなければおかしい。まあ分類の遡及を否定する理屈もわかりませんが。

徳間デュアル文庫は迷ったんだけど除いたヨ。創刊当時はラノベ路線だったけど今はターゲット違うしさ。少女レーベルに関しても儂的には非ライトノベル。あっちの方が確固とした歴史があるしね。

今度は「ターゲット層の違い」に基準がすりかわっていますね。こうしてレーベルごとに別の基準を持ってきて都合よく除外するのがこのコラの書き手の特徴です。少女レーベルについても、先述したとおり「ライトノベルという分類が生まれたときに含まれていたか」であればYESのはずなんですが、またまた「確固とした歴史があるかどうか」などといった別の基準を持ってきています。

……とまあ、いくらでもツッコミができる代物で、コラが広まった当時から笑って見ていたのですが。

ただ、このコラの書き手は「どのレーベルがラノベレーベルか」を中途半端に決めようとしたからボロが出てしまっていますが、本来のレーベル論のキモはむしろ「どのレーベルがラノベレーベルかなんてぐだぐだ議論しなくたって分かるだろ」というところにあるわけです。すなわち、本当は皆だってわかってるだろ、ラノベレーベルのコアイメージは共有されてるだろ、少数の例外なんて無視すればいいだろ、細かい定義なんてしなくても伝わるだろという脳筋的なわかりやすさがレーベル論の良いところなんですね。

10年前ならまだそれでもよかった。ところが、現在のラノベではそれが通用しません。なぜなら「共通認識」が崩壊しているからです。

2010年代に入ってからライトノベル業界は爆発的に拡大して「新文芸」や「ライト文芸」といった領域に進出していきました。

「新文芸」は*1、簡単に言えばWeb小説を書籍化したもののことです。おおむねライトノベルとして扱われることが多いですが、四六判やB6判の大判サイズで刊行されていること、そのため書店での売り場が違ったりすること、また読者層も違ったりすることで、ライトノベルと見なされないこともあります。

また、『オーバーロード』『幼女戦記』などのようにレーベルのない「単行本」として刊行されている新文芸や、「電撃の新文芸」のようにレーベルなのかどうか怪しい*2新文芸も多かったりします。『佐々木とピーちゃん』のようにレーベルは「MF文庫J」だけどB6判で刊行されているなんてケースも。

かつては「ライトノベルは文庫レーベルから出る」と決まっていたからレーベル単位で括るのが便利だったわけですが、「レーベルから出るとはかぎらない」「レーベルの存在が曖昧になっている」となるとその利点も薄れてしまいます。

ライト文芸」は、簡単に言えば、書店の一般文芸コーナーに並んでいるライトノベルのことです。「ライトノベルのことです」と言いましたが、「ライトノベルではない」と言う人もかなり多いです。アンケートを取ったらYES/NOが半々くらいになるんじゃないでしょうか。まさに「共通認識」の崩壊です。

ライト文芸は、(少年・少女向け)ライトノベルと一般文芸の中間のカテゴリー、と言われることが多いですね。当初はライトノベル編集部が一般文芸に殴り込んで作ったエリアでしたが、そこに衰退した少女向けラノベが避難してきて、一般文芸からも参入があり、ケータイ小説からの流れもあって、そうして現在の「ライト文芸」が出来上がっていきました。そのためライト文芸自体の境界が曖昧で、まだまだ議論が足りていないところではあります。

昔なら、*3少なくともレーベルとしてはラノベレーベルではない、とされることが多かった講談社ノベルスハヤカワ文庫JAなども、今なら「ライト文芸レーベル」として見られてもおかしくないのではないでしょうか。

いまやライト文芸は巨大なカテゴリになっていて、それをラノベに含めるかどうかで「ラノベ語り」の結論がまるきり変わってくる、というレベルに達しています。決して「少数の例外」と切り捨てられるものではありません。

さて、新文芸やライト文芸ライトノベルなのでしょうか? それは「議論しなくても分かる」問題でしょうか?

申し添えておくと、「新文芸」や「ライト文芸」は出版社が提唱したカテゴリです。一方で「ライトノベル」は読者が提唱したカテゴリです。つまり出版社が「これはライト文芸ですよ」と主張したからと言って、それが「ライトノベル」でなくなるとは限りません。出版社から見た「ライト文芸」が、読者から見て「ライトノベル」であることだって十分にありえるわけです。

以上、長々と話を続けてしまいましたが、「ラノベレーベルから出てるのがラノベ」じゃ済まなくなってるのが現在のライトノベル業界なんだよ!というところだけ理解していただいて、今後とも実りあるラノベ定義論を続けていけたらと思います。よろしくお願いします。

*1:ネーミングセンスがないことに定評があるKADOKAWAが提唱した概念なので分かりづらいですが

*2:当初は電子書籍サイトでもレーベルとして登録されていなかった

*3:個々の作品がライトノベルとして見られることはあっても

「一般文芸」とは何か?

「一般文芸」という不思議な言葉がある。出版業界用語の一種で、普通の辞書には載っていない言葉である。ラノベ業界においては「ラノベ以外の小説」という意味で使われることが多いが、別にラノベ発祥というわけでもない。よく本を読む人でも「そんな言葉は知らなかった」ということも多いだろう。明確に定義されているわけではないし、誰が言いはじめて、いつから使われているのかもわからない。

しかし、いまや我々はインターネットだけで明治以降のさまざまな書籍を全文検索して用例を調べることができる。そう「国立国会図書館デジタルコレクション」である。ありがたやありがたや。というわけで「一般文芸」について検索してみよう。


検索できるかぎりにおいて、おそらく最も古いのが1892年(明治25年)『哲学雑誌』内の一文である。

文學史といふ名稱は文學の歴史即ち「リテラツールグシヒテ」といふ意味なるべしと思ひしに此度の三書は文學史といふ名稱に就いて各其解釋を異にせり
增田、小中村の二氏は文學を以て一般文藝の意に解したりとみえ學校、學術、文字、文章、歌、詩、歷史小說の等の部門に分ちて各其沿革を述べたり

ここに挙げられた「此度の三書」の他の二書は「文学とは国語国文の種類・理論・及用法を攻究する学」だとか「文学史は言語の発達・思想の変遷を語るものなり」としており、それに対して増田・小中村は「文学」を「一般文芸」の意味と捉えてその沿革を述べている、というようなことが書かれている。ここでの「一般文芸」は「和歌」「詩」「歴史小説」などの「文芸作品全般」の意味だと考えていいのではないか。

次に1901年(明治34年)『國學院雜誌』

吾人は儒教道教等の漢學講究と共に、佛教々義の國民間に於ける進歩の狀態を明かにし、一般文藝の發達を知りて以て人麿以下の歌人の現れ來る所以を詳かにせんと欲するもの

この論説は、「儒教道教」「仏教」「一般文芸」などが柿本人麻呂などの万葉集歌人たちにどう影響を与えたのかを研究すべきだ、という話のようで、つまり、ここでの「一般文芸」は和歌以外の「文芸全体」の意味だと思われる。「ラノベ以外の小説」を一般文芸と呼ぶ用法に近いのではないか。

その他の用例を見てもだいたい同様のようである。つまり「一般文芸」とは昔から「文芸全般」「文芸全体」という意味で使われており、特に「あるカテゴリーをテーマにして語っているときのそのカテゴリー以外の文芸全体」を指すことが多い、ということである。


だが、そもそも「文学」や「文芸」とは何を指しているのか。

もともとの「文学」とは「武」に対する「文」であり「書物を用いて行う学問」の意味だった。時代が下るとそれが「詩学」「言語学」「修辞学」「史学」などの書物を研究する学問のことに限定されていった。一方で「文芸」は「文学に関する技芸」という意味でしかなかった。

現在の辞書的な意味での「文学」とは、「言語によって表現された芸術作品のこと」で、小説だけでなく詩やエッセイや評論などが含まれる。そして「文芸」は「文学」と同義である。

「文学」は大きく二つにわけられる。芸術性を追求した「純文学」と、娯楽性を重視する「大衆文学」である。たとえば芥川賞は純文学の賞、直木賞は大衆文学の賞であり、ライトノベルは「大衆文学」に分類される。

ところが、現代で「文学」と言えば、何故か「純文学」を指すことが多い。ほとんど「純文学」の略称になってしまっている。

たとえば「ライトノベルは文学か?」と問われるとき、それは「ライトノベルに芸術性は存在するか?」という意味なのである。

さらにややこしいことに、多くの人は「純文学」と「大衆文学」の区別が付いていない。なので「芸術性を追求した文学と、娯楽性を重視するライトノベル」のような捉え方をして、「ラノベ以外の小説」を「文学」と言う人もいる。酷いときには「ラノベ以外の小説」という意味で「小説」と言うことさえあるのだ。


書店では「文芸書」というコーナーが設けられていることが多い。「文芸書」とはこれまた曖昧な呼称だが、これは実用書や学術書などではなく、コミックや児童書でもなく、文庫でもノベルスでもない、つまり往々にして単行本の小説や詩・エッセイが置いてあるコーナーである。

出版社のほうもそれに合わせたのか、単行本の小説のことを「文芸書」と分類していることがある。

たとえばKADOKAWAの公式サイトでは「文芸書」と銘打って単行本の小説がずらっと並んでいる。
文芸書 | KADOKAWA

講談社では「文芸(単行本)」としてカテゴライズされている。
文芸(単行本) 作品一覧|講談社BOOK倶楽部

おそらく「文学」と書くと純文学、すなわち芸術的な小説のように思われてしまうので、「文芸」と呼んでそれを回避しよう、という意図もあるのだろう。つまり「文芸」が「大衆文学」の意味に近づいていっている。

辞書的には「文学」と「文芸」は同義だと言っても、現場レベルでは微妙に使い分けられ、異なる意味を持っているのである。


そしてラノベ業界では「文芸」と言うだけでも「一般文芸」を指すことが多い。「文芸」と「文芸書」と「一般文芸」を意識して使い分けている人はあまりいなさそうだ。

ラノベは文庫書き下ろしであることが多い(多かった)ので、もとから書店の「文芸書コーナー」には置かれておらず、そのため「ラノベ以外の小説=文芸」という印象が強いのだろう。そもそも「ラノベ以外の小説」を指すのが「一般文学」ではなく「一般文芸」であるのは、そうしたところも影響しているのかもしれない。

たとえば「ライト文芸」は、書店でのラノベの棚が満杯になってしまったので、一般向けの文庫棚にラノベを進出させようとしたものだし。「新文芸」は、Web小説の書籍化の多くが単行本(大判)サイズだったので、書店で置かれる棚がまちまちになってしまい、そこで新しい名前を与えることで新しいコーナーを作ってもらおうとしたものだ。そこには「文芸」を名乗れば既存のラノベコーナーには置かれないだろうという意図もあったのではないか。

ともあれ、「一般文芸」はこの混沌極まる出版業界において「ラノベ以外の小説を漠然と指し示したい」という需要から使われているものであって、実際のところ個々人によってその認識する範囲は微妙に違っているのだろうと思う。


結論。出版業界はもうちょっとカテゴリーを整理しろ。