Emu’s blog

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よくある日記

初めてのヌンヌン的な

アフタヌーンティーとやらが日本で流行り出したのはいつ頃なんだろうか。イギリスの文化だと思うけれど、詳しくは知らない。紅茶などを飲みながらスコーンやケーキ、サンドイッチなどの軽食を楽しむ習慣のこと、だと思っている。日本だとちょっと良いカフェやホテルで提供される豪華なデザートを、美味しい紅茶などと一緒にいただくプチご褒美イベントだよね。

流行り出した当初は、あんまり乗り気ではなかったけれど、一度体験してみたいと徐々に思っていた。けれども、人前で優雅に時を過ごすのは会食恐怖的な意識が若干ある私には厳しい。というわけでホテルのお部屋でいただけるアフタヌーンティー的なのないかな!と探したところ、めちゃくちゃ手頃な値段で泊まれる上にデザートがついてくるホテルを見つけたので行ってきた。

 

Youtubeなどで予習をばっちりしてワクワクで向かった。場所はよく通る道の側だった。チェックインの機械がおそらく故障中でチェックインにやや時間がかかったものの、スタッフの方の丁寧な対応に癒され、無事チェックイン!お部屋はあえて載せない。写真を撮るのが面倒だったのは内緒。デザートは15時チェックインでおやつ時間に丁度良かったので、すぐに用意をしていただいた。用意をしてくださった外国人のお姉さまの接客がとても素敵で癒された。笑顔が最高です。紅茶選びに迷いまくって時間かかったのににこにこで待ってくださってありがとう。

 

紅茶はティーバッグのもので数種類の中から選ぶことができ(コーヒーもあったよ)、それとは別にウェルカムドリンクとしてストロベリーの飲み物がついてきた。甘かったけど美味しかったな。欲を言えば種類は選べなくていいから茶葉の紅茶がよかったな。

 

抹茶が苦手でチャレンジしてみようと思ってたけど、やっぱり無理!となったので恋人に全部食べてもらった。笑 一番上が苺を使ったスイーツで、一番下は甘くないセイボリー的なものだった。苺のスイーツはどれも美味しくて、私は白っぽいお菓子が気に入った。セイボリーで気になったのはガスパチョ。酸味と塩気のパンチが効いていて甘そうな見た目とは違ってかなり刺激的で意外だった。あとカプレーゼは苺とチーズとバジルの組み合わせってどうなんだろうと思っていたけど意外に美味しかった。高級なアフヌンのデザートと比較すると見劣りしてしまうけれど、これはただでさえ安価な宿泊費の中に入っているサービス。と考えるとめちゃくちゃすごい。ほんとにすごかった。お部屋も広くて綺麗だし、ベッドもキングサイズだったし、お風呂も広くて最高だった。あとナイトウェアがあるのもポイント高い。だから記念日とまでいかないにしても、プチご褒美みたいな感じで利用するのが正解だと思う。普段使いしても問題ない価格帯だし。あ、でもたまたま安いだけだったのかな。

 

周囲の飲食店はそこそこ高めのお店が多かった印象。私たちはうどん居酒屋さんに行きました。ちょっと高めだったけどうどんが美味しかったのでヨシ。

農作業ばかりの日々で気が滅入っていたけど、良い感じにリフレッシュできてよかった。書ききれないほどの彼の気遣いによってこのリフレッシュは成り立っています。いつもありがとうございます。

 

初めてのヌン活だった(厳密にはこれはアフタヌーンティーではないらしい。ホテルの公式にはアフタヌーンティーの文字はどこにもない)けれど、個室で周囲を全く気にしなくて良かったので優雅さとは程遠い感じでスイーツをパクパク食べてしまった。まあ、いっか。

また今度ヌン活をするときは、おうちでやりたいなーと考えている。何種類も作るのは大変だしアホみたいなんだけど、そういうアホみたいなことをやるのが豊かさなので。サンドイッチとスコーンは絶対に用意する。紅茶も良いものを用意しよう。

「猫が家に転がりこむ」

 正確には拾った。多分。まあ怪しくはなかった。だって知り合いの友達で顔見知りだったから。その知り合いに絶大な信頼を置いていたので、警戒することを忘れていたのかもしれない。

 拾ったとき、猫はとにかく震えていた。寒さにではない。おそらく病によって。そんな気がした。可哀想という感じではなかった、私は震える様子になんだか呆れてしまった。

「ああもう」

 思わずそういって家の中に彼を入れた。彼は玄関前にいたのだ。視界に入れざるを得なかったし、ここで追い払えるほど私は人ができていなかった。猫はしばらく黙ったまま、私がコンビニで買ってきたご飯を見ることもなく俯いていた。震えは一時的に収まっている。

「あのね、君」

 うんざりした私は仕方なく口を開く。

「君の目、汚れているよ」

 猫は驚いて思わずこちらを見る。

「なんで……」

甲高い声だった。あ、なんかイメージと違った。私は少しだけ可笑しくなってしまう。

「そのうち君にも分かるよ。いいからご飯食べて」

 出会い方を間違えた気がしたけれど、こういう関係に正しいも間違いもない気がした。それから私たちは共同生活を始めたのだけど、普段猫はほとんど家にいなかったし、お金はかからなかったので、部屋に自分以外のものが棲んでいることにあまり気にならなくなっていた。

 猫は女癖が悪かった。というか悪い感じがした。始めからそういう予感はあったのだが(しかしその予感が容姿によるものであまりにも偏見だったので考えないようにしていた)、実際そんな勘だけは当たってしまうらしい。帰宅時に連れ帰ってくる香水の香りは毎回違うし、私の前でも平気で電話をしているため、相手の子が複数人いることはよく分かっていた。どういう関わり方をしているのかまでは分かりかねるので、複数人と関係を持つことがそのまま悪いことであるという認識を持つこともできなかったが、まあ「女癖が悪い」という表現でいいと思う。ただそういう話を家でしたことはなかった。女性関係についてはそこまで興味の持てる話でもなかったし、私は私で恋人に事情を説明し、理解を得ることに苦労していてそれどころではなかったからだ。

 猫と私が一緒に寝ることはなかった。そういう関係でもないし、猫は私に拒まれていることを察知していた。私は彼の例の病が治るまでは絶対に嫌だった。彼がなぜ常に女の子と連絡をとっているのか理由は分かっていた。というか、あの震えを見たときから見当はついていた。彼は出会った頃に私が言った言葉を覚えているのだろうか、分からない。優しくするでもなく、厳しく接するでもなく、私はとにかく猫とたまに同じ空間にいて、同じ時間を過ごしていた。私といても楽しそうでもないのに猫はなぜか家から出て行かなかった。

「あの」

 あるとき、猫がよそよそしく話しかけてきた。

「なんでしょう」

「なんでそんなに僕を信じていられるの」

「……信じているわけじゃないかもしれない。ただ傍観しているの、趣味が悪いでしょう」

「そうかあ。でもさ、目は誰でも汚れているはずなのに、どうして僕にだけあえて言ったんだ?」

「ああ、覚えてたんだ。君は人を巻き込んでいるからね、私にまで及んでいるわけで」

「たしかに。でも、家を出ればいいわけではないでしょ」

「そう。君の震えが治ればいいと思ってる」

「それは、そういう性質だもの」

「思い込みだったらどうする?」

 会話はそこで途切れる。

 それから変わることなく生活を続けていたけれど、若葉の光る季節に猫はいなくなった。彼の震えが止むのを見届けられなかった私は、なんだかいたたまれなくなって、引っ越した。説教はしたくなかったし、絶対に正しい答えを持っているわけでもなかった。だから、傍で見ていることしかできなかったのに、なんだかやるせなかった。同じ猫は二度とやってこないのに、そんなことばかりの日常になっていた。私の目も汚れている。けれど、季節の円環は美しくて、自分一人で世界を壊すこともできなくて、何かが愛おしいあまりに正しくない出会いを繰り返すのだった。謎。

認知し、言語化することの難しさ

最近コミュニケーションが上手くいかないと感じることがある。受け手が意図を読み取れないという問題は相手側の問題であるからさておき、はたして自分の思っていることをこの表現で伝えきれているのだろうか、という疑問が書くたびに(話すたびに)起こっている。もちろん読み手や受け手によって表現を変える必要はあるし、文脈的に短い言葉で伝わったなと感じる経験もあるため、絶対にこれで伝わるという確証が得られないのは分かりきっているが、少しでも誤解されることは減らしたいと思う。

私は自覚として会話中に自分の考えをまとめて話すことが苦手だ。すぐに思いをまとめられないし、そもそも話題を思いつくのも苦手なため、初対面の人にしてみれば話しにくい人だと思うだろう。だから手紙という形式で話すことも少なくないのだが、最近手紙でも苦手意識があることがわかった。話題に関してはわりと思いつけるのだけど、手紙はLINEなどと比較すると、結構な時間を空けてやりとりをするものだから、どんな文脈でやりとりしていたかを思い出せなければ、話を続けることができない。そういうわけで、どんな話をしていたかを詳細には覚えておらず、病気の症状として焦燥感がある中で前の手紙を注意深く見返すこともできずに返事を書いてしまい、相手を嫌な気持ちにさせてしまうことが最近あったので猛省している。(ただ、深く反省はしたものの今後失礼のないように書こうとすると、ハードルがかなり上がってしまい返事を書けなくなってしまった。どうしよう。話はしたいのだけれど)

ただこういった問題は、私だけが抱えているものではないと思う。とりわけ自分の感情を誰かに説明するのはどんな人であってもかなり難しいと思う。なぜなら人はバイアスの全くない状態で物事を見ることができない、つまり自分の認知がしっかりしているかも怪しく、単純な説明能力の問題として片付けることが困難だからだ。例えばこれは女性あるあるだが、PMSによるイライラを、「今抱えている問題が解決しないからイライラしているのだ」と原因を取り違えることがある。その状態で会話をしようとしても、怒りの矛先が違ったところに向いてしまう。この場合は認知が違っているので、自分の状況を話そうとしても正しくはない説明になる。

そして認知の問題が解決したとしても、次に説明する際の問題が浮上する。例えば認知行動療法のように現段階で感じられる複雑な感情を外在化する流れとして、感じられるだけの複数の感情を記述してみて、状況説明に利用したとしても、相手が想像の中でその観念を再現することはかなり難しい。具体的には、「怒りと悲しみと呆れのような3つの感情が7:2:1の割合で今起こっている」と説明されても、相手からすれば結局それってどういうこと?となる。感情の説明として結局どんな出来事でそうなっているのか背景を話す方が伝わる場合が多い。相手に適切に思いを伝えることは、本当に難しいのだ。自分の言葉遣いが誤っている可能性をまず潰さなければならない(これすら完璧にはできない)し、相手や状況に合わせて語彙を変える必要もある(よく知らない相手に対してはこれも難しい)し、話題によっては図を用意した方が早いこともある。一度で伝わりきらないときは相手が何を理解していないのか相手から聞く必要がある。面倒といってしまえば関係はそれで終わってしまうところを、分かり合えないときは丁寧にじっくりと手数をかけてやりとりしたいし、しなければならないと思う。ただそうは言っても時間や体力には制約があるし、相手が望まなければ分かり合えないまま終わってしまうこともあり、ああ、悲しいなあとなる。

なんだか愚痴っぽくなってしまったけれど、最近難しいなあとよく考えるので、書いてみたくなったのでした。

 

2024.4.4

季節を感じたいならやはり自然のなか

洗濯物の乾き具合や日差しの暖かさなどから都会で微かな春を感じていた一方で、先週から一週間ほど田舎の山(祖父母の家)に滞在していたところ、疑いようもない春を体感したのでやっぱり自然はすごい、となった一週間だった。

まず花粉がすごい、いやでもこれは趣がないので割愛したいが、車が汚れるくらいに量がすごいので一応書いておく。作業をするにはマスクが必須だった。

そして鶯の鳴き声が美しく響いていた。もう練習の時期は過ぎているのだろう、下手な鳴き声は聞こえず、作業をしていると明瞭で美しい音色がどこからともなく聞こえてくるのだった。これはもう圧倒的に春だ。

それから山菜が育っているのを発見した。家の周りに生えているわらびは収穫してお味噌汁に入れた。春を感じる食卓。ふきのとうも先月大量に収穫して天ぷらにして食した。どちらもやや苦みがあるのが春っぽくて好き。

そして野山を歩いているとつくしがひょんひょん生えていた。こちらは食べられないけど(正確には食べてもそんなに美味しくないそう)、いつもなんとなく美味しそうな気がしてしまうので、見かけると美味しそうだなと思ってしまう。色や形が珍しくて可愛いよね。

都会では最近春の花としてミモザが台頭してきている気がする。オシャレな雑貨屋さんにはミモザグッズがある、気がする。ハンドメイド界隈でもミモザのグッズは多く見かける。嫌いではないし、どちらかというと好きな植物だが、なんか日本の春的じゃない気がしてしっくり来てなかった。

そんな時に山で見かけた花が菜の花、オオイヌノフグリ、大根の花だった。特に菜の花とオオイヌノフグリの可憐さは目を引くものがあり、日本の山の春!って感じがして「これだ!」となった。私にはこちらの花の方がしっくりくるし、以前デザインしていたオオイヌノフグリみたいなアクセサリーはやっぱり作ってみようと改めて思った。どの花も可愛い。

田舎で圧倒的春を感じて大満足な一週間だった。夏は田舎に行っても暑いし、いつもバテているので、夏らしさを体験する記事は書かないと思うけれど、季節を感じることって大事だなと改めて思ったので、感じたときは記述しておきたいと思う。

 

2024.3.22

「回想」

何度越えたって忘れてしまう命の連環が
日々に潜む陰鬱さに変わる

あの日干からびた生き物の叫びが
あの日切断された生き物の表情が
見えることなく僕らの糧に引き継がれている

逃れようと
一足踏みこんだ屋上の
突風は嘲笑いして
ほら足元のそれも君が選んだ命だといい
綿の枝は瞳の奥で揺れている

足はコンクリートのぬかるみに嵌って
じわじわ沈んでいく

このまま憂いに浸ることもできず
どうして日は差すのだろう

祈ることしかできなくなった僕は
生きる十字架を増やして
あの日砕けた沢蟹をようやく思い出した

夢の中で出られない迷宮、学校

私は今でも学生の頃の夢をよく見ている。そしていつも似たような展開になる。学校へ行こうとして忘れ物やトラブルが起こり、行けない夢。学校で次の授業に向けて教室を移動するのに、一人だけたどり着けない夢。何の暗示かよく分からないし、夢占いは興味もないけれど、どうして私はいつまで経っても学校から抜け出せないのだろう。もちろん仕事をしている夢も見るのだけど、夢の中では常に子どものままだ。人生の物語が学生の途中で切断されているため、精神的な成長が止まっているのかもしれない。

お茶の時間が好き

お茶といいながらコーヒーであることが多いのだけれど、とにかくほっとできる時間を午後につくることにしている。朝は豆を挽いてコーヒーを淹れるけれど、昼は活動しているため、専らインスタントコーヒーを飲む。説明書き通りの分量で作り、牛乳を加える。インスタントコーヒーには牛乳を絶対に入れることにしている。砂糖は気分で入れたり入れなかったりする。たまにキャラメルソースやココアを加えてスタバごっこをするのがお気に入り。

 

お金に余裕のあるときはハーブティーも買っていた。最近はあまり買えていない。ハーブティーブレンドの飲みやすいものを選ぶことが多いかも。

紅茶もたまに淹れる。チャイティーもスパイスから作る。冬場はキャラメルホットミルクも美味しい。キャラメルソースを砂糖から作り、牛乳と混ぜるだけだ。小鍋があればできるので気が向いたらつくっている。

 

今日はとうもろこし茶を淹れて飲んだ。ルピシアのとうもろこし茶が飲んだ中では一番美味しいのだけれど、入手しづらいので最近買った無印のものに移行中。でもルピシアがあったら迷わず買うと思う。

 

ごくたまに塩気のある飲み物が欲しくなるので、その時は梅昆布茶が活躍する。なかなか減らないので購入をためらうけど結局買っちゃうんですよね。

 

みんな普段どんな飲み物を飲んでいるのか知りたい。