からっと透き通った青空の下、等々力で観た準決勝2ndレグは一生忘れないだろうと思った。その日を経て、初めて観た決勝戦は、どんなものとも比べることのできない、苛烈な感情と記憶を植えつけられた試合だった。この先何があっても忘れるものか。
声というものはものすごい質量をもってまっすぐ前に進み、そして屋根に反響して、地面の下からも湧き上がるようなエネルギーに変わることを知った。試合前の独特の緊張をたたえた静寂のあと、雨の降りしきる中、数分にわたって鳴り響いた曲を忘れない。開始数分の翻るようなパスワークも、気迫のこもったスライディングも、見ている動きひとつひとつが身体に刻みつけられるようだった。あの日そこにいた3万人以上の人々が同じものを見て、ひとつひとつのプレーにこもった意味を理解していたし、あまりにも同じ気持ちだったから。自分の視覚情報がスタジアムの中で何倍も増幅されて身体の中にぶちこまれるような感覚があった。2つのゴールを叩き込まれても、それでも無我夢中で残りの45分に賭けたくて、他の可能性なんか要らなかった。
いつものようにぬるぬるした変則的なリズムで右サイドを駆け抜けてクロスを上げる人、ヘディングでゴールに叩き込む人のことが誇らしかった。人の声がどこまでも膨らんで、スタジアムが割れるんじゃないかと思った。91分に倒されて、VARチェックを待つ間は、本当に時間が止まったような、というか、少しだけ巻き戻して少しだけ進むのを繰り返すような、デジタル時計がつくる機械的な時間の中に全員閉じ込められたようだった。彼がプロ入りしてから初めてのPKが、よりによってこの決勝戦の舞台で、帰国を前にして花を背負わされるようなゴールキーパー相手に披露されるなんて。半泣きで見守ったPKがゴールを揺らし、はり裂けるような轟音の中で、前にいた人がふりむいた。定年を迎えたころの優しそうな男性だった。同行者はいなかった。この人はこれまでどんな時間を過ごして、どんな思い出があるのだろう。どんな思いで今日を迎えたのだろうか。
延長戦はもうなりふり構っていられなかった。また失点して、そして最後に追いついた。ふわっとしたスルーパスを受けて、ゴールキーパーと対峙して、シュートを打つ、ゴールネットが揺れるというひとつひとつの出来事が、それまでの時間からくっきり切り出されたように見えた。
チーム全員が円陣を組んだときはきっとスタンドの全員がその円陣に加わっているような気持ちだったと思う。いつもはじっと黙って観ている父が、立ち上がって大きな声で「頑張れ」と叫んでいた。この人もこんなふうに叫ぶのかと思った。
5本のPKは祈りでしかなかった。そのあと自分じゃ立てないくらいに泣き崩れて、表彰台の上でも目を覆って泣きじゃくっていた人の姿も忘れない。スタンドから全力の拍手が送られたことも。優勝した相手を見る人たちの背中を見ていたら、涙が止まらなかった。彼らを勝たせてあげたかったと思った。誇らしくて、応援していてよかったと思った。
この決勝の舞台でありとあらゆる感情を味わったし、書けていない瞬間や記憶からこぼれおちたものもあることがとても歯がゆい。そして、この日を過ごす前にはきっと戻れない。
本当はこんなに好きになるつもりじゃなかった。でも、好きにならずにいられない。