(10歳の誕生日)
2016年8月31日午後6時過ぎ。
アンジェロが天国へ旅立ちました。16歳と2ヶ月でした。
2年半ほど前に、副腎の病気から糖尿病になり、その後心臓や胆のうに影響が出て薬が
増えていきました。
亡くなる直前は、副腎、痙攣、心臓、胆のうの4種類の薬と時々膀胱炎等になって
抗生物質が増えたりしたこともありました。
目には赤いぽつっとしたものが出来て、目薬も。
なぜか目ヤニを拭くと怒るくせに目薬をさすとうっとり…最後まで笑わせてくれました。
糖尿病は朝晩インシュリンを注射。低血糖になるのを防ぐため注射前に、検査紙で糖が
出ているか検査してから、食事をさせ注射していました。
注射自体は問題ないのですが、亡くなる前何ヶ月は食事にかなり好き嫌いが出てきました。
アンジェロはとにかく小さいころから食事の時はがっついて食べていて、何でも食べて、
食事を終わらせるのが大変でしたが、最後の半年は食べさせるのに苦労しました。
糖尿病になってか1年近くは糖コントロールのドライフードをがっついて食べていましたが、
その後食べなくなり、ウェットに変えてみたけれどこれもしばらくして食べなくなりました。
仕方ないので、普通の犬のフードになり、それも食べなくなると、私が様子を見て作って
食べさせました。
何しろ、食事をしてくれないとインシュリンが打てません。
あれこれお肉や野菜を変えたりあの手この手で食べさせました。
食事を開始して、注射と薬を終えるまで1時間以上いつもかかっていました。
そして2年前からは目も白内障で見えず、足もだんだん弱ってきました。
夜中に起きてはクルクル回り、トイレやお水等を飲み、またまだ食欲があるころは
ご飯ちょうだいと要求したり、何度も起きては私も一緒に起きるため、そのうち
リビングに布団をひいて一緒に寝るようになりました。
それでも、副腎、クッシングの病気になってから1年くらいはクッシングの特徴のひとつである
毛が左右対称に抜けるという症状で背中真ん中から6㎝くらい、足先も毛がなくなって
しまっていたのですが、副腎の薬が良い感じに効き、毛は元通りになりました。
目が見えなくても、キッチンの水飲み場まで、時々ぶつかりながら行くものの、ちゃんと到着して
水を沢山飲んでました。
水飲み場までは亡くなる前日まで自分で行くことが出来ていました。
その度に「アンはちゃんとまだ一人で水飲みに行ける、すごいね。まだ大丈夫だよ!元気だ!」
とほめてあげていました。
糖尿病はお水を沢山飲みます。なので尿もたくさんします。
だんだんトイレも失敗が多くなり、ワンコのおむつを買ってつけたりしていたのですが
高くて枚数がないので、途中から人間の赤ちゃんのおむつに変えました。
たくさん入っていて吸収率もすごくて、海外でも人気があるのがわかりました。
足もだんだん弱り、コルクマットをフローリング部分に敷きました。
とても良かったです。立たせるととことこ歩くようになりました。
時々気候のいい時は、裏の公園に遊びに行ったり、匂いを楽しそうにかいでいました。
病院に薬を取りに行くときも、自転車の前かごに乗って大好きな病院に行き、
病院の床の匂いを嗅いでいました。アンジェロは病院が大好きだったんです。
時々具合が悪くなり、点滴や病院に行って、そしてしばらく小康状態を保つ。
そんな感じを繰り返した2年半でした。
痙攣は一番焦りました。
1年ちょっと前に初めて痙攣をおこし、それから薬を飲んでいたのですが
亡くなった月、8月も痙攣を夜の9時に起こしました。1年ぶりのことでした。
とにかく慌てないで、痙攣が起きた時間、どのくらい起きていたかメモし、
1分くらいの痙攣なら大丈夫と分かっていたので落ち着いて動画も撮りました。
そして9時半と10時近くにまた痙攣。いずれも1分くらいなので、このまま明朝を待って
いつもの病院でみてもらうか、夜間救急につれいていくか迷いましたが、3回目をの痙攣を
起こしたとき、連れて行こうと決心し、連れいていきました。
タクシーが捕まらず、自転車で30分以上…
夜間救急に連れいていくのは初めてでこちらも緊張していましたが、先生も看護師さんも
とてもてきぱきと優しくいたわってくれとても安心しました。
夜間料金もとても良心的なものでした。
そして血液検査の上、脱水症状を起こしていたので、点滴、家に帰って痙攣をおこしたときの
ために座薬、翌日主治医に見せるための処置報告書をもらい帰りました。
アンジェロもその頃は落ち着いた感じになりこちらも安心しました。
その時、夜間救急の獣医さんが、アンジェロの主治医のことを「こちらの先生、自分と友人
だとか知り合いとかではないのですが、とても優秀で細やかに見てくれてしっかりした治療を
される先生だということは聞いています」とおっしゃられ、それを聞いて私も安心しました。
翌日いつもの病院に行って、痙攣の薬が効きにくくなっているのかもということで
種類を変えるか、増やすか、それぞれのデメリットなども聞きましたが、結局いつもの
痙攣の薬を増やしてもらうことにしました。
亡くなる一週間前。なぜかこの週は食事の時にゆで卵を一つ完食してくれたので助かりました。
ひとつ80キロカロリー。140キロカロリー取れればいいので、残りはあれこれだましだまし
缶の流動食をシリンジで揚げたり、牛の生肉をあげたり。
どうしても食べてくれないときは、インシュリンを少し減らしたりして調整しました。
8月30日火曜日
この日は仕事でした。具合が悪そうというより、いつもの通り朝ご飯を食べたら、自分のベッドで
寝ていて仕事に行き、帰ったのは6時近く…
近所の友達が食欲がないアンジェロのために手作りの野菜のおじやと鶏肉のトッピングを作って
くれたのですが、残念ながら食べられませんでした。でもまた食べられる時があるからと冷凍庫に。
いつもの通りベランダに出して、血糖値の検査するためにベランダに出して、私が「ちっこちっこ」
って言いながらクルクル回り、出したおしっこで尿検査。
何も食べたくなさそうだったので、缶の流動食をシリンジで与えました。少し飲んでいたのですが
だんだん入らなくなっていったようで、口から出すように…。それでも薬はまだ食べられた
ささみのおやつにくるんで飲みました。
8月31日水曜日
朝なんとなく具合悪そうでしたがその日は病院がお休み。
他の病院に連れて行った方がいいのかどうか悩みましたが、行っても待って、検査して、
点滴や注射や…なんかもう可哀想で連れていけませんでした。
明日、いつもの病院に朝一で連れいて行こうと。
多分少しの予感があったのかもしれません。今日かもしれない。って。
食事もとれず、それでも水はシリンジで少しづつ飲みました。
友達がポカリスエットのようなものが良いとアドバイスしてくれてワンコ用の作り方を記載した
ページを送ってくれたのを元に砂糖と塩とお水を量って作りました。
昨晩からずっと水のような下痢をしていたので、その度に綺麗に拭いて、ポカリをその分
補給しました。
ゆっくりゆっくりシリンジで水分補給していたのですが、呑み込みが追い付かなかったらしく
寝かしてしばらくしたらコホッコホッとなったので慌てて抱き上げとんとんと背中を叩きながら
外の空気を吸わせてあげたくてベランダに出ました。
その時亡くなってしまうと思い、初めて「アンちゃんももういいよ、頑張らなくてもいいよ。
おじいちゃんが天国で待っているからアンもおじいちゃんのところでお散歩して待ってて」
と言いました。今までは何でもアンちゃん頑張ろう、頑張ってご飯食べよう、頑張って薬飲もう、
って言ってましたが、その時初めてそう言いました。
その時は落ち着いてベッドでまたすやすや寝だしました。
時々声も出して私を呼んだりもしました。そして下痢して水分補給して…
今日かもしれないという気持ちは半分。
まだまだこれまでもこのくらいのことあったから大丈夫という気持ち半分。
なので掃除したり、そのあいだアンジェロを見て息しているから大丈夫、
明日先生の所に行こうね、って声をかけたり抱っこしたり。
夕方落ち着いて見たらまた少し下痢をしていて、拭いてあげました。
そしてポカリを飲ませようとソファーに座ってアンちゃんを抱っこ。
もう、ずっと抱っこしていてあげようと思って、シリンジで一滴づつポカリをあげ、
1滴こくっ、2滴目こくっ。飲んでくれました。
そのあと、いつ亡くなったのかわからないくらい、すーと眠るように亡くなりました。
逝ってしまったんだとわかり、「アンちゃんありがとう。本当に頑張ったね、偉かったね」
何度も何度も褒めてあげました。
仕事中の夫にメールをし、アンちゃんの大好きだったみかんを買ってきてもらうように
お願いしました。
葬儀は、2日後の土曜日。
木曜日、金曜日とアンジェロと沢山話をしました。
結婚して実家からアンジェロを連れてきた時、母が大好きだったアンちゃんは何度も家から脱走しそうになったり、
それでも慣れて、夫がテレビを見ていると膝の上に乗ってくつろぐようになりました。
まだまだ楽しそうにおもちゃで遊んで
2年前までフルで働いていたので、アンジェロはいつもお留守番。ごめんね。震災の時もクレートの中でじっと帰りを待っていてくれました。
別の部屋までトイレに行く時はこの襖を鼻でくいって開けて行ってました。
ドッグランでも楽しそうに走って
10歳ちょっとまで通っていたチェリッシュさんでトリミングした後は大好きなオヤツを食べに田園茶房に寄ったり、
大好きな焼き芋も買いに行ったね。
一番大好きなひつじのぬいぐるみ。ぼろぼろになるまで遊んでは買っての繰り返しで7代目くらいまでいたかも。
顔バリなんても時もあったなぁ。
14才の誕生日の時、このとき一番毛が抜けていた。
16才の3月。最後の桜になりました。
もう注射や薬がなくても大丈夫。きっと天国では目も見えて駆けっこできるはず。
3年前に亡くなった父と、散歩しているだろう。
ただ眠っているようでした。でも魂はもうここにはない。このままずっとここでアンジェロを
寝かせておくことはできない…そう思いました。
そのせいか葬儀の時は自分でも思った以上に穏やかな気持ちで笑顔と涙でアンちゃんを
「いってらっしゃい、お母さん行くまでおじいちゃんと待っていてねと」見送ることが出来ました。
最後に目薬が大好きだったアンジェロに残った目薬をさしてあげたら、初めてすーっと涙のように
流れました。それがアンジェロの行ってきますの言葉だったのかもしれません。
老犬になって目も見えず、足がおぼつかなくて、注射、薬。大変ね、可哀想に…って言われる
こともありましたが、私はこの2年間、私は大変でもなかったし、アンジェロも可哀想ではなかった
と思ってます。
若いうちは外見も可愛く、色んなことがわかって、色んなことが出来ていた。
このブログを見返してみると、こんなこともしてた。出来てた。色々なところに行った。
本当に可愛かったです。
でも私にとって、アンジェロが病気になって亡くなるまでの2年半は一番可愛いと思え、
自分の人生の中でも充実した忘れることのできない2年半でした。
抱っこしていると時々全体重をかけてくれたアンジェロ。とても幸せに感じました。
亡くなってしばらくは夜中目が覚めたとき「アンちゃんがいない!どこ!」とか
夕方一目散に帰ってたのがゆっくりお店のぞいたりしていると急に「あ、早く
帰らないと!アンちゃんにご飯!」って焦ったり…買い物していてもお肉選ぶのも
「これなら食べるかな?」ってつい思ってしまったり。
もう家にはいないってわかっていても必ず「ただいまアンちゃん!ごめんね遅くなって」
と言いつつ部屋に入ります。
遅いワンよ~
そんな日々はまだまだ続くと思います。
でも虹の橋のたもとで私を待っていてくれている。
身体は亡くなったけれど魂はすぐそばにいると信じて自分も穏やかな日々を過ごしていきたい
と思っています。
お世話になった動物病院。何かお礼がしたくて、探していたところ素敵なもの見つけました。
病院は北欧風でリサラーソンの置物などが飾られているのですが、そのリサラーソンの
プードル。ちょこっと黒が入っているので黒プーということで贈りました。
病院が大好きだったアンジェロ。きっとすぐ何かあったら先生に診てもらえるね。
アンジェロと実際会って可愛がってくれたお友達、病状を気にしてくれていたお友達、
本当にありがとう。
糖尿病と戦っているワンちゃんたち頑張って!心よりお祈り申し上げます。
アンちゃんまたね!おじいちゃんとはなちゃんと待っててね。
お母さんペットロスになるかな?ううん、大丈夫。アンちゃんはきっとそばにいるから。
僕たちも見守ってるワンよ~
ありがとうアンちゃん、またいつか。