写真は恐山の宇曽利湖です。写真はネット上のものを拝借しました。雰囲気がよく出ていると思います(撮影者の方がわからず、恐れ入ります)。
宇曽利湖は火山の噴火でできたカルデラ湖で、水深の違いがある上に、そこに空の色が映って、湖面が七色に輝くと言われています。もちろん、日本にも世界にも、美しい湖は数多くあり、景勝地にもなっていますが、ただ宇曽利湖の美しさには、何か尋常ならざるものがあるような気が、私にはするのです。
「神秘的」と形容される湖は少なくないように思うのですが、私が宇曽利湖に感じるのは、むしろ「魔術的」と言いたくなる何かです。
宇曽利湖には「極楽浜」と呼ぶ白い砂浜がありますが、時々そこに、若い男性や女性が一人で坐りこんで、何時間も湖を見つめていることがあります(それほど多くはないが、中高年もいる)。一度、午前10時頃見かけた女の人が、夕方の4時に、同じ場所で同じ姿勢のまま、坐っていたのを見ました。
7,8年前だったと思いますが、参拝の方が、「湖の浜に変な人がいます、ずぶ濡れで歩き回っています」と、知らせに来ました。
急いで行ってみると、確かに若い男が全身びしょ濡れで右往左往しています。びっくりして、事情を訊くと、眼が痛くて開かないと言うのです。
「湖の水が目に入って・・・・」
宇曽利湖は湖底からも火山ガスが噴き出していて、水は強酸性です。それが目に入ったら、眼科で洗い流してもらっても、一週間近くは痛みが残るほどです。入った直後は、刺すような、焼けるような激痛です。
「君、まさか泳いだの!?」
「あの・・・、ずっと湖を見ていたら、なんだか歩いて行けそうな気がして・・・」
それで、つい足を踏み入れて行ったら、いきなり深みにはまって、溺れかけたらしいのです。運よく、やっとの思いで浜に戻れたものの、水に眼をやられて何も見えず、浜をふらふらと歩き回っていたわけです。
思うに、いかに神秘的な湖でも、他ではこうしたことはまず起きないでしょう。しかし、それが宇曾利湖だと起きる。ここが魔術的に思えるのです。
この、ある種異様な美しさは、何に由来するのか。
先に宇曽利湖は強酸性だと言いました。その結果、植物を含めて、ほとんど生き物がいません。例外として有名なのはウグイで、これが唯一の生き物と言うくらいです。しかも、湖に広範囲かつ多量に生息するわけではありません。
この動植物がほとんど生きられない環境が、湖水を非常に澄んだ清浄な状態にしているのです。それは言わば、死を湛えた美しさと言えるのではないでしょうか。この美しさが、我々の内側にある死を触発するように、私には思えてなりません。
死は、自分の外側ではなく、内側にあります。死は、我々に外から近づいてくるものでも、我々が近づいていくものでもありません。死は、我々が生きていると、その内部に育ってくるのです。
我々が「生きる」という言葉に実感を持ち、「生きる意味」「命の重さ」などという言葉が理解できるのは、死ぬからです。
生にかかる死の重力を、宇曽利湖は感じさせてくれる、そんな気がするのです。