ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
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              私の心にはいつもビートルズがいます。 ファンの人とは共に楽しみ、ビートルズを知らない人には興味を持ってもらえる、そんなブログを目指しています。 コメント・相互リンクはお気軽にどうぞ!

ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
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東京ヒルトン

Author:東京ヒルトン
ビートルズが大好きです。
中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
そこでビートルズ談義のできる場を! とこのブログを立ち上げました。
皆さん、よろしくお願いします。

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『パティ・ボイド自伝』を読んで

2021/05/17 14:15|書籍TB:0CM:0
前から気になっていたパティ・ボイドの自伝を読みました。
パティボイド自伝

このブログを読んでくださる方の多くはご存じだと思いますが、パティはビートルズの頃のジョージと結婚し、離婚後にエリック・クラプトンと再婚(後に離婚)した女性です。

モデル時代に映画『ハード・デイズ・ナイト』に女子高生役のエキストラとして出演した際にジョージと出会い、すぐに恋仲になって1966年に結婚しました。

この本では生い立ちから現在に至るまでが書かれていますが、もちろんジョージとの出会いからクラプトンとの離婚までに多くのページが割かれています。

パティの存在は知っていても、その人となりや生涯についてはほとんど知りませんでしたので、ロック界のレジェンド二人との恋愛と結婚、そして別れを振り返った本作はとても興味深い内容でした。

印象に残ったことをいくつかご紹介したいと思います。


1965年にパティはジョージと一緒にキンファウンスという家で暮らし始めます。キンファウンスは『ホワイト・アルバム』のデモ音源(通称イーシャー・デモ)が録音されたことで有名ですね。

キンファウンスの家の中にはいたるところにギターが置いてあり、ジョージは家の中で朝から晩までギターを弾いて曲作りをしていたんだそうです。

私にはこれが意外でした。

ビートルズの曲作りはもちろんジョンとポールの二人がメインです。ジョージはたまに曲を書いて、良いのができたらメンバーに聴いてもらうのだろうくらいに思っていたんですが、まだツアーやアイドル映画に出ていた1965年頃にはもう、ジョージは一生懸命に曲作りに励んでいたのです。

しかもジョンとポールは一緒に曲を作ったりするんですが、ジョージには声もかからないわけです。

自作曲を評価してもらえない不満をジョージが抱くのは、ビートルズ後期からだと思っていたんですが、きっともっと前から悔しい思いを募らせていたのでしょうね。


キンファウンスから1970年にフライヤー・パークに二人は引っ越します。この家はアルバム『オール・シングス・マスト・パス』のジャケットや「Crackerbox Palace(邦題:人生の夜明け)」のPVなどにも使われています。

フライヤー・パークは東京ドーム約3個分の広さの敷地に建つ邸宅で、当時の価格で14万ポンド(日本円で約1億2千万円)、今の物価に換算するとおよそ9億円の豪邸です。
フライヤー・パーク

ビートルズの活動が終了して、『オール・シングス・マスト・マス』をリリースしたこの頃のジョージは枯れた哲学者のような外見なんですが、暮らしぶりは贅沢だったようです。
オールシングスマストパス

ジョージはここで、ある時は瞑想にふけり、ある時はコカインを吸って仲間と大騒ぎをし、音楽関係者やクリシュナの信徒を招き、泊まらせ、居候させるようになり、お互いがどこにいるのかもわからないような広い邸宅の中で、パティは疎外感と孤立を深めていきました。

ジョージは包容力があって優しい一方、亭主関白で浮気が絶えず、キンファウンスに住んでいた頃から少しずつ亀裂が入っていた夫婦仲が、フライヤー・パークに引っ越してからさらに悪くなります。

この頃、ジョンはヨーコとの活動に没頭し、ポールはリンダと二人で農場に引きこもっていました。

ビートルズという枠が外れて、ジョンとポールの気持ちがプライベートへと向いたのに対して、ジョージの気持ちが外へ外へと向いたのは、ビートルズで三番手として抑圧されていたものが一気に溢れ出たからのような気がしますね。


さて、そんなパティの前に現れたのがエリック・クラプトンです。

クラプトンとパティが出会ったのは1960年代後半で、まずクラプトンが彼女に一目惚れしました。しかし親友の妻ですから気持ちを打ち明けることができず、1970年にパティにラブレターを書くのです。ジョージとの関係が次第に悪くなっていたパティは、クラプトンと密かに交際を始めます。

ですが、駆け落ちしようというクラプトンの誘いをパティが断ったことから関係はいったん終わりを迎え、傷心のクラプトンはその後3年ほどヘロイン中毒になりました。

と書くと、クラプトンはとても一途で純情な男性のようですが、パティに恋してヘロイン中毒になる間にも、同時進行でたくさんの女性と交際していました。その中にはパティの妹もいて、パティもそれを知っていて彼と交際していたのですから、このあたりは常人には理解しがたい心情ですね。

のちに二人は寄りを戻して結婚しますが、クラプトンは自分本位で周りへの気遣いがなく、ジョージよりも浮気がひどかったそうです。さらにヘロイン中毒から脱したクラプトンは、今後は重度のアルコール依存症に陥り、さらにツアーによる長旅などで安らぐことのない生活だったようです。


彼らとの生活を振り返ってパティは、ジョージとの愛は大きく穏やかで、手放したことを後悔していると書いています。一方、クラプトンとの愛は情熱的だったが心が休まらず、お互いのために離婚してよかったと思っているそうです。

なおクラプトンの名誉のために付け加えておくと、ヘロイン中毒とアルコール依存症を克服した現在の彼はとても真面目で、面白味がないのを不満に思うくらいらしいですよ。

ジョージとクラプトン

ジョージとクラプトン - コピー

ジョージとクラプトンとのエピソードを本にしないかという話を、パティはずっと断っていたんだそうです。

しかし、人生を一緒に過ごしてきた人達が病気や事故、あるいは自死でいなくなる中で、いま自分が生きていることが嬉しい、自分の人生が素晴らしいものだと思えるようになったので、彼女はこの自伝を出版したのでした。

なのでこの本の原題は『Wonderful Today』なんですね。もちろんクラプトンが彼女のことを歌った「Wonderful Tonight」のもじりです。

この自伝は単なるロック・スターの暴露本ではなく、ロック・スターに愛されて波乱の人生を過ごした女性が、自分の人生を見つめなおして自立する物語なのでした。
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ポールがライブ活動の終了を告げた

2021/02/20 16:30|ポール・マッカートニーTB:0CM:8
ネットニュースなんかでもほとんど取り上げられてないんですが、先日とても重大な報道がありました。

ポールライブ活動休止2
(@BeatleludeさんのTwitterより)

BBCのインタビューで、ポールが「ライブ活動はもうできないと考えている」と表明したのです。

新型コロナの世界的流行を理由にあげています。

現在ポールは78歳。

新型コロナが終息するのにあと1~2年かかるとして、それからツアーを企画して実際にライブを行う頃にはポールは80歳を超えています。

70代で「OUT THERE TOUR」「ONE ON ONE TOUR」「FRESHE UP TOUR」と世界ツアーを3回も行ったポールですが、いつできるかわからないライブを80代で考えるのは、さすがに無理だな思ったんでしょうね。

ファンとしては寂しい限りですが、キャリアの終わりはいつか来ることで、それが偶然に新型コロナの流行と重なったということなんでしょう。

振り返ると、ポールはずっと音楽の人でした。

ジョンもジョージもリンゴも人生の半ばで音楽から離れて、ミュージシャンとしての活動をしていない時期がありましたが、ポールはずっと途切れることなく音楽活動を続けてきました。

特にジョンが亡くなってからジョージが「Cloud Nine」をリリースするまでの80年代の大半において、音楽活動をしていたのはポールだけでした。

すでに解散しているビートルズのファンがリアルタイムなファンの気分でいられたのは、ひとえにポールのおかげだと思います。

そのポールもウイングス解散後の1980年からライブ活動をしなくなったので、「ビートルズのメンバーを生で見る機会なんて一生ないだろうな」と当時の私は思っていました。そんなことは夢か奇跡だと思っていました。

ところがポールは1989年に「GET BACK TOUR」でライブ活動を再開し、1990年には日本にもやってきました。

ポールに触発されたのかどうかわかりませんが、前後してリンゴとジョージもライブ活動を再開して、2人とも日本公演をしてくれました。

特にポールはライブでビートルズの曲を多数披露して、ビートルズファンを楽しませてくれました。

ビートルズが解散して、ジョンがいなくなり、ジョージがいなくなっても、ポールがずっと生のビートルズをファンに見せてくれていたのです。

そのポールがライブ活動を終えるにあたり、今は感謝の言葉しかありません。

このブログは日本語なので、ポールが読むことはないでしょうけど(笑)

ポールのおかげで夢のような体験をすることができました。

素晴らしいライブで楽しませてくれてありがとう。

そしてこれからもどうか健康で、素敵な音楽を私達に聴かせてください。

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映画「The Beatles: Get Back」本編クリップ映像の衝撃

2020/12/21 21:21|映画TB:0CM:8
ブログを始めた頃は週に2回更新していたのが、そのうち週に1回、2週に1回、ひと月に1回となり、今では半年に1回の更新ペースになってしまいましたが、見捨てずにいてくださる読者の方々には感謝でいっぱいです。

さてビートルズ来日記念の記事から約半年、ようやくの更新です。

この半年の間にも、ジョンとヨーコのダブル・ファンタジー展が東京で開催されたり、ポールが新作アルバムを出したりとそれなりに話題はあったんですが、ブログを書きたいと思うほど気持ちが高まらなかったんですよね。

それがですね、今回、私の気持ちが一気に沸騰しました。

新型コロナ流行のために公開が延期されていた映画「The Beatles: Get Back」の映像の一部が公開されたんですよ。

今回の映像公開について、ピーター・ジャクソン監督は「世界中のビートルズ・ファンの皆さんにホリデーのごちそうを贈りたかったので、近日公開予定の劇場用映画『The Beatles: Get Back』の5分間のチラ見せをまとめました。この困難な時期に、皆さんが笑顔になり、切望していた喜びがもたらされることを願っています」と述べています。

ホリデーのごちそう。見てびっくりしました。

まず映像の綺麗なこと! 現在観ることのできる映画「Let It Be」は公式版でないこともあり、画面がざらついて薄暗いんですが、それが今回は現代に撮影したみたいに明るくクリアになっています。

そして楽しそうなメンバーの表情。
john1 john2

john3 george1

paul1 paul2

ringo1

特にジョンは映画「Let It Be」では常に気だるそうでヨーコにべったりで心ここにあらずという佇まいなんですが、今回の特別映像では表情豊かにはしゃいでいて、ハード・デイズ・ナイトやヘルプ!の頃を見ている気持ちになります。

まだ正式に解散すると決まっていなかった頃にあの陰鬱な「Let It Be」を編集をして、解散に向かうビートルズの姿を描き出したマイケル・リンゼイ=ホッグが監督として優秀だったのは間違いないです。ファンとしては映画「Let It Be」は観るのが辛い映画なんですが、文芸作品としての質は高いです。

いっぽう今回の「The Beatles: Get Back」の作風は違いそうです。ビートルズと共に過ごす楽しい時間をファンに与えてくれそうな気がしますね、

2021年8月27日公開予定ですが、できれば「Let It Be」との二本立てで上映して欲しいですね。「となりのトトロ」と「火垂るの墓」の同時上映並みのインパクトがあるんじゃないでしょうか(そこまではないかな)。DVD、Blue-Rayで発売する時には特典付録として「Let It Be」を付けて欲しいです。

さてさて半年ぶりのブログ更新がこの程度の記事かと思われたかも知れませんが、最後に公開された特別映像をご覧になってください。
私の沸騰した気持ちがきっとお分かりいただけると思います!
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皆様への感謝とビートルズ来日記念

2020/06/29 17:33|書籍TB:0CM:0
大変ご無沙汰しています。約6か月ぶりの更新になります。
ブログ主はもうブログを辞めてしまったのではないかと考えておられた方もいらっしゃると思いますが、辞めたわけではありません。

新型コロナウイルス感染が世界的に流行し、音楽業界も活動停止を余儀なくされて、ビートルズに関するニュースもあまりなかったので、書きたくなるニュースがないなあと思っているうちに、こんなに期間が開いてしまった次第です。

さて今回久しぶりに新たな記事を書こうと思った理由は2つあります。

まず1つは、皆様に感謝の気持ちを伝えたかったからです。

このブログは「人気ブログランキング」の音楽(ロック・ポップス)部門に参加しています。
アフェリエイトもしてない純粋な趣味のブログなので、ランキング上位になることが目的ではないのですが、やはり上位にランクしていると「たくさんの人が読んでくれてるんだな」と励みになります。

そしてこの半年の間、当ブログはランキングトップ10から落ちることがありませんでした。新しい記事を一つも更新していないにもかかわらず。

ブログの読者の方々がこのページを訪れて「なんだ、まだ更新してないのか」と呆れつつも、「更新待ってるよ」と応援する気持ちでブログの下方を「ポチッとひと押し」してくれていたおかげだと思うのです。

感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。

そして記事を書こうと思ったもう1つの理由は、54年前の今日、6月29日がビートルズ来日の日だからです。来日記念の日に皆様に感謝を伝えるとともに、新しい記事をお届けしたいと考えました。


さて久々の記事はビートルズ本の紹介です。その名は「ビートルズ来日学」

ビートルズ来日学

ビートルズ大学という研究会を主催されている宮永正隆さんが2016年に出版した本です。

日本に向かってハンブルグを出発してから、マニラに向かって羽田を飛び立つまでのビートルズの行動を、残された写真などの資料と当時の関係者への詳細なインタビューをもとに検証した来日ドキュメントです。この本の「関係者」は音楽業界人ではなく、飛行機の乗務員やホテルの従業員、テレビ中継のスタッフ、ホテルに出入りした紳士服や土産物屋の店員など、実際に身近にビートルズと接した人達ばかりで、とても詳しく当時の様子が説明されています。

参考として「4人が着ていた法被について」と「客室乗務員からみたメンバーの印象」をご紹介したいと思います。

ビートルズに日航の法被を着てタラップを降りてもらおう。そう考えたのは日航広報部でした。ビートルズに日航機に乗ってもらうために日航はビートルズとスタッフにファーストクラスの切符を無料で提供していたので、せめて宣伝になることをと考えたようです。
タラップ法被

ちなみに機内の見取り図がこちら。
機内見取り図

ファーストクラスとエコノミークラスとの境目は扉ではなくカーテンのみで、エコノミーの乗客がビートルズに会いに来ることが物理的に可能だったそうです。
実際には誰も来ず、またそんな事態に備えてか、ブライアン・エプスタインがファーストクラスの一番後ろの席に座っていました。
また日航機「松島」は途中でアンカレッジでトランジットし、9時間ほどしてからまた離陸したのですが、ハンブルグからアンカレッジまではファーストクラスにビートルズとは無関係な一般人が4人乗っていて、そのうちの1人は50~60歳代の日本人男性だったとか。

さて法被なんですがハンブルグから搭乗してすぐに、ビートルズは物珍しさもあって法被を着たそうです。世に出回っている以下の写真はハンブルグからアンカレッジへ向かう機内の様子です。みんな法被を着てますね。
法被1
法被3
法被5

しかしアンカレッジでいったん降りるときに法被を脱ぎ、同地から再び搭乗してからは興味をなくしてしまったのか、もう一度着るよう勧めてても4人は法被を着なかったんだそうです。「法被を着て機内でくつろいでいた」のはアンカレッジまでなんですね。

羽田に着いたときに法被を着てもらいたい日航スタッフ、具体的にはその使命を受けていた客室乗務員は困ります。

そしてしばらく後に乗務員の植村さん(男性)がラウンジに一人でいたポールに向かって「これを着ればもっと機内で楽に過ごせますよ。もし気に入ったら、羽田でこれを着て降りてください。差し上げますから。普通はあげないんです」とまた勧めたところ、「じゃ着てみようかな」と、ようやくポールが法被を着ました。

他の乗務員の重岡さん(男性)によると、アンカレッジに着陸する直前に「トランジット中、このまま着ていていいか?」と法被を着たポールが尋ねたそうで、ポールはけっこう法被を気に入っていたんですね(法被は機内のみというルールがあり、アンカレッジで降りるときには脱ぎました)。

そして羽田到着30分くらい前になってポールがラウンジから客室へと戻り、ポールの法被姿を見たジョージとリンゴも植村さんに法被をもらいにきました。

でもジョンは法被をもらいにきませんでした。ではどうやってジョンに法被を着せたのか。

ここで別の乗務員、コンドンさん(女性、旧姓:川崎さん)の登場です。飛行機が羽田空港に着陸して滑走路を走っているときに、ジョンはまだ法被を着ていませんでした。そこでコンドンさんは最後のチャンスだと思って言います。

「降りるときにハッピ・コートを着ていただけたら、日本のファンはきっと大喜びすると思いますよ」

するとコンドンさんに勧められたジョンは「Oh ! Good idea !」と言って法被を手に取ったのでした。タラップへと出る直前のことです。

タラップで手を振る4人が着ていた法被には、こんな裏話があったのです。
降りる直前法被


ところでビートルズ一向を担当した客室乗務員には、ブライアン・エプスタインからビートルズがサインした扇子がプレゼントされました。凄いお宝ですよね。
サイン扇子

それとは別に個人でサインをもらった方もおられるのですが、メンバーに対する印象が人によって違うのが面白いです。

ハンブルグからアンカレッジまでビートルズを担当した重岡さんは、4人の様子をこう述べています。

「シートベルト・サインがオフになって、3人がバァーっとラウンジに来てシャンパンを頼んですぐカードを始めましたよ。ジョンだけはほとんどの時間、自分の席でずっと何か難しそうな本を読んでましたね」
「ジョンは自分の席でじーっと本をすごく眼に近づけて見てましたよ。3人とはまったく交流なし。リーダーという雰囲気が漂ってましたね。最初から最後まで」

重岡さんからみてジョンはとても気難しい人だったようです。4人にサインをもらうときもまずポールに頼んで、つづいてリンゴ、ジョージも書いてくれたんですが、ジョンに頼んだら、チラッと重岡さんを見てからすぐに本に目を移して無視したんだそうです。

するとしばらく経ってポールが「ジョンのサイン、もらった?」とやってきて、まだだと知ると「そしたら僕がもらってやる。一緒においでよ」とジョンのところに行き、「美味しいディナーを我々のために提供してくれたじゃないか、そのお礼としてちょっとサインしてあげなよ」と言ってくれたんだそうです。そのサインがこちら。実物はA3サイズですから大きいです。ジョンの筆跡が苛立たしげですね。
サイン重岡

いっぽうコンドンさんは違った印象を持っています。コンドンさんがまずジョンにサインを頼むと、ジョンは快く引き受けて「To Satoko」と名前まで入れてサインをしてくれた上に、ジョン自らが他のメンバーにサインをもらってくれたんだそうです。驚きでしょう?

コンドンさんは「私としては『どんなことでもジョンにさえ言えば彼がやってくださった』という印象」「あとのかたたち(注:ジョン以外)は皆さん無口で無口で、正直いって近づき難かったんです」と、重岡さんとは全く異なる感想を述べておられます。

ジョンはコンドンさんのことを気に入っていたのでしょう。だから彼女に勧められたら、すんなりと法被を着たのだと思います。コンドンさんはタラップでの法被姿の立役者ですね。
サインコンドン


これらの他にも機内でのエピソードとして、ジョンがコックピットに入った話や、ポールが重岡さんに「イエスタディ」を歌った話、羽田の前に横田基地に寄ってビートルズ一向だけ降ろす計画など、たくさんあります。

でも、まだビートルズは日本に降りたってないんですよ。それでもこれだけ面白い話がこの本にはいっぱいあるわけです。ホテルに入ってからの毎日の生活、武道館での公演、テレビ中継の裏側など、離陸するまで話題が満載です。

そして何よりこの本の魅力は、ビートルズの4人がとても身近に感じられることです。詳細な検証とインタビューのおかげで、飛行機の中で、ホテルの部屋で、武道館で、まるで自分がビートルズと一緒に過ごしているような気分になります。

ぜひ読んでみてください。ビートルズファンなら満足すること間違いありません。

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「(Just Like) Starting Over」に隠されたメッセージ

2020/01/09 16:00|ジョン・レノンTB:0CM:9
録画していたBS-TBSの「SONG TO SOUL~永遠の歌~」という番組の「スターティング・オーヴァー」の回を先日観ました。

「スターティング・オーヴァー」はもちろん、ジョンの「(Just Like) Starting Over」です。



「(Just Like) Starting Over」は1980年11月にリリースされた5年ぶりのジョンのニューアルバム「Double Fantasy」の先行シングルとして、10月に発表された曲です。

double fantasy

番組はレコーディングに参加したプロデューサーやミュージシャン達の思い話を中心に進み、ジョンがレコーディングを楽しんでいた様子などが語られていました。

そして「(Just Like) Starting Over」について、共に歳をとった人達へのジョンからのメッセージという解釈がされ、日本語訳付きで歌詞が紹介されたんですが、その日本語訳が私にはしっくりきませんでした。

細かい言葉は違いますが番組内での日本語訳は、おおよそ以下のようなものでした。

Our life together is so precious together
僕たち二人一緒の人生は尊い

We have grown, we have grown
僕たちは成長した、僕たちは成長したんだ

Although our love is still special
僕たちの愛は特別だけれど

Let’s take a chance and fly away somewhere alone
チャンスをつかんで、二人でどこか遠くに飛び立とう


「fly away somewhere alone」は本当に「二人でどこか遠くに飛び立とう」なのか? 

私が気になったのは、そこでした。

「alone」についてはWikipediaでは

「歌詞中の『alone』を『一人きりで』と間違って訳されたものがあるが、主語は『Let's (=Let us) ~alone』『we ~alone』と複数なので『(他には誰もいない)僕達だけで』というのが正しい意味である」

と書かれているのですが、「Let's (=Let us) ~alone」ではなく「Let's (=Let us) ~. …alone」という風に、「alone」の前でいったん文章が終わり、「somewhere」の後に「alone」を独立して付け足したように感じたんです。

「White Album」の「Revolution」で「Don't you know that you can count me out」の後に、シングル版にはなかった「…in」を付け加えたみたいに。

「Let’s take a chance and fly away somewhere」という歌詞は曲の最後にもう一度出てきますが、その時は「alone」は付いてないんですよ。

もし「alone」が言葉の通り「一人で」「一人ぼっちで」の意味だったとしたら…

そう考えた時にハッとしたのです。

この歌詞はジョンからポールへのメッセージなのではないかと。

そういう気持ちで歌詞を読むと、以下のように読めます。

Our life together is so precious together
僕たち二人一緒の人生(ビートルズ)は尊い

We have grown, we have grown
僕たちは成長した、(ビートルズを解散してから)僕たちは成長したんだ

Although our love is still special
僕たちの愛(ビートルズ)は今でも特別だけれど

Let’s take a chance and fly away somewhere alone
チャンスをつかんで(バンドから解き放たれて)、各々ソロで羽ばたこうぜ


1980年のポールはというと、1月に日本で大麻所持のため逮捕されてからウイングスの活動を休止して、5月にソロアルバム「MacCartney Ⅱ」をリリースしています。

「俺も音楽活動を再開するから、お前もソロで頑張れよ」

と、ポールに向かってジョンが呼びかけているように思えませんか?

そう考えて続きの歌詞を読めば、ビートルズファンの胸にはグッときますよ。


It’s been too long since we took the time
二人で時を過ごしていた頃(ビートルズの頃)から随分と経ってしまったけれど

No one’s to blame, I know time flies so quickly
それは誰のせいでもなく、時が経つのが早いだけさ

But when I see you darling
でもお前に会ったら

It’s like we both are falling in love again
またあの頃のように一緒に(音楽を)やりたくなるのさ

It’ll be just like starting over, starting over
またやり直したくなるんだよ

こんな風に読めてしまって、番組を観ながら私はうるうるしてしまいました。


なおWikpediaには

基本的にはオノ・ヨーコへ向けたメッセージソングであるが、歌詞の一部に「It's time to spread our wings and fly Don' let another day go by my love It'll be just like starting over」と集中的にポール・マッカートニーに関連する言葉を入れていることから、ポールを意識している可能性が示唆される

とあるんですが、別居したヨーコさんとは5年前に仲直りしており、1980年に「やり直そう」とジョンが言う相手はやはりヨーコさんではないと思いますし、わざわざポールの曲のタイトルを入れたのは、ポールへのメッセージだと気づいてもらうためじゃないでしょうか。


ジョンが亡くなって40年近くが経ちますが、自分の心の中に今でもジョンが生きているように感じた、2020年の始まりでした。
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