石川民話『雉も鳴かずば撃たれまい』
-直前の『「雉も鳴かずば撃たれまい」安倍晋三は、イスラム国の敵であるとアピールする必要はなかった』は阿修羅掲示板投稿記事の転載でしたが、同記事の「01コメント氏」が「雉も鳴かずば撃たれまい」と言う故事の元となった民話を紹介してくれています。感慨深いお話なので、こちらも本『遠野物語・昔話・民話』カテゴリに転載させていただきます。-
同記事URL http://www.asyura2.com/15/senkyo178/msg/876.html
雉も鳴かずば撃たれまい
(実は大変悲しいストーリー)
むかしむかし、犀川(さいがわ)のほとりに、小さな村がありました。
この村では毎年、秋の雨の季節になると犀川がはんらんして多くの死人が出るため、村人たちは大変困っていました。
さてこの村には、弥平(やへい)という父親と、お千代(おちよ)という小さい娘が住んでいました。
お千代の母親は、この前の大雨に流されて死んでしまいました。
二人の暮らしはとても貧しかったのですが、それでも父と子は毎日仲良く幸せに暮らしていました。
そしてまた、今年も雨の季節がやってきました。
そのころ、お千代は重い病気にかかっていましたが、弥平は貧乏だったので医者を呼んでやることも出来ません。
「お千代、早く元気になれよ。さあ、アワのかゆでも食って元気を出せよ」
弥平がお千代に食べさせようとしても、お千代は首を横に振るばかりです。
「ううん、わたし、もう、かゆはいらねえ。わたし、あずきまんまが、食べたい」
あずきまんまとは赤飯の事で、お千代の母親が生きていたころに、たった一度だけ食べた事があるごちそうです。
ですが今の弥平には、あずきどころか米の一粒もありません。
弥平は寝ているお千代の顔をジッと見つめていましたが、やがて決心すると立ちあがりました。
「地主(じぬし)さまの倉(くら)になら、米もあずきもあるはずだ」
こうして弥平は可愛いお千代のために、生まれてはじめて泥棒をしたのです。
地主の倉から一すくいの米とあずきを盗んだ弥平は、お千代にあずきまんまを食べさせてやりました。
「さあ、お千代、あずきまんまじゃ」
「ありがとう。おとう、あずきまんまは、おいしいなあ」
「おお、そうかそうか。いっぱい食べて、元気になるんじゃぞ」
こうして食べさせたあずきまんまのおかげか、お千代の病気はだんだんとよくなり、やがて起きられるようになりました。
さて、地主の家では米とあずきが盗まれた事に、すぐに気がつきました。
お金持ちの地主にとっては犬のエサほどの量で、たいした物ではありませんでしたが、一応、役人へ届けました。
やがて元気になったお千代は家の外に出ていくと楽しそうに歌いながら、マリつきをはじめました。
♪トントントン
♪おらんちじゃ、おいしいまんま食べたでな
♪あずきの入った、あずきまんまを
♪トントントン
お千代の歌を、近くの畑にいた百姓(ひゃくしょう)が聞いていました。
「変じゃなあ、弥平の家は貧乏で、あずきまんまを食べられるはずがないのだが。・・・まあ、いいか」
そのとき百姓は、大して気にもとめませんでした。
やがてまた大雨が降り出して、犀川の水は今にもあふれださんばかりになりました。
「このままじゃ、また村は流されてしまうぞ」
村人たちは、村長の家に集まって相談しました。
すると、村人の一人が言いました。
「人柱を立てたら、どうじゃろう?」
人柱とは、災害などで苦しんでいる人々が生きた人間をそのまま土の中にうめて、神さまに無事をお願いするという、むかしの恐ろしい習慣です。
その生きながらに土の中にうめられるのは、たいていが何か悪い事をした人だったそうです。
「そういえば、この村にも悪人がおったな」
と、言ったのは、お千代の手マリ歌を聞いた百姓でした。
「なに? 悪人がおるじゃと? それは誰じゃ?」
「うむ。実はな」
百姓はみんなに、自分の聞いた手マリ歌の事を話しました。
その夜、弥平とお千代が食事をしていると、
ドンドン! ドンドン!
だれかが、戸をはげしくたたきます。
「弥平! 弥平はおるか!」
「へい、どなたで?」
「弥平、おぬしは先日、地主さまの倉から米とあずきを盗んだであろう。娘が歌った手マリ歌が証拠(しょうこ)じゃ」
お千代はハッとして、弥平の顔を見ました。
「おとう!」
泣き出すお千代に、弥平はやさしく言いました。
「おとうは、すぐに帰ってくるから、心配せずに待っていなさい」
「おとう! おとう!」
泣き叫ぶお千代を残して弥平は村人に連れて行かれ、そしてそのまま帰っては来ませんでした。
犀川の大水を防ぐために、人柱として生きたままうめられてしまったのです。
「しかし、たった一すくいの米とあずきを盗んだだけで、人柱とはな」
と、同情(どうじょう)する村人もいましたが、下手な事を言うと今度は自分が人柱にされるかもしれません。
そういう時代だったのです。
さて、村人からお父さんが人柱にされた事を聞いたお千代は、声をかぎりに泣きました。
「おとう! おとう! おらが歌を歌ったばかりに」
お千代は何日も何日も、泣き続けました。
やがてある日、お千代は泣くのをやめると、それからは一言も口をきかなくなってしまいました。
何年かたち、お千代は大きくなりましたが、やっぱり口をききません。
村人たちはお父さんが殺されたショックで、口がきけなくなったと思いました。
ある年の事、一人の猟師(りょうし)がキジを撃ちに山へ入りました。
そしてキジの鳴き声を聞きつけて、鉄砲の引き金を引きました。
ズドーン!
見事に仕留めたキジを探しに、猟師は草むらをかきわけていってハッと足をとめました。
撃たれたキジを抱いて、お千代が立っていたのです。
お千代は死んでしまったキジに向かって、悲しそうに言いました。
「キジよ、お前も鳴かなければ、撃たれないですんだものを」
「お千代、おめえ、口がきけたのか?」
お千代は猟師には何も答えず、冷たくなったキジを抱いたまま、どこかに行ってしまいました。
それから、お千代の姿を見た者はいません。
「キジよ、お前も鳴かずば撃たれまいに」
お千代の残した最後の一言が、いつまでも村人のあいだに語りつたえられ、それからその土地では人柱という恐ろしい事は行われなくなったという事です。
日本昔話『石川の民話より』 (転載終り)
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コメント
後藤さんのご冥福を祈るのみです。
テロの脅威が対岸の火事と看過できない事態に胸が痛みます。
「雉も鳴かずば撃たれまい」こんなにも哀切な民話があったのを知りませんでした。ただの目立ちやがりの招いた禍と軽く考えておりました。UPありがとうございます。練習して語りの演目に加えたいと思います。
うた物語のコメント「君~きみ」の件でしょうか。
管理者の解説が秀逸でしたね。
光太郎様のコメントの全てに入魂の気迫がこもって
おり読みごたえがあります。「浮舟様」が「光太郎さん。帰って来いよ♪」と心情を吐露しておりました。
再訪して入魂の足跡を残して下さい。
りんごからもお願い致します。
投稿: りんご | 2015年2月 1日 (日) 12時17分
いつもありがとうございます。
後藤健二さん殺害、どうやら事実のようですね。ISとヨルダン側の交渉が暗礁に乗り上げ、長期化必至かと見られていただけに、事態急変、大変残念です。
安倍ニッポンは、安倍の一連の中東発言でISのみならずアラブ諸国を敵に回し「テロの標的」になってしまいました。今後、国内外でISなどイスラム過激派による日本人をターゲットとしたテロの頻発が懸念されます。史上最低総理の安倍は、何度も繰り返しますが、これをむしろ奇貨として、反イスラム国有志国連合参加に前のめりになり、二大テロ国家米イのために、中東への自衛隊の派遣に道を開くことでしょう。
ご指摘の『うた物語』の「君の件」は、『三百六十五夜』コメントでのやり取りで生まれたものでした。今でもよく覚えています。二木先生の「君論」はいささかの破綻もない完璧なものでした。「瓢箪から駒」でしたが、当時から『先生のこの返答はうた物語史に残るかもしれない』と考えていましたが、名回答を引き出せて本当に良かったと思っています。それに続く私の返信など蛇足の蛇足のそのまた・・で、今では簡単な御礼で済ませるべきだったな、と反省しております。
「浮舟」さんは、2、3年前当ブログを訪問され、ある記事へのコメントでやはり私への「うた物語復帰」をお奨めでした。しかし私は当初から、そんなに長く同サイトのコメンテーターとしての名を独占するつもりはなく、どこかではっきり区切りをつけるつもりでおりました。
「りんご」様の文章表現力、コメント力もなかなかです。昔の名前の私などより、新たな「うた物語コメントスター」としてデビューされてはいかがでしょう?なお私は、後期(09年秋頃まで)は「Lemuria」に名を替えてコメントしています。
いずれにせよ、ともすれば埋没しがちな国内外の懐かしの名曲の発掘に尽力されている二木先生の同サイト、今後さらに国民的音楽サイトへと発展していただきたいと祈念しております。
投稿: 時遊人 | 2015年2月 1日 (日) 18時48分