郷里の民話・真心の一文銭(2)
真心の一文銭
むがーし、あったけずまなぁ。(という決まり文句で、郷里の昔話は始まります。)
今から四百年ほど前、今の熊野神社―その頃は、熊野大権現と呼ばれていました―を、当時村びとたちは「オクマンサマ、オクマンサマ」と親しみをこめて、そう言っておりました。
そしてオクマンサマが鳴らす鐘の音を聞いて、「あヽ今は何時だなぁ」と時を知りながら暮らしていました。しかし立派なお社(やしろ)のわりには、鐘は小さくだいぶ傷んで、響きも悪くなっていました。そこで「大きな鐘に造り替えたらどうだろう?」ということになりました。協議がまとまり、大権現の和尚さま方が手分けして、村中を托鉢に回ることになりました。
熊野大権現といえば有名なお社ですから、知らない者はおりません。そこで皆それ相当の金子(きんす)を寄付してくれました。
ある時。ある和尚さんが、村外れの家に行きました。玄関先で用向きを伝えたところ、奥からおばあちゃんが出てきて、
「あらあら。オクマンサマでいらっしゃいますか。…私もいっぱい寄付したいのは山々ですが、何せこのとおりの貧乏暮らしの年寄りなもんで」
と言いながら、何がしかの金子を紙に包んで、恭しく和尚さまに渡しました。
「どうも、おしょうすなっすー(ありがとうございます)」
と礼をいいながら、和尚さまは外に出ました。少し歩いた所で立ち止まって、「どのくらい入ってるんだろう?」と紙包みを開けてみました。
そうしたら、中から出てきたのは、たったの一文銭。
それを見た和尚さまは、「なーんだ。たった一文銭かい。こんなのクソの役にも立たんわ」と、側のドブ川に銭をポーンと投げ捨ててしまいました。
さて、皆様の温かい志で寄付もたくさん集まり、お蔭で立派な梵鐘が出来ました。きょうはその撞き初め(つきぞめ)の日です。オクマンサマの石段途中の左側の鐘撞き堂の前に、村の衆が皆集まって、今か今かと待っています。
熊野大権現さまの一番えらい和尚さまが、
「それでは、これから撞き初めを致します」
と挨拶してから、鐘撞き棒をグーッと引いて、
「いーち・・・にい・・・さーん・・・ !」と鳴らしました。
周りの皆は「ぐぁぁぁ~ん」と、さぞ良い音が響くものと期待していました。
ところがどうしたことでしょう。「ゴトン、ゴトン・・・」と小さな音がしただけで、鐘は響きません。それを聞いた村の衆は互いに顔を見合わせて、
「何か悪いことが起きるんじゃないだろうか?」
「いやいや、何という音だ」
などと、口々に言い合いました。
驚いた和尚さまは、早速熊野大権現さまにお伺いを立ててみました。その結果、
「托鉢に行った時に、一文銭をドブに捨てた者がいる」
とのお告げがありました。
お告げに驚いて鐘をよく調べてみると、ちょうど一文銭くらいの穴が開いているではありませんか。
それを知った例の和尚さま。顔を真っ青にして、一文銭を投げ捨てたドブ川まで走って行きました。川にドブンと入りドブをさらいながら、必死で一文銭を探しました。すると―
「あったぁ !」
今度は見つけた一文銭を大切に握りしめて、急ぎ熊野大権現に帰り、それを鐘の穴にはめてみました。するとどうでしょう。穴にピタッと一文銭がはまったではありませんか !
こうして鐘を鳴らしてみますと、
「ぐわぁぁぁぁぁぁん・・・」と、それはそれは心に響く綺麗な音で、村中に鳴り渡りました。
その音を聞きながら、村の衆は幸せに暮らしました。
とうびんと。(「これでおしまい」という、決まり文句です。) (以下次回につづく)
(大場光太郎・記)
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コメント
私の郷里である山形県東置賜郡宮内町(現・南陽市宮内)に伝わる昔話です。この話は「夕鶴の里資料館」の人から送っていただいたメールを少し手直ししたものです。「夕鶴」といえば「鶴の恩返し」。郷里の漆山地区には鶴布山珍蔵寺というお寺があり、鶴の恩返し伝説も残っているのです。
このたび郷里の「hanasaka.jこと山本・Y」様より、 『続・日本の歌百選』にコメントいただき、郷里のことについてもいろいろうかがいましたが、その折りこの昔話が思い出されたのでした。
投稿: 時遊人 | 2012年9月20日 (木) 07時57分
タマゲダごど^オラァ ホンテン タマゲダッシィ!
実は、今朝、何気なく時遊人さんのサイトをなぞっていたところ、大変興味のあるこの記事に到達(出くわしたっ!)いたし、もう、ほとばしる感想を抑えきれませんので。。。
冷静になって申し上げますと、このことはわたくしめにとって、天の巡り合わせと申せましょう。
40年あまり、企業戦士として故郷置賜を離れていたあいだも、何がしかの難儀に遭遇するたびに、じつは、天の助けに預かりたく、ふるさとに入り、いの一番にしていたことは、オクマンサマに参拝することでした。
現在も、初詣は、都合がつく限り日本三大熊野にあげられる、宮内の熊野大社です。
また、南陽市と云う地方自治体で運営されている、『夕鶴の里』には、孫たちが帰ってきた折にプールや温泉に連れて行きます。(余談ですが、あすこの入浴量は、1200円と高かったのですが、2・3年まえから、ほかの山形県内の市町村なみの300円に値下げされまして、私ども風来客にとって極楽です)
さらに、山形県民話の会の創設指導にあたられている、元筑波大講師の武田正博士は、わたくしめの大切な恩師にあたります。
そしてまた、置賜偉人伝を研究いたしたい者にとって、ひとりの対象者でもある、元日銀総裁の結城豊太郎(行政市では記念館を建立。)氏は、幼いころ一文銭にまつわるかの民話を聞かせられて、感性をたかめたものと考察されますが、如何でしょう。
投稿: hanasaka.jこと山本・Y | 2012年9月23日 (日) 12時50分
上記のコメント中以下のご訂正かたねがいます。
誤 入浴量
正 入浴料
なお、先生の遊び場でもあられたであろう、鶴布山珍蔵寺には、一度通りがかりに参拝させていただきました。
それから、漆山地区は、今も昔のままの景観で、この秋、ふんだんなりんごが綺麗に色づき始めておりますよ。 都会の方々も、蜜がいっぱいに溢れんばかりの(ふじリンゴ)をビニール袋いっぱいで千円くらいでリンゴ狩りにきて頂ければばと、生産農家の方は、本音で想いお手入れをされおるようです。
投稿: hanasaka.jこと山本・Y | 2012年9月23日 (日) 13時10分
hanasaka.jこと山本・Y様
またまたコメントいただきありがうございます。
前記事でのコメントのやりとりから、ふと『真心の一文銭』が思い出され、20日にトップ面に再掲載させていただきました。この話は私が小学校の頃、授業の一環としてスライド写真で観たことがあります。印象的な美しい絵で、強く印象に残りました。
この民話に感化されたのかもしれないとおっしゃる、郷里の偉人の結城豊太郎という人、私はまったく知りませんでした。ネットで調べたところ、戦前の人で赤湯のご出身、日銀総裁のほかに大蔵大臣も務められたのですね。私の頃赤湯は隣町でしたが、いずれにしてもこんな凄い人がいたとは ! 記念館は烏帽子山公園の近くのようですが、同公園には5月の連休の桜満開の頃、よく行きました。おかげ様で、また新しい郷里の貴重な情報を得ることができました。
『夕鶴の里資料館』HP最近訪問していませんが、なかなかセンスのあるHPでした。4年前このシリーズを作成するため同資料館に電話しましたが、やわらかい感じの30代くらいの女性が親切に応対してくれました。これなども私の頃はなかった施設ですが、「鶴の恩返し」「真心の一文銭」など郷里の民話を広くピーアールするには良い試みだと思います。
私は吉野川のすぐそばにあった東町の宮内町母子寮の出身です。もちろん漆山にもしょっちゅう遊びに行きましたが、鶴布山蔵寺には行ったことがありません。今度帰省した折りには、珍蔵寺や夕鶴の里にも行ってみたいと思います。熊野大社はなるべく参拝するよう心がけています。
「先生」はおよしください。私の場合「百年早い」です。そうですね、もうりんごの季節ですね。近所のりんご園の真っ赤に熟したりんごの姿が懐かしく思い出されます。
大変ありがとうございました。
投稿: 時遊人 | 2012年9月23日 (日) 15時02分
厚かましい と言われるほどの 早合点
当公開ブログに対しましては、よほど慎重に書き込みを致さなければならないとは、思いつつも上記コメントに2・3の軽率なミスアンダースタンディングをしてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。
なにせ、夭折の詩人結城よしをの地域顕彰運動から発したネット上の自習から、手繰り寄せた貴方様のココログ記事。 本当にもの凄いボリュームでございまして、まだまだ勉強する余地があるようで、誠に手前みそで相すみませんが、楽しみです。
そんなこんなで、黙読の結果、漸く太郎の光となるように、大場家の長子として、ご両親の慈愛をうけつつも大変な不遇をお乗り越えになられてきたこと、お若い頃から、置賜人の正義と愛の精神に基づいて物事にあたられてきたこと、幼い頃からの波乱万丈により培われた感性で恵まれた対人関係を築かれておられること、そして、ネット社会の先駆者として、このようなヒットブログをお持ちであること、本来なら、ご自分で現在の、混沌と犯されてきた、日本の政治をなんとかなさりたいと知恵と情熱を日々傾けられておられるのでは、ないでしょうか。
どうか、法律擁護のお立場に立たれて、新横綱日馬富士のようなココログの横綱相撲をお取り続けくださいませ。
貴殿の生地、置賜は、いまここ数十年の手っ取り早い補助金目当ての、我田引水事業により、必要以上に破壊されています。
こんな中、貴殿や、梨郷村出身のS医師(梨郷村BN・)のネットを駆使される、置賜人の応援を切に懇願いたします。
投稿: hanasaka.jこと山本・Y | 2012年9月23日 (日) 19時01分
hanasaka.jこと山本・Y様
たびたびのコメントありがとうございます。また過分なるお褒めの言葉、恐縮に存じます。当ブログ開設以来4年半ほど経過し、何とか中堅クラスくらいにはなれたかな、という段階です。上を見れば訪問者数・アクセス数がズバ抜けた、優れた内容のブログがいくらもあります。それらに少しでも近づけ、より発信力の強いブログになりますよう、今後とも努めて参りたいと思います。
そうでしたか、私が帰省の折りいつも感じる郷里の変貌ぶりは、やはり元をただせば「補助金」ですか。ここにも補助金行政の弊害が顕著に表れているということですね。おっしゃるとおり私は「太郎」の貧農の小せがれでした。その太郎でさえ、昔あった木々が鬱蒼と繁っていたお宮がなくなり、小滝方面へと通じる幹線道路ができました。道路が立派になることはいいことでしょうが、幼い頃の思い出の場所が次々に消えていくことに言い知れぬ寂しさを覚えます。
宮内もずい分変わりましたよね。母子寮が社会的使命を終えてなくなったのは仕方ないとしても、子供時代の街並みのあまりの変わりように愕然とすることがあります。それにこの前述べました町中の活気のなさは、小泉構造改革の「地方切捨て」の成果の一例なのかな?とも考えてしまいます。
今は国家予算のすべてを財務省が握っています。これ以上財務官僚に国家財政を任せていると、やがて国家破産となる気がします。補助金ではなく、早く地方に財源委譲すべきだと思います。そうすれば各県も各市町村も智恵を出して、無駄のない独自な自治体経営が出来るのではないでしょうか。まして置賜は名君・上杉鷹山を生んだお国柄です。素晴らしい置賜に生まれ変わるはすですよね。
最後はつまらない講釈となり、大変失礼致しました。
投稿: 時遊人 | 2012年9月23日 (日) 20時51分