新聞を読んでいたら、今年は春一番が来ないまま春分の日を迎えたという記事が目に留まった。日陰にいつまでもひっそり残っていた雪も姿を消し、春を待ちわびる気持ちが抑えられない。冬の間、雪を被って凍えていたプランターの植物も赤い小さな蕾をつけている。一斉に芽吹く時が待ち遠しい。
例年、2月3月は一年で一番時間的に余裕のある時期だ。この時期を充実させることが、その後の生活に影響するのだが、いつもあっという間に過ぎていってしまう。4月の新学期を前に、残りの日々を何とか心豊かに過ごしたいものだ。
毎年、ここでは聴けない演奏会を県外に求めて出かけるのを楽しみにしている。年に1~2回のペースだが、余裕が出来たら、もっと頻繁に出かけられるようになりたい。そして先日、長年の夢だったゲヴァントハウス管弦楽団の演奏を友人と一緒に聞くことが出来た。今回は800年の歴史をもち、バッハがカントール(音楽監督)を務めた聖トーマス教会合唱団と共に「マタイ受難曲」という豪華なプログラムだった。
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3週間経った今でも、その感動が薄れることなく、まだ心が震えている。本当に素晴らしい演奏だった。マタイをライブで聴いたのはたぶん初めてだったと思う。数曲だけ伴奏したことがあるが、あとはもっぱらCDで聴いてきただけに、世界一言われるサントリーホールの素晴らしい音響も手伝って、3時間、どっぷりとバッハの世界に引き込まれることとなった。オーケストラは小編成で、左右二つのグループに分かれていた。左のオーケストラにはオルガンが、そして中央にはチェンバロとビオラ・ダ・ガンバ、そしてその後には木管楽器が一列に取り囲み、更にその後に合唱団がやはり左右二つのグループに分かれていた。
3時間に及ぶ宗教曲ということで重厚な演奏を想像していた。確かに深い厚みと拡がりのある演奏だったが、決して重い演奏ではなかった。そして特筆すべきはその音の美しさ。決して派手さはなかったが、柔らかく包み込むような音色が自在に天と地を縦横に駆け巡る。重い内容をやや速めのテンポで、淡々とそして艶やかに語りつくしてくれた。200年以上の歴史を持ち、マタイを初演したオーケストラでもある。伝統という言葉が頭を過る。
合唱団は8歳~18歳までの少年達で構成されていた。寄宿舎生活を送りながら、週末は教会でミサ曲等を歌っているらしい。幼いあどけない少年達だが、その歌声の美しさと世界観は驚くべきものだった。天使の歌声という型通りの表現は全く当てはまらない。ライプチヒ在住の知人によると、指揮者のゲオルグ・クリストフ・ビラーが大変きめの細かい素晴らしい指導をしているらしい。内容が重いだけに、この子供たちがどういう気持ちで歌ってるのか不思議な気持ちにもなった。実際、3時間の舞台は子供には座っているだけでも大変に違いない。隣の子とヒソヒソおしゃべりしたり、楽譜をごそごそ動かしたり、途中で席を立っていなくなった子もいた(トイレ?お腹が痛い?)。 ところが出番になると、立ち上がって一瞬にして豹変・・・迫力のある4声フーガを見事に歌い上げ、消えるような極上のピアニッシモを美しく響かせる。その集中力に脱帽。
ソリストの福音史家、マルティン・ペッツォルトは懐の深い語部に徹し、印象深かった。
それと心に焼きついているのがヴィオラ・ダ・ガンバ。古楽器アンサンブルで時々登場するが、生でソロを聴いたのはおそらく初めて。友人によると、この楽器は音程を取るのが難しいらしいが、実に格調高い演奏で、古楽器とは思えないほどの力強さは圧巻だった。
キリスト教にも聖書にも明るくない私だが、日本語訳が流れていたので有り難かった。次回はもっと勉強してから聞きに行きたいものだ。しかし裏切りや愚かな民衆、罪、恐れなど、そのまま形を変えても今の時代にもそのまま当てはまることばかり。そのやり切れない世界だが、その中に常に光を感じることが出来たのは、やはりバッハの偉大な音楽の成せる業かもしれない。
さて、指揮者のビラーさんによると、今回は合唱団設立800年という記念演奏会であったが、同時に震災以来外国の演奏家が相次ぎ公演をキャンセルする中、是非とも日本との友情のために来日したいと強く願ったらしい。そのため合唱団の子供たちの保護者全員に承諾をとったとか。生の演奏は常に一期一会。この出会いに感謝したい。