2012年09月13日 01:00
千里丘陵を歩く(8)
上新田の道標
大正12年測量の地図です。
地図上部の印は勝尾寺の参道にある大鳥居。大阪から勝尾寺にお参りするときは上新田を通るルートが近道だったのでしょう。ですので上新田にはいまでも道標がいくつか残っています。
(参考記事)「西国街道を歩く(15)小野原」 2010.11.26
上の地図の拡大です。
【A】現在、大阪方面から歩いてきて最初にあるのがこの道標。
立てかけている柱には豊中最古の道標と書かれている。
「右 ざい所 左 大坂へ三り」
「右 かちをし」
ざい所とは人が住んでいる所を指すのだそうです。旧上新田の中心の辺りを指しているのでしょうか。
旧道沿いにある立派な門。
【B】すぐに道に埋もれた道標があります。
「右 か」
後ろの柱には「勝尾寺街道道標 右 かちおし」と書かれている。
右に道はありませんのでそのまま進めという事だと思います。あるいは元の場所から角度が変わってしまったのでしょうか。
ここを左に曲がると昔は大きな屋敷が並んでいたようです。
いい感じの瓦塀ですね。
こちらにもいい門が残っている。
昔の面影残るいい通りです。
再び旧道に戻ってこちらは【C】の場所。
橋の袂に道標があります。
「右 さいでら 左 かちをじ」
ちょっと気になる通り。
狭い通りに隠れるように立派な門がある。
徳林寺の入口にある石碑。
「徳本行者遺跡」と刻まれているらしい。
寺は建て替えられてきれいになっている。
建立は約180年前、勝尾寺に徳本行者という上人がおられ、各地を説教で回るなかで特に上新田を愛され、多くの村人たちを帰依されたといいます。
ちょっと旧道から離れてここは上新田の墓地です。
六地蔵の後ろに道標がある。
「右 くま」
「左 大坂」
「くま」とは熊野田村のことでしょう。
元はどこにあったかというと最初の地図の【D】の場所。
旧新田小学校の角の辺りにあったようです。
(参考ブログ)
『「見本のまち」上新田 勝尾寺街道』
「国土変遷アーカイブ」
昭和23年の航空写真を限界以上に拡大してその場所を探してみました。
新田小学校の北側で道が分かれている。ここに道標があったのでしょう。
現在の航空写真と重ねるとこの場所になる。
地図と重ねるとこの場所です。
「Google マップのストリートビューより」
道標があったであろう場所に印をつけてみた。おそらくこの辺りでしょう。
さて、
旧上新田村を通り抜けた場所にもひとつ道標があります。
この道標が新しく建てられたものですが、その後ろに古い道標がある。
【E】ほとんど解読困難だが
「右 いばらぎ」
「左 かちをじ」
と刻まれているのでしょう。
いばらぎ方面へ歩いて行きます。
ゆるやかな坂をのぼり、
府道2号線を歩いて行きます。
まっすぐ行くと山田です。
この交差点で中国自動車道をくぐります。
そして旧道を行きます。
ここを右へ。
歩道橋を渡ります。
モノレールの山田駅です。
山田駅を越えると
二又に分かれる道がある。旧道は左です。
橋を渡った所に道標がありました。
【F】山田三つ辻道標というそうです。
「左 上新田 をか町 いたみ」
「右 をの原村 かちを寺 妙見山 みのを いけだ 中山寺」
今歩いてきた道が山田街道で北に向かう道が小野原街道というようです。
交差点を渡りレンガ色の建物の横が旧道。
ここから旧山田村に入って行きます。
より大きな地図で 新之介の北摂を歩く を表示
(千里丘陵を歩くシリーズ)
1.千里丘陵丘陵を歩く・江坂
2.千里丘陵を歩く・旧寺内村・観音寺
3.千里丘陵を歩く・旧石連寺村・住吉神社・興法寺
4.千里丘陵を歩く・下新田
5.千里丘陵を歩く・下新田・春日神社
6.千里丘陵を歩く・上新田の町並み
7.千里丘陵を歩く・上新田天神社・鎮守の森と宅地開発
8.千里丘陵を歩く・上新田の道標
9.千里丘陵を歩く・山田の変遷
10.千里丘陵を歩く・山田の町並みと紫雲寺と圓照寺
11.千里丘陵を歩く・伊射奈岐神社と山田の町並み
12.千里丘陵を歩く・佐井寺1
13.千里丘陵を歩く・佐井寺2
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上新田の道標
大正12年測量の地図です。
地図上部の印は勝尾寺の参道にある大鳥居。大阪から勝尾寺にお参りするときは上新田を通るルートが近道だったのでしょう。ですので上新田にはいまでも道標がいくつか残っています。
(参考記事)「西国街道を歩く(15)小野原」 2010.11.26
上の地図の拡大です。
【A】現在、大阪方面から歩いてきて最初にあるのがこの道標。
立てかけている柱には豊中最古の道標と書かれている。
「右 ざい所 左 大坂へ三り」
「右 かちをし」
ざい所とは人が住んでいる所を指すのだそうです。旧上新田の中心の辺りを指しているのでしょうか。
旧道沿いにある立派な門。
【B】すぐに道に埋もれた道標があります。
「右 か」
後ろの柱には「勝尾寺街道道標 右 かちおし」と書かれている。
右に道はありませんのでそのまま進めという事だと思います。あるいは元の場所から角度が変わってしまったのでしょうか。
ここを左に曲がると昔は大きな屋敷が並んでいたようです。
いい感じの瓦塀ですね。
こちらにもいい門が残っている。
昔の面影残るいい通りです。
再び旧道に戻ってこちらは【C】の場所。
橋の袂に道標があります。
「右 さいでら 左 かちをじ」
ちょっと気になる通り。
狭い通りに隠れるように立派な門がある。
徳林寺の入口にある石碑。
「徳本行者遺跡」と刻まれているらしい。
寺は建て替えられてきれいになっている。
建立は約180年前、勝尾寺に徳本行者という上人がおられ、各地を説教で回るなかで特に上新田を愛され、多くの村人たちを帰依されたといいます。
ちょっと旧道から離れてここは上新田の墓地です。
六地蔵の後ろに道標がある。
「右 くま」
「左 大坂」
「くま」とは熊野田村のことでしょう。
元はどこにあったかというと最初の地図の【D】の場所。
旧新田小学校の角の辺りにあったようです。
(参考ブログ)
『「見本のまち」上新田 勝尾寺街道』
「国土変遷アーカイブ」
昭和23年の航空写真を限界以上に拡大してその場所を探してみました。
新田小学校の北側で道が分かれている。ここに道標があったのでしょう。
現在の航空写真と重ねるとこの場所になる。
地図と重ねるとこの場所です。
「Google マップのストリートビューより」
道標があったであろう場所に印をつけてみた。おそらくこの辺りでしょう。
さて、
旧上新田村を通り抜けた場所にもひとつ道標があります。
この道標が新しく建てられたものですが、その後ろに古い道標がある。
【E】ほとんど解読困難だが
「右 いばらぎ」
「左 かちをじ」
と刻まれているのでしょう。
いばらぎ方面へ歩いて行きます。
ゆるやかな坂をのぼり、
府道2号線を歩いて行きます。
まっすぐ行くと山田です。
この交差点で中国自動車道をくぐります。
そして旧道を行きます。
ここを右へ。
歩道橋を渡ります。
モノレールの山田駅です。
山田駅を越えると
二又に分かれる道がある。旧道は左です。
橋を渡った所に道標がありました。
【F】山田三つ辻道標というそうです。
「左 上新田 をか町 いたみ」
「右 をの原村 かちを寺 妙見山 みのを いけだ 中山寺」
今歩いてきた道が山田街道で北に向かう道が小野原街道というようです。
交差点を渡りレンガ色の建物の横が旧道。
ここから旧山田村に入って行きます。
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(千里丘陵を歩くシリーズ)
1.千里丘陵丘陵を歩く・江坂
2.千里丘陵を歩く・旧寺内村・観音寺
3.千里丘陵を歩く・旧石連寺村・住吉神社・興法寺
4.千里丘陵を歩く・下新田
5.千里丘陵を歩く・下新田・春日神社
6.千里丘陵を歩く・上新田の町並み
7.千里丘陵を歩く・上新田天神社・鎮守の森と宅地開発
8.千里丘陵を歩く・上新田の道標
9.千里丘陵を歩く・山田の変遷
10.千里丘陵を歩く・山田の町並みと紫雲寺と圓照寺
11.千里丘陵を歩く・伊射奈岐神社と山田の町並み
12.千里丘陵を歩く・佐井寺1
13.千里丘陵を歩く・佐井寺2
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コメント
Kashipan | URL | -
このブログは本当に素晴らしいです!大阪の歴史の物語が大好きです。教えてくれてありがとうございます! 私は毎日大阪市でどこでも歴史の断片が見えます。私にとって、日本語の漢字がまだ読みにくいですが、少しずつ勉強して、いつか読むことが出来ます!今すぐ出来たらいいですね。。。^^;;;
( 2012年09月20日 07:56 )
新之介 | URL | sDz630us
Kashipanさん
ありがとうございます!
これからも大阪の古い町並みを
いろいろ紹介して行きたいと思います。
( 2012年10月08日 22:57 [Edit] )
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