2012年07月14日 23:30
新大阪駅のポールライトと
旧西村周辺の町なみ
「東海道新幹線工事誌」より

さて問題です。
ここはどこでしょう?
「東海道新幹線工事誌」より

正解はこちら。
ずっと探していた新大阪駅のポールライト(照明灯)の内部の写真が出てきました。
「東海道新幹線工事誌」より

これは建植工事の写真。
「東海道新幹線工事誌」より

図面もありました。高さは約40メートルのようです。

現在も2本のポールライトがありますね。

ここが内部に入る入口です。

やはり天辺まで登れるんですね。

照明部分のアップ。12角形です。

ライトがついたところ。

カッコいいっす。

さて、新大阪駅は大掛かりな改良工事中ですが、先日立ち寄るとタクシー乗り場に昔からあった絵がなくなっていました。

この絵なのですが、かなり痛んでいたの仕方ないですがなくなっちゃうと寂しいものです。

記録としてここに残しておきます。

さて、駅の西側周辺を少し歩いてみましょうか。

ここは宮原総合運転所(宮原操車場)。ちょうど500系新幹線がやってきた。

ここには常時珍しい電車がとまっていますね。

宮原総合運転所に隣接して旧西村があります。現在はほとんどがビルやマンションに変わってしまいましたが、ビルに囲まれるように小さな神社がある。

さいの木神社です。

さいの木神社
祭神 行者神変大菩薩
合祀
西尾六右衛門(山口村庄屋)
澤田久左衛門(大道村庄屋)
一柳太郎兵衛(新家村庄屋)
徳川四代将軍家綱の代 低湿地の西成郡二十三ヶ村淀川洪水のたびに荒廃した 疲弊した農民を救うため封建の世に一介の庄屋の身を犠牲にし京都郡代所の反対をおして延宝六年四月八日中島大水道の堀さくを完成 その責を負い当地にて自決され農民の神として当地の発展に寄与さる その遺徳を讃え当社に合祀

西村の細目木は3名の庄屋が江戸をにらんで切腹自殺したと伝えられる地です。この神社には村を水害から守るために中島大水道を開削し、幕府の命にしたがわなかったために自害した3名が祀られています。

こちらは真宗光用寺。天平19年(747)に行基が創建したといわれる古い寺です。

これは鐘楼だろうか。

古そうな墓石がならんでいる。

こちらは本堂の屋根でしょうか。
形状が二層になっていてすこし変わっていますね。

その裏側の墓石です。

さて、こちらには立派な蔵が残っている。

石畳が残る場所。

ビルの脇に白龍大神の碑。民間信仰で建てられたものが残っているのでしょうか。

宮原総合運転所沿いを歩いていると突然現れた給水塔。

展望台もある。

建てられたのは昭和47年(1972)のようです。

この塔の下にあるのが

転車台。

こういうものは鉄道近代化遺産としてずっと残してくださいね。
(おまけ)

こんな落書き見つけた。
(関連記事)
「新大阪駅のポールライトと北宮原村の道標」 2012.04.30
「新大阪駅のポールライトとさいの木神社」 2012.07.15
ポチッと、応援よろしく♪
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ここはどこでしょう?
「東海道新幹線工事誌」より

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ずっと探していた新大阪駅のポールライト(照明灯)の内部の写真が出てきました。
「東海道新幹線工事誌」より

これは建植工事の写真。
「東海道新幹線工事誌」より

図面もありました。高さは約40メートルのようです。

現在も2本のポールライトがありますね。

ここが内部に入る入口です。

やはり天辺まで登れるんですね。

照明部分のアップ。12角形です。

ライトがついたところ。

カッコいいっす。

さて、新大阪駅は大掛かりな改良工事中ですが、先日立ち寄るとタクシー乗り場に昔からあった絵がなくなっていました。

この絵なのですが、かなり痛んでいたの仕方ないですがなくなっちゃうと寂しいものです。

記録としてここに残しておきます。

さて、駅の西側周辺を少し歩いてみましょうか。

ここは宮原総合運転所(宮原操車場)。ちょうど500系新幹線がやってきた。

ここには常時珍しい電車がとまっていますね。

宮原総合運転所に隣接して旧西村があります。現在はほとんどがビルやマンションに変わってしまいましたが、ビルに囲まれるように小さな神社がある。

さいの木神社です。

さいの木神社
祭神 行者神変大菩薩
合祀
西尾六右衛門(山口村庄屋)
澤田久左衛門(大道村庄屋)
一柳太郎兵衛(新家村庄屋)
徳川四代将軍家綱の代 低湿地の西成郡二十三ヶ村淀川洪水のたびに荒廃した 疲弊した農民を救うため封建の世に一介の庄屋の身を犠牲にし京都郡代所の反対をおして延宝六年四月八日中島大水道の堀さくを完成 その責を負い当地にて自決され農民の神として当地の発展に寄与さる その遺徳を讃え当社に合祀

西村の細目木は3名の庄屋が江戸をにらんで切腹自殺したと伝えられる地です。この神社には村を水害から守るために中島大水道を開削し、幕府の命にしたがわなかったために自害した3名が祀られています。

こちらは真宗光用寺。天平19年(747)に行基が創建したといわれる古い寺です。

これは鐘楼だろうか。

古そうな墓石がならんでいる。

こちらは本堂の屋根でしょうか。
形状が二層になっていてすこし変わっていますね。

その裏側の墓石です。

さて、こちらには立派な蔵が残っている。

石畳が残る場所。

ビルの脇に白龍大神の碑。民間信仰で建てられたものが残っているのでしょうか。

宮原総合運転所沿いを歩いていると突然現れた給水塔。

展望台もある。

建てられたのは昭和47年(1972)のようです。

この塔の下にあるのが

転車台。

こういうものは鉄道近代化遺産としてずっと残してくださいね。
(おまけ)

こんな落書き見つけた。
(関連記事)
「新大阪駅のポールライトと北宮原村の道標」 2012.04.30
「新大阪駅のポールライトとさいの木神社」 2012.07.15
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コメント
かいちょう | URL | -
おお、貴重なおいらん様がいらっしゃるではありませんか(オヤ31形建築限界測定車)。全国に3両しかないんですよー(走れる車は西日本と北海道しかいないようです)
( 2012年07月16日 09:38 )
新之介 | URL | sDz630us
かいちょうさん
この写真の中にそんな貴重な車両があったとは!
びっくり!
ほとんど博物館行きに近いですね。
もっとちゃんと写真を撮っときます。
( 2012年07月17日 16:50 [Edit] )
yuka | URL | -
タクシー乗り場の絵
タクシー乗り場に、そういえば絵がありましたね。
ボーリングの絵が印象的で、広告かと思っていました。
もっとじっくり見ておけばよかった。残念。
でも、ここに残してくださってありがとうございます。
( 2012年07月23日 11:27 )
新之介 | URL | sDz630us
yukaさん
タクシー乗り場のあの絵を最後に見納めできてよかった。たぶんほとんどに人は気にもかけていないと思いますがなくなると寂しいもんですよね。
( 2012年08月13日 11:35 [Edit] )
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