私のブログもすっかり、旅ブログから花ブログに変身ですね。
まだ、体調管理で長距離の運転をガマンしてます。ジャンル変更ですね(笑)
札幌市の今年のライラック祭りが5月20日〜31日まで大道公園、創成川沿い
遊歩道、川下公園で開催されてます。第57回になるそうです。
ライラック祭りシーズンに創成川を歩いた事有りませんでしたので、今年は創成川です。
5月24日でしたが、今年は桜を始めすべての草花の開花が10日程早いそうです。
ライラックも種類により残念な姿を見ることになりました。
川下公園では今が絶好の見頃だそうです、地理的条件でこんなに違うのですね。
ライラックは昭和50年に札幌の木に選ばれ、市民にも親しまれる木となってます。
札幌に初夏の訪れを告げるお祭りとして定着してますね。
私は、花音痴で奇麗、いい香りぐらいしか言葉が出ません、でも見るのは好きなんですよ。
名前だけ紹介しますね。
札幌駅から道庁前赤レンガ街を通り創成川まで歩きました。
ここの赤レンガ食堂街(写真では左側になります)で3月に思い出が有ります。
私が胃がん宣告を受け、手術前にワァミリー全員(11人)で少し高級な焼肉屋さんで
好きな肉を思い切り食べた思い出です。今はその時の10分の1も食べられないでしょう。
創成川に出ました。
ポレジデントリンカーン(アメリカ)
エスタースティリー(アメリカ)
遊歩道にはスズランが満開でした。
ミスエレンウイルモット(フランス)
マダムルモワン(フランス)
アセシッピー(アメリカ)
マダムフローレントステップマン(ベルギー)
シューペート(ドイツ)
ウスゲシナハシドイ(中国原産)
チャーム(アメリカ)
シャルルジョリー(フランス)
ミスエレンウイルモット(フランス)
モンジュ(フランス)
駅方面を見た創成川
薄野方面を見た創成川、薄野歓楽街は右方面になりますよ。
スズランの野原がありました。
フレンチライラックフロンテ1953(オランダ) これには説明がありました。
ライラックの普及に尽くした故斉田伸作氏が、最も愛した品種がこの『フローラ1953』
純白で大きな花びらはひときわ精彩を放ってますね。
エスタースティリー(アメリカ)
ミスカナダ(カナダ)
大道公園に戻ってきました、観光客で一杯。
外国の方が多い。
天気も良く、良い散歩に成りました。特に私にはリハビリにも!!!
大道公園、創成川遊歩道に約400本のライラックが咲きほこってるそうですよ。
『花ことば』 白 年若き無邪気さ青春の喜び
紫 恋愛のはじめての喜び
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- 2015/05/31(日) 11:30:57|
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4月21日 過去ログ
札幌市の北方面に当別町があります。
自宅前を走るJR 学園都市線で行くと近い距離、医療大学前で下車です。
ここまでは本数も多く、この先は新十津川町まで行けますが本数は少なくなります。
十津川町は、ブログでも投稿した事がありますが、本州十津川村の水害で北海道の開拓
を目指し移住開拓された町ですね。
札幌からローカル列車の旅も良いかも!!!
北海道医療大学、薬用植物園温室で宝石の美しさを見せてくれる『ヒスイカズラ』
が公開され見頃との情報で4月21日訪問してきました。
道医療大学前駅です。
大きなキャンパス。
校内に少ない樹木の中で、大きなオンコ(イチイ)です。
厳しい北風をガードしてますが、頑張ってほしい。
校内はゆるい傾斜地を利用して建てられてます。
一番奥に薬学部薬用植物園の温室はありました。
青緑色の輝きにまずは驚く。
花房は50~100㎝あり大形一つ一つの花の長さ6~8㎝の爪形
フイリッピン原産のマメ科のつる植物。
開花は数日で終わり、花はぼとぼとと落ちるそうです。
宝石のような神秘的な色と形に魅了されますね。
早く咲く房ほど花の数が多く成るそうですよ。
ヒスイのような青緑色の輝きとも表現出来そうですね。
文才の有る方はどう表現するのかな!!!
咲きはじめの房のようです。
本当に宝石です。
絶滅が危惧されているということでレットリストに登録されている。
長い房ですね。
南国が原産地のイメージが分かりますね。
緑の葉とのバランスも良いです。
受粉はコウモリを媒介としてるそうで日本ではほとんど結実しない。
これから房になる初期の状態でしょうか。
他の花も少し紹介しますね。
『セイロンベンケイソウ』
『オクナ』と言うそうです。
『オクナ』の結実した黒い実です。
職員によると、少しずつ無く成るそうです。持って行っても熱帯植物
成功しないと思うのですが。
『コーヒーノキ』
狭い温室で多くの薬用植物が研究されてますね。
2002年に大阪の大学から苗木を譲り受けたそうです。
2005年から花を咲かせているそうで、レットリスト植物ですから
大事に育ててほしいですね。
来年も同時期に訪問したいと思ってます。
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- 2015/05/26(火) 12:15:29|
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過去ログ 4月29日
毎日の散歩は、新川遊歩道北区から石狩湾まで約12㎞はあります。
散歩はこの内数㎞ですが!!!
この遊歩道に、住民、町内会の努力で立派に育った桜が植樹されてます。
桜前線北上と共に毎日、つぼみのふくらみを楽しみに散歩をしてました。
今年は、進行が早い例年5月上旬なんですが。
4月29日でした、さくらは満開、しかし遊歩道には花びらの落ちた姿が見られない。
私が判断したこの並木道の満開日です。
自宅から歩いて5分くらい、並木道の交差点で目に入るのが『力士若勇』碑
開拓期新川地区は純畑作地帯で、当時秋には収穫祭が行われ、その主要行事の一つに
奉納相撲があったそうです。(私の田舎では子供相撲大会でしたが)
この碑の『若勇関』は大正2年25歳で富山県からこの地に移住、本名を前谷省三といい
素人相撲ながら、豪快な取り口で話題をさらったそうです。
当時としては大型農業に挑戦し農業の基盤を作った人でもあるそうです。
農民として、又、力士とこの地で活躍この記念碑が建てられたのですね。
モノクロから一気に彩りはなやかな並木道に、3車線の車道も2車線に!!
完全な満開日です。
一つの花芽をマクロ撮影してるのでしょうね。
この並木道は、花よりダンゴの『ダンゴ』風景は有りません。
手前は山ざくらですね。
ソメイヨシノ、八重ざくらといろいろあるようです。
先日、あるブログ訪問してると『ウバザクラ』の表現、そんなのあったっけ!!!
大きなカメラから携帯カメラまで、アングル捜しで忙しそう。
山ざくらアップですが、奇麗ですね。
中には、季節感の忘れた桜も、これはこれで愛嬌ですね。
時間と共に、人、人の波。
遊歩道の下から、見頃です。
こんな、見頃に出会ったの久し振りになります。毎日散歩の褒美ですね。
帰り道、シャクナゲの開花も!!
何処の庭でも、彩りの華やかな花の競演の季節に成りました。
山でも新緑の素晴らしい季節ですね、私は今年は我慢の年になりました。
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- 2015/05/21(木) 10:45:25|
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2月上旬 過去ログ
今年は、新年何処の神社にも初詣をしてなかった。 又、賞味期限切れのブログです。
何かあった時だけの神様、仏様タイプの信仰心ご利益は疑問ですね。
2月2日胃がん宣告、検査入院手術を控え参拝してきました。
北海道神宮は円山公園に隣接し、近くには動物園、大倉山ジャンプ台と札幌市の西側に面してます。
昭和39年までは札幌神社、旧官幣大社であり、現在は全国一の宮会より蝦夷国新一の宮に認定され
ているそうです。 (Wikipedia)
大鳥居から本殿側を望む。
北海道開拓当時カラフト、千島に進行を進めていたロシアに対する守りと言うことで
大鳥居は北東を向いているそうです。
大分歩いてから、振り返った風景。
さすがに北海道神宮広いですよ、参拝、円山公園、動物園等歩いて見学
してると、一日かかるかも知れませんね。
参道から左に有る小道を歩いてきました。
この当たりの歴史を見てきた木でしょうね。
冬の時期には、早く暑い夏を待ってましたが、見てみると冬景色
も良いですね、本当に勝手なものですね。
この大木の奥から桜が多くなり、シーズンには花見場所。
桜の種類も多く楽しめますよ。
道産子でも気持ちが引き締まった感じの散歩に成ります。
広い境内を歩いていると南門方面に来てるようです。
常夜燈も大きい。
ここ北海道神宮の杉が北限と言われてます。
神宮創建時に植林されたのしょうか。
本殿方向に歩いてると、相撲道場がさすが立派で大きいです。
北海道の神社には、相撲場がありお祭りにはよく子供相撲大会がありましたね。
現在では見られ無くなりました。
拝殿です。
安政4年頃には現在の札幌市内に仮社建設されてたそうです。
北区北6条東1丁目の説が有力だそうです。 札幌駅に近いですね。
明治4年円山の現在地に新社殿が落成してます。
円山への移転は必ずしもよいことばかりで無かった、中心部から遠い、道も未整備
の山奥で、参拝も大変だったそうです。 (Wikipedia)
現在は地下鉄円山公園駅から歩いて15分くらい。
拝殿の通り方あるのですよね。 行きと帰りが違う。
社務所、参拝の方多いですね。お守りを求める方多い。
『北の志づめ』と言う小冊子が発行されてました。
本殿から拝殿。
本殿前の庭園、整備された庭園です。
本殿、参拝です。 無事な手術を願って、困った時だけの神頼み
も許して下さいと!!!
現在は小高い山の中、公園、動物園、円山野球場など参拝者だけでなく
散歩の方、運動目的の方も多いようですが、昔は神社の地理的条件で運営資金が枯渇
し、次々と神職が辞めてしまう時代もあったそうです。
現在の姿から想像もつかない、昭和39年社名を現在の北海道神宮へと改めています。
私も車を新車にした時、ここでお祓いをして貰ってますね。
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- 2015/05/16(土) 11:01:47|
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ブログ休止したり、初春ブログに成ったり、真冬ブログであったり変則でしたね。
理由がありました、明かせないでいました。
でも、訪問いただく方に偽りに心苦しさを感じてました。
それは2月20日のブログ
6年前の友人!!!から始まってます。6年前の友人とは大腸がんで
お世話になったK 病院に行く事でした!!! 申しわけありません。
大腸がん以来毎年、暇な2月にK 病院で人間ドックに近い検査を受けてました。
2月2日でした、思いもよらぬ胃がん宣告、エッ、又。 表現の出来ない気持ち!!
2月23日〜3月3日まで検査入院、全身の検査おかげで転移は無く、毎年ドックを受けてる
お陰かレベル1 の初期段階と分かる。
いったん退院し手術日を待つが、多いのですね順番待ちなかなか決定しない。
体は元気、カメラを持ち近くをブラ、ブラこれが冬の季節なずれのブログに成ったのですね。
3月24日入院、手術は26日でした。
退院は4月4日とあっと言う間、胃は半分以上切除されてしまいました。
腹腔鏡手術、当時群馬大学、千葉の病院等で問題に成ってた時期気になりましたが先生
に任せるしか無い立場でしたね。
退院時食事方法に付いて、注意を受けましたがしばらくその通りに気を付けてましたが
最近は手術前の8割ぐらいまで量も食べられ、中間食も必要ないぐらいまでになりました。
調子にのりすぎ何度か気分を悪くした事が有りますが!!!
ただ戻りの悪いのが、体力、気力、元気力ですね。 それに倦怠感が強い。
食事量が戻っても、栄養分の吸収が悪いのかな!!! 年齢を考えれば普通なの
かも知れませんが、昭和14年生まれの後期高齢者。
気候も良く成って来ましたので、毎日散歩を続け、距離を延ばしてます。
こんな事が有り、チグハグなブログになってました。
体力、気力の回復を見ながら元に戻して行きますね。
気持ちは体力を戻し、又、日本半周ぐらいは挑戦したい気持ちでいっぱい。
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- 2015/05/11(月) 10:42:20|
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2月8日の過去ログ
前回のブログで紹介した、札幌村神社参拝でまだ札幌市の北端となる所に
苦難の開拓の歴史が有る神社、郷土資料館が有る事を知りました。
この地は、ほぼ石狩市、当別町方面に近く明治初期には石狩川の洪水、湿地帯
と想像されます。
そんな場所に烈々布神社は有りました、 現在は烈々布と言う地名はありませんが
アイヌ語由来だそうです。
明治22年頃、この烈々布地区内は三地区に分かれており(烈々布、北組、中通)
明治26年に烈々布地区に、当時札幌区の三吉神社の分祀を受け社殿を建立、大正
12年現在地に本殿が造営されている。
烈々布神社全景。
石碑
神社の由緒です。
烈々布と言う地名は現在は残ってませんが、かっての丘珠村、札幌村、篠路村の区域
だったそうで広大な地区名だったことが分かります。
常夜燈など、札幌村神社より歴史が感じられます。
貫禄ですね。
先人の苦労に感謝しながら参拝。
烈々布郷土資料館は少し離れた、百合が原公園近くに有りました。
烈々布会館の2階でした。 1階が地区の会館と小学生の学校終了後の青空学校が開かれてました。
烈々布と言う地名が無いのに会館名は烈々布会館、先人の苦労を大切にしてるのが分かりますね。
郷土資料館見学には、隣りに自宅の有るN氏の許可が必要、これが良かった。
N氏は90歳前後の高齢で、実にこの地区の歴史に詳しくしっかりした方、自宅で多くの
話を聞く事ができた。
郷土資料館は、開拓した先人の労苦をしのび、歴史、文化にふれるようにと
地域の人達が作った。 見て分かりますすべて手作りなのが!!!
『篠路烈々布開基百年』碑
この地方に明治14年福岡県人が報国社を組織して、北海道に渡り開墾した時
明治16年にその一部5~6戸が烈々布に入植したのが始まりだそうです。
この文字は元札幌市長板垣武四の書。
2階の資料館は、地元住民の手作りであることが直ぐ分かります。
生活用品、開拓時代からの貴重な写真見ていてあきませんよ。
この資料館が歴代大切にしてるのが『烈々布獅子舞』です。
1〜4代まで有ります。
100年近く歴史がある伝統行事で、現在の北区百合が原に入植した
富山出身者が伝えたそうです。 自宅で説明を受けたN氏の祖先も富山県人だそうです。
頭から尾まで6㍍で、8人の大人がもぐり込んであやつる勇壮なものです。
少し分かりづらいですが、富山県から入植時持って来た第1代の獅子頭です。
生活用品。
生活用品はまだ多く有りました。
写真展示の中に開拓風景が有りました。
大木を倒して畑にしたのでしょうね。
馬廻し動力で脱穀風景、大正12年頃。
初めて見ました、私の実家も旭川近郊で稲作農家昭和20年代でもすべて人力でしたよ。
郷土資料館のお世話をしているN氏にお会い出来たことは本当に
この地区の歴史と苦難の開拓の話を聞く事ができました。
北海道の開拓の歴史は、どこも似た苦労をしてますが烈々布の開拓でも相当数
があきらめた方がいたそうです。
同じ札幌ですが月寒地区の開拓では100戸以上の入植で現在その当時の子孫
が残ってるのが5~6戸だそうです。
それだけ、北海道開拓の夢と現実には開きが大きかったのでしょうね。
道産子として想像が出来ますね。
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- 2015/05/06(水) 11:52:43|
- 札幌
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私が札幌市に来た20年前程は、東区の北方面は畑作も多く古い歴史は
あまり感じてませんでした。
今年の1月新年の親友J君からのメールで、札幌村神社に初詣と有る。
さっそく参拝をかね、調査に出かける、2月6日でした、またまた季節はずれのブログに!!!
その理由は2〜3月のブログ休止に有るのですが、チャンスがあればその理由を又書きますね。
札幌村神社付近の開拓の歴史は、私が考えてたのとは大きく違いましたね。
慶応2年徳川幕府により、幕使大友亀太郎によってもう開拓が始まってました。
現在の大道公園テレビ塔裏の創成川を石狩方面に向かい作った方ですね、大友堀とも言われてます。
灌漑用、石狩方面からの荷物の運搬に大活躍、この地方の開拓に活躍してたのですね。
札幌村神社全景です。前期をした歴史を感じない聞いて見ると平成19年に社殿が
新造営されたからなのですね。
創立は明治32年札幌神社と名称をつけようとしたそうですが、官幣と同じく成るため
許可されず村を付けたそうです。開拓上の関係は有りませんでした。
所々に歴史を感じる物が有りましたよ。
祭神は現北海道神宮より、開拓三神を奉斎し札幌村としたそうです。
歴史を見て来た狛犬でしょう。
この、のぼりで場所はすぐ分かりました。
本殿です。まだ新しい事が分かりますね。
札幌村神社の名が!!!
時期的に合格祈願が多いようでした。
以前ブログで、旧東旭川町に
旭川神社の紹介をしましたが、ここは開拓上の
時期的なものが関係してましたが、札幌村神社はそうでは有りませんでした。
札幌村神社付近には、明治4年頃には、米国からタマネギの種子を輸入し、試作
我国タマネギ栽培の発祥の地でもあるそうです。
その後『札幌黄』でも全国的に知られるように成りましたね。
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- 2015/05/01(金) 10:41:51|
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