木下恵介監督の実験精神溢れる傑作。この特異なスタイルに賛否分かれよう。
「楢山節考」(1958日)ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 雪に閉ざされた信州の山村。70歳になるおりんは、年が明けると人減らしのために楢山に捨てられる運命にあった。目下の悩みは長男・辰平の後妻探しだけだったが、それも隣村から後家がやって来ることで解決する。相手の玉は気の利く良い嫁だった。これで安心して山に行ける‥そう思ったが、おりんを背負って山に捨てる辰平には別れが惜しまれた。そんなある日、しきたりを破って中々、楢山に行こうとしない隣家の又やんが村中から責めたてられる。家族から疎まれ飯も食わせてもらえないため村中の畑を荒らして回ったのだ。業を煮やした村人達は一斉に実力行使に出る。
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(レビュー) 食い扶持を減らすために裏山に捨てられる老女と息子の情愛ドラマ。
同名小説を名匠・木下恵介が監督した作品である。尚、1983年に製作された今村昌平版の方を先に見ていたので、ストーリーは大体分かった上での鑑賞である。
しかし、それを知った上で見ても、この残酷なしきたりには胸を痛めてしまう。と同時に、高齢化社会が深刻な昨今の状況を併せ考えてみると色々と考えさせられるものがあった。
今作は全編オールセットで撮影された作品である。おりんたちが住む農村や森、川、山岳等、全てがセットで作られている。日本映画でこれだけ大掛かりなセットが作られたことは驚異的としか言いようがない。一体どれだけの労力がかかったのだろうか。
そもそもこの物語は各地に伝承する姨捨(おばすて)物語を元にして作られた話である。おそらく木下監督は伝承という所に着目し、オールセットの舞台劇風に料理することで寓話のように味付けしようとしたのだろう。伝承を伝承として再現すること。それを目的とすれば今作のような寓話色の強い作りに繋がるのは何となく理解できる。
実際、木下監督の演出も撮影スタイルに合わせる格好で舞台劇的な文脈作法に則っている。例えば、幕を下ろして場面転換をはかったり、人工的でサイケデリックな照明を多用することで人物の感情を表現してみたり、様々なトリッキーな演出が見られる。
特に、色彩の豊富さは特筆すべきで、毒々しいトーンでシーンに不穏な空気をもたらすワインレッド、流血シーンに必ずと言っていいほど被せてくる刺激的な赤、恐怖と不安を盛り立てる緑等、エキセントリックな色使いがリアリティを削ぎ落しながら寓話性を強調していく。これらは舞台照明と同じような効果を果たしている。
また、音楽も浄瑠璃で統一する徹底ぶりで、これも映画的と言うよりも舞台劇を意識した起用である。
数々の実験精神溢れる演出は、他の作品で見られる一般的な木下恵介テイストとは完全に異質なものであるが、それだけに本作にかける氏の意欲、寓意性を強調しようという狙いはひしひしと伝わってきた。
こうした特異なスタイルから、本作は通常の映画として評価するには難しい面がある。以前紹介したL・オリヴィエ監督・主演の
「ヘンリィ五世」(1945英)や、K・ブラナー監督・主演の
「ハムレット」(1996米)等、戯曲の再現を目指すという前提があれば、ある程度自然に受け止められるが、元々が舞台劇でもない原作ををこういう形で料理した所に不自然さを感じてしまうことは確かだ。
また、演劇的演出がしつこく感じる部分もある。玉が涙を川で洗い流すシーンはクドいと感じてしまった。クライマックスに登場する又やんのエピソードもどうかすると強引に写ってしまう。ここは不自然な形でオチをつけなくても良かったのではないだろうか‥。
こうした舞台劇的演出は普通の映画として見てしまうと違和感を感じてしまう部分である。ただ、それでもやはりここまで美術や撮影の完成度が高く、尚且つ刺激的な演出が次々と繰り出されてしまうと木下恵介アートの集大成という感じがして圧倒される。
キャストでは、おりんを演じた田中絹代の熱演が素晴らしかった。若干顔のしわが少ないのが気になったが、撮影当時48歳でこの老け役振りは大したものである。特に、前半の前歯を折るシーンは壮絶だった。抜歯して撮影に臨んだというから三國連太郎も真っ青の役者魂である。生涯女優・田中絹代の"本気″を見た思いがした。