「世界で一番美しい少年」(2021スウェーデン)ジャンルドキュメンタリー・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ルキノ・ヴィスコンティ監督に見いだされ、15歳で「ベニスに死す」に出演するや、その完璧な美貌で“世界で一番美しい少年”と称賛されたビョルン・アンドレセンについてのドキュメンタリー。
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(レビュー) ビョルン・アンドレセンと言えば、あの名作「ベニスに死す」(1971伊仏)で見せた美貌は未だに語り草になっている。しかし、スクリーン上の彼は知っていても、彼の素顔については意外に知られていない。その数奇な運命は、ファンならずとも、スターが辿る悲劇のドラマとして大変面白く観れるのではないだろうか。
映画はビョルンの少年時代と、年老いた現在の姿。二つを交錯させながら展開される。
「ベニスに死す」のオーディション風景やメイキングシーン、更には貴重なプライベートフィルムまで観れるのでファンなら垂涎モノだろう。
ただ、ヴィスコンティの指示で下着姿でカメラテストを受けさせられるシーンは、今ならかなり問題になりそうな映像だと思った。映画業界も今ほど倫理観がしっかりと浸透していなかった頃だろうし、このあたりは時代なのかもしれない。
また、劇中では彼が「ベニスに死す」の日本公開に合わせて来日したことも紹介されている。当時は日本でも大人気だったらしく、CMやテレビに出演したり、音楽プロデューサーの目に留まりレコード(何と日本語で歌っている)まで出したというから驚きである。このプロモーション映像も本人の意志とは無関係に”やらせてる”感がありありと見て取れた。
劇中のビョルンの言葉からは、過去のこうした成功を後悔しているよう節が感じられる。彼の家庭事情は少々複雑で、そのあたりことは映画後半で詳しく描かれている。こうしたバックボーンを知ると、檜舞台で多くの喝采を帯びる姿にどこか不憫さも覚えた。華やかな笑顔を振りまきながら、実際には近しい人からの愛を得られなかった孤独な少年だったのかもしれない…と。
一方、映画は現在の彼の姿も捉えていく。日本では「ベニスに死す」以降の活躍を目にする機会は中々ないが、実は本国では小さな作品や舞台等で活動を続けているようである。現在は小さなアパートに一人で住んでおり、時々若い恋人がきて身の回りの世話などをしてもらっているようだった。細々ではあるが、今でも活躍している姿が見れたのは嬉しかった。
尚、自分は
「ミッドサマー」(2019米スウェーデン)で久々にスクリーンの彼を見たが、白髪の皺だらけの外見に衝撃を受けたものである。当たり前と言えばそうだが、かつてのスターの面影はどこにもなく、時の流れが実感された。印象としては、この時とほぼ一緒で、どこにでもいる普通の老人という感じがした。
「スパークス・ブラザーズ」(2021英米)ジャンルドキュメンタリー・ジャンル音
(あらすじ) 異端の兄弟ロック・デュオ、スパークスの魅力に迫った音楽ドキュメンタリー。
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(レビュー) スパークスは約50年に及ぶキャリアを持つロンとラッセル兄弟によるバンドである。これだけ長く続いたバンドと言うのは世界的に見ても珍しいのではないだろうか。しかも、その間、活動休止もなくひたすら自分たちの音楽を作り続けてきたというのだから凄い。
自分がスパークスを知ったのは、レオス・カラックス監督の
「アネット」(2021仏独ベルギー)に原案として参加してからである。
その後に彼らの音楽を新旧問わず聴くようになったが、ロック・オペラ風だった「アネット」からは想像もつかないような多彩な顔を持つバンドであることを知って驚いた。これまでに出したアルバムは25枚。グラム・ロック、エレクトロ・ポップ、ロック・オペラと、一つのジャンルに捕らわれない音楽性が、彼らの大きな魅力のように思う。
本作では、そんな彼らの足跡が、ロンとラッセル本人や関係者のインタビュー、MV映像を交えながら紹介されている。
幾つか印象に残ったエピソードがある。
例えば、「アネット」よりも前に映画音楽の仕事の話があったということは初耳だった。しかも、それがジャック・タチの映画だったというから驚きである。結局、タチの逝去でその企画は無くなってしまったが、もし実現していたら一体どんな作品になっていただろう。ぜひ観てみたかったものである。
また、パニック映画「ジェット・ローラー・コースター」(1977米)に出演していたというのも初耳だった。映画自体は随分昔に観たことがあるのだが、そんなシーンがあったことをまったく覚えていなかった。
他に、ティム・バートンが日本の漫画の実写化を企画した幻の作品「舞」の音楽を務める予定だった等、いろいろな話が出てくる。いずれも映画絡みの話で、やはり彼らの音楽は映画との相性が良いということがよく分かる。
製作、監督はエドガー・ライト。これまでの作品から分かる通り、彼自身音楽に対するこだわりは相当強く、聞けば元々スパークスの大ファンだったという。
基本的にはオーソドックスな作りだが、時折アニメーションが挿入されたり中々ユニークな作品になっている。140分という、この手の音楽ドキュメンタリーにしては長時間ながら、こうした趣向を凝らした演出によって最後まで飽きなく観ることが出来た。
「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・ディドリーム」(2022独米)ジャンルドキュメンタリー・ジャンル音楽
(あらすじ) カリスマ的な人気を誇ったアーティスト、デヴィッド・ボウイの活動を振り返ったドキュメンタリー。
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(レビュー) デヴィッド・ボウイ財団初の公式認定のドキュメンタリーと言うだけあり、彼の貴重な映像がタップリと観ることができ、ファンであれば満足のいく内容ではないだろうか。また、彼のことを知らなくても、彼の活動の足跡が網羅されているので、入門編としても最適な気がする。
自分は彼の音楽はほとんど聴いたことがあるので、今回のドキュメンタリーを大変興味深く観ることができた。個人的には彼の私的な一面をもっと見てみたかった気がするのだが、そこはそれ。アーティスト活動に絞った構成は潔いと言えるかもしれない。
映画の作りはいたって正攻法で、ライブ映像やインタビュー映像を交えながら、ジギー・スターダスト時代、東ベルリン時代、アメリカ時代、東洋思想に染まった時代、晩年の闘病時代が軽快に綴られている。
また、彼は音楽のみならず映画俳優や画家、ライブパフォーマー等、幅広い活動を行っていた。音楽以外の映像もたくさん出てくるので、そのあたりも嬉しい。
そして、そんなキャリアの中からボウイの苦悩、葛藤も見えてくる。
例えば、その一つがバイセクシャルを公言したことである。当時はLGBTQがそこまで世間に浸透していなかった時代である。当然、彼のこの告白は物議を醸し、社会に大きな衝撃を与えた。しかし、こうした社会の既成概念に捕らわれない”デヴィッド・ボウイ”の生き様こそが”デヴィッド・ボウイ”たらしめている部分であり、自己の偶像化の一つの戦略だったのだろうと思う。ある意味では、非常にセルフ・プロデュース能力に長けた人物だったという言い方もできるかもしれない。
映画俳優としての活動も然り。中には批判する声があったかもしれないが、ここでも彼は一つの型にハマらず、新たな才能に恐れず挑戦していったのだ。劇中には「戦場のメリークリスマス」(1983日英)や「ラビリンス/魔王の迷宮」(1986米)といった彼の出演作が登場してくる。思わず懐かしくなってしまった。
尚、彼が「エレファント・マン」の舞台劇に主演していたということは初耳だった。今回その映像を初めて観ることが出来て良かったと思う。
全編軽快に進むこともあり最後まで面白く観れたが、ただ1つだけ、どうしても気になる点があった。劇中に古今東西、様々な名作映画が引用されており、これは若干首をひねりたくなる物が多かった。必ずしも本編と合っているとはいえず、引用の意図が余り見えてこなかったのが残念である。
「マンティコア 怪物」(2022スペインエストニア)ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ゲームのモンスター・デザインの仕事をしているフリアンは、内気な性格で家に籠って仕事ばかりの生活を送っていた。ある日、隣人の少年クリスチャンを火事から救い出すが、これがきっかけで原因不明のパニック発作に苦しむようになる。その後、あるパーティで美術史を学ぶボーイッシュな女性ディアナに出会い惹かれていくのだが…。
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(レビュー) 内気な青年が自らの中に隠された”怪物性”を目覚めさせていくビターな人間ドラマ。
現実より虚構の世界に埋没するフリアンのような人間は、いかにも現代的だなと思った。他人に迷惑をかけるわけでもないし本人が満足しているのであればそれで良いと思うのだが、犯罪が絡んでくればそうも言っていられない。終盤で彼は”ある行動”に出るが、こうなる前に止めることは出来なかったか…と色々と考えさせられた。
監督、脚本は
「マジカル・ガール」(2014スペイン)で鮮烈なデビューを飾ったカルロス・ベルムト。
「マジカル~」では日本の魔法少女アニメ好きな女の子が登場したが、今作のフリアンもその流れを継ぐキャラクターのように思う。両者とも、現実と虚構の境目で自家中毒的な妄想に取りつかれている。そういう意味では、両作品を見比べてみると面白かもしれない。
もっとも、群像劇だった「マジカル~」に比べると、本作はシンプルな分、若干食い足りなさを覚えたのも事実である。ただ、シンプルな分、メッセージは鋭くこちら側に刺さってきた。
虚構に人生を求め、翻弄される人間の弱さ、悲しみに胸が締め付けられる思いになった。
作品としての完成度も非常に高いと思う。
前半のフリアンとクリスチャンの会話が後の伏線になっていたり、ディアナの父親の介護がフリアンとのロマンスの障害になっていたり、全体のプロットがよく計算されている。フリアンがナンパした女性とベッドインできないというのも、彼の性癖を考えれば合点がいくエピソードでよく考えられている。
映画の中盤で、暴力的なゲームや映画が犯罪を誘発するかどうかという問答が繰り広げられるが、後になってみればこのシーンもミスリードになっていることが分かる。ゲームや映画への一方的な非難にフリアンは呆れかえるが、実際には彼自身こうした虚構の世界にドップリと浸かり悲劇の顛末を迎えてしまったのであるから、何とも皮肉的な話である。
一方、残念だったのはラストのエピローグである。ディアナの心境変化が全くフォローされていないせいで、少し唐突に感じられてしまった。これを救いと取るか、意地の悪いブラックユーモアと取るかで、作品の鑑賞感も大分変るかと思う。
「辰巳」(2023日)ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 裏社会に生きる孤独な男、辰巳は、組織の金を巡る抗争に巻き込まれ、元恋人・京子を目の前で失ってしまう。復讐を誓う京子の妹・葵に出会い、彼女と行動を共にすることになるのだが…。
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(レビュー) ヤクザの内部抗争に巻き込まれた孤独な中年男と、最愛の姉を失った少女が壮絶な復讐を果たしていくバイオレンス作品。
冒頭で辰巳のバックストーリーが披露されるが、このシークエンスからして熱量が高く引き込まれた。その後も、組織の上前をはねた男を処刑するシーン、その死体を解体するシーン、更に辰巳と本作のヒロイン葵の邂逅を少しユーモアを利かせつつオフビートに表したシーン。とにかくドラマのスタートダッシュがパワフルで見事である。
中盤に差し掛かると、辰巳の元恋人・京子の死でドラマは更に熱を帯びていくようになる。ここからは辰巳と京子の妹・葵の関係を軸に、物語の方向性がしっかりと定まるようになる。それまでの力業一辺倒だけではなく計算高く抒情性を醸すあたりは、見事なバランス感覚のように思う。
何と言っても、クールな辰巳と無鉄砲な葵。二人のギャップが面白い。ドラマ自体は凄惨な復讐劇だが、二人のやり取りが幾ばくかのペーソスとユーモアを持ち込み、どこか親しみを持たせている。
個人的には、クライマックス前夜の辰巳と葵の会話でホロリとさせられてしまった。本作で最も印象に残るシーンだった。
製作、監督、脚本、編集は
「ケンとカズ」(2016日)で衝撃的なデビューを飾った新鋭・小路紘史。「ケンとカズ」も熱度の高いノワール映画だったが、その時よりも泥臭さが後退し洗練された印象を持った。
基本的には前作と同様に手持ちカメラによるドキュメンタリックな演出がメインである。しかし、今回は要所の会話シーンは安定したフレーミングによる切り返しショットで構成されている。この辺りの静と動の抑揚の付け方に小路監督の演出の幅の広がりが感じられた。
ただ、クライマックスが二段構えのようになってしまったのは、非常に勿体ないと感じた。そのせいで終盤の展開は雑になった感は否めない。負傷した身体で車の運転が可能だろうか…とか、辰巳の兄貴はずっと港のふ頭に留まっていたのだろうか…とか、色々と気になってしまった。
キャスト陣は中々に厳つい顔のオンパレードで良かった。インディペンデント映画なので、いわゆる有名な俳優は出てこないのだが、それがかえって新鮮に観れる。特に、適役となる竜二のサイコパスな造形、辰巳の兄貴のどこか哀愁を帯びた佇まいが印象に残った。
そして、そんな強面な面々の中で紅一点、圧倒的な存在感を放った葵役、森田想の熱演も素晴らしかった。物語のエッセンスの部分で「レオン」(1994仏米)を想起させるところもあるのだが、ナタリー・ポートマンとは真逆のアプローチでこの難役に挑んだことに称賛を送りたい。
「ロード・オブ・カオス」(2018英スウェーデンノルウェー)ジャンル音楽・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1987年、ノルウェーのオスロ。19歳のユーロニモスはブラック・メタル・バンド“メイヘム”を結成し、ギタリストとして活動していた。やがてヴォーカルとしてデッドが加わると、彼の常軌を逸したパフォーマンスが注目されバンドは熱狂的な支持を集めていくようになる。そんなある日、デッドが自ら命を絶ってしまい…。
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(レビュー) 実在したバンド”メイヘム”にまつわる様々なエピソードを元にして描かれた音楽映画。
メイヘムというバンドの音楽自体は聴いたことはないのだが、ヴォーカリストの自殺体をアルバムジャケットにしたという有名なエピソードは知っていた。しかし、本作を観ると、それ以外にも彼らは幾つかセンセーショナルな事件を起こしており驚かされてしまう。教会を放火したり、動物を殺したり、もはやバンドというより犯罪カルト集団のようである。
尚、本作にはノンフィクションノベルの原作(未読)が存在する。
監督は若者たちの刹那的な生き様を描いた青春映画「SPUN スパン」(2002米スウェーデン)で鮮烈なデビューを果たしたヨナス・アカーランド。
元々はMV出身の作家で当初からビジュアル派で通ってきた監督である。”メイヘム”のユーロニモスとは親交があったという事で、本作の製作もその関係から来ているのだろう。
物語は軽快且つドキュメンタリータッチで進行する。展開の流れが速いため置いてけぼりを食らいかねないが、このスピード感は如何にも今時の映画らしい。乗って行ければ一気に完走できるのではないだろうか。
また、物語はユーロニモスの視座で進行するのだが、これは意外な結末へ持って行くための恣意的な誘導とも取れる。この捻った構成も上手く計算されていると思った。
そんな中、印象に残るのはデッドのキャラクターだった。彼は動物の死骸を愛好したり、自傷行為を繰り返したり、様々な奇行で徐々にカリスマ性を誇っていくようになる。ユーロニモスはそんなデッドに惹かれていくのだが、同時にある種の”危うさ”を覚え恐怖も感じていくようになる。そのあたりの微妙な距離感がリアルに描写されていて面白く観れた。
そして、映画はそんなデッドの自殺を早々に描き、ここから新たにバンドに加わるベーシスト、ヴァルグを巡る章へと突入する。このヴァルグも中々の曲者で、デッドに負けず劣らず危ういキャラである。彼の加入によってバンドは崩壊していくことになるのだが、その顛末には何とも言えない後味の悪さが感じられた。
実話を元にしているということを考えれば、俄かには信じがたい物語であるが、事実は小説よりも奇なり。不謹慎な言い方になってしまうが、ゴシップ誌的な感覚で最後まで興味深く観ることが出来た。
キャスト陣も、映画一家の縁故者揃いでユニークである。
ユーロニモスを演じるのはマコーレ・カルキンの弟ロリー・カルキン。こうしてみるとやはり兄によく似ている。演技の実力も中々のものと感じた。
デッドを演じるのはジャック・キルマー。彼はヴァル・キルマーの息子である。言われてみれば父親ゆずりの甘いマスクをしている。繊細で神秘的でどこか危うさを持った魅力は唯一無二で、スターの素養を感じさせる。
そして、ユーロニモスのレコードショップの店員ファウストを演じるのはヴォルター・スカルスガルド。彼はスカルスガルド一家の5男で、アレキサンダー、グスタフ、ステラン、ビルといった錚々たる兄に比べるとまだキャリアは浅いものの、今後の活躍が楽しみな若手俳優の一人である。
「LETO-レト-」(2018ロシア仏)ジャンル青春ドラマ・ジャンル音楽
(あらすじ) 1980年代前半のレニングラード。アンダーグラウンド・シーンでは西側諸国のロックの影響を受けたバンドが人気を集めていた。そんなバンドの筆頭格“ザ・ズーパーク”のリーダー、マイクの前に、ロックスターを夢見る青年ヴィクトルがやって来る。彼の才能を高く買ったマイクは、一緒に音楽活動を開始するのだが…。
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(レビュー) ロシアに実在したロックバンド、kino(キノー)のヴォーカル、ヴィクトル・ツォイの伝記映画。
自分はこのバンドのことを全く知らなかったのだが、どうやらロシアでは誰もが知る伝説のバンドらしく、彼らの音楽は現在でも多くの人々に聴かれているそうである。後にペレストロイカを経てソ連は崩壊することになるが、その象徴にもなったバンドということだ。
映画はヴィクトルがマイクの誘いで一緒に音楽活動を始める所から始まる。その中で彼は様々な経験を経て成長していく…といういたってオーソドックスなドラマである。実話の映画ということもあろう。取り立てて大きな事件が起こるわけでもなく、正直ドラマ的な起伏は乏しい。
エンディングで本作は事実を脚色しているというテロップが出てくるので、どこかで創作が入っているのだろうが、エンタテインメント性を考えれば、もっと大胆な解釈があっても良かったかもしれない。伝記映画はこのあたりのさじ加減が実に難しい。
ただ、物語はともかく、映像と音楽については斬新な演出が幾つか見られ、トータルでは面白く観ることが出来た。
映像は基本的にモノクロで、カラー映像が要所で入って来る。所々でミュージカル風な演出になったり、実写の中にアニメーションが混ざったり、さながらMV風の映像と言った感じの大胆な演出が随所で見られで大変面白く観ることが出来た。
特に、電車の中で乗客を巻き込んでトーキング・ヘッズの「サイコキラー」を歌うシーンは印象に残る。マイクたちの破天荒なパフォーマンスが既存の価値観を打ち破れ、と言っているかのようだ。
また、雨が降りしきる中、マイクと失恋した女性の邂逅を描いたシークエンスも印象に残る。女性が歌うルー・リードの「パーフェクト・デイ」が、家路に向かうマイクの心情をしっとりと表現し、やがてたくさんの女性たちが現れ荘厳な合唱になっていく。そして、その中の一人が天使の羽根を生やして飛んでいくのだ。何とも不思議でファンタジックな光景に魅了された。
こうしたシュールで刺激的な映像の数々のおかげで、本作は大変ユニークな作品となっている。
但し、劇中には正体不明の謎の男が出てきて、度々画面に向かって意味深なメッセージを言い放つ。これについては一体何を意味しているのかよく分からなかった。
「ストリート・オーケストラ」(2015ブラジル)ジャンル人間ドラマ・ジャンル音楽
(あらすじ) ヴァイオリニストのラエルチは、あがり症が克服できずサンパウロ交響楽団のオーディションに落ちてしまう。仕方なく生活のためにスラム街の学校でヴァイオリン教師を引き受ける。そこには楽譜が読める生徒は一人もおらず、荒んだ生活を送る問題児ばかりが揃っていた。
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(レビュー) 熱血教師と不良生徒が音楽を通して強い絆で結ばれていくという定番ネタであるが、過酷なスラム街を舞台にしたところが本作の肝であろう。ストリートチルドレンで溢れかえる町というと、これまでに何度も映画の中で目にしてきた光景である。本作もそこに重点を置いてドラマが展開されている。
最初は楽譜の読み方を知らない生徒たちに呆れかえるラエルチだが、授業を通して彼等との間に信頼関係が芽生え、徐々に師弟としての結びつきを深めていくようになる。その過程は実に清々しく観れた。
中でも、ヴァイオリンの才能に溢れた生徒VRとの関係は本作の見所である。荒んだ家庭環境で育った彼の周囲には常に犯罪の影がちらつき、ようやくまとまりかけた楽団は存続の危機を迎えるようになる。
もはや既視感を覚えるほどのウェルメイドな作りであるが、ここから映画はスラム街の過酷な現実に照射したハードな作風に転調していく。中々骨太な作品になっている。
尚、本作は実話が元になっているということである。ただ、これについてはどこまで信用して観ていいのか、正直分からない。
例えば、本編には楽器の練習風景が余り出てこない。そのため楽譜も読めない生徒たちの成長に今一つ説得力が感じられなかった。もしこれが事実だとしたら相当苦労したはずなのだが、そのあたりの真偽の判断が不明である。
ラストでラエルチはあがり症を克服していたが、これも安易に思えてならなかった。というのも、突然治っていたという風にしか描かれていないためご都合主義に見えてしまうのである。
尚、劇中にかかるクラシック音楽はどれも馴染みのある名曲ばかりで良い選曲だと思った。特に、クライマックスシーンは音楽のおかげで自然と心を持っていかれてしまった。正にこれぞ音楽の力という気がしてしまう。
また、スラム街の暴動シーンも然り。美しい旋律に乗せて描かれ、この美醜のコントラストにも心動かされた。
「ストレイト・アウタ・コンプトン」(2015米)ジャンル人間ドラマ・ジャンル音楽
(あらすじ) 1986年、暴力とドラッグがはびこるカリフォルニア州のコンプトンで、元売人のイージー・EはDJのドクター・ドレー、作詞ノートを持ち歩くアイス・キューブらとともにヒップホップ・グループN.W.A.を結成する。その後、彼らの才能に目をつけたマネージャー、ジェリー・ヘラーの元でメジャーデビューを果たし、彼らはたちまちブレイクしていくのだが…。
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(レビュー) 過激で反体制的な歌詞で一世を風靡したヒップホップ・グループN.W.A.の誕生から凋落、そして再結成するまでのドラマを当時の時代背景を交えて描いた音楽映画。
自分はヒップホップの世界はよく知らない。せいぜいスパイク・リー監督の「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1989米)のオープニングタイトルを歌ったパブリック・エナミーや、伝記映画も製作された2PACを知っている程度である。したがって、本作を観るまでN.W.A.のことは全く知らなかったし、メンバーのアイス・キューブは知っていても、それは俳優としての顔だけであり、ラッパーとしての彼は知らなかった。
そんな自分が本作を観て思ったことは、もう少しドラマのポイントを絞って欲しかった…ということである。
ミュージシャンによくある金銭トラブル、脱退、対立、再結成という流れは、実話が元になっているので如何ともしがたいが、作品としてはどこかにポイントを絞って描いても良かったのではないだろうか。
例えば、彼らの音楽は反体制的な歌詞が一つの特徴のように思う。であるならば、その反発心をフィーチャーすることで彼らのカリスマ性に焦点を当てながら、物語を組み立てるという方法もあったように思う。
例えば、メンバー間のいざこざや、マネージャーとの確執などは、どうしても既視感が拭えず余り関心を持てなかった。N.W.A.に興味を持っている人なら興味深く観れるのかもしれないが、そうでない人には”よくある話”で終わってしまいそうである。
黒人に対する白人警官の暴行を非難した曲「ファック・ザ・ポリス」を歌ってライブ会場が大混乱のパニックに陥るシーンがある。ここなどは非常にスリリングで面白く観れた。個人的には彼らの音楽性が分かるようなシーンをもっと見てみたかった。
監督は
「ミニミニ大作戦」(2003米)や「ワイルド・スピード ICE BREAK」(2017米)等のF・ゲイリー・グレイ。エンタメに特化した職人監督で、その手腕は本作でもよく出ていたように思う。後から調べて分かったが、元々彼はN.W.A.のMVも撮っているということである。その流れから本作のメガホンを務めることになったのだろう。
キャストでは、アイス・キューブ役を彼の実子が演じている。こうしてみると確かに父親によく似ていると思った。
「ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!」(2018フィンランドノルウェー)ジャンルコメディ・ジャンル音楽・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) フィンランドの片田舎で介護職員をしながらヘヴィ・メタルのバンドを組んでいるトゥロは、地元民の間ではバカにされ、鬱屈した日々を送っていた。そんなある日、ひょんなことからノルウェーで開催される巨大メタルフェスに出場するチャンスが舞い込んでくる。
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(レビュー) メタル大国であるフィンランドを舞台にした青春音楽グラフィティ。
特異なジャンルの音楽を題材にしているが、物語自体はいたってウェルメイドに組み立てられており、意外にも正統派な音楽青春映画になっている。紋切り的で少々物足りなさを覚えることも確かだが、安心して楽しめる作品だと思う。
前半は冴えない日々を送るメタル青年トゥロの鬱屈した日常描写を中心にしながら、花屋の娘との淡いロマンスや、フェスに向けた奮闘が描かれていく。やがてバンドは念願のステージに上がるのだが、何しろ初めて客の前で演奏するものだから、勝手がわからず、あろうことかライブの最中に大失態を演じてしまう。ここからドラマは熱を帯びていくようになる。
トゥロたち、バンドは再起をかけて立ち上がるのだ。ここから物語はクライマックスに向かって一直線に盛り上げられ、ラストはカタルシスも十分。最後まで気持ちよく観ることが出来た。
コメディとしても上手く出来ていると思った。スピード違反のカメラでジャケ写を撮影するクダリと、ノルウェーの国境警備隊の女兵士は傑作だと思う。また、ノルウェーと言えばバイキングである。彼らとトゥロの邂逅もシュールで可笑しかった。
尚、劇中にはヘヴィメタルに関するネタが色々と出てくるので、知っている人にはそのあたりも楽しめるだろう。