「ドグラ・マグラ」(1988日)ジャンルサスペンス・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 殺人を犯して記憶喪失に陥った青年・呉一郎は、精神科医・若林のもとで治療を受けていた。若林の話によると、正木敬之という博士が前の担当医だったが、治療の途中で死亡したため自分が新たに担当になったという。ある日、一郎は正木博士が残した論文を目にする。すると、死んだはずの正木博士が突然、目の前に現れ…。
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(レビュー) 夢野久作の同名怪奇小説を鬼才・松本俊夫が映像化した作品。
原作は、読んだ人が精神に異常をきたすと言われる怪作として知られている。しかし、それはあくまで都市伝説にすぎず、当然のことながら実際にはそんなことはない。自分は未読なので書評しか目にしたことがないが、かなり混沌とした物語で理解するのに難儀するらしい。おそらくそうした内容から精神に異常をきたす…という噂が面白半分に流れたのだろう。
ただ、こうした噂がついて回る原作であるが、今回の映画自体はそれほど難解というわけではない。
監督の松本俊夫もアングラ作として名高い
「薔薇の葬列」(1969日)などを撮っているが、そこまでのアバンギャルドな演出はしていない。確かに松本らしい幻想的なタッチは至る所で散見されるが、物語を把握する上では特に邪魔になるようなことはなく、すんなり入り込むことができた。
尚、脚本は松本俊夫と大和屋竺が共同で手掛けている。大和屋も鈴木清順作品などを手掛ける鬼才として知られているが、その一方で大衆娯楽的なバタ臭い作品も書き上げるオールラウンダーである。この鬼才二人が怪作と言われる「ドグラ・マグラ」の映像化で手を組んだということは興味深い。
撮影監督は名手・鈴木達夫、美術監督は重鎮・木村威夫が担当している。この豪華な布陣も映画の世界観に大きく貢献している。
例えば、一郎が入院している部屋の異様で不気味なセットは、彼の狂気を具現化したものとして印象に残る。終盤に行くにつれて禍々しく混沌としたオブジェが増えていき、独特の世界観を構築されている。
病院の中庭を舞台にした回想シーンも印象に残った。こちらは室内の薄暗いトーンとは正反対に異様なまでに漂泊されたトーンで統一されている。これもまた言い表せぬ狂気と不気味さが感じられた。
ラストに至るシークエンスもまるで舞台劇的な映像構成で印象に残った。
このように映像については、やはり松本俊夫印全開なシュールでカオスな面白さが満喫できる。
物語は最後までミステリー仕立てになっている。
そもそも主人公である一郎自身が精神に異常をきたしているので、彼が見ている物は果たして現実なのか妄想なのか、その判断ができない。
例えば、死んだはずの正木博士が登場してくるのも、あるいは彼が生み出した妄想の産物なのかもしれない…という風に想像できるのだ。
どこまでが現実で、どこまでが一郎の妄想なのか。そこの判断さえ間違わなければ物語自体は容易に読み解けよう。しかも、その線引きは非常に明快に映像化されている。
キャストでは、正木博士役を演じた桂枝雀の怪演が今一つだった。奇妙な笑い声が鼻につく。もちろん狙っていやっているのは分かるのだが、対する一郎ほかのシリアスな演技との絡みから言うとまったく噛み合ってない。それゆえ彼の怪演が一際目立つことになるのだが、自分には周囲から浮いて見えてしまった。
一郎を演じた松田洋治の熱演は舞台劇がかった大仰さがあるが、幻想と戯画に塗り固められたこの世界観では程よくマッチしていたように思う。
「百円の恋」(2014日)ジャンル人間ドラマ・ジャンルスポーツ
(あらすじ) ひきこもりで自堕落な生活を送る32歳の一子は、子連れで出戻ってきた妹と衝突して家を飛び出してしまう。仕方なく100円ショップで深夜のバイトを始めた一子は、そこで独立した暮らしを始める。ある日、近所のボクシングジムで練習に励む引退間近の中年ボクサー狩野と出会い恋に落ちる。しかし、狩野の引退試合を見に行った晩、彼女はバイト仲間から強姦されてしまう。
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(レビュー) 32歳のひきこもり女子が様々な不幸を乗り越えて成長していく人間ドラマ。
ストーリー自体は奇をてらうことなく常套にまとめられているが、王道には王道のカタルシスがあるもので、一子が奮起する姿には素直に感動させられた。
ダメ人間が再起をかけて戦いにのぞむ姿は、正に女版「ロッキー」といった感じである。但し、こちらは主人公の追い込み方がハンパではない。
一子は無職の引きこもりで、実家の弁当屋を手伝いをしながら無為な日々を送っている。いい年をして親のすねをかじって生きるダメ人間で、そんな彼女が出戻り妹と喧嘩をして一人暮らしを始める…という所から、この物語は始まる。
その後、狩野という中年ボクサーと出会い付き合い始めるのだが、あっという間に裏切られてしまう。更にバイト先の先輩からレイプをされ心身ともにボロボロになってしまう。
ここまで惨めなヒロインもそうそうないだろう。何とかして幸せになって欲しい…。観ながら、そう思わずにいられなかった。
こうして落ちる所まで落ちた彼女は一念発起。全く新しい自分に生まれ変わるべく、狩野が所属していたボクシングジムでトレーニングを始める。無謀にもプロボクサーになる夢を追いかけ始めるのだ。
ここは撮り方も中々上手く、それまでの淡々としたトーンから一転、躍動感あふれる演出に切り替わり、観ててテンションが上がった。
監督は今回初見となる武正晴。経歴を見ると様々な監督の下で助監督の経験を積んできた人らしく、その顔触れは錚々たるものである。森崎東、井筒和幸、中島哲也、李相日、SABU等、どちらかと言うと泥臭い作風の監督たちの下で演出の勉強をしてきている。その経歴を知ると、今作の作りもなるほどと思える。この監督は明らかにその系統に通じる作風を持っている。
ただ、ラストは意外に爽やかで鑑賞感はすこぶる痛快である。大切なのは勝利ではなく勝負することだという、いわゆるこれも「ロッキー」的なオチではあるのだが、一子の成長が十分に感じられ良い塩梅のカタルシスを味わえた。
キャスト陣では一子を演じた安藤サクラの熱演。これに尽きると思う。
何と言っても肉体改造をして挑むクライマックスのボクシングシーンが凄まじい。血反吐を吐きながら、まるで過去の自分を払拭するかのように、何度も立ち上がって戦う姿は圧巻である。前半のだらしない風貌とのギャップも見応えがあり、本作は正に彼女ありきの作品と言える。
本作で難を挙げるとすれば、サブキャラの造形が一部で極端すぎることだろうか…。コメディリリーフとしての役割を持たされているキャラが何人か登場してくるが、彼らの行動が若干軽薄に映る。例えば、コンビニ周りの人間模様は見てて少々キツかった。
「友情」(1975日)ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 大学生の宏は恋人・紀子と都内の安アパートで同棲生活を送っている。しかし、二人の交際は親に禁じられていた。そんなある日、宏は山奥のダムの工事現場でアルバイトをすることになった。そこで彼は源さんというベテラン工員と親しくなるのだが…。
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(レビュー) 育ちも世代も違う男たちの友情をユーモアとペーソスを交えて描いた人間ドラマ。
本作の見所は何と言ってもキャストだろう。源さん役は渥美清、宏役は五代目中村勘九郎。この両雄が同じ画面に並び立つというのが売りである。中々貴重な作品ではないだろうか。
ただ、物語自体は決して目新しいわけではない。ごくありふれた展開に、ごくありふれたテーマで、このキャストを抜きにしたら正直凡作と言わざるを得ない。
監督・脚本を務めたのは宮崎晃。彼は山田洋次監督の下で「男はつらいよ」シリーズの脚本を手掛けていた人である。なので、いかにも松竹印、安定感のあるドラマ作りに徹している。良く言えば、誰にでも受け入れやすい人情話として堅実にまとめられている。悪く言えば、せっかくの魅力的なキャストを上手く使いきれていない…といった感じである。
そんな本作であるが、先述の通りやはりメインキャスト二人の掛け合いは中々面白く観ることができた。
年の差の離れた宏と源さんが固い友情で結ばれていく過程は観てて微笑ましい。全体的に明朗な語り口で進行するのも良い。安心して観ることができる。
但し、朗らかに見れるのは中盤までで、後半から源さんの過去が露わになることによって、徐々にシリアスなトーンが幅を利かせるようになっていく。観る人によっては好き嫌いが分かれそうである。
これについては自分も少々戸惑いを覚えたが、最終的には源さん役、渥美清のシリアスな演技に強引に持っていかれた…という感じがした。
ある意味では、もう一つの「寅さん」のケリの付け方と言うことができるのではないだろうか。
本家「寅さん」シリーズでは、寅さんは毎回失恋を重ねている。あれだけ振られ続けているのに全然懲りない所が寅さんの良い所であり、愛すべき所である。しかし、その心中を察すると実に不憫なことこの上ない。その心の内を表面化したのが今作の源さんだったのではないだろうか。
山田洋次監督の下で実績を積み上げてきた宮崎晃監督だからこそ描けた”もう一人の寅さん”という感じがした。
「ディストラクション・ベイビーズ」(2016日)ジャンルアクション・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 高校生の将太は両親を早くに亡くし、小さな港町で兄の泰良と2人で暮らしていた。しかし、喧嘩に明け暮れていた泰良はある日突然、姿を消してしまう。その後、泰良は街の繁華街に出没するようになり、強そうな相手を見つけては喧嘩をふっかけ、自暴自棄な日々を送るようになる。そんな泰良に魅了された高校生の裕也は彼と一緒に行動を共にするのだが…。
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(レビュー) 暴力に明け暮れる若者たちの姿をハードなバイオレンス描写を交えて描いた青春クライム作品。
物語は非常にストレートなのだが、感情移入できるドラマとは言い難い。むしろ、暴力にのめりこんでいく登場人物たちに嫌悪感すら覚えてしまった。こういう映画もそうそうないだろう。最近観た中では
「クズとブスとゲス」(2015日)くらいである。
実際、泰良を見て、こんな奴がいたら恐ろしいし相手にしたくない…と思った。何しろほとんど通り魔のように、誰彼構わず殴りかかるのだから始末に負えない。普通は理由があって殴るのだが、彼の場合はそうではない。実に理不尽に一方的に暴力をふるうのだ。
だから、連戦連勝で無敵を誇る彼がヤクザ相手にコテンパンにやられる所は、滑稽且つ奇妙な爽快感を覚えた。本当は暴力を見て爽快感を覚えてはいけないのだが、そうと分かっていても、生意気な小僧の鼻っ柱を折ってやった…というような痛快さが感じられた。
ただ、泰良は弱そうな相手には手を出さない。不良とかヤクザとか強そうな相手にしか喧嘩を吹っ掛けないので、もしかしたら己の強さを証明するために”喧嘩道”を究めんとしているのかもしれない。
それに対して裕也は違う。彼は泰良の腕力を味方につけて強くなった気でいるが、狙うのは女性やお年寄りといった弱い相手である。ある意味では、泰良よりも卑劣な男と言えよう。
映画は、そんな泰良と裕也のコンビが夜の街でひたすら暴力行為をエスカレートさせていく…という展開で進行していく。
その一方で、弟・将太が泰良を追いかけるドラマも展開される。こちらはこちらで、心を閉ざした将太の鬱屈した感情が描かれていて中々目が離せなかった。両親の不在や孤独な環境、あるいは叔父との関係などを想像すると、彼が唯一の肉親である兄を求めて彷徨う姿はどこか不憫に見える。
後半に入ってくると、風俗店で働く那奈というヒロインが加わり、泰良と裕也は暴力行為を更に加速させていく。彼女も裕也たちに振り回された被害者なのだが、しかし最後の顛末を見ると一概にそうとも言えない所が面白い。彼女もまた暴力に魅せられてしまった加害者なのではないか…という風に見れる。
ただ、本作を観て明確なメッセージというの物は感じられなかった。ただの娯楽としての暴力映画を撮りたかったのか?それとも泰良たちの暴力を見せることで、観客に何かを考えて欲しかったのか?暴力の虚しさといった通俗的なメッセージを今ここで改めて訴えているような感じもしないし、観終わって今一つシックリとこなかったのは残念である。
監督、共同脚本は真理子哲也。インディペンデント時代から注目されていた気鋭の作家で、長編監督デビュー作「イエロー・キッド」(2009日)からその才能は認知されていた。その彼がいよいよメジャーな俳優を使って製作したのが本作である。
正直、メジャーでここまでやっていいの?という感じもするが、この剥き出しなバイオレンス描写はインパクトがあり、その熱量には圧倒されるばかりである。あまりカットを割らずに淡々と暴力を切り取って見せるあたりには北野武監督の影響も感じられた。
また、要所で見せるノワール・タッチにも魅了された。画面設計の上手さにも、その才覚が伺える。
キャストでは何と言っても、泰良を演じた柳楽優弥の怪演が印象に残った。無表情で殴り、殴られる姿に底知れぬ狂気が感じられた。セリフも終盤に少しある程度で、ほとんど肉体勝負の演技に徹している。彼の怪演に作品が引っ張られているという感じがした。
「あゝ、荒野 後編」(2017日)ジャンル青春ドラマ・ジャンルスポーツ・ジャンルSF
(あらすじ) 新次と健二はプロボクサーとしてそれぞれにデビューを飾る。しかし、二人の道は明暗を分けていく。新次は因縁の相手・裕二との対戦が決まり、トレーニングにも熱が入った。一方の健二は闘いの世界に中々馴染めず、新次との決別を決意する。
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(レビュー) 寺山修司の原作を映画化した
「あゝ荒野 前編」(2017日)の続編。
物語は前作から直結する形で始まるのですんなりと入り混むことができた。
新次と健二は、激しいトレーニングを経ていよいよプロデビューを果たす。しかし、野心を持った新次と野心を持たざる健二の運命は大きく変わってしまう。健二は思うように成績を残せず、新次との差を思い知らされ、ついに袂を分かつようになってしまう。あれほど仲の良かった二人が敵同士になってしまうのだ。この後編ではそんな二人の熱い戦いが描かれる。
ただ、正直、前編ほどのストーリーの濃密さはなく、結局二人が対峙するという、ただそれだけのドラマになってしまっている。2時間半という長い上映時間のわりに中身が薄いと感じてしまった。
第一に新次と裕二の戦いで一旦ボルテージを上げておきながら、その後にダラダラと話を続けるのがいただけない。
確かに健二が新しいジムへ移籍するくだりは、彼の置手紙を新次が読むという展開で中々泣かせて良い。ただ、その後に二人が相まみえるまでの展開がもたつく。ここはそのまま一気に二人の決戦へ持って行った方が良かったのではないだろうか。はっきり言って間延びした感じを受けてしまった。
そして、この間延び感の最大の原因になっているのが、前編でも書いた自殺防止サークルのエピソードである。これが展開を完全に弛緩させてしまっている。
健二の憎悪の源である父親がいかなる人物かを証明するために、この自殺防止サークルのエピソードが必要なのはわかる。ドラマ的に全然意味がないとまでは言わない。しかし、そこは父親を中心に描けばいいわけであって、本筋に直接関係ないサークル内部のいざこざはこの際省略してしまっても一向に構わないのではないだろうか。それを後編まで引っ張る必要性が自分には全く分からなかった。
クライマックスは新次と健二の戦いになる。予想していた通りの展開なので、特に驚きはしなかったが、ただこのシーンはまさに”死闘”と呼ぶにふさわしい白熱した内容に仕上がっていて引き込まれた。果たしてこれをボクシングと言っていいのかどうかは賛否が分かれるところであろうが、ここまで白熱した戦いを見せられると素直に感動してしまう。もはや”殺し合い”と言っても良いだろう。演者の熱演も素晴らしいし、演出にも熱がこもっていて、終始目が釘付けだった。
エンディングも良い。間違いなくアンハッピーエンドなのだが、何とも言えぬ感動を覚えた。
キャスト陣も前編に引き続き素晴らしかった。何と言っても、やはり菅田将暉の熱演が印象に残る。この粗野な魅力は、ここ最近の若手俳優ではピカ一ではないかと思う。ファンならずとも一見の価値があろう。
「あゝ、荒野 前編」(2017日)ジャンル青春ドラマ・ジャンルスポーツ・ジャンルSF
(あらすじ) 西暦2021年、東京では爆破テロが頻発し、日本は選択徴兵制度が施行されていた。元ヤクザの新次は少年院を出所後、裏切り者である裕二への復讐に燃えていた。ところが、裕二がプロボクサーになっていたことから、彼もボクサーの道を歩むことになる。同じ頃、吃音症に悩む在日二世の建二は父親から暴力を受けていた。荒んだ暮らしから逃れるようにして健二もボクサーの道を歩むのだが…。
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(レビュー) 二人の青年が数奇な運命に呑みこまれながら固い友情で結ばれていく青春スポーツドラマ。
寺山修司の原作の映画化である。原作は未読だが、おそらく近未来という設定などは本作オリジナルだろう。劇中にはドローンやyoutubeも出てくる。これらは原作が書かれた時代にはなかった代物である。
尚、前編は2時間40分弱ある。後編も2時間半近くあり、前後編合わせると5時間を超える大作となっている。更に、完全版と称した長尺版も存在するということで、そちらはネットで公開されたようだ。
ただ、大作であることは間違いないのだが、ドラマ自体は非常にミニマルである。
新次と健二、彼らに関係する縁故者、彼らが世話になるボクシングジムの関係者。物語はその中だけで展開されていく。
まずは何といっても新次と健二のキャラクターギャップが面白かった。二人のボクシングスタイルも差別化されていて、彼らが切磋琢磨しながら熱い友情で結ばれていく様は終始面白く観れた。
更に、彼らのトレーニングを指導するボクシングジムのマネージャーも個性的で面白いキャラクターだった。片目が見えない元ボクサーという設定で、裏では犯罪稼業に手を染めながら貧乏ジムを切り盛りしている。
他にも様々なキャラが登場してくる。
中でも、新次の恋人・芳子のバックストーリーには注目したい。彼女の過去には東日本大震災の影響が色濃く反映されており、そこには当然製作サイドの特別な思いが込められているのだろう。芳子はどこか影のあるキャラで痛々しく感じられた。
このように本作は近未来という設定であるが、現代社会を映した合わせ鏡のようなドラマとなっている。爆破テロも徴兵制も然り。今のところはないが、昨今の社会的気運を考えるとそう遠くない未来には起こるかもしれない…という危機感を訴えている。
他にも、本作には自殺防止イベントを主催するコミュニティが登場してくる。社会からドロップアウトした健二の父は、このコミュニティに懐柔されていくようになるのだが、これも多くの自殺者を生んでいる現代社会の闇の部分を表している。
ただ、個人的にはこれはストーリーのテンポを悪くしているような気がした。いかんせん新次と健二のメインのドラマにあまりリンクしてこないのが残念である。そのため今一つ存在意義が感じられなかった。
また、逆にこれは余りにも唐突過ぎると感じた部分もある。それは新次の生き別れの母の身顕しについてである。ここまで偶然の再会をお膳立てされると、運命のいたずらという言葉だけでは片付けられないご都合主義を感じてしまう。ここはもう少し捻りが欲しかった。
キャストでは新次を演じた菅田将暉の熱演が素晴らしかった。野犬のようにギラついた眼差しが新次の生い立ちを鮮烈に印象付けている。鍛え抜かれた肉体にも役作りに対する本気度がうかがえた。
健二役は
「息もできない」(2008韓国)で監督・主演を果たしたヤン・イクチュンが演じている。こちらも吃音症という難役を好演している。
ジムのオーナー役を演じたユースケ・サンタマリアの妙演も中々良かった。
「37セカンズ」(2019日)ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 脳性まひで半身不随になった23歳のユマは、母に支えられながら車いすの生活を送っていた。現在は親友の売れっ子漫画家のゴーストライターをしている。しかし、彼女の名前が表に出ることは一切なかった。鬱屈した感情を抱えていた彼女は独立したいと思いアダルト漫画専門誌に自作を持ち込む。しかしセックスの経験がないという理由で彼女の漫画は編集長から一蹴されてしまった。その言葉に発奮したユマは出会い系サイトを使って何人かの男性とデートをするのだが…。
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(レビュー) 出産の時に身体に障害を負い車いすの生活を送ることになってしまったヒロインが、過保護な母親から独立して自らの意志で人生を切り開いていく感動の物語。
主人公ユマを演じるのは一般のオーディションから選ばれた佳山明という新人である。自身が脳性麻痺の障害を負っており、その境遇が本作のユマというキャラクターに説得力をもたらしている。本作のように本物の障碍者が障碍者の役を演じるというのは珍しいのではないだろうか。
かつてはプロの俳優が障碍者を演じていたものである。
「名もなく貧しく美しく」(1961日)などは小林桂樹、高峰秀子という名優のおかげもあり実に感動的なメロドラマになっていた。しかし、本物の障碍者ではない俳優には限界がある。どうしても「演じているんだ」という先入観があるため、どこまで行ってもフィクションの域を出ないのである。
その点、本作は本物の障碍者が主人公を演じている。物語はフィクションではあるが、役柄に対する説得力という点においてはプロの俳優にはないリアリティがある。この点だけでも本作は実に稀有な作品になっていると言える。
しかも、この手の作品は往々にして安易なお涙頂戴モノになりがちなのだが、製作サイドは決してそのような志の低い姿勢で映画を作っているわけではない。そのことは映画の冒頭からはっきりと宣言している。障碍者の入浴シーンをここまで赤裸々に描写した所に今作の本気度が伺える。
物語はオーソドックスな青春ストーリーとなっている。母親に依存していたユマは様々な困難を乗り越えて新しい世界へ羽ばたいていく。そして、その過程で自らの出自を知り、それによって彼女は人間的に成長していく…というものである。誰でも楽しめる王道なストーリーと言えよう。
但し、シナリオ上、幾つかご都合主義な面があり、決して完成度が高い作品ではないと思った。
例えば、渡辺真紀子扮する歌舞伎町の女性や彼女の運転手は、ユマをどこまでも優しく包み込む理想的キャラである。人物像にリアリティが感じられない。
同様のことは、出会い系で知り合ったオタク男にも言える。カリカチュアがきつ過ぎて現実味が感じられなかった。
アダルト漫画雑誌の編集長についても然り。余りにも美人過ぎるキャリアウーマンタイプで現実にはいなそうである。
また、後半のタイに行くクダリは流石に突飛すぎてついていけなかった。パスポートや旅費はどうしたのだろうか?
売れっ子漫画家のその後や彼女とユマの関係が放りっぱなしなのも、観終わって気になってしまった。
このように色々と突っ込み所がありすぎて、残念ながら作品としての完成度には不満が残った。
監督・脚本は新鋭のHIKARIという人である。
演出はカラフルでポップで中々は手練れていると思った。一方、先述のようにシナリオに関してはまだ未熟な点が多いと感じた。
ただ、こうした弱点はあれど、やはりヒロインを演じた佳山明の存在と物語的な美しさには涙するしかない。理屈を凌駕する魅力と言えばいいだろうか…。穴は多い作品かもしれないが、そんなことがどうでも良くなってしまうほど、愛すべき映画になっている。
自分らしく生きること、自分で良かったと思えることの素晴らしさを、改めて気付かせてくれる良質な映画である。
「レ・ミゼラブル」(2019仏)ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) 移民や低所得者が多く住むパリ郊外に、警官のステファンが赴任してくる。犯罪防止班に加わった彼は、さっそく2人の先輩警官と地域のパトロールを開始するが、そこは複数のギャングが激しく対立する危険地帯だった。そんな中、サーカス団からライオンの子どもが盗まれるという事件が発生する。ステファンたちはライオンの捜索に乗り出すのだが…。
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(レビュー) ヴィクトル・ユーゴーの名作「レ・ミゼラブル」の舞台と同じ町で起きた一夜の暴動を緊張感みなぎるタッチで描いた社会派サスペンス作品。
監督・共同脚本は今作が長編デビューのラジ・リ。
リアリズム溢れるタッチでグイグイと惹きつける演出が全編に行き渡り、中々迫力のある映画になっている。ただ、手持ちカメラのズーム使用が若干気になった。ドキュメンタリズムを狙ったのだろうが、むしろ作為性が増すので興ざめしてしまう。しかし、それ以外は実にパワフルな演出が徹底され見応えとしては十分である。完成された演出というよりも粗削りで若々しい感性が突出していて大変引き込まれる作品だった。
物語はステファンの視点で綴られる二日間のドラマとなっている。
この街には移民や低所得者が多く住んでいてトラブルが絶えない。彼は先輩警官クリスとグワダに連れられてパトロールに出るのだが、そこで目にする現実に衝撃を受ける。麻薬が蔓延し、幼い子供たちは貧困に喘ぎ、ギャング同士の抗争が繰り広げられ、一時も心が休む暇がない。
ここで面白いと思ったのは、3人の警官のキャラクター・ギャップである。
クリスは粗暴な白人警官で完全に移民たちを見下している。そればかりか自身も麻薬をやっている。グワダは冷静沈着な黒人警官で熱しやすいクリスを抑える役目を担っている。そして、ステファンは主人公らしく移民たちに同情を寄せる美徳の警官である。この3人の関係がパトロール風景を面白く見せている。
前半は淡々と街の状況をスケッチするだけで、大した事件が起こるわけではないので少々退屈してしまうかもしれない。
しかし、映画が中盤に差し掛かってくると、それまで撒いた伏線が怒涛のように回収され、ここから一気に物語は加速していくようになる。
クリスたちの横暴な取り締まりに腹を立てた少年たちが暴徒と化し彼らに襲い掛かってくるのだ。3人はそれを抑え込もうとして、悲劇的な暴行事件を引き起こしてしまう。
実は、この物語にはドローンを操る少年がキーマンとして登場してくる。気の弱い彼はドローンを使って近所の女性の着替えを覗いたりして、密かな楽しみとしている。ところが、その彼が思わぬ形で今回の暴行事件に関わってしまうことになる。彼の視点は物語のもう一つの視点である。それがこの中盤でステファンの視点と統合される。そこにカタルシスを覚えた。構成が見事である。
個人的には、事件後の一夜を描くシークエンスも素晴らしいと思った。それまで持続していた緊張感がここで少しだけ緩められる。ステファノ、クリス、グワダ、暴行事件の被害者少年といった主要人物のプライベートが抒情的な音楽に乗せて綴られている。ここはポール・トーマス・アンダーソン監督の「ブギーナイツ」(1997米)を連想した。
クライマックスは一転、激しいバイオレンスシーンが繰り広げられる。ネタバレを避けるために詳しくは書かないが、それはまるでユーゴーの「レ・ミゼラブル」の市民暴動と重なるようだった。あまりの熱気と迫力に、観ているこちらの心拍数も上がってしまった。
ラストカットも衝撃的で忘れがたい。きっちりと答えを出さず観客に投げ出しているので余計に尾を引く。おそらく監督はこの問題を考えろ…と我々に突きつけているのだろう。
本作には移民差別、格差社会、麻薬の蔓延、権力の腐敗といった様々な問題が出てくる。これらは容易に解決できない問題である。
しかし、だからこそ自分はこのラストカットには希望を見たいとも思った。永遠に憎しみ合えば、その先に待っているのは絶望しかない。だから怒りの拳をどこかで下ろさなければならないのだ。ラストカットの”先”にそれを想像したし、そうあってほしいと願った。